薔薇の園の誘惑8
深夜に掛かろうとする時間帯。見張りを除けば、誰も彼もが寝静まってて当然の時間帯。 それでも例の部屋ではまだ宴と称して妖しい儀式が繰り広げられているのだろう。 厨房へと続く通路を歩いていると、そこからは遠いはずなのにほんの僅かな間だが、女性の声が耳に届いた。聞くまでもない女性の嬌声。 サンジはただ耳を塞ぐべく、気づかない振りをして歩いた。 時折、警備の者が見張りに回っているのに出くわしたが、二人を見ると厭らしい笑みを溢すか無関心を装うか、そんなところだった。 もしかしたら、サンジとアーモンドの関係を種の儀式の相手と勘違いしたのだろうか。 賞金首ですらない自分はこの島では男としての価値はない。それを相手にするアーモンドは男を見る目がない。そんなことを裏に感じ取れたチラチラと寄越される視線に、サンジはなんとなく居た堪れなかったが、そこはあえて無視をした。 なんせ、そんなつもりで一緒にいるのではないのだ。サンジは、同じコック仲間として、彼女とは真剣に料理の議論や実技をやりとりするだけのつもりだ。 「ここが厨房です。私が最後の片付けを言いつかっているので、今夜はもう誰も居ません。もちろん明日の朝までは誰も来ないはずです。」 パチリと明かりを点けて、アーモンドは説明した。 照明により目の前に現れた厨房は、さすがこの島の拠点となっている部分の料理を支えているだけあって見事なものだった。 コンロの数も冷蔵庫の大きさもかなりの規模だとわかる。サンジが入ることはないだろうが、隣に続く扉から察するに食料庫もきちんと管理されているのが読み取れた。調理道具も、まだアーモンドが使用中ということを考慮しても整理整頓されていることが伺われた。調理台も使用していない部分は綺麗に磨かれている。 『バラティエ』のものと比べても全然見劣りしなかった。 「へぇ、立派な作りだな。」 感心するようにひゅうと口笛を吹くと、アーモンドは我が事のように自慢した。 「えぇ、やはり女性は美味しいものには目がないですから・・・せっかくの食事も美味しくなくてはお客が来船してもお持て成しもできないし、自分達もつまらないじゃないですか。もちろん、子どもを産む体を作る資本でもあるので栄養面でも手抜きはできないし・・・。」 「そうだな・・・。」 ただ単純に美味しいものを・・・とだけではなく、栄養面も含めて考えているのが同じコックとして嬉しい。サンジの場合は、海の上という過酷な条件を行く抜く為の栄養ではあるが。 そういえば、と今日出された料理を思い出す。 「今日、俺達が来た時に出された料理。確かに美味かったが、どちらかと言えば肉料理よりも野菜中心だったような気がする・・・見た目は豪華だったわりに料理そのものはシンプルだと思ったがあれは意味があるのか?」 「それは、子どもを産むのに適した体質を維持する為もあるし、カロリーも必要以上には摂ってはいけないんです。子どもを産むのに体重があまり増えてはいけないし、栄養バランスが偏ると場合によっては産まれてくる子どもに影響するので、その配慮からです。」 「へぇ〜。女性ってのは大変だな・・・。」 昔、レストランに来た女性でつわりの為に偏った味付けしか受けつけない女性がいたのを思い出す。あれはもう身体が受けつけないのだからしょうがないが、まだ、妊娠すらしていない今の段階でいろいろと考慮して料理を作るのはなんともまぁ、念入りなことで、とため息が零れてしまう。 そうこう会話しているうちにアーモンドは、下拵えしていた料理の仕上げに掛かっていた。 「何をごちそうしてくれるんだい?」 「えっと・・・。私の得意料理なんですけど・・・・。魚をフライにしようと思ってるんです。ちょうど、今日出した料理には使わなかった魚があったものですから・・・。・・・・・ダメですか?」 不安そうに見上げるアーモンドにサンジは「いいや。」と首を振る。 「君が得意としてる料理ならぜひ食べてみたいよ。」 「良かった・・・。そちらに椅子があるので腰掛けて待っててもらえますか?」 アーモンドが指し示す場所には厨房には不似合いなダイニング椅子が用意されていた。料理を見てもらうことを予想してそこまで準備していたのだろうか。 先ほどの話では、会えるかどうかわからないまま料理を作ったような話だったが、やはり心のどこかでサンジに会えるのを期待していたのだろう。そんな彼女の必死さに内心、微笑んでしまった。 だが、サンジは首を振る。 「座って待っているより、君が料理するのを見てていいかな?」 「えぇ・・・・。」 少し恥かしそうに頷くアーモンドは、それでも気を取り直して仕上げに掛かった。 サンジは少し離れた場所で立ったまま腕を組む。ただ静かに料理を始めるアーモンドを見つめていた。 アーモンドは、忙しなく身体を動かす。揚げ油の温度を確認し、既に衣のついた魚を油の中に落とす。火加減もきちんと確認しているし、油の中の魚をひっくり返すタイミングも悪くない。 サンジが見守る中、暫くしてから油の中で泳ぐように浮いた魚が綺麗な揚げ色をつけて取り出された。 最終段階の盛り付けでも、彩り美しく整えられている野菜の隣にバランスよくフライが並べられ、見るからに美味しそうにできたことを感じさせた。 「どうですか・・・?」 厨房隅の椅子に料理を置き、簡単なセッティングをする。先ほど使われなかった椅子に今度は料理を前に座り、サンジは用意されたフォークを手に取った。 コックとして一流なら食事を食べる客としても一流のマナーを、と叩き込まれたサンジの美しいフォーク捌きにうっとりとしながら、アーモンドは自分の作品ともいうべき料理を口にするサンジに不安そうに聞いた。 まずはひと口・・・そして二口、とフライを口にし、付け合せの野菜類にも手を伸ばす。ソースには真っ先に味を見た。 何も言わずにただもくもくと食べるサンジにアーモンドの不安は増々募るのか、見つめる瞳が揺れている。 一通り口にしてサンジがアーモンドを見上げた。 「うん・・・。美味しいよ。」 サンジの「美味い」の一言にアーモンドの顔がぱあっと輝く。 が、それはすぐに消え去った。 「でも・・・。」 「・・・・でも?」 サンジは笑顔を崩さず、それでも口調は真剣そのものでアーモンドに話しかける。 「そうだな・・・。魚の捌き方がまだまだだよね。身がくずれているっていうわけじゃないけど、食感が全然変わるからやっぱりそこはもっと練習が必要かな。それから温野菜の茹で時間も気持ちちょっと長いかな。ソースだけど、物足りない。君が考えたのかな?今日出されたのとは作り方がまったく違うようだから・・・。もう一工夫欲しいな。あとは・・・。」 途端、アーモンドはがっかりする表情を見せた。 「具体的なことは後で一つ一つ説明するけど・・・総合的に見ても確かに君はまだまだだよ。でも・・・・・。」 サンジは一旦言葉を区切り、肘をついてにこりと笑いかけた。 「君の料理、美味しいよ。俺がダメだししたのは確かにあるけど、それは技術的なことだし、ごく普通の、家で食べるような意味合いだったら充分なレベルだよ。まぁ、人様に食べてもらうならもっと精進しなきゃいけないのは確かだ。・・・・・・・ただ、一番肝心な、相手に美味しいものを食べてもらいたい、腹を満たしてあげたいっていう思いはすごく伝わった。そういう意味では、料理人としての君は一流だと思うよ。」 サンジの言葉に泣きそうな顔をしていたアーモンドは顔を上げて目を見開いた。驚きでいっぱいという感じだ。 「たぶん君の先輩コック達もそれはきっとわかってると思うよ、君の態度を見ていれば。ただ技術的に未熟なのは仕方が無いし、でも、それはどんどん修行をすればいいだけの話さ。気に病むことじゃない。」 「えぇ・・・。」 どう答えて良いのかわからない、という感じで小さな声で答えた。 「そして料理を作ることも楽しいんだろう?」 「えぇ・・・。」 「だったら大丈夫だ。君は一流料理人になれるよ。」 「はい!」 サンジは立ち上がり、ポンとアーモンドの肩を叩いた。 アーモンドの顔はくしゃりと泣き顔なのだが、口元も目も笑ってはいた。 「じゃあお礼に・・・。」 そのままサンジは勝手知ったるとばかりに厨房の隅に大きく陣取っている冷蔵庫を開けた。 ざっと中を見渡して適当に食材を取り出す。 「これなら使っても問題ないだろう?」 「はい・・・。」 萎びかかった人参や痛み出している玉ねぎ、中途半端に残された鶏肉に干からびかかっているご飯など。 サンジが取り出したのは、どう見てももはや使うのを躊躇いたくなるような食材ばかりだった。 「俺の得意料理とは違うけど、でも料理人の腕が一目でわかるっていうからね。これを作ろうかな?」 先ほどの優しい笑みとは違う、自信に溢れた笑みを溢してサンジが食材を手にした。 「包丁も借りるよ。」 「どうぞ・・・。」 見事な包丁捌きに手早い鍋を振るう手。調味料を入れる動作もまるで踊っているかのように素早く綺麗だ。 気がつけば、ただただぼぅっと見惚れているしかできなかったアーモンドの前にさっと温かい湯気の昇ったチャーハンが現れた。 「どうぞ?」 「いただきます・・・。」 今度はアーモンドが客とばかりにサンジに招かれて椅子に座った。 そのまま、素直に出された料理を口にした。 パクリ ほんわかと口に広がる食感と温かさ、丁度良い濃さの味つけ。 こんなに美味しいチャーハンを食べたのは、初めてだった。しかも、残り物と言っていいほどの材料で・・・。 「美味しい・・・・・・・。」 「嬉しいね。」 一粒残らず綺麗に平らげて、アーモンドは不思議そうにサンジを見上げた。 「どうして・・・?どうしたらこんなに美味しいチャーハンを作れるの?あんな食材で!手順も何も特別なことは何もないのに!どうして?」 必死にサンジに食らいつく。不思議でたまらないという顔。 「俺さ・・・、皿洗いの時代も含めて10年以上は厨房にいたんだ。でも、手取り足取りで料理を教えてもらえなかったよ・・・。技は盗むもんだって言われて、雑用をこなしながら回りのコックがやることを穴があくほど見ていてさ、それから君と同じように必死で夜中に野菜の皮むきから練習してさ。少しずつ包丁を握らせてもらえる時間が増えても、手際が悪いとすぐに蹴られて・・・結構厳しかったな。」 「10年以上・・・。」 アーモンドはコックになろうと決心してからまだ半分の年も経っていない、経験差がありすぎる。 「技術的なことは、それだけ俺も修行を積んだんだよ。違って当然だと思うね。だけど・・・。」 「?」 「コックとしての気持ちは。料理に対しての思いは経験差なんて関係ないだろう?」 「えぇ。」 「だから、あと何年かしたら君もこんな料理が作れるようになれるよ。今の気持ちを忘れなければ・・・。もちろん、俺もその頃にはもっと凄腕の料理人になってるけど。」 まるで勝ち誇ったような笑みをされたが、アーモンドはサンジに対して嫌悪感は湧かなかった。どころか今まで以上に尊敬の念すら浮かんだ。 「きっと私・・・・。気持ちの上でもまだまだだと思います。サンジさんの料理を食べてそう思いました。」 アーモンドの言葉はサンジはニコリと笑う。 きっと気持ちの上でもまだまだ未熟だというのはわかっていたのかもしれないが、それでもサンジはそれ以上は言わなかった。 「技は盗むもんだって教え込まれているし、俺もそう思うところはあるから全ては教えてあげられないけど、でも、ヒントぐらいはあげられるよ。とりあえず、さっきの君の料理での注意点だけは説明するよ。あとは、自分で考えるだね。」 「はい!」 二人が厨房に入ってすでに何時間も経過し、すでに日が明けようとしていた。 が、それには気づかないほど、二人の料理人はお互いの腕を磨くべく料理に没頭していた。 |
08.04.25.