新たな覚悟を決めて
「本当か、それ・・・。」 今まで明るいトーンだったはずの若林の声がワンランク落ちた。 まさか、と驚きを隠せない声だった。 「本当だよ・・・。」 突然のセリフに暗くなる若林とは対象に岬はニコリと笑う。まるで人ごとのようだ。 あまりの岬の様子に若林は食い付く勢いで怒鳴る。 「どうして、そう笑っていられる!!自分のことだろうが!!!」 眉間に皺を寄せる若林を宥めようと岬は、笑みを外さないが、それはただ若林の怒りを増長させるだけだった。 「若林くん・・・・落ち着いて・・。」 いつもの若林ならそれで落ち着ける岬の笑顔にも、今の若林には効かなかった。それだけ、怒りが大きいのだろうが、岬にとっては、それは有難迷惑でしかない。 とはいえ、怒りだすくらい若林が岬のことを思ってくれているのも本当のことだろうし、内心それを岬が嬉しく思っているのも本当だ。 岬はゆっくりと息を吐くと、改めて若林と対峙した。 気が付けば、食後に入れたコーヒーは冷めたらしく湯気がなくなっている。岬が手にしたカッップは温い温度しか感じられなかった。 それでも味は落ちていないと、コーヒーを口にして、カタンとカップをソーサーに落とした。 若林は、それから何も言わないが、落ち着いたとも思えない表情で岬を見つめている。 久しぶりに訪れて、賑やかさを取り戻したはずの岬の部屋はシーンと静まり返っていた。岬が入院をしていたためずっと使われていなかった所為か、生活の匂いが薄れていたのを取り戻したと思ったのに。 若林は岬に見えないようにため息を吐いた。 つい先日、足のリハビリの為にずっと入院していた研究所を退院したと、連絡を受けて、岬の元を訪れたのだが、以前、岬を見舞った時とは、雰囲気が違う気がした。 昼間に一緒にボールを蹴った時には感じなかっただが、こうして二人で静かに時を過していたらどこか違和感を岬から感じた。 一体どうしたのか、と窺おうとしたとたん、これだ。 「ありがとう・・・。」 突然の畑違いのセリフに若林の眉が跳ね上がる。 岬から出た言葉にどう答えていいのかわからない、と目を丸くした。 その表情がおかしかったらしく、岬がクスクス笑うと、今度は若林は怒らずに困った顔をした。 「みさき・・・・。」 声に力も無い。困ったと言うよりも、泣きそうにも見える顔に岬はごめん、と謝った。 回りはシーンと静まり返っていた。 テーブルの上に投げ出されていた若林の手を両手で包み込むように握る。 その手はすでにリハビリを終えて退院したはずなのに、まるでまだ体調が戻っていないような冷たさを感じた。 岬が、ワールドユース大会前で負い、そして決勝戦に合わせて治したにも関わらず試合で無理をして再発した怪我を再度克服し、退院してから、すでに2週間経っていた。 完治を証明するよ、と笑顔でサッカーボールを蹴っていた、昼間の岬が若林の記憶に蘇る。遠くない、つい先ほどの出来事だ。 それなのに、若林は、今、岬から聞かされた言葉により呪文がかかった呪われ人になったような気分だ。 最初、その言葉を聞いた瞬間は嘘だと思った。いたずらに若林を茶化しているだと、笑い飛ばそうとした。 が、その眼が発した言葉を本当だと若林に伝えていた。 「心配してくれて、ありがとう。若林くん・・・。」 岬は真意がきちんと伝わるように再度、気持ちを口にする。 若林は、目を閉じ、その前に言われた言葉を頭の中で、反芻する。 「今度、怪我が再発したら、引退する。」 あの言葉を口にした時の岬の瞳が忘れられなかった。 それは、哀しみと悔しさと後悔と・・・・・そして満足感をごちゃまぜにしたような。言葉では言い表すことができない。 何故、笑っていられる。 何故、悔しがらない。 何故、泣かない。 何故、怒らない。 そして、何故、ありがとう、と言える。 本人を目の前にしておかしな話だが、若林の方が泣きたくなった。 「みさき・・・・・。お前は・・・。」 その後の言葉が浮かばず、若林は口を閉ざす。 見かねたのか、岬が若林の言葉を受けた。 「僕は、満足しているよ。だって、本当は、あのワールドユースの試合で引退を覚悟していたんだけど、でも、こうしてまたサッカーできるし。」 「岬・・・。」 「確かに後悔がまったく無いと言えば、嘘になるけど。でも、やっぱり後悔はしたくないんだ。僕が僕自身で決めたことだから。それに、まだサッカーが出来なくなったわけじゃないだろう?確かにいつ再発するかわからないけど、でも、それまではみんなとボールを蹴ることができるんだ。君とまだ一緒にサッカーができるんだ。」 岬は包んでいた若林の手をギュッと握った。 それは先ほど感じた冷たさは消え、熱のこもった男の手だった。 それを今度は若林が握り返す。熱を分かち合うように。 「そうだな・・・。」 「う・・・・・ん。」 「岬は、いつでも全力でサッカーしている。それは、今までもこれからも変わらねぇよな。いつも全力でサッカーしているんだからいつ引退しても後悔はないよな。」 「うん。」 「覚悟もできているんだよな。」 「うん!」 「そうか・・・。」 岬の笑顔に若林は笑顔で返した。 が、ちょっとだけトーンを落とす。それは、最初ほどではないが、若林にも思うことがあるのだろう。 「岬・・・・。これだけ、約束してくれないか?」 「・・・え?」 今度は若林が両手で岬の手を包み込む。 「苦しくなったら、我慢するな。」 「・・・。」 「みんなの前で我慢するのは、いい。だが、俺の前では我慢するな。」 「若林くん。」 「俺の前では、無理をするな。泣きたくなったら泣け。辛くなったら喚け。俺の前だけでいいから・・・・。」 「・・・・・。」 「俺の前だでいいから。俺はお前の苦しさを一緒に感じたい。お前を100%助けてやることはできないかもしれないが、一緒に苦しむ事はできる。だから、教えてくれないか、お前の苦しみを・・・。」 「若林くん・・・・。僕は・・・。」 想像だにしていなかった若林の言葉に岬の顔が歪む。 若林の両手は今度は岬の頬を撫でた。その手に温かいものが、流れ伝う。 「俺の前だけでいい・・・。泣け、岬。」 「泣け!って、そんな言い方!!」 ギュッと岬は目を瞑り、怒り口調で若林を責める。 「君は!本当に・・・。」 「みさき・・・。」 「本当にっ!!」 若林は立ち上がり岬の傍に来ると、目尻にチュッと唇を触れさせた。 そのまま、徐に吸い寄せる。 若林の口内にしょっぱい味が広がった。 「俺の前だけでいいから・・・・岬。」 「う・・・・・・ん。」 「なぁ・・・みさき・・・。」 「・・・・・わかばやし・・・・・くん。」 椅子に座ったままの岬を若林はゆっくりと抱きしめた。 それでも岬は声を殺して泣く。静かに泣いた。 それを若林は、抱きしめながら受け止める。 閉め忘れられたリビングのカーテンの隙間からは、大きな月が二人を見つめていた。 「もうすぐ、合宿が始まるけど、でもそれまではちょっとだけ休憩するから。それまで一緒に居てくれる?」 「もちろんだ・・・。」 若林は岬の髪を撫でながら、若林の中で岬とは別の新たな覚悟を決めた。 サッカーが出来なくなっても、ずっとずっと岬を守って行こう、と。 END |
06.07.31
何がなんだか・・・・・。(滝汗)