魔女のいる海域 1
天気がこれ以上ないほどに良いとある一日。 航海は順調。みな元気。 そんな一日の昼下がり。 おやつを作って、サンジはナミ達に給仕をしていた。 「こりゃあまた綺麗だな・・・。」 海は透き通るほどに美しく、海面を覗けばかなり下まで見えるほどだった。波も穏やかだが風もまた穏やかで、前に進むには多少心もとないが、それでも気持ちがいい陽気だった。 手摺を乗り越えん勢いで海面を覗くサンジに、ナミは差し出されたおやつのフェナンシェを口にしながら、顔を上げた。口の中に広がるアーモンドパウダーの香りを美味しくいただいて飲みこむとサンジの隣に並んだ。 「確かにサンジくんの言う通り、ここは最近めったにないほどに海が透き通って綺麗ね。」 ここ最近は荒れた波をいくつか乗り越えて、漸く落ち着いた日々を取り戻したところなので、この穏やかな日は結構貴重だった。 「ナミさん・・・。我儘言っていいかな?」 眉を下げ、お願いのポーズを取る。いつでもナミのナイト然としているサンジにしては珍しい様子だ。 「?」 首を傾げるナミにサンジは手を合せて伺う。 「船、ちょっとの間だけでいいから留めてもらえるかなぁ?」 「え?どうするの?」 「ちょっと泳ぎたいな〜って・・・。」 申し訳なさそうに、それでもぜひと懇願の色を滲ませるサンジに、意外にもナミは弱い。いつもは、どう見てもナミは女王様でサンジは下僕同然のように見えるが、案外料理に関わることと、サンジの夢に関わることに関してはサンジはナミ相手でも引き下がらない時がある。もちろん、ナミも鬼ではないし、サンジの夢を知っているからこそ、快く了承することは多い。要はナミもサンジに甘いのだ。 「ん〜〜。」 とナミは観察するように海を見つめた。 「そうねぇ・・・。潮の流れを見る限りでは・・・サンジくんの水泳力ならば問題ないかな・・・。」 表面は穏やかに見えても下層に行けば結構潮の流れがきついところは多い。が、ナミが見る限りでは、ある程度潜った所でも問題なさそうだと判断された。 「そうね・・・。ここ最近慌ただしかったから、今日はここでゆっくりしましょうか?この様子だと明日までは天候も大丈夫そうだし・・・。」 空も見上げて確認する。うん、とナミは頷いた。 「その代り、あまり遠くまで行っちゃダメよ。サンジだからこそ泳げるところもあるけど・・・・場所に依っては潮の流れがキツイ所があるから・・・。」 顔を上げて、ナミは「あの辺りは行っちゃダメよ。」と危険な水域を指差して教える。そんなのでわかるかと言えば、サンジもまた海で育った男だ。ナミの一言を容易に理解した。 「わかったよ、ナミさん・・・。ありがとうな・・・vv」 ナミにハートを飛ばし、早速とばかりに水着に着替えるべく男部屋へと向かおうとする。 「サンジくん!」 「何?ナミさん。」 ナミが思わずサンジの腕を掴んで引き止める。 「・・・。」 「どうしたのさ?」 掴んだまま、ナミは言葉に詰まった。が、自分でもどうしてサンジの腕を掴んだのかわからない、といった顔で「ごめん。」と一言謝った。 「何でもない・・・。」 パッと手を離して振る。 「変なナミさんだな・・・。」 おかしそうに笑みを浮かべる男は、変にナイト然としないでごく自然に振る舞った方がよほどいい男に映る。本当にもったいないな、と着替えて海に飛び込んで行った男に、ナミは溜息を吐いた。 ナミの指示により、既に碇を下ろして停泊場所として停まった場所で、サニー号は穏やかな波に揺られる。 軽く準備運動して、何の躊躇いもなく海に飛び込んでいった男を、チョッパーとウソップは羨ましそうに見つめていた。 「チョッパーは兎も角、あんたも行けばいいじゃない。泳げるんだから!」 頬杖をついて海面の下に映る影を見つめながら隣に立つウソップに、ナミは声を掛けた。 「確かにサンジなら泳ぎたくなるような綺麗な海だが、俺ぁ、あいつほど泳ぎが達者じゃねぇからな。ルフィが海に落ちたなら兎も角、別にいいよ・・・。」 それでも瞳は羨ましそうだった。 とそこへルフィとゾロもナミ達と並ぶべくやってきた。 ゾロが海の底を覗きこむ。 「・・・・・。」 無言で海面を見つめるゾロにナミは不思議そうに訪ねた。 「どうしたの?ゾロ・・・。」 「潜ったのはコックだけか?」 「そうよ。それが何か?」 ナミの言葉にゾロの眉が跳ね上がる。 「いや・・・・何かコック以外に海から気配を感じるんだが・・・。」 「でかい魚でもいるんじゃねぇのか?」 「あ、俺、今日の晩ごはん、それでいい!!」 チョッパーとウソップが、勝手にサンジが海に潜った目的を決めてしまった。まぁ、サンジの職業柄、結果二人の言葉が現実になることは容易にわかるが。 「・・・。」 ゾロ同様、ルフィもいつになく真剣に海を見つめる。いつもならば、「サンジ、ずりぃ〜〜!!」と吠えそうなものだが・・・。 「ルフィ・・・?」 ナミがやはり不思議そうにルフィにも声を掛ける。 どれぐらいそうしていただろうか。サンジの潜水能力ならば通常の人間よりもはるかに長く、そして深く潜ることができる。 が、少し時間が長くないだろうか、とナミ達もさすがに不安になった。自分達から見えない位置で息継ぎしている様子もどこからも感じられない。 ナミが心配になりゾロに声を掛けようかとしたところ、水面に何かしら影が映った。 その影に何かしら感じるのか、ルフィもゾロも浮かび上がって来た影に臨戦態勢になった。 ザバアッ と勢いをつけて海面から顔を出したのは、自分達の仲間のコックの顔だった。 一瞬あっけにとられるが、思い出したようにルフィが叫ぶ。 「サンジ!!すぐに海からあがれ!!」 ルフィの叫びと同時にゾロも腰の刀に手を掛けた。 「どうしたの、一体!?ルフィもゾロも・・・。」 見たところ、浮かび上がったサンジの影の傍には特に異常は感じられない。 サンジが現れたところでホッとするはずが、ナミとウソップ、チョッパーはあたふたとする。 と、そこへフランキー、ロビン、ブルックもやってきた。 「どうしたんだ、一体?」 「何があったの?」 「敵ですか?」 何も分からずただルフィとゾロの様子に思わず釣られて戦闘態勢になる他のメンバーに、海面から顔を出すサンジの方が、慌てた。 「どうしたんだぁ!?」 サンジは何も感じないのか、キョトンとしている。 と、同時にルフィとゾロの表情が和らぐ。殺気が消えた。それはルフィ達のものか、海から感じたものか。 どちらにしてもこのままサンジが海に浸かっているのは良くないと、ルフィには判断された。 「サンジ!!海から上がれ!!」 ルフィの言葉に眉を顰めながらも、渋々サンジは下ろされた梯子からサニー号へと上がった。結局、今夜のおかずの収穫はナシだ。 誰もがルフィとゾロの様子に首を傾げる。それはサンジも同様だった。 「誰も気づいてないな・・・。」 「あぁ、コックも気づかないってのがおかしい。これだけあからさまな気配だったのに・・・。」 二人してコソコソ言うしかないほどに、辺りは穏やかな空気に包まれていた。 ゾロが言うように、気配に敏感なサンジが。しかも、海から感じたのだからルフィ達より真っ先に気づいても良さそうなのに気づかないことが二人には不思議だった。 だが、今は全くというほどに海から何も感じない。兎も角、とサンジを海から上げたが、理由を追及されたらどう説明しようか悩むほどに今は、何も感じなかった。 幸いにも、おやつタイムもとうに過ぎ、そろそろ夕食の下拵えが必要だったらしく、サンジからの不審な声は上がらなかった。 二人してサンジの方を見やれば、濡れた体を拭きながらナミ達と晩ごはんのメニューについて話をしている。海に関してもサンジとしては満足のいく潜水だったらしく、何時にない笑顔だ。 ナミ達の「あんまり海から出て来ないから心配したのよ。」という言葉に素直に詫びるも、これ以上ないほどに興奮した表情を見せて話をしている。 ゾロはもう一度、顔を覗かせて海面を見つめた。 そこは、やはりかなりの水深まで見通せるほどに透き通った綺麗な海水が見える。あちこちに泳ぎ回る魚もみな美しい色をして、素人が聞けばこれがサンジの求めるオールブルーと言われても信じてしまうほどの美しさを持っていた。もちろん、サンジの求めるオールブルーは全ての魚が集まるという条件もあるため、すぐにこの海が違うことはわかるのだが。 後ろからはその海の美しさをみんなに聞かせているらしく、サンジの興奮した声が耳に届いていた。 あれだけ騒ぐってのは、そんなに綺麗な海だったのかね・・・。 めったにみられないサンジの様子にゾロも思わず口端が上がる。 ゾロとサンジは、いつもはケンカばかりで波長が合わないと思われがちだが、意外とそうではない。 戦闘時になれば、これ以上ないほどに息が合う。お互い背中を預けて闘える仲間だとわかっている。 何よりも先の見えない海賊稼業であるがためか、将来一般人のように家庭を持つということが頭にない所為か、一生涯のパートナーだとお互い思っている。 ゾロは兎も角、サンジもそう思っているとはサンジの言葉を聞くまではゾロも信じられなかったが。 サンジも実は自らを『恋の狩人』などと称してるが、実際は辿りつく島々で声を掛ける女性とはお茶をするぐらいで、それ以上の付き合いをしようとは考えていないらしい。それだけ責任を取れる境遇ではないからだ。 もちろん、ナミのように同じ海賊稼業で行動を共にするのならば、先のことを考えるだろうが、ナミの本当の思い人を知っているから、彼女に対してはある一定の距離から先へは踏み込まない。それはロビンも同様で。 サンジは実際、言葉以上には女性に対しては紳士であった。 結果というのだろうか。だからだろうか。ゾロのサンジへの想いを知った時、サンジは迷うことなく、ゾロの気持ちを受け入れた。ゾロも自分の想いを告げるつもりはなかったが、いつ死ぬかわからない海賊稼業、言うだけは、と思って気持ちを伝えたのだ。 サンジもまたゾロの気持ちを受け入れるだけの感情があったことには驚きだが、元々、口ではなんとでもいいながらお互いを認め合っていたのだ。それが、別の感情を伴うのにさほど時間は掛からなかった。 今現在、表立っては誰にとも言ってはいないが、二人はお互いを一生添い遂げる相手と思っている程の仲にはなっている。 チロリとサンジの方に視線を戻せば、すでに着替え、夕食の下拵えとキッチンへ向かうところだった。 と、何かしら違和感を感じた。 なんだ・・・? サンジの周りに何かしら膜のようなものが見えた。・・・・・気がした。 おかしいと思って目を擦って、再度サンジを見つめると何も見えない。 気のせいか? 海から感じた気配といい、何かしらあるように思えてならないのだが、それでも確証たるものがない。 海から感じた気配もすでにない。どころか、それが気のせいではなかったのかと思えるほどに海は穏やかだった。 ま、何かあったらその時に対処すればいいか・・・。 己の腕に溺れるわけではないが、わけのわからないことをずるずると気にしても仕方が無い。そう踏んでゾロは夕食までの間、昼寝(いやもう昼寝の時間ではないが)と決め込んだ。 穏やかに夕食も過ぎ、今夜の夜番はゾロの番だった。 展望室に上がり、見張りというよりもトレーニングに集中する。襲撃などの何かしらの異常があれば、すぐに気配でわかる。 特に今夜は満月という、夜襲には適さない夜だったので、さほど敵襲の心配はないだろう。 夜食もすでに運んでもらい、皿の上はもう空っぽだ。別に夕食の量が足りなかったからではなく、単にサンジの料理が美味しいと言えば、サンジは「そんな世辞には乗らない。」と顔を真っ赤にして唸った。もちろん、ゾロとしては世辞のつもりはない。めったに正直に食事が美味いと口にすることはなかったのだが。 ついでに言えば、サンジもつまみ食いしようかと思ったが、「今夜は・・・。」と逃げられてしまった。今夜が何だ?とゾロは思うのだが、前回、シてから然程日にちは経っていないから、無理強いはするつもりもなかったゾロは簡単に引き下がった。次回は簡単には引き下がらない予定だが。 「・・・?」 何かしら感じて、窓から下を覗きこんだ。 前甲板にサンジが立っているのが見える。キッチンへ戻るのではないのか?と疑問に思い、サンジを見つめる。 様子が変だ。 甲板の端へと歩いていき、乗りだすようにして海を見下ろしだした。 ゾロも釣られるようにして海を見つめると、真っ暗な深夜の海に月の光が反射して美しい。昼の透き通った美しさとはまた違った、少し怪しい美しさを感じる。それにサンジも見惚れているのだろうと思うほどに、海に釘付けになっていた。 ただ・・・綺麗だが・・・・何だかおかしい。 とゾワリと背筋に寒気が走った。戦闘時に感じるものとはまったく違った異質な感触だ。 「一体・・・!?」 そう呟いてサンジにもう一度視線を下ろして、ゾロは目を大きく見開いた。 「な!?」 サンジは手摺の上に立っている。一体?と思った途端、その体が大きく傾いた。 「待てっっ!?」 展望室から大きく叫んだとして今の彼の耳には到底入っていないかのように、サンジの体は簡単に海に吸い込まれて行った。 ザバアアァァン!! 暗く静かな海に大きな水飛沫が上がる。 「なっ!!」 ゾロは慌てて展望室から飛び降りる勢いで甲板に下りた。 サンジはそれこそ水着に着替えるでもなく、海に飛び込んだ。 時々サンジは、「夜の海も綺麗だ。」と深夜、海に飛び込むことがあった。しかし、それはもしもの時を考えて必ず一人では行わなかったし、そして、大して時間も掛からない内に甲板に戻って来る。それだけ夜の海は危険だということをサンジは知っていた。 なんでもまだ小さいころ、あの魚の形のレストランの傍で深夜、海で泳いでいた時についいつも泳いでいる範囲よりも更に先の海域に行ってしまい、あわやいう事があったらしい。その時は運よく早くに気づいたゼフを始め、コック達に助けられたということだ。それ以降、夜の海で泳ぐのを控えたということだ。成長し、ある程度の海の知識も増えた所でまた深夜に海に潜るようになったが、それでも必要以上に海に浸かっていない。遠くまで泳がないと本人は決めていたようだ。 大人になった今、自分の永力をきちんと把握し、自分なりに『ここまで』と決めて泳いでいるのは変わらない。 それがどうだ。 服を着たままという事自体がいつもと違うだけでなく、黙って1人勝手に海に飛び込んでしまった。もちろん、ゾロが展望室にいることを見越してということもあるのだが、それならそうと一言あるのがサンジの常だ。 それに。とゾロは思いだす。いつもと様子が違った。受け答えは為されていたが、どこか朦朧としていたようにも思える。夜の行為を避けたことから体調が悪いということも頭の隅を掠めたのだが、そうではないようだ。 海に飛び込む音は船中に響いたのだが、時々深夜に飛び込む事を知っている仲間はゾロも夜番ということを知ってか、誰も甲板には出て来なかった。 ゾロは自分も飛び込む勢いで海を覗きこむ。 ブクブクと気泡が海面に浮かんでくるが、サンジが現れる様子はない。 もちろん、サンジが潜ってすぐに海面に出て来ないのは普通だが、なんだかやはりいつもと違う。勘だが、それは間違っていないとゾロは思う。 と、船を覆う回りの様子が変わった。気づけば何時の間にか、霧が船を覆うように現れていた。 何時の間に! グランドラインだから気候が急変するのは間々あるのだが、それでも回りの空気を読むことが出来るナミはそんなことを一言も言っていない。今夜は穏やかで快晴のままだと言っていた。月が良く見えて綺麗よ。とまで言っていたのだ。 それが、どうだ。船は碇を下ろして停泊しているから問題ないものの、進んでいれば、海難事故に会いそうなほどの霧の濃さだ。一瞬にして。 海に潜るサンジとそれに合せて現れた霧。偶然にせよ、これが無関係とは到底思えなかった。 ゾロはすぐに踵を返す。 ドタドタと男部屋へと向かった。 「ルフィ!!すぐに起きてくれ!!コックが海に飛び込んだ!!」 部屋中に響く声で叫ぶものだから、みな寝ぼけ眼でムクリと起き上がる。 「どうした、ゾロ?」 「敵襲か?」 それぞれが目を擦り、慌てるゾロを不思議に見上げていた。 唯一、ゾロに次いで寝汚いルフィは、だがしっかりとした眼でゾロを見つめていた。ルフィもまた何かしらを感じているようだった。 「サンジがどうした?」 「海に飛び込んだまま、現れない。」 いつもならそれだけなら、「サンジのことだ。大丈夫。」と呑気に答えるルフィだが、今回は違った。 「わかった。すぐに行く。」 素早くボンバックを飛び降りた。 「ナミ達も起こしてくる。」 「あぁ。」 ルフィが扉まで来る前に、ゾロはすぐに女部屋へと向かった。 バン!! 「何よ、ゾロ!!女性の部屋へはきちんとノックしないさいよ!!」 ナミはまだロビンと一緒にお酒を窘めていて起きていた。特に彼女らは異変に気付かなかったようできょとんとした顔で扉を開けたゾロを睨みつける。 が、ロビンがゾロの様子にいち早く何かしら感じたようだ。 「何かあったのね。」 ロビンの言葉にゾロが頷く。不思議そうに首を傾げるナミにゾロが簡単に説明する。 「コックが海に飛び込んだ。」 それだけならば、異常とはいえないが。 「同時に濃霧が発生した。偶然とは到底思えない。」 ゾロの言葉にナミも眉を跳ね上げる。 「え?今日はそんな様子は微塵も感じられなかったし、今も気圧からすれば霧が発生するとは到底・・・。」 顎に手を当てて考えるナミにロビンが椅子からすっと立ち上がった。 「行きましょう、ナミ。」 「えぇ・・・。」 今だ事態が飲みこめないナミだが、ともかく外へ出てみるしかなった。ロビンに引き摺られるようにして女部屋を出る。とそこへルフィ達の叫び声が聞こえる。 「なんだぁ、お前は!?」 敵襲か?と3人は慌てて甲板に向かった。 急いで3人が向かったそこに、ルフィ達が向かい合う一人の人物がいた。3人は、その相手に目を大きく見開いた。 「お前、どこから現れた?」 ルフィが睨みつけたまま、険しい声で相手に問う。 「・・・・。」 麦わらの一味の前に現れたのは、1人の美しい女性だった。 突然現れた女性にナミは乗って来た船があるだろうと、船べりに駆け寄り、周りを確認する。が、それらしい船は見当たらない。ならば、空から? と疑問に思った所に、ウソップが震える声で告げる。 「突然目の前に現れたんだよぉ〜。幽霊みたいに・・・。」 「何言ってんの!寝ぼけてんじゃないわよ!!」 バチンとナミがウソップの頭を叩くが、横にいたチョッパーも同じく震えている。 「ホントだよぉ、ナミぃ・・。あれ、幽霊だよぉ・・・。」 ガタガタ震える二人に他の者はその幽霊たる女性を睨みつけて戦闘態勢に入る。 「幽霊なわけないでしょ。きっと何かの能力者よ!!」 ウソップ達に引き摺られるようにしてナミも体がガタガタ震えるが、今は皆がいるし、自分はその現場を見ていない。違うと勝手に決め付けて、ウソップ達を叱咤する。 ウソップとチョッパーはお互いに震える体を抱き合わせ、ナミに「違う違う」と反論しているが、幽霊でもきっとルフィ達が倒してくれるのでは、と突然現れたと言う女性を戦闘態勢で囲む仲間を見つめた。 と、女性はニコリとルフィに向かって笑い掛ける。 一見優しい微笑みを見せようと頬を緩めているが、実際はその微笑みは妖しさしか伺えない。 しかし、なんとも美しいと形容するしかない女性だった。髪は腰の長さまで流れるようにして光っている。誰もが羨むような輝きを放ったプラチナブロンド。唇は紅く、見ようによっては血を吸った様にも見えるが、彼女を好意的に見れば、ただただ紅く美しい色をしている。目は細く切れ長で美人の一言で片づけるのはもったいないくらいだ。かのハンコックに勝るとも劣らない。 しかも纏っている衣服は、その女性が遥か昔の神話に出てきそうな様相を思い出させた。まさに女神様だ。 もし、この場にサンジがいたらきっとテンションが上がり過ぎて空へ掛けて行くんじゃないか、そう思えるほどに美人だった。彼は今だ海に潜ったままだが。 「貴方達に伝えにきたの・・・。」 声も透き通るような声音は見た目を裏切らなかった。 が、口にした言葉は、周りの人間にその美しさを恐ろしさに感じさせるものだった。 「この船の乗組員を一人、頂いたわ。」 「!?」 お互いに隣の人物と見つめ合う。 もちろん、この場にいないのがこの船のコックであることは、誰もがすぐに思いついた。 「どういうことだ?お前、サンジに何をした・・・!」 ルフィが唸る。いつになく本気だ。この船の船長は仲間が傷つくことを何よりも嫌う。 「そう言えばサンジって言ったわね、あの子。」 あの子呼ばわりだ。 すっと真っ直ぐに立っていた女性は体を撓らせ、クスリと喉で笑った。ルフィの眼がさらに厳しくなる。ゾロもまた刀に掛ける手に力を込める。 「昼間・・・。」 頬に手をついて思いだす様にして、話を始めた。 「海に潜って来たあの子を見つけたの・・・。時々、船乗りはこの海の美しさに引き込まれて海に飛び込んで泳いでくれることがあるわ。私も彼らがこの海で泳ぐ姿を見るのが好きで・・・眺めているわ。そして・・・ほんの偶にだけれど、気に入った人をこの海に引き止めることがあるの。そしてこの美しい海の底で一緒に歌ったり泳いだりして過ごすの。私の気に入った人だけと・・・。」 「な・・・。」 妖艶に微笑む女性はこの海の神とでもいうのだろうか。 「あぁ・・・言い忘れたけど、私の名はセレン。この海の底でこの海を守るもの・・・。」 自らを守るもの、としかいい表わさなかった。ということは、神ではないのか。悪なのか。 セレンと名乗った女性は、裸足の足で纏う布を翻しながらゆっくりとルフィに向かって歩み寄った。 「彼は貰ったわ。彼・・・サンジは、私と共にこの海をずっと守って行くの・・・。」 ゴクリとルフィの喉が鳴った。 「今まで数多の者がこの海で泳ぐのを見たけれど、彼ほどこの美しい海に似合う者はいなかった。彼の泳ぐ姿は本当に美しい。まるで魚と見紛えるほどに・・・。」 「あいつは・・・。」 低く呻くようにゾロが話を割った。 「あいつの求める海はここじゃねぇ。あいつの求める海は全ての魚が集う海だ。あいつはコックで・・・。」 「知ってるわ。」 今度はゾロの言葉をセレンが絶った。 「彼の心の中を見せてもらったわ。」 ゾロを見つめる瞳は窄められ、何かを含んでいた。心の中を覗いたということは、ゾロとのこともわかっているということか・・・。さらにセレンの目が細められる。 「だからこそ、彼は私といるべきよ。私が、彼を、彼の求めるオールブルーへと連れて行ってあげる。海は繋がっているわ。彼の求める海を私は彼に与えることができる。」 「・・・っっ!」 「だから何の心配もいらないわ。貴方は何も気にせず、貴方の夢を突き進めばいいわ。」 ゆっくりと上げられた指は、ゾロの額を指差していた。 ぐっと拳を握りしめる。 なんと勝手な理屈か。 と、そこへルフィの拳が割り込んできた。 海を守るというセレンはやはり人ではないからか、しなやかに、そして容易にルフィの拳を避ける。 「お前!勝手にサンジの人生を決めるなぁぁぁ!!!」 さっと避けた先を見越して、もう一度ルフィはセレンに向かって拳を繰り出した。 と、すっとセレンの姿が消える。途端、空からセレンの甲高い笑い声がふってきた。 「貴方達がどう足掻こうと彼は私のもの。返すつもりはないわ。彼は私と共にあることが幸せなのよ・・。」 「待てぇぇっっ!!」 ルフィが空に向かって叫ぶ。が、セレンの姿は再び現れることはなかった。ルフィの拳は何度となく空をきる。セレンは姿を見せない代わりに、やはり美しい声で条件のような内容が告げた。 「貴方達がこの話を受け入れないのならば、この海で朽ち果てるといいわ。どこにも辿りつくことなく、一生海で漂流するの。彼にはそのことを伝えるわ。彼に決めてもらうわ。・・・もし、彼がこの話を受け入れるのならば、貴方達を無事に次の島まで連れて行ってあげる。」 「な!?」 誰もが驚愕の表情で空を見上げる。こんな条件。一方的で呑めるわけがない。 しかも相手がサンジならば、何よりも仲間想いの男だ。考えなくても結果は見えていた。 「うおりゃああああああああ!!」 ルフィに代わり、今度はゾロが突然刀を振り上げて、空へ向かって斬撃を放った。 が、当然、切り裂いたのは空気のみで。 セレンの高笑いが空間に響いている。 「無事に次の島に辿りつくことができるといいわね・・・。」 偽善の言葉を告げて、セレンの声は空へと消えて行った。後に残ったのは、静かで暗い夜の海。それはとても美しく月の影を映し込んでいた。先ほどの美しいセレンをまるで現わしているようだった。 誰もが緊張が解けたらしくその場にへたり込む。 気づけばもうすぐ夜明けだった。 それから2週間、何度となく空に向かって話しかけたり、ゾロを始め、何度となく海に潜ったが何の手がかりも見つけられなかった。 船を進めることもできない。 それはサンジが見つからないこともあったのだが、何より、ナミが手にしてるログポースの動きがいつになく異常を示しているからだった。これでは一旦食糧を手にする為に近くの島に辿りつくことさえ不可能だ。 そう、サンジがいないため何時になく食料配分が出来ず、船の食糧がすでに底をついているのだ。もちろんそれにルフィの食欲が加担しているのもあるのだが。 食事を取れなくなってからすでに3日目。 空腹に追われ、海に潜って魚を取ろうと言う作戦も決行されたが、まるでそれをわかったかのようにサニー号の回りには魚が一匹も現れない。数日前までは溢れんばかりに泳いでいたのに。 これら全てがセレンの力の所為ではないかと容易に想像ついたのだが、どうすることもできなかった。人で在らざる存在には太刀打ちできないのだろうか。 誰もが唇を噛みしめる。 中でもゾロの苦悩は人一倍だった。 目の前でサンジが海に飛び込むことを止めることもできず。一生を約束したと過言ではない相棒を取られたのだ。 空腹も重なってか、ゾロの形相は鬼気迫るものがあった。 誰も彼に言葉一つ掛けることができない。 しかし、このままではいけないことはわかっていた。 ルフィが甲板で座り込むゾロに近づく。 「ゾロ・・・。」 「ルフィ・・・。」 顔をあげ、ルフィを見上げるゾロは、やはりまるで戦闘時のような形相をしていた。が、ルフィはその瞳の奥底に悲しみを垣間見た気がした。 「・・・・もう一度、海に潜る。」 しかし、体力の固まりとはいえ、数日何も口にしていない状態で海に飛び込むのは危険極まりない。 とそこへナミが展望室から拡声器を通して事態の急変を告げる。 「みんな!!」 ナミの声に誰もが甲板に飛び出してきた。 「島が見えるわ!!」 ナミの指し示す先には、確かに島が見えた。ついさっきまで影も形も見えなかったのにだ。 誰もが驚愕の表情で突如現れた島を見つめる。 それは、この船が助かったことを意味していた。 と、同時にサンジとの永遠の別れをも意味していた。 |
13.03.18