外でははらはらと粉雪が舞い降りる静かな景色から、一段と厚く垂れ込めた雲から逸れた雪達が、横風と共にその存在を主張し始めていた。
暖炉の柔らかな炎で暖められたこの部屋も、盛大に舞う白い者達に負けじと薪を加え更に炎を大きくしていく。
部屋の主は、暖炉のソファーにその大きな体を投げ出し、夢へと迷い込み外の景色が変わった事など気付いていないだろう。
確かに自分が訪れた時、疲れた顔をしていた。
「すまない岬・・・、じゃあ少しだけ。」
本人が自覚する以上に疲れていたのか、仮眠のつもりが夕食の下ごしらえを終えてもなお、無防備に寝顔を披露してくれている。
起こさない様にまた1本薪を加え立ち上がると、そこに並べられたフォトフレーム。日本とドイツ、それぞれの友人達と撮った写真が所狭しと飾られているマントルピース。そのほぼ中央には、自分達がドイツで再会した時の写真。
この写真だけは他のと違い、大きなフォトフレームに飾られていた。
何度も訪れているのに、初めて気付いた事実。自分がドイツの友人達と撮った写真も、数枚置かれている。
こうして一枚一枚、時間を追って眺めてみると、明らかに違う自分の表情。感情を表に出さない人当たりの良い笑顔から、自然に零れた笑顔へ・・・。
特に最近撮った写真には、涙目で大爆笑している自分がいた。
「こんな写真、何時の間に?・・・もう、普通こんなの飾らないのに。」
確かに彼が親友と位置付けている人達は、人柄も良く、陽気な人達ばかり。
親友は、気心が知れて、気兼ねしない友人を指すのだと、前に彼が教えてくれた。
「あいつらは親友と言うより、完全に悪友だな。でも俺にとって、岬は親友だぜ。それも特別にな・・。」
以前、話しの流れでふっと出たその言葉。自分は親友なのだと言ってくれた時、涙が零れそうになり慌てて視線を逸らした事を覚えている。
だからこそ自分も、彼の親友として関係を築いていこうとした。
それが自分の中で崩れ始めた、あの言葉。
日本を離れてまで”岬太郎”を演じるな。
何回目かの訪問の時、彼から発せられた言葉。
最初、何を言われたのか判らなくて、彼の顔を穴があく程見詰めていた。すると彼は大きな溜息を一つ付くと、その大きな手で頭をポンポンと軽く叩くと、少し寂しそうな笑顔で語り始めた。
「ここは日本じゃない。今はもう、転校を繰り返す”岬太郎”は終わったんだ・・・。だからそんな、物分りの良い友人を演じるのは止めて、自分の感情を出す様にしろ。そうしていかないと、逆にフランスで友人を無くすぞ?何せ、長い付き合いになるかもしれないんだからな。」
正直、凄く意外だった。
失礼な言い方だが、そこまで自分の事を見ているとは思わなかったから・・・。
日本にいた頃は、ろくに会話もしない、そんな間柄だった。話しをしても、精々サッカーの事ぐらい。
それぞれ行動を共にしていたグループが違ったので、お互いをあまり知らなかった。
少なくとも自分はそう思っていた。
「環境は違っても、それぞれ寂しい想いをしていたしなぁ・・・・。」
言い含めるといった口調ではなく、まるで独り言の様に語られたその言葉に、背中を押された気がした。
そして気が付いた時には、自分は声を上げる事もなく、ポロポロと涙を流していたのを憶えている。
それから自分の内で、親友という彼との関係が揺らぎ始めた。
好き
彼が、若林源三が好き
自分にとって、親友という言葉では片付けられなくなっている。
でも、それだけ・・・。
その想いがあるだけ。
それ以上は何も望まない。
知っているから。
望みを一つ手に入れる為には、何かを一つ失わなければならない事。
友情を引き換えに、こんな勝手な想いを伝えるわけにはいかない。
怖いのだ。
彼に拒絶される事が。
だから、演じる。
”転校生”の岬太郎から、”親友”の岬太郎へと・・・。
演じるのは、たまに会うほんの一時。だから大丈夫。そう自分に言い聞かせてきた。
それなのに・・・。
動き、一つ一つに目を奪われる。髪を掻くしぐさ、振り向いた時の表情、自分の名を呼ぶその声。
その度に、親友である自分が崩れ消え去り、代わりに我儘な想いを伝えようとするもう一人の自分が顔を出す。
だから自分を叱咤するのだ。もっと冷静になれと。
今もこうして、無防備に寝顔を披露してくれるのは、信頼されているから。
跪いて覗き込めば、聞こえてくるのは規則正しい寝息。
躊躇いながらも惹きつけられる様に、ゆっくりと手を伸ばす。
指先が触れたそこは、暖かく少し乾燥はしているものの、自分が思っていたよりずっと滑らかな口唇だった。
触れるか触れないかの仕草でその形をなぞってみる。静かに、ゆっくりと・・・。
そうして彼の温もりが伝わった指先を、そっと自分の口唇へと重ねる。温もりと共に、彼の優しさが心に染み込んでくる気がした。
でもその優しさを、自分は裏切っているのかもしれない。そう感じた時には涙が
零れていた。
ごめんなさい
何度も、何度も心の中で謝る。
涙で霞んだ視界のまま、彼の寝顔を見詰めているうちに外では街頭が輝き始めていた。薄暗くなった部屋には
暖炉の炎だけが赤々と燃え続けている。
女々しい自分を追いやる様に、サイドテーブルに置かれた小さな時計はタイムリミットを示す。
だから”親友”岬太郎を演じる為、涙をぬぐい笑顔を作る。
そして目を瞑り、大きく深呼吸・・・。
「若林くん、そろそろ起きて・・・。」

end
<花菱草の花言葉>
私を拒絶しないで下さい
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