魔女のいる海域 8
「やめろっ!ゾロッッ!!」 サンジの叫び声が聞こえたのだろう。遠く話し込んでいただろうセレンとドゥータスが振り返る。 驚きに固まったまま立ちつくす二人の片割れに向かって刀を振りかざす。 と。 ザッッ 素早く反応したサンジが、ゾロの前に立ちはだかった。 「どけっ!!クソコック!!」 「どかねぇ!!」 まるでこの空間に来る前、船上で対峙したように二人は真正面に向かい合った。 「あの似非女神を切れば全てが終わる!」 「彼女を切らせねぇ!」 ギリッとゾロが奥歯を噛みしめた。 「切る!!」 ゾロはサンジに向かって刀を振り下ろした。相手がサンジだろうと、本気になったゾロは容赦がない。膨れ上がった殺気に、サンジの後ろにいた二人の眉が顰められる。それは、ゾロに切られるかもしれない恐れというよりも、この状況を不審に思っているという様相だった。 ザンと空気を切る刃に、サンジは咄嗟に仰け反って避ける。サンジの反射神経があればこそ避けられる攻撃だった。 「チッ」 サンジもまたゾロの攻撃に対して躊躇なく足を繰り出して反撃をした。 ヒユッと目にも止まらない早さで、ゾロの前の空気が突風を巻き起こす。それを背後に飛び避ける。と、そこにまた二次三次攻撃が繰り広げられた。振り下ろされる踵を刀で受けとめる。 「うおりゃあ!!」 受けとめた刀をそのまま振りあげる勢いでサンジを吹き飛ばし、そのまま今度は振りあげた刀をサンジに向かって振り下ろす。吹き飛ばされたサンジだったが見事受け身をとり、ガンと今度は逆にサンジの靴がゾロの刀を受けとめた。人並み外れた戦闘力と特注品である靴だからこそゾロの刀を受けとめられるが、普通の人間だったら一瞬のうちに刀で体が真っ二つだろう。いや、刀が体に届く前にゾロから届く気だけで吹っ飛ぶかもしれない。 一進一退の繰り広げられる攻防を前に、セレンは戦闘に視線を外さずに語りかける。 「何度言われようが、私はお前を思い出せない。そもそも・・・・お前はもう死んでいるのでしょう?どういう経緯でこうなったのかはわからないけど、それだけはわかるわ。今は姿が見えるけど、もうすぐお前は、ここにある私の他の宝と同じように小さく海の中で静かに過ごすの。もはや、二度とこのような姿には戻れない。」 セレンの言葉にドゥータスは苦渋を顔に乗せた。ただ単に話だけで説得できない事に無力さを感じる。結局話はできたものの、セレンはドゥータスの言葉に耳を傾けるというよりもただ単にドゥータスの存在に興味を示しただけだった。ドゥータスは、既に亡くなっているのだ。このままだとセレンの宝物と称する石になってしまう。サンジ同様、セレンもその事実に気付いたし反応は示したが、記憶が呼びもどされる訳ではなかった。しかし確かに、それだけでも船の上よりも進展はあったように感じられたし、それが切欠になればと思ったが、結局それだけだった。 何かしら彼女に訴えるものがあればと、拳を握りしめる。しかし、それも上手く力が入らなない。もう時間が残されていないのがすぐにわかった。 ゾロとサンジの攻防を横目に、セレンはウフフと笑う。 「・・・・。」 セレンを見つめるドゥータスを隣に、セレン笑った。その笑顔は女神と魔女とも取れる、見る者を魅了する笑顔だった。美しいとドゥータスは心の内で思った。一度は愛した女なのだ。 「ここは私の作った空間。だから、サンジが勝つわ。そして、お前はもうすぐ石ころに閉じ込められるの。そして、もう二度と姿を現わすことはないわ。しかし、安心して・・・。私の大切な宝物の一つになるのだから・・・・。大切にしてあげるわ・・・。」 うっとりと目を細めて、セレンは闘う二人を見つめる。ドゥータスとしてはきっとこのまま姿を消してもいいだろうほどに、そのセレンの姿に魅入られる。漸く自分はここに来られたのだ。島の人達の念によって島に閉じ込められていたが、漸く愛する女の元へと来ることができたのだ。この場所に辿りつくことができたのだ。彼らに連れて来てもらって・・。 はた、とドゥータスは視線をセレンからゾロ達へと向けた。 自分は、どうしてここに来たのか。連れて来てもらったのは確かだが、それはどうしてか。彼らと約束をしたからではないか。もう二度と、セレンにこんな事をさせないために。彼らの仲間を助ける力を貸す為に。 ドゥータスは、うっとりとしているセレンの腕をガシリと掴んだ。 「!!」 ドゥータスの突然の行動にセレンは驚き、大きく目を見開く。 「な・・・!何をするのっ!!」 姿が消えそうだろうと、今のドゥータスにはセレンを掴まえるぐらいの力はまだ残っている。今しかない、とドゥータスはゾロ達に訴える。愛する女であれ、これは必要なことなのだ。そう決心して訴える。 「ゾロっっ!!切ってくれっっ!!」 ドゥータスの突然の叫びに、争いをしている二人の動きがはた、と止まった。戦闘能力の高い二人の、何の躊躇もない本気の闘いは僅かな時間であっても二人の体力を相当奪ったようだ。揃って肩で息をしている。しかし、どちらもまだセレンと対峙するぐらいには体力は残っている。 後ろから羽交い締めの状態で掴まっているセレンは、まるでドゥータスが背後から抱きしめているように見えた。例え、どんな状態であろうと愛する女性には違いないのだろう。表情も苦渋に満ちている。しかし、ドゥータスの意思を感じたゾロは何の戸惑いもなく刀をカチリと握りしめ直した。 「やめろ!ゾロっっ!!」 サンジが止めるのも構わず、ゾロはセレンに向かって突進した。咄嗟にサンジが後ろから蹴りを仕掛けるが、それを払ってゾロは二人に向かった。 「くっ!!」 慌ててた為、サンジはゾロに吹き飛ばされる。どさあっと勢い倒れるが、ゾロはサンジを振りかえらずにそのままセレンへと刀を振りあげた。 振りあげた刀の名は鬼徹。これならば女神と言われる女ですら切れるはず。 「だめだあっっ!!」 手を必死に伸ばすが届くはずもなく。 ザン!!!! きゃあああああああ!!! あっけなかった。 女神などそれはまるで嘘のように、人を切る感触がした。 あまりにもあっけない。 ゾロの刀は容赦なく女神と称した女を切り裂いた。 「あ・・・・・あ・・・・ぁ・・ぁ・・・。」 ドゥータスが抱きしめる体が、ぐらりと傾く。切られた場所から流れるそれは、紛れもなく血。女神だろうが、人と同じ様に血が流れている。それは、確かにゾロの刀によって傷つけられ、今にも死に向かっていることを証明しているようだった。 女神なんて嘘だろう。そう思えるほどにあっけなかった。 ドゥータスの腕の中で女が崩れ落ちる。倒れるのを腕の中に抱きとめることで、なんとか止めた。 はぁはぁ・・・。 思ったよりも呆気なかったことに内心驚きを隠せない。確かに感触としては、特に変わった事は無かった。・・・・はずだ。 ただ、刀は妖刀を使った。だからだろうか。とゾロが今だ鞘に納められていなかった刀に目を移すと、刃全体がべったりと濡れていた。しかし、感触はあったし確かに血は流れているが、刀だけを見れば、ただ濡れているだけの様にも見えた。確かに人を切った感触はあったのに。 呆然と刀を見つめていると、耳に聞きなれたはずの声がいつにない必死さを持って声を張り上げていた。 「だめだ!!」 はっとして顔を上げると、サンジがドゥータスの腕の中でぐったりとしているセレンに必死に話しかけていた。ドゥータスも驚きで目を見開いている。 女神にも死というものがあるのならば、確かにセレンは今死のうとしている。自分も死んでいるとはいえ、ドゥータスも目の前で愛する女性が死を目前にしているのならばショックは隠せないだろう。 しかし、今、必死でセレンを助けようとしてるのは、ドゥータスではなくて、サンジだ。これはどういうことだ。今、自分が目にしているのは何なんだ。 ゾロは茫然とセレンに必死に呼びかけているサンジを見つめた。 お前は俺の一生涯の伴侶となるべく人間だったのではないのか。普通の恋人同士のように振る舞う事はできなくとも、お互いにお前だけだと誓った仲ではなかったのか。本当にあの女神に魅せられてしまったのか。 何故。何故。何故。 そればかりがゾロの中をぐるぐると回った。 ドゥータスの腕の中で息も絶え絶えの女性の手を掴み、必死に話しかけ、なんとかしなくては、と周りを見まわす。 はっとしてサンジはポケットを探り、中に入れていた石を掴み上げた。それを握ってサンジは、ドゥータスを必死の形相で見つめた。 「おい!」 あまりの必死さにドゥータスの方がうろたえる。やはり今は、サンジがセレンの恋人とでもいうのだろうか。 「お前は・・・・。」 一旦、躊躇して俯くが、意を決してとでもいうのだろうか、再度顔を上げて、サンジはドゥータスに話し掛ける。 「お前は・・・・既に死んでいる身で・・・セレンの為なら何でもできるよな・・?」 一体何が言いたいのだろうか。わからないが、ドゥータスは頷いた。それを見て、サンジは手にしている石をセレンの口にもっていく。 「ほら・・・口を開けるんだ。これを飲みこんで・・・。」 サンジのしようとしていることがわかって、ドゥータスはゴクリと息をのみ込んだ。セレンはその石を飲みこめない。だが、きっとセレンがこの石を飲みこんだのならばきっとすぐにでもドゥータスは石ごとセレンに飲みこまれてしまうのだろう。感覚だけだがわかった。 そうしたら、きっと・・・。 セレンが死なない秘密はここにあったのだ。 不死とも言える女神は、男たちの魂を喰って生きてきたのだ。やはり、女神というよりも魔女という言葉が相応しい。 しかし、何故サンジはそれを知っているのだろうか。そして、許してしまうのだろうか。きっとこのまま石を飲まなければ死に至るのではないかと思われるのに・・・。 サンジの行動で全てを察したドゥータスは、一気に全ての記憶がよみがえった。 そうか・・・。 元々セレンは、この海域を守る女神だった。確かに彼女は女神だったのだ。 しかし、全ての話は男、ドゥータスの記憶と違った。記憶は薄れていくうちにねじ曲がり、事実とは異なったものになった。 「俺は・・・。」 ドゥータスが元々島の住民で、セレンと出会って恋に落ちたのには間違いはなかった。そして、島の住人の為にも、自分の為にもセレンの元へと向かい、セレンの元で過ごし・・・そして、ドゥータスが死んだのも間違ってはいない。しかし、ドゥータスの死因が思い出されたのだ。 「俺は、セレンに殺されたのか・・・。」 セレンは永遠の命を得るため、女神でいる為に愛する男を殺す。それは愛が深ければ深いほど、自分のものとばかりにあっけなく殺す。 ドゥータスは死んだ時の事を思い出した。 そう、あの時・・・。いつまででも美しいセレンと違って、年老いていく自分。しかし、実際にはそこまで年を重ねる前に自分はセレンに殺されたのだ。 ある日、昼寝とばかりにこの花畑でゆっくりと寝転がっていた時、ふいに頭上に人影が降りた。誰かと思ったら、そこに立っていたのは愛するセレン。しかし、表情がいつもと僅かに違う。どうしたのかと、起き上がった途端、振り下ろされた短剣。 咄嗟の事で避けきれなかった腹に突き刺さった短剣をなんとか抜き、必死に逃げる。それを追い掛けるセレン。必死に島に逃げ帰ったのはいいけれど、島に辿りついた時には、すでに助からないほどに血を流し過ぎて・・・。驚く島の住人にセレンに襲われた事を伝えて息絶えた。 あまりの展開に島の住人は驚きと共に、海の安泰の為に、セレンの元へ送り出されそしてセレンに殺された男を悼んで、祠を建てたのだ。前後するように島にセレンが現れるが、ドゥータスが祠に葬られた後だと知って諦めて海へと帰って行った。その代わりとばかりに、海の周りに結界とも言える異空間を作り出してしまった。そして、島をも閉じ込めてしまう。そうして、今の島の、外海から閉ざされた世界が出来上がった。 ドゥータスの件で島の住人から男を手に入れる事を諦めたセレンは、変わりに通りすがりの船から男を調達するようになる。 そうして、月日は流れ。セレンもドゥータスも、島の連中も、全てを記憶の彼方へと遠く押しやり、あいまいな歴史のみ残った。 セレンはドゥータスを殺した。それは紛れもない事実として、奥深く沈み込んでいた記憶の底から蘇る。しかし、何故? 確かに二人は出会って、島の住民の為もあってセレンの元へと赴いたのだが、ただ島の為だけではない。確かに二人の間に愛はあったはずなのだ。それなのに、何故、自分は殺されなければいけなかったのか。 「愛しているから・・・。」 ドゥータスの疑問に答えるようにサンジは呟いた。サンジの言葉にドゥータスは顔を上げ、サンジを呆然と見つめた。 「確かに不老不死の秘密に、男たちの魂を喰っているという秘密がセレンにある。だが、ただ単に不老不死が欲しくてセレンは男たちの魂を喰っていたわけじゃない。愛しているからだ。」 サンジの言葉にゾロの眉が跳ねた。意味がわからない、と言う顔だ。 「そりゃあ、神だと言われるだけあってセレンは不老不死ともいえるほどに年を重ねる事ができる。しかし、セレンの愛する連中はみな、ただの人間。短い寿命をまっとうすればあっけなく死ぬ。そうしたら、セレンはまた独りぼっちだ。その意味が分かるか?」 愛する男たちの死を見届けて、1人取り残される。次から次へと愛を囁く相手が変わったとしても、それでもその時はめいいっぱい、全力でその一人を愛する。そして、別れ。 ただ寂しく一人取り残されるぐらいならば、その愛する男を自分の命の糧として、自分の中に取りこむ。姿形は無いけれど、神なのだから終わりがないのだけれど、それでも自らの終わりのその時まで、愛する男は自分の中に取りこまれるのだ。一人寂しく取り残されるぐらいならば、愛する男を我が命の糧として共にあるのならば、そんな幸せなことはない。 そうして、セレンは過去、何人もの男を虜にして、愛して、己の体に取り込むのだ。もちろん、それは少しずつ、必要にあわせて。自分のエネルギーが必要になった時に取りこめるように、男たちを殺した後は、自分が手にする時だけ光り輝く石にその魂を閉じ込める。だから、海に沈み、セレンがいる時だけ、その石達は輝くのだ。 ただ、男たちは何もわからずに愛するセレンに殺され、石にされる。全てを理解するのは、セレンの体に取り込まれた瞬間。セレンと一つになることで、男たちは全てを理解し、セレンの命の糧になる。 「何故わかった・・・?そもそも俺は、島で閉じ込められた時、そんな場面は見ていない。見ていたらきっとわかったはずだ。それに、俺ですら知らなかった事実を何故、お前は知ってるんだ?」 「そうだ。何故知ってるんだ?お前はさっき、知らないと言っただろうが。この女は何も言わないと・・・。」 ドゥータスの言葉にかぶせてゾロもサンジに尋ねる。先ほどと話が違うのではないのか。 「そりゃ、嘘だよ。お前さんがその場面を見ていなかったってのは、わかんねぇけど・・・。ま、推測だが、多分お前さんはその場面を見なかったんじゃなくて、目を逸らしてたんじゃねぇか?殺された事の記憶が飛んでるぐらいだから・・・。俺がいろいろと知っているのは、セレンが教えてくれたからさ。」 「・・・・・。」 「え?」 「いろいろと話したのさ。」 サンジの言葉にゾロは眉を顰める。ゾロの疑問がわかったようで、サンジはふっと軽く笑った。 「ホントの事言ったら・・・やっぱ、お前はもっと必死になって俺を戻そうとしてくれるだろ?俺の事を思ってくれるのは嬉しいが、そんな事は不可能だと思ったし、何よりもルフィやお前に夢を叶えて欲しいから・・・こんな所で時間喰って欲しくなかったんだよ・・・。」 サンジがこういうヤツだと分かっていたのに。ゾロはグッと唇を噛んだ。 「それに、ここの暮らしは意外に悪くなかったぜ。どうやら、俺は今までの男たちと違うようでよ・・・・。なんか不思議だったらしいぜ。」 サンジは苦笑する。 「だからさ、変わり者の俺に違う意味で興味を持ったんだろうな。今までの男たちと話した事のない話をいっぱいしてくれたさ。もちろん、全てじゃなくてよ、断片的にだろうけど。ドゥータスって言ったな。お前さんの事は、セレンも記憶の彼方だったらしいからお前さんの事は聞かなかったが、それでも過去出会った連中の事は聞いた。この体の中にみんながいるって言ってよ・・。」 ドゥータスはセレンを見つめた。はるか遠い過去、お互いの記憶は薄れ、またはねじ曲がった状態で残り。しかし、過去、お互いに愛した時期はあったのだ。しかし、ドゥータスには知らなかった事実。それを目の前の男が知っている現実に少なからずショックを受けているようだった。 「普通ならさ、セレンの歌を聴けば一発で虜にされちまうのに、俺はさ、そうはならなかった。もちろん俺にとって、レディは全て大切な存在に違いないけどよ・・・俺には、誓い合ったヤツがいたから・・・。でもセレンには不思議だったんだろうな。今まで愛した男どもともこんな接し方はした事がないって笑いながらいろいろとおしゃべりなんかした。」 サンジはふっと笑ってセレンを見つめた。 「確かに彼女は、愛すべき女性であることには変わりないが、俺にとっては女神としてだけの存在だ。」 顔を上げたサンジが見つめた先は・・・・凶暴な顔をした魔獣と称される男。どんなに離れていようと、誰が間に入ろうと、二人の関係は揺るがないものだったのだ。 別れようと、会えなくなろうとその愛を貫こうとする男。 一方、愛するばかりに別れを恐れ、愛する男を自分の糧にしようとする女神。 世の中にはなんと様々な愛の形があるのだろう。 呆然とするドゥータスにサンジは、改めて決意を促すべく声を掛けた。 「セレンがこのまま死ねば、島の結界はそれこそ歪んで下手をすれば島は崩壊する。俺達だけでなく、ルフィ達もあの空間から二度と出られなくなるかもしれない。そんな事になっちまったら・・・。だから、お前がセレンに喰われれば、セレンは助かる。そうすれば、この世界も島も安泰だ。」 どうせ死んだ身だ。セレンに喰われなければ、ただ消えるのみ。だったらこのままセレンが、女神が死を迎えるのを見過ごすのではなく、己の使命を全うすべく、セレンに喰われるべきだ。 サンジはそう訴える。 「セレンが助かれば、ルフィ達の事ももう一度俺が頼む。あいつらは、この海で彷徨うわけにはいかねぇんだ。・・・お前もな・・・。」 サンジはもう一度、ゾロを見つめた。だったら、サンジはどうなるのだ。最初と何も変わらないではないか。 しかし、サンジはフッと笑った。 「俺の夢はオールブルーだ。ゾロが世界一の大剣豪になる瞬間を見届ける事はできねぇが、俺の夢はここにいても叶う。例え、死が訪れたとしても、セレンは約束した。」 しかしそれは違うだろう、とゾロは思う。確かにサンジの夢は、オールブルーだ。全ての海域に住む魚が集う海に辿り着く事だ。しかし、ただその海を見つけるだけではないはずだ。サンジは料理人だ。その海で泳ぐ幾千、幾万の魚たちを料理してこそ、その夢が完成するのだ。自分たちにもその料理を振る舞ってくれるのではなかったのか。そう言っていなかったか。ゾロは、ギリと奥歯を噛みしめた。 セレンを斬れば済む話だとばかり思っていたが、そうではなかったのか。 どうする。どうすればいい。 サンジは、ただこのままドゥータスがセレンに喰われれば全て元通り、解決すると考えている。 ゾロは、このままでは何も解決しないと思った。サンジは自分たちの元へと戻らず、また先の見えないねじ曲がったこの海でずっと漂うのみ。 ドゥータスは・・・。どうしたらいいのか、考えあぐねているようだ。しかし、自分がセレンに喰われる方法しか、今は思いつかない。このまま消えていくよりはよほど・・・。 そう思い悩んでいたら、下から「もういい。」と小さく掠れた声が届いた。 「私も思い出した・・・。彼・・・私の・・・記憶の中にある、・・・最初の・・・愛した男・・・。愛おしい・・・・貴方。」 力がもはや上手く入らないのだろう。震える手がドゥータスの頬へと伸びる。 「もう・・・充分・・・生きた・・・。神にも・・終わり・・・は・・・必要・・・。わた・・・しは、終わり・・・で・いい・・。」 震える手をドゥータスはギュッと握りしめた。ただ、この女神をこのまま死なせるつもりでここに来たわけではない。 しかし・・・。 セレンの手を握ったまま、ドゥータスは意を決した。 握っていたセレンの手から己の手を話して、サンジを見つめる。そして、手を伸ばした。 「石をくれ。」 ドゥータスの言葉に、サンジははっとしてドゥータスを見つめる。その瞳には何かを決意したのだろう、強い光が伺えた。 サンジはそっと、ドゥータスに石を渡す。ゾロは、ただそれを背後から見つめるだけだ。解決策は未だ見つからないが、ドゥータスの決意した様子。サンジも、ドゥータスの決意を受け入れた表情を見て、もはや、口を挟むつもりはなくなったのだろう。体は例え離れても、心は一つだ。そう自分に言い聞かせる。 「あなた・・・。」 「お前は何も考えなくていい・・。」 不安げな表情でドゥータスを見上げるセレンにドゥータスはニコリと笑った。 そして、ドゥータスが自分の魂である石を受け取るとそれを己の口に含んだ。そして、ゆっくりとセレンに覆いかぶさる。 ゆっくりと重なる唇が動いた。 「・・・んっ・・。」 セレンの喉がゴクンと動いて、ドゥータスの魂である石を飲みこんだのがわかった。 途端、セレンの体にある傷がゆっくりとだが、消えていく。表情もそれに伴い、血の気の引いた肌に赤味がさしていった。同時に、ドゥータスの体が少しずつ透き通って行く。 「ありがとう・・・。二人共・・・。」 ドゥータスが消えつつある己の手の平を見つめらがら、最後の言葉を発する。 「俺はこのまま消えるが・・・・・俺の魂はセレンの中に取り込まれるんだろう?」 ドゥータスの問いにサンジがコクリと頷いた。 それを見て、薄くなっていく影がニコリと笑う。 「二人には感謝している。悪いようにはしない。・・・・・船に残っている連中にも・・・よろしく伝えてくれ。」 悪いようには・・・と言ってもどうしようもないはずなのに、ドゥータスの言葉に二人が反応できずにいるままに、ドゥータスはその姿を消した。 あまりにもあっけなかった。 同時に、すくりとセレンが起き上がる。 パサリと落ちる前髪をそっと払い、そこに留まっているサンジとゾロを順に見やった。そして、己の胸のあたりを擦る。きっとここにドゥータスの魂の存在を感じているのだろう。 「私は・・・。」 ポツリと零れる言葉に力はない。 言葉を吐き出しながら、顔はもう一度胸のあたりから二人へと上がる。 「今まで数多くの男たちをこの体の中に取り込んだ。しかし・・・・取り込んだ魂がこれほどに温かいと感じたのは、初めてだ。」 これが愛なのだろう。もちろん、今までの男たちもセレンを愛していなかったわけではないが、それでも今、体に取り込んだドゥータスほどにセレンを愛しているかといえば、そうではないのかもしれない。それがわかるのは当人達のみ。 「もし・・・・サンジが死んで、私の中に取り込まれたとしても・・・私を愛してくれないサンジからは、きっとこれほどまでに温かさを感じないかもしれない・・・。」 それは違うとゾロは思う。しかし、チラリと盗み見たサンジの表情に気付く。 確かに、生涯の相手は自分一人と決めてくれた。しかし、サンジは料理人だ。飢えている人を放ってはおけないほどに、人々への愛というものを持ちあわせている。しかし、それはセレンの求めている愛とは違うだろう。そういう意味ではセレンの言う事は正しいのかもしれない。ゾロは思い直した。 気付けば、回りの景色も先ほどと少し様相が変わったようだ。もっと花が咲き乱れていたと思っていたそこは、今は、ただの草むらになっている。もっと花弁が舞い散っていたような気がするのに・・・。セレンの感情がこの空間に影響を与えているのだろうか。しかし、花が咲き乱れていた時よりも、なんだか心が穏やかになる。そんな空間になっている。 起き上がったまま地面に座り込んでいるセレンは、サンジにそっと手を伸ばす。 「海で泳いでいた貴方は、まるで魚のようで・・・美しかった。そして、神である私に、例え栄養として必要ないとしても心が温かくなるからと美味しい料理を作ってくれた。」 微笑むセレンのその笑顔は、今までに見たことがないような女神としての表情を見せていた。 「そして、今も・・・・例え、貴方の大切な人達のためとはいえ、私を助けようとしてくれた。貴方の愛は、私が望む様なものではないけれど、違う愛を感じる。それはきっと、私が求める温かさではないけれど、・・・大勢の人の心を温めるものになるのね・・・。」 セレンは一旦、目を伏せる。そして、ゆっくりと瞼を開ける。 「私が本当に欲しい貴方の愛は・・・・。」 セレンの瞳がゾロへと移る。 「この男に注がれているのね・・・・残念だわ。」 残念と言いながら、セレンの声音は残念さを響かせていない。そして、セレンはゆっくりと立ち上がった。 「どのみち・・・ここももう終わりね・・。」 微笑むセレンの口ぶりは、まるでこの世が終わって全てを諦めたかのようだ。助かったのに? 「さぁ、行きましょう。」 セレンが一歩踏み出す。意味がわからない、とゾロとサンジはお互いを見つめた。 先に歩みを進めようとして、思い出したようにセレンは二人に振り返った。 「貴方の刀・・・妖刀よね・・・。」 セレンの言葉にゾロは、刀を納めた鞘にそっと手を伸ばす。 「ものすごい力を持った妖刀ね・・・。ドゥータスの魂のお陰で命は助かったけど・・・・私には、もう女神としての力が残っていないみたい・・・。」 ニコリと笑う笑みは、さきほどのものとは違って。 なんだか様子がおかしいと二人して感じてはいたが、それが何だかわからなかった。しかし、セレンの言葉に彼女から感じる気配の違いに納得する。 「私には、もはやこの世界を支える力も、歌声で男たちを魅了して海に引き込む力もないみたい・・・。だから、早くこの空間から出ないと、海の底に引き摺られて死ぬことになるわ。貴方達の船に辿り着くまではなんとか大丈夫だと思うけど、もうすぐここは崩れる。」 セレンの言葉にはハッとすると先ほどまで草むらだった地面は、いつの間にか、ひび割れた土がむき出しになっていた。セレンの言う通り、ずっとこのままここにいては危険なようだった。 先に歩きだすセレンについて、ゾロとサンジは黙ったまま後を着いて行くしかない。歩きながら、セレンは話を続ける。 「私はただの・・・・何の力もない一人の人間になってしまったみたい。ドゥータスを飲みこんで、胸の中はなんだか暖かいけれど、今までのような何の苦労もなくこの空間を保つ事ができないもの。結構、今必死なのよ・・。どうしようもないほどに押しつぶされそうな感触があるわ。」 それは確かにゾロもサンジも少なからず感じていた。まるで海の底にいるような水圧に近い圧迫。このままこの場にいれば、確かにセレンの言うように海底で水圧に押しつぶされてしまうだろう。 「きっと、この海のねじ曲がった空間も、もはやもたないでしょうから・・・きっと船からは島が見えるでしょうね・・・。そして、島もきっと孤立したまま存在するのではなく・・・・。」 セレンの足がガクリと崩れそうになった。慌ててサンジが駆け寄り、セレンを支える。 「ありがとう、サンジ・・・。大丈夫よ。ドゥータスと会わせてくれた貴方達をこのままここで殺すわけにはいかない・・・。」 行きと帰りは違うのか。さほど歩かずに何もない真っ白な空間に景色が変わった。遠く、今までいただろう場所からゴゴゴゴと地鳴りのような音が届いた。 「二人共、私から離れないで!」 男二人でセレンに抱きつくようにして密着する。 「目を閉じて!」 セレンの言うままに二人共、目を閉じて。 ガヤガヤと耳から雑音が聞こえる。 そう思ったのは、誰かの叫び声だった。 「ルフィ!!ルフィィィ!!早く!!ゾロ達が!!」 雑音はウソップの声で。それに続いてチョッパーの悲鳴も重なった。 「ゾロ〜!!サンジィィ〜!!」 二人共、涙声だ。段々雑音が増えて行く。みんなが集まって来たのであろう。 ゾロは、ゆっくりと目を開けた。なんだか頭が重い。 隣を見ると、サンジもいつの間にか目覚めていて・・・。同じ症状を感じるのか、手を当てながらも頭を振っている。 その向こうに倒れているのは、女神だったセレン。 そう、もはや女神ではなく、ただのか弱い女性。 しかし、船にいる誰もはその事実を知らない。船にいたみんなは、どう対応するべきか、二人の周りで固まっている。 しかし、一番早く動いたのは、船医のチョッパーだった。 「大丈夫か?二人共。どこか痛い所とかないか?」 テキパキとリュックから医療道具を取り出す。それを見て、サンジが手を振って先にあちらを、とセレンを示した。 「彼女を先に見てやってくれないか。」 「え?」 サンジの言葉にチョッパーの動きが止まり、誰もがセレンの方へと視線を向ける。 「細かい話は後でするが・・・セレンはもう女神でもなんでもないんだ。ただのか弱い一人のレディだ・・・。」 サンジの言葉に驚きが隠せないらしい。ウソップなどは不信感露わだ。 「何言ってやがんだよ、サンジ!!あの女はお前を誘拐して監禁してだんだろ!向こうで何があったか知らねぇが、そんな義理はねぇ。」 胸を反らして主張するウソップに数人が同意しようか戸惑う。説明よりも先に治療をしなくてはいけないのは、なんとなくわかるのだろう。それは実はウソップもそう思っているのだろうけど。 「チョッパー。いいから、先にその女、診てやってくれ。」 横から入った声に回りの人間は一斉に振り向く。そんな驚くような事を言ったのだろうか、とゾロは首を捻る。 「コックも言っただろ。こいつはもはやただの人間だ。何もできやしねぇよ。」 ナミあたりは眉を顰めていたが、チョッパーは医師の使命だとばかりに早々にセレンの前に陣取った。 脈を見て、聴診器を取りだす。テキパキとした動きは、さすが一流の医者だろう。 「大きなケガもないみたいだけど・・・。」 「どうしたチョッパー。」 サンジが尋ねた。 「なんだかおかしいんだ。鼓動が2つ聞こえる。 恐る恐る答えるチョッパーに、サンジとゾロはぷっと笑った。 「あ〜。その辺の理由は後で説明してやる。とにかくここを離れよう。」 サンジがそこから海が見えないまでも視線をやった。ゾロも同意らしく、よっこらしょと立ち上がって、海を覗いた。 「あぁ、早くここを離れた方がいい。」 頷こうとしてナミが慌てた声を出す。 「ちょっと待って!!彼が!!ドゥータスがまだよ!!」 そういえばそうだと誰もが見合わせる。ナミの言葉にゾロは眉を下げた。自分では上手く説明できないのを自覚しているのだろう。説明しろと視線をサンジに投げる。それを受け取ったサンジもゾロと同じく眉が下がっている。 「それも後できちんと説明する。ルフィ。兎も角ここを離れてくれ!」 サンジの言葉に被さるように地鳴りのような音がどこからともなく響く。 「急げ!!船長!!」 やばい!と、原因のわからない地鳴り音とゾロの激で、みなが慌てて動き出した。セレンは人型になったチョッパーによって医務室へと運ばれた。ゾロとサンジもまだきちんと診察してないから。とチョッパーの心配の声を余所に、とりあえずこの海域を脱出するべく走り出した。 船が移動を開始して暫くすると、どーんと大きな音が辺り一面に響いた。 音のした方を振りかえると、今まで船があった場所に大きな水柱が立っていた。まるで空島へ行った時に起こった、ノックアップストリームのような規模だ。この規模の爆発だと・・・。 「全員どこかに掴まって!!」 何もない所から急に水柱が立つ不思議さに疑問を持つ暇なく、ナミの指示で皆慌てる。 「フランキー!!」 「わかってる!!クー・ド・バーストォォ!!」 水柱によって起こった大波がサニー号を襲う前になんとか海域を脱出した。 脱出したと言う事は・・・。空を飛ぶ船の中で誰もが気づく。 「あの、不思議な海域を出る事ができたってことね・・・。」 ロビンが風に靡く髪を抑えながら呟いた。飛んで漸く事態に気付く。 誰もがそっと医務室を見つめた。きっと中でも急な展開に驚いているだろうが・・・。 ザバアァァァン 着水した場所は、島のすぐ傍だった。 「この島にまた来れるなんてな・・・。」 「ドゥータスはいねぇけどよ・・・。」 それぞれが島を見つめる。どうやって辿り着いたのかわからないまま来てしまった。まるでドゥータスに導かれた気分だ。 「なんか、島の様子が変わった・・・?」 ナミが双眼鏡を手に、不思議そうに首を傾げる。 「そりゃあ、もうすぐ夜になるからだろ?」 ゾロとサンジからすれば、時間の感覚がなかったが、回りを見れば確かにウソップの言う時間帯だった。ウソップはナミに横からちゃちゃを入れるべく、顔を寄せている。 「ウソップ!邪魔!!ほら、船、ここに停留するわよ。フランキー!碇下ろして。」 少し落ち着くと、誰かのお腹が鳴った。いや、誰だか考えるまでもなかった。 「サンジィィ。腹減ったぁぁ!!」 久しぶりに聞くルフィの言葉だとサンジは口元が緩んだ。 「すぐにメシにしてやる!材料はあるのか?」 「もちろん!!」 答えたのは、ナミだ。サンジがいない間、当番制ではあったが、メインで料理をしていたのはナミだ。男性陣には任せられない部分もあった。 サンジは腕まくりをしてそうそうにキッチンへと向かった。 「それにしても、何だったのかしら。あの水柱・・・・。天候も気圧も・・・・まわりにはそんな変化は何もなかったのに・・・・。」 ナミが首を傾げるのも仕方がないだろう。原因は別にあるのだから。 「それも含めて後で説明してやる。」 カチャカチャとカトラリーの音が響く。ここには、女性陣以外にはマナーを気にする者はほとんどいない。もちろんサンジとしては、ある程度のマナーを持って食事をして欲しいのだが、船長をはじめそんな事が通用しない連中だとわかっている。況してや久しぶりのサンジの食事だ。皿が綺麗になるまで食べてくれるのが嬉しい。 皆に食事をサーブしながらの説明となった。ゾロには説明は無理だろう。それはゾロも承知しているようで、ただ黙ってサンジの説明を耳にしていた。 チョッパーはまだセレンに付いているらしく、この場にはいない。皆が食べだした際、食事を運んだ時に先に簡単に説明をした。かなり驚いたようだったが、セレンの脈拍に異常を感じていたからか、なんとか納得できたようだ。今はまだチョッパーは、セレンに付いている。彼女はまだ意識を取り戻していない。 「普通の人間として見ると・・・なんかすごく体力を消耗しているみたいだけど・・・。」 それはきっとサンジとゾロを連れてセレンの作っていた空間から脱出したのが理由なのだろう。 「まだ信じられない・・・。」 サンジの入れたコーヒーを口にしながらぽつりと溢したのはナミだ。 「でも・・・・。一通りの話を聞いた限りだと、筋は通ってるわね。」 隣に座るロビンも不思議そうな瞳をしていたが、学者である彼女は一通りの説明に自分なりに解釈をして納得したようだ。そう言えば、と口を開いた。 「不思議な伝承が島にはいくつか残っているの。まぁ、昔話の類として人々の間には伝わっていたから直接は関係ないと思っていたのだけれど・・・。」 しかし、それ以上ロビンは説明をしなかった。それは昔話として済ませたいのだろう。 「で・・・。どうするんだ?」 フランキーがコーラを啜りながら船長を見た。 「このまま船に乗せてくってわけにはいかねぇだろ?」 尤もだとウソップが立ち上がる。 「そ・・・・そんな!女神なんて!!」 「・・・元よ。」 ナミの突っ込みに足を震わせたまま「確かに」と頷く。が、それで終わらなかった。 「その元女神ってやつ・・・。乗せてどうすんだよぉ。」 ウソップの意見も尤もだった。今まで散々彼女から痛い目を見させられたのだ。普通の人間になったとして、彼女の性格はとんでもないと思っている。どうして一緒の船に乗ってられるものか。 「いいじゃねぇかよぉ。乗せちまえば・・。元女神かぁ〜。面白そうだなぁ〜。」 ルフィはニコニコと組んだ足を掴んで体を揺らしている。元々この船は骸骨だって乗っているのだ。確かに元女神という肩書きだけで見れば、面白いかもしれない。しかし、あくまで元であって、今は、もはやただのか弱い女性に過ぎない。海賊を称するこの船でやっていけるはずもない。 「あの女はたぶんこの島に留まるさ・・・。」 今までずっと黙っていたゾロの発言に、誰もが振り向く。 「同感だ。」 それにはサンジも同意らしい。腕組みをしてカウンターに凭れたまま、いつになく冷静な態度だ。普段は女性となれば見境ない男で、しかも女性が船に乗るかどうかで言えば単純に乗る方へと意見が傾きそうなのだが、よほどの事があったのだろうか。 サンジの様子に驚き、一瞬シンとなる部屋。と、突然入るはずもない声が割り込んだ。 「お願いします・・・。」 ぎょっとして一斉に皆が振り向くと、そこにはチョッパーに支えらて頭を下げた女性が立っていた。 思わずウソップがナミに抱きつき、拳骨を喰らう。 それよりも、と誰もが、緊張と驚きで咄嗟に戦闘態勢に近い姿勢を作った。 ゾロとサンジはしかし反して、腕組みを組んでセレンに視線をくれるのみ。ルフィもまた、いやルフィは何も考えていない様子で表情を変えずにニコニコとしていた。 一番戦力になる3人に闘う意志が無い事に気付き、少しずつだが船内の緊張が萎んで行く。しかし、まだ皆がみな、彼女に心を許したわけではない。 「この島に降りるっていうの・・・?」 壁の向こうにあるだろう島を目線で示した。今は夜なので島の影もわからないだろうが、サニー号が停泊している向こう側に港は見えている。 セレンは本当に島に降りるのだろうか。そして・・・。 「ただの人になった貴女は、一体どうするつもりなの?」 ロビンが目を細めて尋ねる。いつもの冷静な態度はそのままに。しかし、セレンがどうしたのかを観察しているようだ。 「この島で、今だ海に沈んでいる男たちの魂を救いたい。そして・・・この島で命を全うしたいんです。」 それはもはや、セレンが不老不死でない事を意味していた。見た目は美しい女神そのままなのだが、近い将来寿命が尽きる事がわかっているのだろうか。 そして。男たちの魂を救いたいとセレンは口にする。 「男たちの魂を救うって・・・・できるのかよ。お前さんはもはやただの人なんだろう?サンジに聞いたぜ。今までの男たちの魂がたくさん海に沈んでいるってな。」 フランキーが咎める声音で尋ねる。セレンはコクリと頷いた。 「確かに、もはや私には女神としての力もないし、もはやこの命が人としての寿命しかない事は、なんとなくですがわかります。それと同じ様に、なんとなくなんですが、私が奪った多くの男たちの魂が海に沈んでいるのは…それだけは、感覚でわかるんです。」 セレンは両手で胸を抑えた。今だ、ドゥータスの魂がそこで脈打っているのだろうか。 しかし、それをチョッパーは否定した。 「この人の脈はもう二人分は聞こえないよ。ドゥータスの魂はセレンの中で解けてしまったみたいに今は聞こえないんだ。」 それが、男たちの運命なのだろうか。セレンは分かっていると言う風に頷いた。 「確かに私が彼らの魂を口にして、彼らの魂を取りこんだわ。そして、彼らは本当に消えた。でも、まだ海には多くの男たちの魂が残っているの。彼らをそのままにはしておけないわ。」 己の胸を抑えて訴える美女は、まるで恐ろしい魔女に豹変していたあの女神とは到底思えないほどに穏やかな表情をしている。まるで別人だ。 「ルフィ・・・。」 サンジが口を挟んだ。言いたい事がわかっているのか、ゾロはサンジを見つめたまま横やりを入れる事がない。ルフィもまた、珍しく、サンジの言葉にしっかりと耳を傾けていた。 「悪いが、頼まれてやってくれねぇか。なぁに、明日、島に船を着けて、ちょっとだけ時間くれればいい。どうせ、食糧も改めて積み直さないといけないだろう。それに次の島へのログの確認もしなくちゃいけないだろうし・・・。」 サンジの言葉にナミがはっとする。ログポースに視線を移した。 「そういえば、すっかりと忘れてたけど!!安定している!!」 今まで閉ざされた空間に、針が意味のわからない動きをしていたが、今回はそのログポースの針もすっかりと落ち着きをもどした。 これは閉ざされた空間が解除されたからだろう。すでに違う次の島を指し示しているようだ。 「よくわからないけど、この島にはもはや長居は無用のようね・・・。」 ナミの言葉を受けて、ロビンが補足した。 「ルフィ・・・。」 誰もが船長を見つめた。この船の決定権はルフィなのだ。 「いいぜ。朝になったら島に行こう。」 ルフィの言葉にセレンはもう一度、頭を下げた。 窓枠に肘を掛け、ゾロは甲板を見下ろした。 あれから、セレンはチョッパーに付き添われもう一度医務室へと戻って行った。どういう流れかは分からないが、人間になった際にセレンはかなりの体力を消耗していたらしい。それは、あの海の底の閉ざされた空間から二人を助けたからだろうか。 だったら礼の一つでも・・・と思いついて、いや、と首を振る。もはや女神だった頃の、恐怖心を呼び起こす様な言動はすっかりとなりを顰めて、今はそんな影も形もない。それに彼女も礼が欲しくて二人を助けたわけではないのだ。 と、つい身を乗り出す。 甲板に見える人影は、久しぶりに会う事ができた男のものだった。 そう言えば、あれからガタガタしてゆっくりと話をしていなかったと今更に思った。お互いの心の内はわかっているつもりだ。もちろん、サンジの心情を疑うようなそぶりも見せてしまったが、全てが全て彼を信じていないわけではないし、例え、サンジがゾロとの関係に終止符を打ったとして、気持ちは兎も角それを認めない訳にはいかないだろう。 しかし、彼の気持ちの根底は、自分とまだ繋がっていた。それが嬉しくて、改めてゆっくりと話をしたいと思った。声を掛けようかと思案する。 と、そこへ小柄なシルエットが駆け寄る。 「立っているのも辛いんじゃなかったか?」 確かそんなような事をチョッパーが口にしていたとゾロは記憶している。まぁ、深夜の時間帯。あれから何時間も経っていて体力が戻ったかもしれない。それにしちゃあ、元気良過ぎなんじゃねぇかと思ってたら、やはりそれほど体力は戻っていなかったらしい。途中、ふらつく。 そこへ駆け寄り助ける人影。その人影がサンジであることは考えるまでもなかった。元女神からただの人に戻った時の事を思えば、なんという体力の持ち主だろうと驚きを隠せない。しかし、ゾロの疑問を簡単にうち消した。それだけまだ足元がふらついていたのだろう。サンジに縋りつくようにして立ち上がったのがシルエットだけでも分かった。 少し妬ける。もちろん、海の底での会話と態度で、サンジの心の奥底がどこにあるのかはわかった。それだけで充分だと思うが妬けるものは妬けてしまうのだ。 上からじっと見つめる。と、チラリとサンジの視線が上がったのがわかった。 目が合った瞬間、サンジがニヤリと笑ったのがわかった。もちろん、セレンにはわからないようにだろうが。その表情を見て、このやろう、とついゾロもニヤリと笑ってしまう。負けたくないという男の本能が、その表情を作ってはいるが内心それほど余裕はない。それこそずっと会っていなかったし、当然触れてもいなかったからだ。 しかし、若いとはいえ、ここで妙に盛るのもどうかと思い、耐える。どうせ、明日は島に降りてセレンと別れるのだ。 と、何とか自分を納得させて見ていたら、二言三言会話をしたらしい二人の視線が揃ってゾロの方へ向けられた。 「お?」と思ってマジマジと見つめていると、サンジがセレンを抱きかかえて歩きだした。足取りからして、どうやらゾロのいる展望室へと来るつもりらしい。 一体何だと考えていたら、予想よりも早く辿り着いたようだ。よいしょと言う声と共に二人の姿が見えた。 「おう。」 「おう。」 お互いに気心の知れた挨拶を交わす。サンジに抱きかかえられるままにセレンはそこにいた。 ま、いちいちこれぐらいで妬いていたらキリがねぇ、と先ほどの沸いた嫉妬心を隠して「どうした。」と声を掛けた。 「改めて礼を言いたくて・・・。」 少し怯える様な声音に内心苦笑する。やはりここにいるのは、今までの魔女のような女神ではなく、ただの一人のか弱い女性としか思えないセレンの変わり果てた態度だった。 ゾロの表情に何か伝わったのだろうか。セレンは顔を赤らめながらも背けて少し拗ねたような口調になる。 「仕方ないでしょう。こんなに己が頼りない存在だなんて思ってもみなかったし・・・。今は、どうあがいても貴方達には太刀打ちできない。簡単に潰されてしま様な・・・自分がそんな儚い存在にしか感じられない・・・。」 目線でサンジに下ろしてもらう様合図をしながら、開いた口は閉じない。みんなの前で大人しかったのとまた違う一面がこの女性にはあるようだ。なんとなくだが、可愛いかもしれない、とゾロはふっと笑った。 もしかしたら、女神だった頃も、愛する男の前だとこんな一面も見せていたのかも。それほどまでに様子が変わろうとも自然な感じがした。 「でも・・・。」 ドゥータスがセレンに取り込まれてから、何度となく出てくる仕草。無意識なのか意識的なのか。胸に手を充てて、彼女は幸せそうにほほ笑んだ。 「ここに彼がいるのは、なんとなくだがわかる。それに・・・・なんとなくだが、今まで自分が持っていなかったような温かな気持ちが湧きあがってくる・・・。」 セレンの表情は愛を知っている美しい女性の表情だった。 「私は、人となってしまって寿命ができて・・・そのうちに死んでしまうのだろうけど・・・・今はそれが幸せだと思える・・・。だから、この船のみんなにもだけど、特に貴方達二人にきちんとお礼が言いたかった。この感謝の気持ちはきっと彼から湧き上がっているものだろうけれど、私も貴方達にお礼を言いたいと思ったの・・・。」 ふっと笑って顔を上げる。やはり、女神だった頃と雲泥の差だ。いい顔をしている。 それがなんだか妙に嬉しかった。それはサンジも同様のようで、女性を前にしてもいつものだらしなさはなく、慈しむ様な微笑みを浮かべていた。そうだ。この男はこういう顔をする事が出来るのだ。コックという職業から来るのかもしれないが、本当の意味で人に愛を注ぐ事が出来る男なのだ。 自分を選んだ、自分が選んだ男がこんな誇らしい人間でなんだか自分まで誇らしくなる。それが、例え海賊だとしてもだ。 「この島も、もはや世界から閉ざされた空間から解放されて・・・・島も、島の皆もきっと変わる。私はそこで上手く生活していけるかどうか、まだ自信がないけれど、ここにドゥータスがいる。私の愛する人達が島を守ってくれている。」 セレンは窓から夜の闇に紛れて暗い影となっている島を見つめた。島は、きっと今だ石となって海に沈んでいる男たちがセレンと共に守られるだろう事は、なんとなくだが想像できた。島はきっとこれから外海と繋がって、さらに豊で住みやすい島になるだろう。そして、石になったセレンの過去の男らもきっと、少しずつかもしれないが、島で暮らすと決めたセレンによって解放されていくのだろう。 「ありがとう・・・。」 ポロリと落ちたセレンの涙と共に、彼女の口から感謝の言葉が口から零れた。 それを見ながらゾロもサンジもいつになく穏やかな笑顔で、お互いの存在を感じることができた。 次の日、島に降りると、昨日、遠く離れた海域で大きな水柱が上がったのは、島にも少なからず届いた波でわかったようだが、幸いにも大きな被害はなかったようだ。 セレンの方は、ナミやロビンの口添えもあって、島の傍で漂流していた所を助けられた女性として、島に迎え入れられる事になった。 きっと島の住民が、例の海域の女神がいなくなって島が外海と繋がったのに気付くのはもう少し後かもしれないが、それでも構わないだろう。みなが幸せならばそれが一番だ。 早々に食糧を補充して島を後にするサニー号の芝生の上で、ゾロはのんびりと昼寝をした。島はすでにその姿は見えない。 ザッザッと足音が響くのが耳に届き、片目をそっと開ける。 「ほらよ。今日のおやつだ・・・。」 あんこがたっぷりと入った大福だった。酒好きのゾロだが甘いものも好きで食べる。その筆頭に上がるのがこの大福だった。 ゾロの好物をおやつにするのには、サンジなりに思う所があるのだろう。 起き上がって大福の乗った皿を受け取る。とよいしょとゾロの横にサンジが座り込んだ。 「あのよ・・・。」 なんだかモゴモゴと口は開くが、その先が続かない。口に加えている煙草に目をやると火が点いておらず、どうやら煙草で誤魔化そうとしながらもしきれないでいるようだ。煙草を銜えながらもモゴモゴしている所を見るとやはり何かしら言いたいようだが、言えないのはわかった。 そして、その内容も・・・。 「今夜、話を聞く。」 それがどういう意味かわかって、サンジの顔が一気に赤く染まった。それが、妙に嬉しくて、しかし大声で笑うわけにもいかず、ゾロはクククと喉で笑った。芝生と言う誰からもよく見える位置にいながらも、幸いにも誰もがおやつに夢中で二人の様子に気付かない。 しかし、ふと気づけば見つかってしまう様な位置にいるのであって。もちろん、それもあってサンジは口をパクパクさせていたのだし、ゾロも言葉を濁したのだが。 途端、サンジはダンと立ち上がって、どしどしと芝生によって消されるはずの足音を響かせながら去って行ってしまった。何も言わないのは、ゾロの言葉に承諾したからだろう。 久しぶりに夜には二人の時間をゆっくり過ごそうと決めて、ゾロはサンジに作った大福に食らいついた。 END |
14.12.02