朝焼けを共に(前篇)




「てめぇが好きだ。」

ゾロが発したのはたった一言だった。それでも、真正面から見つめる真摯な瞳はその言葉が嘘でないことを現わしていた。
サンジもまた、ゾロに心惹かれていたのは事実で。
素直に自分の気持ちを口にしていれば良かったのか、と後で後悔の念が渦巻く。

が、その時頭に過ったのは、過去の苦い経験。


あれは、まだサンジが15歳にもならない頃だったろうか。

まだまだ副料理長というには、料理の腕も材料を選ぶ眼も、そして人生の経験さえまったく足りなかった。それでも、なんとかゼフに認めてもらおうと躍起になっていた。
その頃には店は徐々にだが知名度を上げ、客足が途絶えることがなくなってきていた。しかし、働くコックも僅かながらに増えてはきたが、まだまだ足りない。ウェイターに至っては、コックのガラの悪さと襲ってくる海賊に恐れおののいて、なかなか人が定着しなかった。
そんな時にやってきた男。名は覚えてはいるが、口にするのも腹立たしい。
どこからやってきたのかは、はっきりしなかった。ウエストブルーから来たと言っていたか。
最初は、無銭飲食が切欠だった。かなりお腹を空かしていたようなので、どこかで漂流していたのかもしれない。パティに蹴られ、カルネに殴られた男は、「食べた分、ここで働かせてくれ。」と訴えた。当然とばかりにゼフはサンジにウェイター服を貸せと言った。
一見ひ弱に見え、コック達に簡単に伸されてしまった男は、それでも荒くれた海を渡ってきただけあって根性はあった。実際には、ゼフやサンジほどではないが、海賊の襲撃を迎え撃つことができるほどに腕も立った。パティ達にやられたのはお腹が空いていたからだろう。
仕事もすぐに覚え、店で役に立つ人物として認められるのに時間は掛からなかった。
ここまでならよくある話で終わった。無銭飲食で働かされた大抵の人間は、それぞれ夢や目標があるので、一定の期間働くと再び海で出た。
だが、その男はいつまで経っても出て行かなかった。
最初はサンジの方が立場が上だからと接し方も下手に出ていたが、それも気がつけば、やはり年はサンジよりも10才も上だからか、同等の立場になっていて、いつの間にかサンジの兄貴分として動いていた。
サンジは、自分が下の立場として扱われるのは正直不服だったが、それでもその男はサンジに優しく、まさしく兄貴のような存在になった。
が、その関係も半年も経つと違うものになった。
ある日、男がサンジにキスをしたのだ。
サンジは最初、驚きのあまり抵抗したが、男がサンジに「好きだ」と告白したその瞬間、絆されてしまった。サンジの方は恋人として男を見ていたわけではないが、純粋に好意は持っていたし、男ばかりの環境なので多少なりとも知識としては耳にしていたのもあるのかもしれない。
恋人になるのはあっという間だった。
ゼフは眉を顰めて、「あの男は止めておけ」と言ったが、サンジは耳を貸さなかった。
サンジは男からいいことも悪いことも教わった。好奇心が旺盛な年頃だ。終いには、男の誘いに乗って薬にも手を出した。薬を飲んでするセックスは最高に心地よかった。
ゼフに見つかるとやばいので、大抵悪いことは、ゼフが買い出しでバラティエを空けた時に行った。
しかし、サンジにとってはその夢のように楽しい時間は、すぐに終焉を迎えた。
たまたまバラティエに食事に来ていた海軍の将校が、この男に気付いたのだ。
いたいけな少年少女を誑かし、連れ去り、道楽三昧の金持ち達に売りつけているのだという。人身売買で指名手配を受けている男だった。被害にあった人間は数えきれないという話だ。
どうやら男は、身を隠すために暫く滞在しようと決めたバラティエで見つけたサンジの容姿に一目置いた。金髪に蒼い瞳、口は悪いが見た目はいい。まだ成長しきっていないが、身体もスラリとしてしなやかだ。商品として高く売れると判断した。男は、サンジを薬漬けにし、バラティエから連れ出し、いい値で金持ちに売りつけようとしたのだ。
男はサンジのことを「好きだ」と言ったのは嘘だった。いや、嘘ではないかもしれない。商品として「気に入った」のだろう。
サンジは本気で男に惚れてしまっていたのに。上手く騙されていたのだ。サンジにとっては、初めての本気の恋だったのに。
海軍将校に連行されるのを見つめていたサンジに、男は「上玉だったのに。」と舌打ちした。
サンジが惚れたのはそんな男だったのだ。仮面を被ってバラティエにいたのだ。
それを見破れなかったバラティエの面々は、みんなして落ち込んだ。もう少しでサンジを連れ去られるところだった。
ゼフもまた男のことは信用しきっていない様子だったが、怪しいというだけで確たる証拠も何もなかったので、様子を見ていたのだという。「悪かった」と頭を下げるゼフにサンジは涙を流した。自分の方こそ、男の本性を見抜けなく、男との関係にはまり込んでいたのだ。サンジの落ち込みようは特に酷かった。
幸いにも、サンジが口にしていた薬はまだ中毒性が弱く、しばらくして立ち直ることができた。もちろん、しっかりと身体から抜けるまでは辛かったのは言うまでもないが。
ゼフに頭を下げさせてしまった。
それは、サンジにはとても衝撃だった。男に裏切られたとわかった時も同様だが、それ以上に辛かった。
それからサンジは、女性には心を許しても、決して男には心を許さなかった。男を覚えてしまった所為か、何度となくサンジに好意を寄せ、告白してくる男性は多かったが、どれもこれも蹴りをお見舞いした。
心の傷は奥底にずっと抱えたままだったが、ただ只管、サンジは料理の腕を上げようと必死に過ごした。





ゾロがそんな男とは全く別で、信頼のおける、仲間としても申し分ない人間だとは、わかっている。
よくサンジに余計な一言を呟いてケンカになるが、それもコミュニケーションだとお互いに理解している。
だから、ゾロがサンジへ伝えた言葉はたった一言ではあるが、嘘ではないことはわかった。

わかってはいるが、どうしても過ってしまうのだ。あの男が最後の言葉を放った時に見せた顔が。
トラウマにはなるものか、と思っているのに。ダメなのだ。
自分が克服しなくてはいけない問題なのに、克服できないのだ。
ゾロのことを好きなのはサンジも同じなのに、一歩を踏み出せないのだ。

だからサンジは首を横に振った。



「てめぇの気持ちは嬉しいが・・・・俺はレディが好きなんだ。悪ぃな。」

コツコツを足音を立ててゾロから離れた。
ゾロはサンジの答えを予想していたのか。

「あぁ、わかってる。言いたかっただけだ。」

そう答えてラウンジを出た。
泣きはしないだろうが、一人にさせてくれ、と背中が訴えていた。本当に言いたかっただけなのか、それとも、二人の関係を変えることを諦めきれないのかはわからないが、それでもそれが答えだからとばかりに納得はしたようだった。
元々、サンジがいつもナミやロビンに愛を囁いているのを毎日見ている。サンジの性分を知っているのだ。

だから、ゾロとの関係もこれまで通り、仲間として上手くやっていけるとサンジは思っていた。それでいいと思っていた。
それは強ち間違いではないが、それでも今までとは様子が微妙に変わってしまった。

ゾロの傍には常にルフィが存在するようになった。
今まではいつも船首で海を見つめていたのが、ゾロの鍛錬時には、彼の近くに陣取り、数を数えてやっていたりする。
ゾロが寝過して食事に遅れようものなら、ルフィが率先して起こしに行くようになった。
いつもはウソップ達と遊びに興じることが多かったのが、ウソップ達とは別にゾロと過ごすようになった。一緒に昼寝をすることも増えた。


「おい〜〜〜っっ!おやつだぞ〜〜〜!!」

サンジがラウンジの扉を開けて叫ぶ。ドーナツが綺麗に盛り付けられた皿と山盛りになっている皿を手にして。

「うほほ〜〜〜〜いっっ!」
「おおっっ!今日はドーナツか!いいなぁv」
「俺もお腹すいたぞ!食べる食べる。」

ルフィ、ウソップ、チョッパーが飛びつかんばかりの勢いで、階段を駆け上がってくる。
ナミとロビンは、デッキで広げているパラソルから顔を覗かせた。

「おいおい、レディが先だ。てめぇらは待ってろ。」

サンジがルフィの顔面に足をのめり込ませると、ぶーぶーとブーイングが鳴った。が我関せずだ。

「おい、クソコック。いいじゃねぇか、腹空かしてんだし・・・・。これだろ。」

いつの間に後ろに陣取っていたのか、ゾロがひょいと山盛りのドーナツの乗った皿を取り上げる。

「あっ!てめぇっっ。」

一瞬、眉間に皺を寄せるが、ゾロはサンジを無視して、ルフィにドーナツの乗った皿を目の前に差し出した。

「溢すなよ。」
「サンキュー、ゾロ!」

ルフィが満面の笑みで受け取り、ウソップ達を引き連れて階段を駆け下りていく。マスト傍で皆で食べようということらしい。

「おい、ゾロも早く来いよ!」
「おう。」

手招きするルフィを、ゾロは普段見せない笑みを溢して手を上げる。
なんというか。ただの仲間とは到底思えないほどの絆があるのでは、と思ってしまう表情だ。いや、最初は二人で旅していたのだ。他の面々よりも絆が深く、戦闘の時も息がぴったりの二人だ。
だが。なんというか、この表情は・・・。
サンジはぼんやりと隣から移動していく男をぼんやりと見つめてしまった。

「サンジく〜〜〜ん!こっちも早く早く!私もお腹空いちゃったvv」

ナミが向こうから手を振っている。ロビンは頬杖をついて笑っていた。

「おっと、待ってて〜vんナミすわ〜ん、ロビンちゅわ〜んvv今、そっちに持ってくからねぇ〜〜〜vv」

取り落としそうになる煙草を咥え直し、サンジは軽快に階段を降りた。仲良く隣並んでドーナツを食べる二人は見ないようにした。

















深夜も近い時間。
サンジは、明日の朝食の仕込みを終えて、一旦、ベンチに腰掛けて煙草を吹かす。ふと、時計に目をやり慌てて立ち上がる。

「おっと、もうこんな時間か?やべぇ、夜食持ってかねぇと・・・・。」

慌ててテーブルの上に置いてあったバスケットに目をやる。
今、気候は穏やかなので冷めても上手いおにぎりとお茶。
今日の見張りはゾロだ。ゾロは、お茶は熱々を好むので持っていく直前に淹れようとやかにに火を掛けた。
いい香りに笑みながらポットにお茶を入れる。
バタンとラウンジの扉を開けたら心地よい風が頬を撫でた。空は快晴、月明かりが船首を綺麗に照らしていた。

「よし!」

ギシギシと縄を揺らして上がりながらサンジは上を見上げた。

「・・・・?」

鍛錬でもしているのか、いや、鍛錬なら話し声ではないはずだ。他に誰かいるのか?
見張り台に近づくにつれ、その声の主が誰だがわかった。

「ルフィ・・・?」

お腹が空いた時以外は、よほどのことでないと起きない男がいる。見張りをゾロと変わったのかと思ったが、ゾロの声も聞こえてきた。

と、サンジの動きが止まった。

「やべぇだろ、おい、ルフィ・・・・。コックが来るぞ。」
「気にすんなって!サンジは、ゾロの事ふったんだろ?」


一体何の話をしているのかと思いきや、ルフィの言葉にサンジの目が見開かれる。


ふったって・・・・・ルフィはあの事を知ってるのか!?


ゾロの告白とサンジの返事の、あのやりとりは二人しか知らないと思っていた。
別に誰かに話してはいけないとか、二人だけの秘密とか、そういうことではなくて、ゾロなら誰にも言わないと思っていたからだ。
だが、いつも怪物のように扱われるゾロだって一人の人間だ。悩みとかあれば、誰かに相談してもおかしくはない。
況してや、サンジは、本心はどうあれゾロを振ったのだ。ゾロをとやかく言う権利はない。

が、なんとなくショックだった。
相手がルフィだからだろうか。

「あれ?」

目に見えないが、ルフィが首を傾げる様子が浮かんだ。いつまで経ってもサンジが上まで上がってこないのを不思議がっているようだ。

「おい、どうしたルフィ。って、・・・・おかしいな。」

ゾロも穏やかだが、声音はやはりサンジが上がってこないのを不思議に思っているように感じられた。
行かなければ。
サンジは震えそうになる足を叱咤して動かした。


「待たせたな!」

思い切りよく手摺から顔を覗かせた。
が、思わず目を見開く。



マストを背もたれにして座るゾロの膝の上にルフィが乗っかっているのだ。
ルフィはゾロに凭れかかる様にして座っている。ゾロもまた、ルフィを抱き込むかのように腕を前に回している。その腕にルフィの手が重なり。
まるで恋人同士が、当たり前に二人でいる時間を堪能して寛いでいるようだ。
サンジは思わず目を逸らした。

「そのよ・・・・。ルフィがいると思わなかったから、夜食、一人分しかねぇ。すぐにもう一人分作ってくるから待っててくれねぇか・・・・。」

声がボソボソと小さくなるのは、二人の邪魔をしちゃいけねぇからだ、とサンジは自分に言い訳した。

「いいよ、これで。二人で仲良く分け合うから。なぁ、ゾロ!」
「あぁ。」

ルフィの言葉にサンジが驚く。
ゾロも多少驚いたらしいが、それでも、頷いた。
いつも「メシ!メシ!」と五月蠅い男が一人分を二人で分け合うという。

どんだけ仲よしなんだ!と突っ込みたくなったが、口を継ぐんだ。

「そっか・・・。米、ちょうど使いきっちまってたから助かる。じゃ・・・・。」

簡単に告げてバスケットを差し出すと、ルフィが手を伸ばして受け取った。中身を隠すようにして被してあったふきんを捲りあげ、ゾロに中を見せている。
いちゃいちゃという言葉がお似合いだ。
その場の空気に居た堪れなくて、サンジは素早く縄梯子を降りた。最後はまだ真ん中あたりだったが、飛び降りた。
上から流れてくる言葉の音は、何を言っているかはわからないが、ずいぶん楽しそうに聞こえた。

サンジはギュッと胸元でシャツを握りしめた。

ここ最近、特に仲がいいのは知っていた。いつも二人でいるのは目にしていた。
しかし、こんなに二人の関係が変わっていたとは思わなかった。



あの時、ゾロの告白を受けていれば、あの位置にいたのは自分だったのではないだろうか。
そんなことまで、想像して、悲しくなった。

ゾロの言葉を素直に受け入れていれば。
過去のトラウマに囚われずに、自分の気持ちを伝えていれば。

そんなことばかりが、頭の中をぐるぐるを回った。


後悔しても、もう遅い。

ゾロは、きっとサンジへの思いを吹っ切って、ルフィとの新たな関係を作ったのだ。恋人という関係を。



「バカだな、俺。」



見張り台では二人静かに、そして、暖かい朝を迎えるのだろ。
サンジは、ラウンジに戻り、一人、静かに泣いた。


10.03.02




        




ワンパターンですみません。そして、続きます・・・。