魔女のいる海域 7
ぶくぶくぶく 口から空気が細かい泡となって海面へと上がって行く。 頬を膨らませながら、それをただ呆然と見詰めるゾロにドゥータスがトントンと繋いでいない方の手でゾロの肩を叩く。 言葉は交わせないが視線がそれを告げ、ゾロはコクリと頷くと、一緒に海底に向かうべく下を向く。まるで宙に浮いているようにふわふわと漂う感覚は、海の中にいるはずなのにここが何処だかわからなくなりそうだ。 真っ暗で先は何も見えない。海底がない底なし沼のようだ。しかし、この先にセレンと、そしてサンジがいるのは確かなのだ。半信半疑であったが、実際に二人が海へと姿を消えたのは目の当たりにしている。ならば、このまま海底に向かって進むしかないのは当然だろう。 ぶくぶくと空気を吐きながら、水を蹴り下へと向かった。 真っ暗闇の中、段々と息が苦しくなってくる。姿は見えるものの、本来ならば肉体を持っていないドゥータスは酸素は関係ないのだろうかとゾロはチラリと横を向く。彼は特に苦しそうにはしていない。苦しいのはきっとあの自分の姿が消えるかどうか、その状態の時だけだろう。ならば、この状況で苦しいのは自分だけなのだろうか。 ドゥータスが持っている石があれば息ができるんじゃなかったのか!!? 一瞬、この状況に陥れられた罠か何かと勘繰りたくなるほどにゾロは息が苦しくなり、対称に平然としているドゥータスに腹が立った。 ボカリと大きな空気が口から零れた。これ以上はやばい。 と、ゾロの様子に気づいたドゥータスがゾロを見て、慌てる表情を視界にゾロは最後、意識を飛ばした。 ゆらゆらと揺れる体に意識がゆっくりと覚醒していくのが自分でもわかった。 慌てて、は、は、と息を吐き出し、それからゆっくりと深呼吸をする。 あぁ、自分はどうなったのだろうか。現状把握はまだできていない。ただ・・・・他には何もわからないが、今生きているのだけはわかった。あのまま死んだという事はなかったようだ。まわりがゆらゆらしている割に、体の感覚はきちんとある。 重い瞼をなんとか持ち上げて、視界を手に入れる。 目の前には、心配そうに自分を見つめるドゥータスが写り込んだ。 「ここは・・・。」 まだぼんやりとした頭を降ってなんとか意識をクリヤにする。ドゥータスがほっとするのが視界の端で見えた。 倒れてただろう体をゆっくりと起き上がらせる。多少まだ体が重いが、大丈夫だろう。 「海の底の、セレンのいる空間だ・・・。」 ドゥータスの解説ともいえない説明に、視線を巡らせて改めて回りを確認する。 「悪かった。」 ドゥータスの謝罪が何を意味しているのかわかってゾロは首を振った。 「いや・・・。辿りついたならいい・・・。」 「ゾロが気を失った後、すぐにここに辿りついた。」 一体どういう原理かは分からないが、兎も角辿りついたことをよしとする。 と、気配を感じてはっと振り向く。 この気配は知っている。あたりまえか。敵意があるなしは関係ない。今まで常に近くで感じていた気配だ。なんだか懐かしいくらいだ。 ゾロに遅れて、ドゥータスがゾロの視線を追う様に、振り返った。 そこにいたのは、サンジだった。 「持ってきたか、石を・・・。」 サンジの声は穏やかだ。 コツコツとどこにあるのかわらない床から足音を響かせて近付く。 回りは何もないただの真っ白い空間。床もあるように見えないから足音が響くのが妙におかしい。が、そんな事を不思議に思っている暇はない。兎も角、息は整い体も落ち着いた。 近づくサンジにゾロは立ち上がって、真正面に向かい合った。 「クソコック・・・。帰るぞ。」 「それはできない・・・。」 ゾロの言葉に即答するサンジの表情からは、何も読みとれない。いや、読みとらせない様にしているのか。 「どうしてだ?今なら、あのセレンとかいう女のいいなりにならなくても、ここから一緒に逃げ出せるんじゃねぇのか?」 サンジ以外の気配を探るが、どうにも彼女の気配は感じない。この空間とは違う場所にいるのだろうか。ならば、一緒に船に帰るのは容易な気がする。それとも、彼女はこの様子の全てをどこかからか見ているというのだろうか。 ゾロの推測は当たらずとも遠からずのようだった。 「彼女は全てわかっている。逃げる事は許されない。」 チッと舌打ちする。が、サンジは気にせず、言葉を続けた。 「それに、どうせこのまま船に戻ったところで元の海には戻れない。また、前みたいに出口のない空間を堂々巡りするだけだ。」 それは、サンジがセレンと姿を消した、最初に味わったあのなんとも不思議で辛い時間の時のことだろうか。 ならば、やはりセレンを倒すしか方法はないということだろうか。 サンジはゾロに説明ともいえない説明を告げると、今度は隣に立つドゥータスに視線をくれた。 「セレンがあんたの事を覚えていないから、俺はあんたの事がわからない・・・。」 少し戸惑った様子でサンジはドゥータスを眺める。 ドゥータスは軽く苦笑して、事の一通りをサンジに説明した。それは、鳥居の時よりも完結な話だったが、どうやらサンジにはある程度事の顛末が理解できたようだった。 その間ゾロは、己はその話には関係ないとばかりに腕を組んでそのまま横になってしまった。セレンがここに来るのではと心配だったが、どうせ急いでも仕方がない。その時はその時だと、寝ているようだ。いや、寝ているよう、ではなく寝ているのだろう。ただ、眠りはずっと浅かった。その理由は、目の前の男の存在で。 ぼんやりしつつもゾロが目覚めると、「そうか・・・。」とサンジはいつの間にかあぐらをかいて煙草を吹かしていた。元々不思議な空間なのだ。この海の底で煙草が吸えるのは不思議な感じだが、敢えてそれに突っ込むつもりもなかった。 いつの間にか3人で座り込んでいた。いや、ゾロは横になっていたが似たようなもんだろう。話を終えるとよいしょ、とサンジは立ち上がった。「おい。」とゾロは目を開けてサンジに声を掛ける。サンジは首を傾げてゾロを見つめる。それだけだったら船の上でのいつもと変わらない。そんなやりとりだ。だが、今は目に見えない大きな壁が二人の間に出来上がっている。 ゾロは。ふと心配になった。この男は見た目も様子も今まで何ら変わりがないようだが、もしかしてすっかりセレンの虜にされてしまったのだろうか。だからこそ、仲間を前にしてもセレンを庇い、戸惑いなくここに戻って来てしまったのだろうか。 思わずゾロは立ち上がったサンジの腕に手を伸ばした。 掴まれた腕に、「ん?」とサンジはゾロを振り返る。 彼の瞳には、なんら以前と変わりない光が見えた。何も変わらず、何気ないサンジの様子にゾロは自分が今考えたことに羞恥した。目の前にドゥータスだっているのに。 ここにいる女神に会いに来た男の方に視線を寄こす。そういえば、この男は多少なりとも記憶が薄れていたとはいえ、ずっと愛する女が他の男といるところをただただ耐えて見ているしかできなかったはずだ。その男の前で、嫉妬めいた事を口にするのは憚れた。何より、それはゾロらしくない。サンジだって自分で好きこのんでこの場に留まっている訳ではないのだ。そう・・・・思いたい。 ぐっと歯を食いしばる。 ゾロの様子にサンジは眉を顰めるだけで、何も言わない。それが、ありがたかった。気にせず、汚れてもいない腰の汚れを払い、サンジは腕を掴まれたまま「さて。」とゾロとドゥータスを振り返る。 「で?行くんだろ?セレンのところへ・・・。」 「え?・・・・あぁ。」 ドゥータスの話を聞いて、力になることにしたのだろうか。ゾロは、じっとサンジを見つめた。 今までの男はどうだったかわからないが。今回、セレンは最初、サンジの意識を奪って半ば力づくでサンジを己のモノにしてしまった。サンジが捉えられ海に連れて行かれたその後、海の中でどのようなやりとりがあったかはわからない。 ただ、ゾロ達にわかったのは、自分の仲間の船が無事に外海に辿りつく交換条件として、サンジがセレンの元に留まる事を決意したことだ。 敢えて今のサンジは何も言わないが、今のサンジの様子からその交換条件の際にサンジの記憶や感情を奪った様子はない。状況を考えてセレンの元から逃げるのは不可能だと判断し、納得して留まっているようだ。感情まで彼女に囚われているとは思えない。 しかし、他人が同じ空間にいるとはいえ、まるでゾロとの過去がなかったかのように振る舞うのは、嫉妬めいたことは口に出来なくとも、なんだかゾロには腹立たしかった。 全て無事に解決したら、思い知らせてやる。 ゾロは目で訴える。サンジは、煙草を吹かしてそれに気づかない振りをする。 兎も角、ドゥータスの事があるので、ここでサンジと揉める時間はない。のんびりして置いて何だが、彼には時間が残されていないのだ。 チッと舌打ちした。それを打ち消すことなく、ゾロも立ち上がる。ドゥータスもそれに倣った。サンジはプカリと煙を吐き出す。 立ち上がった二人を横目で見て、サンジはぶっきらぼうに告げる。いつの間にか、掴んでいたゾロの手はサンジの腕から離れていた。 「俺ぁ、なにも他人の色恋には興味は無い。セレンの所には連れて行くが、それだけだ。」 いつもならゾロもそれと同じ事を言うだろう。いや、もっと関係ないと素知らぬ顔をするかもしれない。が、今回はそのドゥータスの行動如何で、自分たちの状況も変わってくるのだ。そして、サンジが自分の元へと帰ってくるのかも。もちろん最終的には、ドゥータス達よりも自分たちの状況を優先することがあるだろうが。 背中を丸めてサンジは先に歩き出した。その後ろをゾロとドゥータスは付いていく。何故だかわからないが、何かサンジは不機嫌だ。一体何が不機嫌なのだろう、とゾロはそっとサンジを伺った。 ぶつぶつと呟く声ははっきりとは言葉になっていなかったが、その様子からゾロにはサンジが何が言いたいのかわかってしまった。 怒りたくても怒れないのだ。 せっかくサンジがセレンの元に戻ると決心して。だからこそサニー号は無事に航海に戻れるはずだったのに、ドゥータスが余計な口を挟んだことにより、サニー号は、場所は多少違えどまたセレンの操る空間に入り込んでしまった。いや、ドゥータスに会えなかったとしても、きっとサニー号はここに来ただろう。これでは、一体サンジが何故セレンの元に留まる決心をしたのかわからない。サンジからすれば、この状況は余計なお世話だったのだ。でも、彼らは来てしまった。己の為に。 しかも、ここに訪れた男はセレンの愛する男だ。愛する二人を想えば自分には関係ないとはいえ、同情の余地はある。だからと言って彼らの面倒を見る理由はないのだが、それを縁をとして仲間達がここに来てしまった。しかも、ここに来たのが今一緒にいる女の愛する男だと言われたら、その女にどんな感情を抱いていようともほっとくことはできない。世の全ての女性の味方を自負しているサンジならでは、女性の幸せは最優先だ。特に放置するわけにはいかない事由なのだ。 怒るに怒れない状況にイライラしているのがわかった。 お互いに恋愛感情を持つようになったとはいえ自分たちには縁遠いと思っていた内容に縁近くなり、ゾロは苦笑するしかなかった。 セレンを切るとは言ったものの、こいつの出番はないのではないだろうか。ゾロは、手に馴染んだ刀をそっとなでる。 何もない空間をただひたすら歩くという、不思議な状況にも関わらず、黙ってサンジの歩く後ろを付いていくことに違和感を抱きながらも只管ついて行く。 普通に考えて距離は大して歩いていないだろう時間を経て見れば・・・。 気づけば、そこはまるで花畑のような場所に辿りついていた。一体ここは、とゾロは眉間に皺を寄せる。一瞬、気を余所に逸らしたタイミングで瞬間移動したみたいに感じた。 ゾロの後ろをそっと振り返れば、当然ドゥータスもついて来ており、彼の様子は驚きで目を瞠っていた。この場所をどうやら知っているらしい。 いや、知っていると言えば自分もだろうか。この海に来る前、みんなで辿りついた島の社の奥に不思議な空間として存在していたドゥータスのいた空間に似ている。 ただなんとなく違うと感じるのはその空間からただよう雰囲気というものだろうか。似ているが違うということだけしかわからないが。 驚きに立ち止まっていると、ざわ、と空気が揺れた。いや、風が吹いたと言っていいだろう空気の流れだ。風が吹いた? 見た目は同じでも、漂う空気の違う場所。 「サンジ・・・?」 美しい声が空間に響いた。船上での苦しげな声音はとうに消え、元の美しい女神と称する女の澄んだ声だった。 花畑の向こうに存在する木立の間から美しい女の姿が現れた。セレンだ。元々はやはり女神と称するだけあって、美しい。 少し怯えた風にトトトと軽やかに走り寄ってくると、セレンは何の躊躇いもなくサンジに擦り寄る。まるで恋人同士だ。その様子にチリリとゾロの胸に火が燻る。それはドゥータスも同じなのだろう。そっと伺えば、苦悩に満ちた表情を浮かべている。 サンジはといえば、やはり当然のごとく走り寄って来たセレンを受けとめている。セレンはサンジに抱きつくと、キッとゾロとドゥータスを睨みつけた。 「どうして彼らがここにいるの?」 声は美しいが、キツイ。まるで魔女のようだ。女神は容易に魔女に変貌する。 「サンジが連れてきたの?」 ゾロ達に対しては魔女セレンだが、サンジを見つめる時は女神に変わる。こんなにコロコロと変われるものなのか。女の恐さを感じるゾロだが、きっとドゥータスからすれば違うのだろう。 「セレン・・・・。彼が君に用があるそうだ・・・。」 そう視線をドゥータスに寄こすサンジに倣って、セレンは視線を向ける。それを受けてドゥータスが一歩前に進み出た。 「セレン。迎えに来た・・・。俺を覚えていないか?」 「あなた・・・・さっきの・・・。」 船上での出来ごとをまだ覚えているのだろう。セレンは眉間に皺を寄せて、ドゥータスを睨みつけた。過去、この男と過ごした日々はまだ思い出せないのだろう。反応は先ほどと変わらない。 「どうやってここに・・・。もしかして!?」 はっとするセレンにドゥータスは、そっと笑みを向ける。自分の事をまだ思い出してくれないのにも関わらず。その笑みは、最初船上でセレンと対峙した時とは打って変わって穏やかなものだった。どうしてそんな顔を向けられるのだろう。今だ自分を思い出してもらえないのに。 ゾロは冷静に状況を見極めようと見つめつつ、ドゥータスの様子に内心驚きを隠せない。やはり、何があっても愛する者を前にすると人は変わるのだろうか。 「そうだ。これだよ・・・。」 改めて懐から輝く宝石となった石を取り出した。場所が場所だからだろうか。船の上で見た時よりも、海の中で見た時よりも。何にも比べられないほどにその石は輝いていた。どうしたことだろうか。 今度はドゥータスもその石をセレンの前に翳す。掌の上で眩いばかりに光る宝石ともいえる石は、まるでセレンを呼び寄せるように輝いている。その光に惹かれるようにセレンはゆっくりとドゥータスに近づく。一歩一歩、ゆっくりとだったが、何かを噛みしめるように進みはゆっくりだ。 気にはしないでいたが、サンジに事のあらましを話した時も結構のんびりとした時間を過ごしている。今もまた、時が止まったわけではないのだが、なんだか時間がゆっくりと流れているようだ。誰もがこの時間を噛みしめるように佇む。己が消えてしまうまで、タイムリミットがあるはずのドゥータスもまるでその事を忘れたように穏やかだ。 ゾロは、気になった。この空間にいると自分まで時間を忘れてしまうようだ。そんな事はないはずだし、船の上で待っているルフィ達の事も気になる。しかし、なんだかこの空間にいることが気持ちよさを引き出すかのように焦る気持ちが湧きあがらない。一体、どうなっているのか。ただただドゥータスとセレンのやりとりを見守るしかない。それは、サンジも同様だった。 ドゥータスの掌の上にコロンと転がっている輝く宝石然とした石に手を伸ばす。 そっと触れる。その僅か手前でセレンの手が止まった。よく見ればその手は石の前で止まっている。それ以上手を伸ばして石に触れる事は、何か恐ろしい事でも引き起こすのではないかと言わんばかりだ。 どうして。船の上だとなんとかして取り戻したがったはずなのに。今は、その石に触れることが恐ろしいとセレンの表情は言っている。原因はこの空間なのだろうか。でなければ、今までにない輝きを放つわけはないし、セレンも怯える訳がない。 留まった手をまるで勇気を振り絞って触れる。そんな様子で、ピクリと指先が少し動いた。が、もう少しで、セレンの指先が石に触れそうになった時。ふっとその石が脇から差し出された手によって奪われてしまった。 「え!?」 「サンジ!?」 横から石を奪い取ったのはサンジだった。今まで二人を見守るようにしていたのに。セレンにドゥータスを会わせてくれたのに。一体どうして?という疑問がドゥータスの顔に浮かんでいた。それはゾロもそうだろう。 この場所でセレンがその石を触れる事によって、何かしら進展が見られようとしていたのに。セレンの様子にサンジが口を開いた。 「本当にいいのか?」 誰もが驚く中、サンジはセレンではなく、ドゥータスを見つめている。それは何を意味しているのか? 「サニー号の上と違って、ここでセレンがこの石に触れると言う事は・・・・お前は消えちまうんじゃねぇのか?」 サンジの言葉にドゥータスの眉がピクリと動いた。ゾロはどういう事だと眉を顰める。セレンでさえ、事のしだいがわかっていないようだった。呆然とサンジを見つめている。 「最初にここに来た時、セレンが言っていた言葉の意味がわからなかったが、今になって漸くわかった。その石の正体は・・・。」 ぐっとサンジは手の中の石を握りしめる。それは場所柄だからだろうか、サンジはすでにここの住人になったからだろうか。サニー号でナミが触った時と違い、ただの石ころに戻らずに光り輝いたままだ。サンジの言葉にドゥータスは表情が険しくなる。ゾロは、サンジが何を言いたいのかさっぱりわからなかった。じれったい。 「どういうことだ!さっさと説明しろ!!このクソコック!!」 普段は人の話など聞かないくせに、とサンジは苦虫を噛みしめる。そんなゾロの怒鳴り声に怯むでもなく、サンジはドゥータスを睨みつけたまま一歩下がった。 「セレンにこの石を渡す前に、きちっとセレンの記憶を取り戻しやがれ!このクソやろう!!」 まるでゾロの怒鳴り声に反応したようにサンジは声を荒げるが、その対象はドゥータスだった。 「それからこの石を返してやる!!」 握りしめた石をぐっとそのままポケットに入れて、サンジは踵を返した。一体どういう事かわらないままゾロは「おい!」とサンジの肩を掴む。肝心のドゥータスとセレンは茫然とサンジを見つめたままだ。 ゾロの呼びかけに、「行くぞ!」とだけ告げ、掴んだ肩もそのままに移動を始めたサンジにゾロは意味も分からずついていくしかなかった。 セレンとドゥータスはただその場に立ち尽くしたまま。 暫く黙ったまま歩けば、気付けば花畑から外れにある森の入口のような場所に移動していた。目の前にはいつの間にか、木々が鬱蒼と生い茂っている。何時の間にこんな森がとゾロは一瞬驚いたが、それ以上はふぅと息を吐いただけだった。この不思議な空間は、予想だにしない場所へと場面転換するらしい。 一本の大きな木の根元に辿りつくと、サンジはよいしょと座り込んでしまった。ドゥータスとセレンの姿は、遠く小さな影としてしか認識できないが、その場で何か話し込んでいるように見える。 「どういうことか、説明しろ。」 ゾロもサンジの隣に座りこんで、大きな幹に凭れる。 「セレンは言ったんだ。俺にオールブルーに連れて行くと。」 「あぁ。知ってる。最初にあの女はそう言ってた。」 ゾロの言葉にサンジはチラリとゾロを横目に見た。が、また真下を見つめてポツリと答える。いつの間にか、煙草は新しいものに変わっていた。 「それは今じゃない、と。いつかは連れて行く。だが、それまではずっとこの海で泳いで暮らすんだって言ってた・・・。」 意味がわからない、とゾロは眉を顰めてサンジを見つめる。 「いつか・・・?」 「これ、何だかわかるか?」 さきほど、しまったポケットから光り輝く宝石のような石を取り出す。こうやって見ると石というよりやはり宝玉のようだとゾロは口にせず思った。 「さあな・」 「これよ・・・・たぶん、あいつの魂が具現化したものだ・・・。」 「たましい?・・・・ぐげんか・・・?」 一体、サンジは何を言い出すのか。ぽかんとするゾロに視線を移して、サンジは苦笑した。 「ここに来て・・。確かに、この海はオールブルーほどではないにしろ、美しい。気晴らしに、何度かこの海で泳いだよ。でよ。最初、この海に一人で潜った時にはまったく見られなかったが、セレンと一緒にいるとあちこちの海底で石が光るんだ。特にセレンが謳うと光が増した。それが何だかわからなかったし、セレンも何も言わないから触れることもしなかった。最初、俺の知らない海に住む貝の類かと思ったんだ。俺1人の時は光った石がないのに、セレンと一緒だと光っている。不思議に思って、セレンに聞いたら宝物だと言っていた。結局、触ってみても貝でもないし不思議だったんだ。が、さっきあの男が手にしていたのを見てわかったんだ。同じものだ。これ・・・。」 だから何だと言うのだろう。ゾロは、わからん、と首を捻る。 「セレンは詳しいことは何も言わない。だが、俺のようなヤツが過去何度も存在していたのは教えてくれた。もはや名前もわからないほど多くの男がいたらしいが・・・。だから推測だが・・・。いや、多分当たっている。あの男を見て、なんとなくだが、わかった。」 「そりゃあ・・・。」 ゾロは不安をちらりと声音に出した。珍しい。が、サンジは気付かないまま、話を続ける。 「たぶん、ここにいるからこの海の影響なんだろうな・・・。この海で死を迎えた、セレンに取り込まれた男たちの魂がこの石になってここに留まってるんだ・・・。声が聞こえるわけじゃないし、もはや姿も見えない。気配も実際あやふやだ。お前は特にこの海で過ごしていないからわからないだろうが・・・。だから・・・確信は持てなかったが。だが、あいつの話を聞いて、なんとなくわかったよ。わかるかわからないほどの小さな気配。この石からは、あの男の気配がほんの少しだがした。だが、それまではあの男の気配はまったくもって欠片も感じたことはなかった。」 それはきっと、ドゥータスの魂が島の鳥居の向こうに閉じ込められていたからだろう。 「じゃあ、これは、この海に辿りついて、元々自分の魂だった器の石を見つけたってところか?」 ただこうやって一人だけ姿が見える理由はわからない。きっとこの場にロビンあたりがいたら、何かしら解説してくれるだろうに。 どちらにしても、ドゥータスが人の姿になれるのは、たった一人、鳥居の向こうに魂だけ閉じ込められた事が何か起因しているのだろう。サンジはドゥータス以外の男はこの海で見たことがないと言った。過去、今までの男の魂は石に閉じ込められ、思念だけをこの海に残し、彷徨っているのだろうか。 だから、普段はただの石ころだが、セレンが近寄ると光り輝くのだろう、と言うのがサンジの推測だ。だったらセレンがこの石だったものを光り輝かせて宝物と称したのもなんとなくわかる気がする。一人寂しく過ごす女神は、身近に誰もいない時は海のあちこちに光る石、宝玉ともいえる宝物に囲まれて過ごしたのだろう。 「俺の夢である海。オールブルーも・・・連れて行ってくれると言っても、きっと死んで石ころになってからだったんだろうな。このままじゃ、俺はこの海域からは出られなかったし・・・。」 不思議な空間は、ドゥータスが過ごしていた鳥居の向こうと同じ情景をしているのに、なんだか雰囲気が違う。やはり、同じ様でいて実は違う空間なのだろう。だからこそ、会えなかった。 まだまだ謎の部分はあるが、要は、この海で過ごした男たちは死ぬと何故か魂が石となってしまうのだろう。そして、ずっとこの海に、いや、セレンに囚われたままこの海底で過ごすのだ。セレンが近寄ると輝くのはそういうことだ。しかし、いつまで魂が囚われたままなのか。死んでからの話だったらそれこそ永遠に? セレンと過ごした男は亡くなると、石になってしまう、またはセレンが石にしてしまう。そうなると一人寂しくなり、途端、次の相手を求める。そうやって、彼女は何年も何十年も何百年も過ごしたのだろう。海底に潜む光り輝く石は、セレンに魅せられた男たちの慣れの果て。 そして、これもまた理由はわからないが、たった一人、最初にセレンと恋に落ちたドゥータスのみ、島に魂を囚われてしまったので、このような姿を見せることができるのだろう。ただ、同じよな空間にいても会うことはかなわなかった。 「ってかよ。死んじゃったら、会えないし、しゃべれないのが、普通じゃねぇ?」 「そこは、ブルックの例もあるし・・・。ま、死んだ後の事は、わかんねぇがな・・。」 「そうだな。」 海賊として生きている以上、お互いの死に目さえ会えないかもしれないのは承知の上だ。承知の上でこそ、自由奔放に付き合っていると言ってもいいだろう。 しかし、このままだとここで別れることになる。これは、自分たちの納得している範疇ではない。だからこそ、ゾロはここに来たのだ。本来の目的は隣に座っている男だ。 「セレンの記憶が戻らなかったとして、あいつらは再び出会ったんだ。このままお前は船に戻るんだ。」 「無理だ。」 ゾロの言葉にサンジは即答した。どうして。遠く見守る景色の中に、二人が話し込んでいるのがわかる。船上での出来ごとが不思議なほどに、穏やかな風が流れている。ここが海の底だという事を忘れてしまいそうになるほどに。 そんな温かい空間に一気に冷たい風をサンジは起こす。 「どうしてだ?あいつらあんなに仲良さそうに話し込んでるじゃねぇか。お前の変わりにあいつが来たんだ。だからもういいだろうが。」 「どうしてだが、上手く説明できないんだが、わかるんだよ。そもそもあの男は、一旦死んだんだろう?あの姿を見せていることはありえない事だったんじゃねぇのか?」 「ぅっ。」 サンジの指摘はもっともだ。だが、今は姿が見えるじゃねぇか。それでいんじゃねぇのか。万々歳じゃあねぇのか?ゾロの視線にサンジは苦笑した。 「あの男はそのうち消えるよ。」 サンジの指摘は、船の上でドゥータス自らが言っていたことだ。だが、この世界にいれば大丈夫なのじゃないのか。 「理由はわかんねぇけど。本来の姿であるこの石に戻るんだよ、あの男は・・。」 ポケットから出した輝く石は、今は少しくすんでいる。遠く離れたドゥータスにもう一度目をやれば、なんだか姿が薄い気がする。指摘しなければ分からないぐらいだが。 「あいつは、元々閉じ込められていた空間の封印が解けたからここに来ることができたし、その空間を壊した事が原因で姿を消すと言っていた。」 サンジは首を振った。 「だから・・・。元の姿に戻るだけだ。しゃべれない石ころになっちまうんだよ。」 それは二人にとって幸せと言える結末なのだろうか。 「で、あいつは石ころになって、全てが終了。なにもかわらない。」 だったら、何故、ドゥータスはここに来たのだろうか。元々はただ会うためだけじゃなかったはずだ。セレンのこんな愚行をやめさせるためだったのではないのか。 この空間の優しい雰囲気に囚われていたのか、ついサンジとゆったりとした時間を過ごしていた。いつもなら、久しぶりに会ったのなら、こんなに穏やかに話し込むことはしない。お互い獣になり下がって、お互いをむさぼりつくすほどに抱き合うのが二人の常だ。よくよく考えたら、らしくない行動をしている。 ゾロはふらりと立ちあがった。人の為に、なんて事は言わない。こんなのは自分たちではない。 「ゾロ?」 やっぱり全ての現況であるあの女をぶった切るしかないだろう。 ゾロの回りに浮き上がった不穏な空気に、サンジも思わず釣られて立ち上がる。 「だったら、全ての元凶を切る。」 たった一言だったが、全てを理解したのだろう。サンジが慌てて、ゾロの肩を掴む。 二人を纏う不穏な気配がわかたのだろう。向こうで話をしていた、セレンとドゥータスは不振な目でこちらを振り返った。その様子からだと、確信は持てないが、やはりセレンはドゥータスの事を思い出せたという感じではないようだ。 二人が振り返ったのを機に、ゾロは足を一歩踏み出した。 「止めろ!!ゾロっっ!!」 サンジの叫び声を背中に張りつけたまま、ゾロは刀を手にダッシュをかました。 |
14.10.3