鳴けない雲雀




「日本の勝利〜〜〜〜〜!!!これで決勝トーナメント進出決定ですっっ!!」


声高らかにアナウンサーが雄たけびを上げて叫んでいるのが、耳に届いた。
が、その叫び声も近くにあるはずなのに、何故か岬には遠く聞こえた。
普段なら置いていないTVも今回ばかりは特別だと、店内のどの位置からも見える場所に置かれていて、特別枠で今まで中継されていたワールドカップ予選の日本最終戦を映し出していた。

コトとグラスを置くと、グラスについている水滴が流れ落ちて下に敷かれているコースターに染み入る。
頬杖をついて騒ぎ立てるTVを見るともなしに、岬はマスターに「もう一杯頂戴」と伝えた。
隣に座っている男が「大丈夫かよ!」と心配気に覗いている。その男の方がよほど酔っているのか、ただ単に興奮しているのか、真っ赤な顔をしていた。

「大丈夫だけど・・・?そっちこそ、真っ赤だよ。かなり酔っていない?」

クスクス笑う岬に酔っているだろうと言われた男、石崎がへっと鼻の下を擦った。

「なぁに、今日は飲まずにいられるか!ってぇの。日本がヨーロッパの強豪に勝ったんだぜ!しかも、これでワールドカップ決勝トーナメント進出決定じゃないか!!こんな目出度いことってないぜ?」

こちらもドンとグラスを置いて、「マスター!!」と声を掛けていた。
すぐさま注がれた次の茶色いアルコールが零れる勢いで乾杯とグラスを掲げた。
よほど嬉しいのだろう、石崎に釣られて岬も軽くグラスを上げる。

「本当にすごいよな、翼は!!連続3回だもんな、ワールドカップ出場は。しかも、その全てが決勝トーナメント進出・・。翼でないと実現できなかったことだよな!」

翼翼と連呼する石崎は自他共に認める翼FAN1号なのだそうだが、岬は口にしなくとも自分もそうだと思っている。
表には出さなくとも、岬だって翼の活躍はとても嬉しいし、過去一緒に戦った仲間ということに誇りを持っているのは、同じだ。
その翼に乾杯と何度となく心の中でお祝いを言った。
が、顔ではそれを祝っているように見えなかったのか、石崎が「悪い・・。」と溢した。

「何謝ってるんだよ。本当にお目出度いことじゃないか、ね?」

カウンターに置かれている石崎のグラスに岬はコンと己のグラスを合わせた。

今、TVの画面の中で、試合終了で興奮冷めやらないスタジアムでユニフォームを着て映し出されているのは、あの当時からの人間では翼一人になってしまった。
ある者はスタジアムに居るとしても観客席か、それとも解説席かで。中には、関係者としてスタジアムにはいなくとも、早速、次の決勝トーナメント進出の為の準備に飛び回っている者もいるだろう。
選手としては終わっているものの、ほとんどがサッカーに従事したままその人生を過している。こうやってTV画面を睨みながら祝いの酒を飲んでいるのは、石崎と自分以外には、数えるほどだろう。
自分達の年代は黄金時代と呼ばれるほどに、サッカーに惹かれ、サッカーに人生を費やしてきた。もちろん、その原因は全て翼にあるのだろう。
命を投げ出してまでサッカーにしがみ付き、病気を克服してしまう者もいれば、生活の糧としてしか考えていなかったサッカーを夢そのものにしてしまった者もいる。
本当に大空翼という男はただサッカーが上手いだけでなく、その影響力の凄さは計り知れない。
当の自分だって、その翼の影響を最も受けた一人なのだが。

と、隣にいるもう一人の影響者、そして崇拝者である石崎が「おいおい。」と岬の肩を叩いた。

「ん・・・。何?石崎くん。」


ちょいちょいと石崎の指差す方を見れば、その翼の影響を最も受けた人間の一人でもあり、だが、自分達と同じようにあっけなくサッカー界から消え去った男が岬の後ろに立っていた。
彼が引退を表明した時は、かなりの物議をかもし出したのを思い出す。
GKはフィールド選手と違い、選手生命が長く続くことが多いが、それでもまだまだ後数年はやれるだろう評価を後にあっけなく彼は引退してしまった。
誰も彼もが、そして翼までもが彼を引きとめたが、彼は自分の決心を覆すことがなかった。
もちろん、岬も他の者同様に、この男、若林源三に引退を考え直せと何度となく話をしたものだが、それでも首を縦に振らなかった。翼に説得できずに自分に説得できるとは到底思わなかったが、彼が引退を決意した本当の理由を考えると話をせずにはいられなかった。
若林がサッカー選手を引退した本当の理由。それは、ここにいる岬の他には隣に座っている石崎しか知らない。
表立ってはずっと抱えていた怪我のためと家業を継ぐため。
その若林の家業はあらゆる業種での会社経営を行っており、しかも国内だけでは飽き足らず海外にも手を伸ばし出した。その為、早々にヨーロッパに渡っていた三男の源三の国際的な知識と語学力が必要とされていた。
もちろん、長男とは違い、家そのものを継ぐ必要はない三男であるので、本人の意向を尊重していいとのことだったが、若林自身、親の家業手伝いの申し入れには二つ返事で了承した。
若林にしてみれば、それは丁度良い時期だったというのだ。


今は、サッカー選手時代よりも広い地域で仕事をこなしているようで、中々日本にはいられないが、それでもこまめに連絡を取る事は忘れない。
今日も、二人が飲んでいると聞いて飛んできたのだ。
よく間に合ったな・・・、と岬がぼんやりと考えていると、それが顔にでも書いてあったのか、岬の考えの答えが返ってきた。

「韓国にいたんだ。飛行機ですぐだろう?」

ニヤリと笑って石崎とは反対側の岬の隣に座る。
マスターに同じものを、と声を掛け、二人をジロジロと眺めた。

「機嫌いいな、石崎。」

岬の隣に座ったのにいきなり石崎に声を掛ける。
それに石崎は若林の意図を感じたのか、引き攣った笑いを返す。
岬とは、若林に焼餅を妬かれる仲ではないのだが、結構見かけによらず焼餅妬きの男なのだ、若林は。

「・・・・そりゃあそうだろう。翼が・・・日本が決勝トーナメント進出を決めたんだぜ?」
「ま、当たり前だろう、そんなこと。」

普通にサッカーの会話をしていたんだぞ、と暗にアピールするが、ごく当然という風に流す若林に石崎はグと声を詰まらせる。

「それより、お前いいのかよ、仕事、奥さんにまかせっぱなしで・・・。結構繁盛してるんだろうが?」
「ふん、いいんだよ、お前と違って俺は社長だからな。それに、こんな日だからな、客少ないんだよ!!」

半ばキレぎみでグラスを傾ける石崎に若林が笑う。本気で妬いているわけではないようだ。
石崎は家業の風呂屋を継いだはいいが、今時、銭湯に来る人は少ないと、結婚と同時にごくごく普通の銭湯を改良して宴会場やゲーム場、スポーツコーナー、他もろもろとごちゃまぜ状態にして大規模なレジャー施設並のものを作ってしまった。
もちろん小さな風呂屋の土地だけではそれは叶わないので、若林に助力をお願いしたら、世の最先端を知る若林に「それでも今時そんなのは流行らないぜ。」の声をもらてしまった。が、意地でその声を無視して作ったら意外や意外、これが当たってしまった。
特に大きなレジャー施設も田舎だからか、意外に客は多く、いつの間にか従業員を何人も抱える社長になっていた。
規模こそ比べ物にならないはずなのに、若林の肩書きが『社長』でないことをいい事に、事あるごとについつい「俺様は社長だ!」といつも張り合っているところが涙ぐましいというところか。
二人のいつものやり取りが始まったと、ため息を溢す岬に若林がふ、と笑いかける。

「大丈夫か?」

優しい笑みと同時に出たセリフに岬は、つい反論したくなる。先ほど石崎にも言われた言葉に、カチンときた。
それほどまでに自分は酷い顔をしているのだろうか。
誰もが自分を心配してくれるのは、嬉しい。が、反面、心配かけているという事態が腹立たしい。
石崎は友人として、そして若林は愛する人として自分を心配してくれる。
それが重荷になっていないとしたら嘘になる。

「さっき石崎くんにも言われたけど、そんなに酷い顔をしてる?大丈夫だよ!!」

荒い口調で返す言葉に若林の眉が跳ねた。
それに気がついた石崎が慌てて岬のフォローをする。

「まぁまぁ若林。今、酒飲んでたからな。そんな心配するほどのことはないさ!」

首を振り違うと連呼する石崎に、「若林が本当か?」と眼を険しくする。
会えない日々はきっと毎日電話しているだろうに、本当に心配性だな、と石崎が苦笑した。

若林からすれば岬のことを頼れるのは、妬く妬かないは抜きにしても実際、今はこの石崎しかいないのだ。
若林は仕事の都合で毎日岬の傍にはいられない。良くて週に1日とか、間が開けば何ヶ月も日本に帰ることができないことも間々ある。
そして、岬と若林の関係を知っているのが、石崎だけで。

それこそ、引退する前から二人のことは石崎は知っていた。
どうやら、まだサッカー選手全盛の頃、合宿所で二人で居たところをたまたま見られたというのが理由らしい。しかも、それがたった一度にことなのに、だ。まったく間が悪いとした言いようがなかった。
二人の仲はそれこそ学生の頃にヨーロッパで再会したのが始まりだが、岬の性格上、誰にも知られたくないというので合宿所では二人でいるのは極力控えていた。が、ついつい若林があまりに岬が他の人達と仲が良いのに嫉妬をしたため、一度詰め寄ったことがある。そこを見られたのだ。
が、ありがたいことに石崎は誰にも言わないと約束してくれたし、離れて暮らしている頃は、寂しがり屋の岬の相談に何度となく乗ってくれた。ケンカをした時には二人の仲介役までしてくれたこともあるのだ。
そんな親身になってくれる友達思いの石崎に本当はちょっぴり妬いたのは内緒だが。

寂しがり屋の岬。
そう、特にサッカー選手を引退してからは、その原因になった脚の怪我こともあるからか、元々静かな性格にさらに輪がかかったようになった。
暗いわけではないが、昔以上に遠慮深くなったと若林は思っている。
それは石崎も感じているのか、よく岬に声を掛けてくれる。選手を引退してサッカーから離れてしまった数少ない人間、という仲間意識もあるからだろうが。

他の客はまだまだ興奮冷めやらない様子の店内だが、その一角は静かなものだった。
若林の思考を察したのか、石崎が立ち上がった。

「やっぱ、俺帰るわ。あんま遅くなると怖いからな、ゆかりのヤツ。翼におめでとう、と伝えておいてくれよ。」
「あぁ・・・。」

石崎の好意に甘えようと若林は悪ぃな。と呟いた。
岬は隣で作り笑いとも言える笑みを曝している。

じゃあ、と軽く手を振り、あ、と振り返った。

「お前のおごりな!」

そう言って若林を指差し、ダッシュして行った。
おい、と呼び止める間もなく店内を出て行った石崎に若林は「やられた!」と額に手を当てた。
それがどうやら岬のツボに嵌ったらしい。大声ではないにしろ、笑い出した岬に、若林はまぁ、いいか、と思った。

「俺達も出よう。」
「・・・・・どこ行くの?」
「家で飲みなおそう。」
「・・・・・そうだね。」

儚い笑みを溢す岬に若林は場所を問わず抱きしめたくなる。
もっと笑って欲しいと思う。昔のように明るい笑顔を向けて欲しいと思う。
が、一度抱きしめると己の欲望を止められなくなることは想像に難くなかったので、若林は踏みとどまった。
その代わり、帰ったら思い切り抱きしめようと思い、若林は席を立った。













店を出ると意外にも辺りは静かだった。
月が綺麗に円を描いて夜の空を彩っている。風も酔い冷ましにちょうどよい程度に吹いていた。
二人は自分達の家であるマンションに歩いて帰った。
近所の行きつけの店だったと言う事もあり、10分と掛からずにマンションに着いた。
岬には3時間ぶりの、若林には2週間ぶりの我が家だった。

一緒に暮らしている形ではあるが、実質岬の家に若林が転がり込んでいると言っても過言ではない家。
もっとも周囲の人間には、丁度良い物件だったから、お互いに恋人が出来るまで、若林は日本に殆ど居ない、と言い訳しておいたが。
引退して、すぐに一人でマンションに住みだした岬が心配のあまり、若林が半ば強引に上がりこんだ。岬は、本音は嬉しかったのか、「一人でも大丈夫。」と最初は拒んだが結局若林を受け入れた。
そして、引退して暫くは不安定だった岬も、若林の支えもあり、半年の休業を経て、家で出来る仕事として翻訳の仕事をするようになった。それはよくある小説のようなものではなく企業向けだったり、スポーツ関係だったり様々なジャンルであったが、やはり海外での生活をそれなりに過した岬には丁度良いものだった。
本来なら若林は、会社の手伝いをしてもらおうと考えていたのだが、一緒に暮らしていても経済的には自立したいという岬の意見を尊重してのことだった。
一緒に暮らしているとはいえ、毎日帰るわけではない若林との生活。
岬としては、若林に甘えてばかりいられないというのもあり、丁度良い、と思っている。が、やはり寂しい時、一人で居られない時もある。
そんな時は、石崎と会って飲んだりして過し、若林が帰って来た時は思い切り甘えることにした。


TVの中で活躍する翼を見てしまった岬。
今日も寂しさが募っているのだろうか。
玄関を開けてドアを潜った瞬間、若林は岬を抱きしめた。
岬はギュッと固く、振りほどけないほどに強く抱きしめられた。

「わか・・・・ばやし・・・くん。」

痛いと訴える岬にほんの少し力が緩むが、若林の腕は外される事はなかった。

「岬・・・。」

名前を呼ぶ若林の声に岬は若林の目を見つめる。

「いつになったらお前は・・・。」
「・・・・・何?」
「いつになったらお前は泣くんだ?」
「・・・・・!!」
「俺はどうしたらいいんだ?」
「翼くんに、試合に勝って・・・、決勝トーナメント進出も・・・・・おめでとうって電話しなきゃ・・・。」
「そんなのは後でいい。どうせ、今は電話に出られないだろうからな。」
「・・・・・。」

何も言えなくなった岬に、若林はゆっくりと彼を開放すると手を繋いでリビングへと入っていった。
ゆっくりと岬をソファに座らせ、自分は戸棚から濃い色の液体が入った瓶とグラスを2つ取り出した。

「飲むか?」

タポタポと注がれる液体を見つめて、岬はコクンと頷いた。
注がれたグラスを掲げ、若林は改めて翼に乾杯と酒を煽った。
岬もそれに釣られて自分のグラスを傾ける。
空になったグラスを手に岬は若林に向き直った。

「若林くん・・・。」
「どうした、岬。」
「もうちょっとだけ、待ってくれる?」
「?」
「このワールドカップが終わってから。翼くんが優勝したら、きっと吹っ切れると思うんだ。」
「優勝したらって・・・。もし、優勝しなかったらどうするんだよ?」
「大丈夫だよ、翼くんなら。絶対勝って帰ってくるって・・・。」

漸く岬の本当の笑みが見れたような気がした。
ずっとずっと仮面を被ったような笑みを見せ続けた岬が変わりつつあるのに若林は気が付いた。
なんとなくだが、若林には、岬が塞ぎこむようになったのには、自分にも原因があるのはわかっていたがどうしようもなかった。

脚の怪我の再発。
もう二度と走れない岬。
岬に併せて引退をした若林。
一人今だ突き進む翼。
今だサッカーに従事する多くの仲間。

あらゆる出来事が岬を苦しめている事はわかったが、それでも岬が口にしなければ若林には手を伸ばすことができなかった。それは岬を一人の人間として大事にしたかったから。
岬は誰の前でも涙を流す事がなかった。若林の前でさえ。辛い思いは心の奥底にしまっていた。
それを知っている若林。
岬が自分の苦しみを口にして、辛さを吐き出して、ただ表向きの寂しさだけではなく本当の意味で若林を求める時を、ずっとずっと若林は待っていた。
引退してから一年。
それは長いようであり、短いようであり。

が、岬はワールドカップが終わったら、という。

「でも、これだけは知っていて。」
「何を?」
「確かにいろいろ引き摺ってて皆に心配を掛けているけど、でも、今までのサッカー人生を後悔はしないんだ。だって、そう決めてたから。」

それは単に後悔していないのではなくて、後悔できないのだろう。
が、岬の言葉を否定することも出来ず。
若林は岬をもう一度抱きしめた。
今度はゆっくりと包み込むように。

「若林くん。」
「待っているさ、お前が本当の自分を俺に曝してくれるのを・・・。いつまででも待つさ。」
「ごめんね・・・。」
「岬・・・。」
「謝るな・・・俺はお前のことが好きだから、大事にしたいから・・だから俺が勝手にこうしているだけだから、謝るな。」
「うん・・・。ごめんね、若林くん。」
「みさき・・・。」

それでも岬は泣かなかった。
やはり岬の涙を見るのは、翼が優勝のカップを手にした時だと、若林にはわかった。



END




06.09.17.

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〇年後(?)の話です。って、石崎出張りすぎ?