魔女のいる海域 6
「ゾロッッ!!」 「サンジッッ!!」 誰が叫んだのか、二人の名前が船内に響く。が、どちらも返事を返す余裕もないまま対峙する。 ガキイイィィィン!! ゾロはサンジではなく、セレンに向かっての攻撃だったのに、手前にサンジが立ち塞がる。ゾロの刀をサンジの足が受けとめる。 サンジは靴の裏でゾロの刀を受け止めた。ゾロの刀とサンジの靴。お互いにギリギリと音を立てそうなほどに震えている。 視線もまたお互いを掴んで離さない。 「お前・・・・!!」 「レディに攻撃するヤツは、例えお前でも許さん!」 その瞳はサンジが操られている訳ではないことを証明した。 確かに、この目の前の男はそうだったとゾロは思い出す。サンジは、いかなる時でも女性には手をあげない。そして、上げさせない。どうしても、女性と闘う場合は彼の目の前で闘ってはいけないのだ。 それはわかっていたはずなのに。ゾロは舌打ちした。 お互いにバッと離れて距離を取る。 「お前!!この状況でわかってんのか!!」 ゾロの雄たけびは、船内に響く。が、それがどうしたと、とサンジは顎を上げた。後ろで控えるセレンは、サンジの庇護を当たり前に笑みをたたえたままだ。 「わかってないのは、お前らの方だ。何故、戻ってきた!?」 目を細めて、サンジはゾロと対象に冷静な声で告げる。ゾロの眉が跳ね上がった。 仲間が助けに来たというのに、まるでそれが迷惑だと言わんばかりのサンジに思わず胸倉を掴みたくなった。 カッとなるところを後からルフィがゾロの肩を掴んで抑える。はっとしてゾロは振り返った。 「ルフィ・・・。」 ルフィの後ろに、ナミが、ウソップが、そして、船の仲間みんなが並んでサンジを見つめている。みな気持ちは同じなのだ。サンジを助けたいのだ。 ルフィは一歩前にでる。ペタリと草履の音がなんだか緊張感を削ぐが、これがルフィだ。ただ珍しく、ルフィの表情はいつになく真剣だ。そうだ。彼は仲間の為なら何を持ってしても闘う。 「サンジ。向かえに来た。」 「・・・。」 サンジは答えない。 「一緒にこの海を出よう。」 「・・・・。」 サンジの眉がピクリと動いた。 「お前の夢はここじゃないだろう?」 ギュッとサンジの口元が引き結ばれる。 「なぁ。俺達と行こう。」 サンジの唇がゆっくりと開く。その口元は「行く。」と紡ごうとしていた。ゾロにはそう見えた。が、そう事は簡単にいかない。 「俺は・・・・・行かない・・・。」 「サンジっっ!!」「サンジくんっ!!」 その答えに誰もが驚きを見せる。どうして、と呟いたのは誰だろうか。 みんなの呼びかけを振りきるようにしてサンジは背中を向けた。 「お前ら・・・こんな所で時間を潰している暇なんかないだろうが・・・。」 声に力がないのは何かを耐えているのだろうか。 「ダメだ!!」 ルフィは叫んだ。今度は、叫び声のようにサンジの背中に訴える。 「俺はお前の下船を許していない!!」 ルフィの言葉にサンジの肩がピクリと跳ねた。 「この船を降りるならきちんと俺の許可を取れ!!」 途端、サンジはガバリと振り返った。その表情が泣いているように見えたのは、ゾロの見間違いだろうか。 「ルフィ!!お前っっ!!お前らこそこの状況わかってないだろう!!」 ぐっとサンジが詰め寄ってルフィの胸倉を掴んだ。 「船長命令なんて知らねぇ!そんなもん関係ないだろうが!!このままじゃ、お前らまたこの海に捉まったまま永遠にここで彷徨うことになっちまんだぞ!!こんなことやってたらお前らだって困るだろうが!!」 一気に叫んで睨みつける。が、そんなサンジの睨みもルフィに効くはずはない。 「こんな海、関係ねぇ。俺がぶっとばしてやる。」 サンジの瞳を受けとめてルフィは告げた。 サンジの目が大きく見開く。 「俺だけじゃねぇ。ゾロだっている。ここから一緒に出るんだ。」 サンジは視線をルフィから移した。ゾロを見つめる。その後には仲間が並んでサンジを待っている。 「・・・・できるわけねぇ。相手は神様なんだぞ!」 歯を食いしばって答えた。 「そんなこと関係ねぇ。」 ギリギリとお互いの主張を覆さないのに、焦れたのか、背後から神経を逆なでするような媚びた声が届く。 「サンジ。そんな相手、ほっときましょう。どうせ、この海から出られないんだから・・・・。放っておけば、そのうち死ぬわ。」 セレンの言葉にサンジはハッとして慌ててルフィから離れる。 「ちょっと待ってくれ!こいつらには手を出さない約束だ!!」 慌てるサンジにセレンは妖艶な笑みでサンジを引き寄せる。 「あら?それは前の話よ?この人達、自分からここに来たじゃない。ならば、もう放っておけばいいでしょう?ここは前の場所からはちょっと外れているから運が良ければ、外海には出られるかもしれないわ・・・・。彼らが自分でなんとかすればいいのよ。」 「それじゃあ困る!」 セレンに詰め寄るサンジは、困惑の色を隠せない。それがどういう意味か、分からない者はいなかった。 考えるまでもない。サンジは仲間達の為に自分を犠牲にして。サニー号が無事、外海に出て今まで通り航海できる様に、セレンの言う事を聞いているのだ。きっと交換条件になっているのだろう。 どうして彼はそう自己犠牲をするのか。いや、どうしてと考える必要はない。それがサンジなのだ。 なんとかセレンの機嫌をとって、サニー号を元の海域に戻そうと必死だ。まるで姫に跪き、忠誠を誓う騎士のようだ。 しかし、その姿はいつもナミやロビンに対して見せる態度とは程遠い。確かに普段からナミやロビンに対してサンジは媚び諂っているが、それは見た目のただの単に軟派な態度からではない。サンジは、彼女らに敬意を払っているからこそ出せる態度なのだ。今のセレン相手のような不本意は思いが根底にあるのとは訳が違う。 こんなサンジは見たくなかった。 いつも女性に対して腹が立つほど態度が軟派で情けない様相を見せているが、根底の所で彼はきちんと男としての信念もあるし、男らしさだってある。だから、ゾロも何も言わない。 だが、今見せている態度は何なのだ。これはサンジではない。たとえ、仲間を救うためだとはいえ。 ゾロはふつふつと怒りが湧きあがった。それは、きっとルフィも他の仲間も同じなのだろうが、一生を約束した相手として選んだゾロからすれば耐えがたい屈辱にも似た思いだった。 がばりと刀を降って前に進み出る。 「どけぇ!!そいつは俺がぶった切る!!」 「ゾロっっ!!」 突然、豹変したゾロの様子に誰もがギョッとする。 カチリと手にしていた刀を再び構える。 カツカツと歩を進めた。 途端、ばっとサンジがセレンの前でゾロに立ち塞がる。 「どけぇ!!サンジ!!」 「ダメだ、ゾロっっ!!」 サンジの声が悲痛に響く。 緊迫した二人の間にまたもや媚びた嫌悪感露わな声が割り込む。 「切ってごらんなさいな。」 両手を広げてゾロの前にはだかるサンジに後ろからしな垂れかかったセレンがフフフと笑った。まるで見せつける様にサンジを抱きつく。 「貴方が私を切る前に、この素敵なナイトは私を庇って貴方に切られることになるわ。」 ゾロの目が細められる。わかっていることだ。だが、それを押し退けてもこの女神と称する女を切るはらづもりだ。 「無駄よ。例え私を切ったとしても、この海から逃れることはできないわ。貴方達は一生この海に囚われたまま・・・。」 セレンの言葉にサンジはセレンを見つめる。どう彼女を説得しようかと、口を開け閉めして戸惑っているのがわかった。その様子がセレンには面白かったのだろう。 ふっと笑うと腕に絡めていた手をサンジの頬に添え、顔を寄せた。 チュッと軽く唇に触れるキスを送り、チラリと挑発するようにしてゾロに視線を投げる。 ゾロとサンジの関係をわかってて見せつけた女にゾロははらわたが煮えくりかえった。視線で人が殺せるのならばきっとセレンは死んでいただろうほどの強烈な視線に、セレンはクスクスと笑った。まるでそんな眼では自分は死なないと言っているかのようだ。もちろん彼女が本物の女神ならば、どちらにしても死ぬことは無いだろうが。 それに先ほど言ったではないか。切られてもこの海から逃れられないと。それは、彼女が死なないと言う事を意味しているのではないか。そんな意図を感じた。 セレンはなおもゾロを挑発する。 「そうね・・・・。でも、せっかくだから・・・・この船を元の海に・・・いえ。私と出会う前の海に戻してあげる。」 サンジがその言葉に反応した。 「本当か?」 思わずセレンの両肩を掴んで揺するほどの確認の声を出した。 「ただし・・・・。」 クスリと笑ってサンジを見た後、セレンはやはりゾロに視線を投げる。どうしてこうもゾロを挑発するのだろう。 「貴方が私に全てを捧げてくれてたら、考えて上げるわ・・・。」 セレンの笑みは深くなるばかりだ。 驚き目を瞠るサンジに、セレンはサンジの腕を肩から外して、今度は自分からサンジに抱きついた。先ほどの腕を絡めたものとは違う、明らかな抱擁。ギュッとサンジの首に己を腕を絡ませて密着する。 思わずウソップもチョッパーも顔を赤らめて逸らしてしまうほどに、それは艶を含んでいた。 サンジの耳に唇を近づけ、しかし誰からも聞こえる囁き声とは程遠い透き通る声で、セレンはサンジに告げる。 「なんなら、ここで私を愛してくれても構わないわ・・・。」 あまりの大胆さに、ウソップ達だけでなくナミまで顔が真っ赤だ。あまりにもふしだらな女神に声が出ない。これが本当に女神なんだろうか。 「それは、いくらなんでも・・・。」 誰もが絶句している中、サンジの声が困惑の色を見せていることだけが救いだった。 どれだけ軟派で女性にメロメロな姿を見せようとも、サンジの本質はこれでもかというほどに紳士だ。島に降りた時に何度となく女性に声を掛けても店でお茶をする程度、実際にはおしゃべりで終わり、それ以上は手を出さない。例え、相手の女性がサンジを気に入り、女性の方からベッドの誘いをしても「通りすがりの船乗りには気をつけた方がいい。」と釘をさすほどだった。そして、お互いを一生のパートナーと決めた時から、サンジはゾロにしか全てを見せなかった。ゾロもまた同じで。 だからきっとサンジはこの女神相手にも紳士でいるのだろう。それが、どうやらセレンには面白くないようだ。 この場には相応しくない空気をなんとか払拭したいのだろう。もどかしい態度は言葉だけでなく、態度でも現れた。これが本気でなければきっとスマートにかわせるのだろうが、なにぶん本気の相手に交換条件の内容。いつになくサンジの態度はぎこちなかった。 もはや憎悪というよりもプチと血管が1本切れた、という表現が正しいだろうゾロは喚いた。 「クソコック!!早くそんな女ほっといてこっちに来い!!んな女と乳繰り合ったら二度と」 「待ってくれ!!」 今まで何をしていたのかと怒りたくなる時間経過の中。漸く、男が動き出した。今まで一体何やってたんだと怒りたくなる。 聞きおぼえがあるのだろうか。サンジに抱きついていたセレンがピクリと反応した。声のした方を目を細めて見つめている。 海賊船の甲板上。一味の後ろから、船の乗組員ではない男が仲間の列を割って前に歩み出てきた。 漸くの登場にイライラしていたナミはほっと息を吐く。 「それ以上、口にするのは、ちょっと・・・。」 どうやらゾロのその先のセリフを言わせないがために出てきたという風体だ。 「てめぇ!!出てくんのが遅いんだよ!!」 怒りの矛先が変わる。無理もない。普通ならば、己の大切な女性が見知らぬ男性と仲良く絡まっているのに気分がいいわけがない。どうして、今まで後ろに隠れていたのか、本当に怒りたかった。 「セレン・・・・。」 男の口が大切だった女性の名を舌に乗せる。セレンは眉を顰めた。 「全てがおぼろげでぼんやりとした記憶しか残っていなかったが、漸く全て思い出したんだ。自分の名前も君の名前も、あの時何があったのかも・・・。」 どうやらセレンが現れてから、記憶が混濁していたのだろう。ロビンが付き添うようにして男の肩に手を添えて支えていた。その為にずっと今まで後ろに控えていたのだろう。良く見れば男の表情は、まるで先ほどまで苦しみのたうち回ったかのように苦悩の色を残している。良く見れば全身汗びっしょりだった。 しかし、ようやく落ち着いたらしく、男は一歩前に歩み寄った。 が、セレンはそれに合せてサンジに更に抱きつく。 「貴方は誰?私は貴方なんか、知らない。」 眉間に皺を寄せてまるで相手に嫌悪するようにサンジに縋りつく。 セレンの様子に驚きで固まってしまったらしい。男の動きが止まる。 「ドゥータス・・・。どういうこと?」 後ろからナミが訝しんだ。 「二人が出会ったのは遥か昔の、遠い過去のことだもの・・・・。忘れてしまっても仕方がないわね・・。」 ドゥータスを代弁したのはロビンだった。きっとそういうことだろう。でも、どうして?ドゥータスは全てを思い出したというのに、ずっとこの場所でドゥータスを思い続けていたセレンはどうして忘れてしまったのだろう。 「セレンの寂しさが、多くの男を引き寄せ。それによって彼を忘れてしまった・・・・。」 「そんな・・・・。」 サンジに抱きつくセレンに誰もが絶望する。 「ドゥータスが現れたことにより、セレンは彼と再び結ばれて。サンジくんは無事に戻って来て、船も元の海に戻って・・・。みんな万々歳じゃないの?」 ナミの予測は海流にしか通用しなかったようだ。誰もがこの予想外の展開に絶句する。 そもそもドゥータスは一度は死んだ身だ。今は姿はあるのだが、このまま二人は結ばれる事はできるのだろうか。全てはドゥータスが亡くなった事から始まった悲劇だ。ドゥータスだって、この海域に入り込んでから姿を現わせることはできているのだが、本来ならば魂だけの存在で。それが、ずっと叶うのかはわからなかった。 それに。 本当に予想外の展開だったのだろうか。いや、話してたじゃないか。セレンはドゥータスの事を忘れてしまっているかもしれないと。サンジを助けられるかまでは断言しなかった。ここに連れて来れるのが精一杯だと。 半分予想していたことなのに、サンジが目の前に現れて失念していた。別にこれが最悪の事態ではないはずだ。 そう己の中を叱咤して、誰もがもう一度セレンに向き合う。 それはドゥータスも同じだったようで、やはりショックだったらしく固まっていた彼は、漸く口元をぎゅっと引き結んでセレンを見つめた。 突然後ろから現れた予想外の男にセレンは怯えながらサンジに縋りつく。サンジには何が何やらわからないが、今はセレンを庇うしかない。この男が何かしら鍵になるのはわかったが、サンジにはだからと言ってどうしたらいいのかわからないのだ。それは、ルフィ達も同じだ。 ならば、やはり宣言通り、セレンを倒すしかないのか。倒せば、この海域から出られる確証もないが、それしか方法はないと判断を下そうとした。 「少し話させてください。」 なんとかしてセレンの記憶を取り戻そうとドゥータスは改めてセレンに近づいた。 ギュッとサンジに抱きつくセレンにドゥータスは傷ついた表情を見せる。が、ドゥータスを覚えていないセレンからすれば、この男は不審者そのものだった。 近づくたびにセレンは怯える。まるで失った記憶が戻る事が恐ろしい出来事のように。 「ねぇ、サンジ。サンジ!お願い。あの男を倒して!!ねぇ。!!」 必死に近づく男を遠ざけようとするセレンに先ほどの自信に満ちた艶はない。何か恐怖から逃れようと必死だ。 サンジは迷った。確かにセレンの言う通りにして男を倒せば、もしかしたらサンジの願いであるサニー号を元の世界に戻すことは可能だろう。今のセレンの様子から頼めばそれは容易と思えた。 だが、この目の前の男と一緒にここまで来た意味があるのも事情がわからないまでもなんとなくだが、わかる。普段からどこかズれていたり的を外すことも多い船長だが、ここ一番は絶対の信頼がある。その仲間が連れてきた男なのだ。 サンジはキョロキョロと視線を彷徨わせた。 と、ゾロと目が合う。ゾロはコクリと頷いた。 未だ意志疎通が可能だと言わんばかりの自信に溢れた瞳。 サンジはギュッとセレンを抱きしめはするが、セレンの言う通り目の前に近づく男をたおすための行動は慎んだ。 男はギュッと握った拳を突き出す。 目の目に突き出された右手をただ見つめるセレンは、それでもまだ体の震えは残っていたのだが、何か引き寄せられるように突き出された手を見つめていた。 ゆっくりとその拳が広がっていく。指の間から何かしらキラキラと光が漏れているようだ。 セレンは大きく目を見開いた。 「それは、私の・・・。」 コクリとドゥータスが頷く。 セレンは目の前の男を見つめた。 広げた掌に七色に輝く玉がコロリと転がる。美しい輝きを放つそれを、セレンは思い出したように手を伸ばした。が、その手が大切な玉に届く前にドゥータスは玉を握りしめる。ぐっとセレンは詰まった。 「どうしてそれを持っているの!?それは私の宝物。この海のあちこちで輝いている私の大切な宝石たち。返して!」 キッと睨みつけるセレンにドゥータスは怯まずに睨み返す。 「この宝物の事を知っているのは、私の海で過ごした者のみ。どうして貴方がそれを持ってるの?」 「海に潜って、拾ったんだよ。」 嘘だ。拾ったんではない。取って来たのだ。 「嘘!そうやって輝くには、私の世界に訪れたことのある者が触れるしかできないことよ。よその世界の人間が触れたってただの石ころ。ありえないわ!」 「俺は君の世界に居たことがあるから・・・。」 「嘘?」 セレンの顔が強張っていく。 「思い出さないか?俺は君の海に住んでいた。ずっと、死ぬまで・・・。」 途端、セレンは大きく目を見開く。 わなわなと体を震わせ、サンジに抱きついた。 「サンジ!サンジ、お願い。あの宝を取り返して!私の大切な宝物。海で輝く宝石を取り返して!!あれは私のなの。大切な宝物なの。」 悲痛な叫び声を上げて、必死にサンジにお願いを繰り返すセレンにサンジは戸惑う。 サンジはセレンを抱きかかえながら、目の前の男、ドゥータスを見つめた。 まるで恋敵のように対峙しているが、本来はそうではないだろう。だが、この海に引き寄せられた時に操られていたとしても、今はきちんと自我があるサンジは、本心からセレンに恋焦がれている訳ではない。 セレンは思い出せないようだが、実際に恋仲だったのは、今目の前にいる男だったのだろう。それぐらいサンジにもわかった。 だが、怯え震える女性をこのままにしておけるはずもなく、サンジはセレンを抱きしめて甲板を歩いた。「サンジサンジ」と泣きながら抱きつくセレンを無碍にすることはできない。 サンジはセレンを抱き上げて、みんなを振りかえった。 「とりあえず、一旦引き揚げる。そのセレンの宝はのちほど俺が取りに戻るから、それまで大切にあずかっていてくれ。」 そう告げると、タンと手摺に飛び上がり、セレンを抱いたまま海へと飛び込んだ。 「待てっっ!!」 バシャーーン!! 行動を予測できたはずなのに、ゾロはサンジが海に消えるまで見守ることしかできなかった。 慌てて手を伸ばすが、一呼吸の差でサンジの姿は海へと消えた。 「海へ・・・・飛び込んだ。」 ウソップの呟きにロビンが解説のごとく説明してくれた。 「たぶん、セレンの状態からしてそうするしかなかったってとこかしら?」 今の状態だったら、攻撃できたのではないか、とは後の祭りだった。 誰もが驚くほどの怯えを見せたセレンには呆然と見つめることしかできなかったのは、魔女と言われる彼女の中に儚い女性を垣間見たからだろう。 静かにセレンの消えた海を見つめるドゥータスにゾロはポンと肩を叩いた。 「すまない。力になれなくて・・・。」 「こっちこそ、呆然としちまった。チャンスはいくらでもあったのに・・・。」 単に無情に攻撃できなくなったのは、どうしてか。明確な答えは出なかったが、なんとなくだが誰もが分かっていることだろう。 しかし、このままサンジが来ることを待っている連中ではない。 しかも。 「おい!どうした!!」 突然、苦しげな表情を見せたかと思うと、ドゥータスは蹲った。 「チョッパー!!」 慌てて呼ばれたチョッパーは駆け寄るとドゥータスを覗きこもうとして・・・。 「え!?」 チョッパーがドゥータスの肩に手を掛けようとして、すっとチョッパーの手がドゥータスの肩を通り抜けた。 慌ててもう一度掴もうとするが、同じようにすり抜ける。 「どういう・・・。」 「もう時間が・・・・。そっか・・・。」 呻きながら一人納得するドゥータスに誰もが見つめることしかできない。彼を医療室に運ぶことさえ今はできないのだ。 不思議そうに見つめる連中を苦笑を顔に貼りつけてドゥータスは顔を上げた。 「俺は、今こうやって姿を見せることはできるが・・・・元々は死んだ身だ・・・。」 ふと思い出す真実。 「俺の魂はあのお社に囚われてて見守ることしかできなかったが、それでもこの世に留まる事が出来たんだが・・・。」 「もしかして、あのお社を壊したことが原因?」 思いついたようにロビンが尋ねる。 ドゥータスはコクリと頷いた。 「あぁ、この海域はセレンが作った異質な空間だが、それでも俺をずっとこの世に留めておくことはできないんだ・・・。こうやって姿を見せることはできても、ずっと留まることはできない・・。」 ヒュッと息を飲んだのは誰だろうか。 「ここは時間の経過がよくわからないが、たぶんこの空間においても、俺はもうあと1日とこの世に留まる事はできないだろう。ここに来るまでにすでに時間はかなり経過している。」 そう言っている間にもドゥータスの姿は薄ぼんやりとしたり、はっきりしたりあやふやだ。これを繰り返してそのうち彼の姿は消えてしまうのだろうか。 腕組みをしたゾロは海の方へ視線を投げた。 「あいつらが来るのを待つ時間ってのは、もうないってことか・・・。」 サンジはまた改めてセレンの宝物を取りにここに来るとは言っていた。それは決定事項なのかもしれないが、時間としてそれがドゥータスのタイムリミットに間に合うのかどうか。 「じゃあ、こっちから行くしかねぇな・・・。」 有無を言わさず、ゾロは手摺に足を掛ける。ぐ、と身構えた。 「ゾロっ!!」 ルフィが俺も行くとばかりに前に進んできた、がそれは誰もが引き止めることになる。例え、魔女の海だろうが海には違いない。悪魔の実の能力者にはセレンの所へ行くことは出来ないのだ。 「待ってろ!」 ウソップ達に抑えられたルフィにゾロは、ニヤリと笑った。と、そこへ別の者がストップを掛ける。 「俺も一緒に行く。」 苦しげでもなんとか膝をついたドゥータスがゾロの腕を掴んだ。彼の消えたり戻ったりの症状は治まったようだが、苦しそうなのは変わらない。しかし、そんな事を言ってられないのも確かなのだ。 ゾロはドゥータスを見つめた。普段から強面で、仲間以外でゾロの真剣な瞳を受けとめる者はまずいない。大抵の場合、なにかとヤバイ連中だったり敵だったり。通常だったらゾロの強面のお陰で、島に逗留してても一般市民と目が会うことは滅多にない。大抵が向こうが視線をそらす。それだけ、ゾロの瞳には力がある。 「これを・・・。」 ドゥータスが手にしていたのは、セレンの宝物だと言っていた七色に輝く石だった。 「これがあれば、海の中に入って彼女の元へと辿りつける・・・。」 掌の上の石はこれ以上ないほどに、何も知らずにキラキラと光っている。あぁ、とゾロは思った。 「それがありゃあ、海の中でも息ができるってか?」 「・・・・そんな所だ・・・。」 ドゥータスの答えを聞いて、ゾロはコクリと頷いた。 「じゃあ、御同行してもらわにゃいかんな・・・。」 ニヤリとそれだで人が殺せそうな笑みを浮かべると、ゾロはドゥータスに手を差し伸べた。何の躊躇いもなくドゥータスはゾロの手を握った。今は、もう元に戻ったお陰か、しっかりとその手を握りしめることができた。 ぐいっとゾロが手をひっぱり、ドゥータスを起き上がらせる。多少ふらつきはしたものの、ドゥータスはぐっと力を噛みしめてゾロの前に立ち上がった。 「行くぞ・・・。」 ゾロの言葉にドゥータスは何の迷いもなく頷いた。彼からすれば、船で大人しく待っていても何も変わらないだろう。ただ、怯えて消えるのを待っているよりは、少しでも足掻いてセレンが元に戻る努力をした方がよほどいい。 二人して手摺に上ってセレン達が消えた海を見つめた。 「手を離さないでください。この石の力を借りて、彼女らの元へ行きます。」 「おう。よろしく頼むわ。」 お互いに視線を交わしてニヤリと笑うと、同時に頷いて笑った。誰もが声を掛ける前に、二人は宙に飛び出す。 ドボーーン 大きな水飛沫を上げて、ゾロとドゥータスはセレン達が消えた海へと同じように姿を消した。 |
14.06.20