優勝報告
ドカッと椅子に座るとはぁ〜とため息が漏れた。その横では疲れきった顔をして汗をタオルで拭っている。すでに汗はタオルに吸収されているのにただひたすらずっと。ベンチから離れた所ではイライラしているらしく、うろついている者さえいた。まったく休憩になりゃしない。 前半だけで3点取られた。 それが格下と思われていた相手に。 世界という大海から考えれば、アジアという地域に限定されたこの大会では1回戦で負ける訳にはいかない試合。 ワールドカップ優勝を夢見る彼に付いて行くのなら、ここで苦戦すらしてはいけないのだ。 それなのに、この展開はどういったことか。 点数差にショックなのか、はたまたこの点数差を作った自分達の不甲斐無さに声も出ないのか、控え室にいる仲間は皆、静かにしているだけだ。 ただ静かなだけで前半の雰囲気を払拭できる様子はまったくない。 監督も皆の様子にどう声を掛けたらいいのかわからない訳ではないはずなのに、先にこの雰囲気にため息をつくばかりだった。 前半戦だけで取られた3点。どうして取られたのかわからない。どう迎え撃てばいいかもわからない。そんな状態で前半戦は終わった。 アジア1のクラブチームを決めるこの大会。 日本の代表としてでの大会ではないのだが、数年後に迎えるワールドカップ優勝を考えればクラブチームの大会とはいえ、負けて帰ることの出来ない大会だった。 確かに、会場も日本ではないということでスタジアムの声援もいつものようには期待できないのはわかっていた。下手をすればブーイングの嵐だってあるわけだ。 そして、観客からだけではなく、試合前での移動、練習段階での環境。どれをとっても自分達に不利なのは最初からわかっていたはずだ。 それを理解した上でのこの大会への参加。 今更どんな理由があるにしろ、わかっていたことなのだから、ただの言い訳にしかならない。 だから・・・。 言い訳を考えるのではなく、先に進むことを考えるべきなのに。 この控え室の中は、試合はまだ半分なのに、試合後の言い訳を考えることを最優先してすらある空気がすでに出来上がっていた。 ダメだ、このままではダメだ。 と、岬は思った。 約束したのに。 翼と約束したのだ。 アジアの中でも最も西に位置するこの国で行われる大会に参加することが決まった時に約束したのだ。 誰もが何も話さない空気の中、岬は以前翼と交わした会話を思い出していた。 「優勝おめでとう、岬くん。またまたって感じでもう当たり前になってしまったのかもしれないけれど、でも、おめでとう。」 「ありがとう、翼くん。でも、偶然とはいえ、翼くんが日本に帰ってきたこの日に優勝が決められて僕もラッキーだったかな。翼くんからお祝いの言葉をもらえるなんて・・・。」 「あ〜〜〜〜。ごめん・・・。いつも、気が付いたらリーグも終わっていたり、すでにオフになっていたりでどうもタイミング外しっぱなしだったからな〜〜〜。」 ポリポリと頭を掻きながら、空いたもう片方の手は暇を持て余して目の前のコーヒーカップに差してあるスプーンをひたすらかき回していた。 久しぶりの再会ということで改めて時間を作ってゆっくり会話をするつもりが、どうやら会話にならない状態になってしまった。 翼が忙しいのは当たりまえ、日本になかなか帰ってこれないのは当然なのだから、別に気にする事ではないが、やはり、昔、自分達に距離が出来てしまっている事を翼は心のどこかで気にしているのがその表情から伺えた。岬は元々育った環境からなかなか連絡を取れない状態にならざるを得なかったので、仕方がないと思っているので気にしたことはあまりないのだが。 まぁ、自分も悪いしね。と過去を思い出し、軽く息を吐く。。 せっかく久しぶりに会ったのだから、楽しく過そうと話題を変えた。 「そうそう、これで今度始まる大会の出場権が取れたんだ。」 「今度始まる大会?」 翼が何?と覗き込んできた。ヨーロッパの生活に慣れてしまって日本のサッカー事情にすっかり疎くなってしまったようだ。 「アジアNO.1を決める・・・。」 そこで翼が思い出したようにポンと手を叩いた。 「あ〜。あれ!」 岬の言いたいことがわかったようで、翳っていた翼の表情が明るくなった。 「そうか〜。アジアNO.1だね。おめでとう、岬くんvv」 「いや、・・・その、翼くん?まだ試合するどころか、準備もなにもしてないんだけど・・・。」 翼の決まりきったような言葉に岬は苦笑いを溢す。ちょっと落ち着いて?と、翼のコーヒーを手で押して飲むように促してみたが、翼は「うんうん。」と腕を組んでニコニコしていた。 まったくもう〜と、「優勝できるかどうかわからないじゃないか。」と言いたかったのだが、それは言ってはいけないのだろうか。どう言ったものかと考えあぐねていたら岬の言いたかった事はわかっているらしく、あのね・・・と続けた。 「俺の・・・俺達の夢はワールドカップ優勝じゃなかった?」 はっ、と岬は思い出したような顔をする。 「俺だけじゃないよね?ワールドカップ優勝を夢見ているのは?岬くんもそうだと信じていいよね。」 翼の言いたいことがわかって岬はコクリとうなずいた。 「だから、その夢の為には負けられないんだよ。俺達は・・・。例え世界相手でも。」 そうだった。優勝できるかどうか、ではなく、優勝しなければならない。 何気ない冗談ではなく、その真意が伝わって、岬は意思を持った笑顔で翼に伝える。 気が付けば、待ち合わせ場所だったこの喫茶店に入った時に高かった日はすでに暮れようとしていて、お互いの顔がオレンジに染まっていた。そっと視線を外に向けるとガラスの向うから綺麗な色に彩られた雲と共に夕日が目に入った。通りで歩いている人々はそんな夕日には目もくれないでただただ急いで通り過ぎている。 毎日続くだろうこの景色と一緒で一見些細なものなのだろうが、それでも今から交わす言葉は約束としてこれからに自分達にはとても簡単にやり過ごしていいものではないのは岬にわかった。 「だったら、決勝が終わったら今度は僕から連絡を取るよ。優勝報告をして、君に最初におめでとうを言ってもらう為に。今日は君から来てもらったからね。」 「そうだね。それ、いいかも・・・。じゃあ、今度から優勝報告を自分からからするんだ。おめでとうを言ってもらう為に。ちょっと変かもしれないけど、絶対『おめでとう』を言い忘れないですむよ!」 今度は翼もコーヒーを手に取って、ゴクリを飲んだ。 普通は逆だろうと思いながらも、なかなか連絡を取れないのだからお互いの声を聞くにはちょうどいいと約束をする。 ただの試合結果や大会の報告でなく、優勝の報告。 お互いに試合が終わったら「優勝したよ。」と伝える。 それが翼と岬の新しい約束になった。 しかし、それがどうだ? 勝たなければならない試合が、まったく逆の展開になっている。 一体何が悪かったのか。 そして、どう翼に伝えればいいのいか。 堂々巡りとして岬の頭の中も皆と同じ状態になっていた。 目を閉じて、ゆっくりと深呼吸をした。 軽く天を仰ぎ、そおっと目を開ける。 部屋の天井近くから窓を通してだが光が差し込んでいた。窓ガラスが厚いからか、あまり強くない光は、それでも岬の目には眩しく感じた。と、いっても目が眩むような眩しさではなく、暖かい眩しさだった。 あまり強くなく柔らかい日差しなのに眩しいな。 ふ。 と、岬は思った。 あぁ、この光と同じようにすればいいんだ。 ストンと胸の支えが取れた気がした。 あまりに気負いすぎていたのか。約束に拘って。もっと柔軟に考えればいいのだ。 勝たなければならない。 ”なければいけない” それに囚われすぎていた。 確かに優勝の約束をしたのだが、翼と約束したことはただ勝てばいいのではないと思った。 先に続くワールドカップへの道導になる優勝。優勝するような試合。 本当は逆なんだと気が付いた。 ワールドカップへの道しるべになる試合をすれば試合に勝てる。どんな大会でも優勝できる。 だから優勝の報告もできるのだ。 そう気が付いたら、大きな点差が出来てしまったこの試合も勝てる気がした。 周りの皆は今だ前半戦の状態を引き摺っている様子だったが、いいかげん後半戦に向けて切り替えなければいけない。そうしなければ、このまま本当に負けてしまうだろう。 単純に考えれば約束を守るというのは、簡単な気もするがそれは内容にもよるのだろう。 わかった、勝てる気がするとはいえ、正直この翼との約束はとても簡単とは言い難いもので、しかも自分1人では叶えられない。 そして、翼との約束はこの今一緒に闘っている仲間とは直接には関係がないといえばないのだが、それでもこれから先自分達が進む道を考えれば疎かにしていいものではないはずだ。 切り替えよう、気持ちを・・・。皆の気持ちを切り替えなくては、自分一人ではダメだ。 思うところを読んだのか、下ろした瞳の先には岬を見つめる監督の視線があった。 すぅ、っと監督の口が開いた。 「皆、聞いてくれ。」 一斉に全員の目が監督に集まる。 「岬がどうやら話があるらしい・・。岬・・・。」 岬が伝えたかったことはどうやら自分で皆に言えということらしい。ずるいような気もするがその方が士気が上がると監督は考えたのか。 今度は注目が監督から自分に集まるのが岬にはわかった。 一瞬、どう言葉を継ごうかと考えるが視線を一巡して飾った言葉は必要ないとすぐにわかった。 汗を拭いている者も、ウロウロしていた者も、イライラと壁に当たっていた者も、岬が声を発するのを待っていた。この雰囲気を払拭してくれることを期待して。 「勝てるよ・・・僕達は。だってワールドカップ優勝を目指している人達の集まりだもの。このチーム以外の人間もこのチームの人間も、皆、ワールドカップ優勝を目指して頑張っている仲間だから。この大会で優勝するのが最終目標ではない。この先のワールドカップが最終目標だから。だから、どういう試合をすればいいのか、わかるだろう?」 ね、翼くん。と、試合後の電話を待っている友人に心の中で続ける。 『勝たなければならない』ではなく、『勝てる』 先に翼と約束した時は、『勝たなければならない』と言ったが、そうではなく、『ワールドカップに続く、勝てる試合をする』のだ。 その言葉に、部屋にいた全員が驚きと疑問を交えた顔をしたがそれもすぐに消えた。 岬の言いたいことがどうやらわかったようだった。 「お、そうだったな。」 「忘れていたぜ。」 なんて気軽に言い合っている。 皆の雰囲気が一気に変わる。 これで本当に勝てると思い、岬がホッと息を吐くとポンと肩を叩く者がいた。 誰かと振り返ると、そこには幼馴染と言っていいほど付き合いが長い石崎が立っていた。 石崎はニヤリとする。 「翼の受け売りか?」 石崎も岬と翼の約束事は知らないのだが、どうやら『ワールドカップ』の単語でピンときたらしい。 岬もニヤリと返す。 「そうじゃないよ。翼くんが僕の真似をしてるんだよ!」 本当ともウソとも取れない返事に石崎は苦笑いを止められない。 「あ〜あ〜。そうだろうな〜。翼が聞いたら逆の事言うだろうけどよ。」 「どっちが先だっていいさ。僕達黄金コンビだから。」 茶目っ気たっぷりに言ってやると、石崎ははぁ〜と肩を落として呟いた。 「わかったわかった。言ってろよ!」 グルグルと両腕を回し、疲れの見せ始めた体を解した。 石崎以外にも目をやると、誰もが先ほどの苦しい空気はすでに纏っていなかった。 屈伸を始めたり、ボールを転がしていたり、目を閉じて集中していたり。 皆すっかり、気持ちを切り替え、自信を取り戻し、もういつ試合が始まっても大丈夫だろうと思える状態に戻っていた。いや、戻ったというよりは最初よりももっと気分が高揚した状態なのだろう。誰も彼もが先ほどとは違う瞳をしていた。 もう心配はいらないだろう。ここにいる全員が前半戦が終了した時とは雲泥の差をその身体に纏っている空気に現していた。 この控え室に溢れ出した空気に、半ば諦めかけていた監督ですら、汚染されたかのように指示を出すぞと大声をあげた。 今まで黙っていて何を今更。という気もしないではないが、しかしそれでいいと岬は思った。 ようは何だっていいのだ。試合に勝てるようにすれば。実際に影でチームを引っ張るのと表向きに英雄になる人物が違っていようと。 一斉に監督の前に並ぶ。岬も他のメンバーと一緒に監督の声に耳を傾けた。 しかし、岬が所属するチームの監督はやはり単なる飾りではなく、後半に向けての指示は間違っていなかった。 そして、もちろん自分のプレーも仲間のプレーもその指示を的確に、いや、それ以上に監督を魅了するだけのものであり。 後半、日本のチームは有利に試合を進めようと守りに入った相手チームの強固な守備にもかかわらず6点という大量点を取り、圧勝した。 ただし岬は控え室同様にチームの皆を引っ張りながらも、試合では影の主役に徹していて確実なパスで多くのアシストを取りながら自らは点を取る事はしなかった。 それが今日の岬のプレーであったのだろう。そしてそれが本来の岬のプレーであったものまた事実だった。 シュートを決めるたびにガッツポーズを取る仲間に笑顔で応える。自分が点を決めることはなくても、それが岬にとってなにより充実したワールドカップに向けての試合内容だった。 それぞれが満足の行く試合に笑みを溢しながら前半戦とは違う顔色で再度控え室に入った。足音まで先ほどとは違う響きを持っている。軽やな足取りで皆それぞれ控え室に入っていく。 岬は最後に部屋に入り、だがしかし、すぐにユニフォームを脱ぐ事なく、ロッカーを開けると、奥に押し込められていたリュックタイプの鞄に手を突っ込んだ。 約束。翼との。 試合の興奮にも関わらず、忘れることのない約束を。 ゴソゴソと鞄の中を探ると目当てのものに触れたのがすぐにわかり、それをギュッと握り、そそくさと廊下に出た。 なにしてんだよ、の声にも曖昧に返事を返しながら握った携帯をそのまますでに身体が覚えている番号を押す。 ゆっくりとも感じられ、早くも感じられ、もどかしいコールの向うから待ち望んでいた声を確認する。 そして、試合後真っ先に掛けた電話の先から岬は以外な言葉を翼から聞いた。 「さすがだよ、岬くん。一見おとなしいように思えるけど、でも岬くんの言葉、とても力強かった。」 翼は一体何を言い出すのかと、岬にはわからなかった。 クスクスと笑いながら「ほら、後ろをごらん。」 と諭される。 クルッと向きを変えるとそこには電話を片手にVサインをしている翼が立っていた。 試合後すぐにロッカー室へと入り、誰もいない通路には遠く今だ観客の声が響いていた。 遠くから響く歓声の中、少し暗い通路で翼と岬、お互いが僅かな距離で向かい合っていた。 一本取られたと、岬は顔に手を当てるがその下には堪えきれない程の笑顔が隠れていた。 END |