いつか桜の木の下で1




吉原の大通りから一本、脇に入った通り。イースト通り。その通りにも、どことも同じような見世が並んでいるその一角。吉原では中堅どころと言ったあたりか。東海屋があった。
通り沿いの華やかな色合いを添える格子から奥へ奥へと向かい、敷地の最奥と言っていい、離れの間に1人の女が呻いていた。

「うぅ〜〜〜っっ・・・・・うわあぁぁぁぁ。」
「ほら、しっかり息を吐いて。もう出てくるよ!!」

部屋は壁の上方に小さな小窓が一つあるだけなので昼間でも日が入らずに暗く、淀んだ空気を感じる。家具や調度品はなく、4畳ほどの小さな部屋。その部屋の真ん中に女は蒲団の上で寝ていた。
女は、薄い湿った布団の上で仰向けになり、足を大きく開いている。苦しいのか、つま先は、布団に皺を寄せるばかり。その足元には、年老いた女が汗だくになって女性の股に手を差し入れている。
赤ん坊がもうすぐ生まれるのだ。
年老いた女は、産婆なのだろう。苦しんでいる女を叱咤して、自分も赤ん坊を取り出そうと汗を流している。


「頑張って、椿ちゃん!ほら、もうすぐ生まれるから、あとちょっとよ!!」

呻いている女の横には、また別の女がいた。呻いている女の手をしっかりと握って、彼女を励ましていた。呻く女が苦しい為握っている力が強く、その指が食い込んで痛いのにも耐えてただ只管、呻いている女を励ました。その脇にはまだ小さな赤ん坊がすやすやと眠っている。彼女もまた、ここで赤ん坊を産んでいた。

「ううううぅっっ。苦しいっっ!!」
「ほれ、いきむんだ!!」

「あああああっっっ!!」
「もっとだよ。もっといきんで!!」

産婆が一生懸命、赤ん坊を取り出そうとしている。なかなかすんなりと出てくれないのに、隣で椿を励ましている彼女も額に汗を浮かべて必死に声を掛けた。

「頑張って!!!大丈夫よ、私だって無事に子ども生んだんだから!!」
「あああああああっっっ!!!」
「出てきたよっっ。」

手を握って椿を励ましていた女、牡丹は、産婆の声に顔を向けた。
漸く生まれた子を産婆が抱き上げた。
だが、産婆が抱いている赤ん坊は息をしていない。とっさに産婆は赤ん坊を逆さ釣りに赤ん坊を叩いて刺激した。

「おぎゃあ!」
「!」
「おぎゃあ・・・おぎゃあおぎゃあ!!」

突如、大きく泣き声を上げて呼吸をしだした赤ん坊に3人ともほっとした表情になった。

「しかしまぁ、毛唐の子か・・・・。しかも男・・・・・まいったねぇ。」

腕の中で泣き叫ぶ赤子を見て、産婆は溜息をついた。生まれた子は綺麗な金の色の髪をしていた。

「それでも・・・・私の子・・・・抱かせて・・・・・。」

「椿ちゃん・・・・?」

今、母親になった椿はゆっくりと手を我が子に差し伸べる。が、なんだか様子が変だ。

「・・・!赤ん坊に気を取られてたが、様子が変だよ。」
「えっ!!そんなっ。くれはさん、なんとかして!!」

椿は手を我が子に伸ばして「はぁはぁ」と息も絶え絶えだ。

「出血が止まらない。・・・これはまずいね。」

手に抱いていた、まだ皺くちゃの赤ん坊を詰め寄る女性に渡し、慌てて懐にある医療鞄を寄せると、何かしら道具を取り出した。

「おねがい。くれはさん!」
「わかってるよ。しかし、こんな何もないところじゃ、ろくな治療が・・・・。薬も今ここにあるのじゃ足りないよ。しかも、取り寄せても間に合わない。」
「私、取りに行くわ。くれはさんの診療所まで取りに行けばいいんでしょ!」
「遠いよ。間に合わないかもしれない。」
「それでも行くわ。」

産婆は、ただの産婆ではなかった。優秀な医者のようだったが、なにぶん、彼女たち以外何もない部屋だ。出産ということで、桶に湯が軽くはってある程度の用意しかされていない。元々、店の方も面倒だと、もしもの対応の準備など前もってさせてもらえていない。

「私も油断したね・・・。出血が止まらない・・・。何かしら合併症を起こしているだろうけど、なにぶんここでは、どうにもならない。それに、この出産は時間が掛かり過ぎた・・・。椿の体力が残ってないから・・・・たぶん、もう無理だろう。」
「そんな!」
「ここで無理に命を延ばしても、先は見えている。この見世では、病人はロクな扱いはされない。いっそ、このまま・・・。」
「くれはさん!!」
「牡丹、聞きな。」

渡された赤ん坊を抱きしめて、牡丹はくれはを睨みつける。くれはは、まっすぐに牡丹を見つめた。医者というより、人生経験豊富な老婆という顔だ。

「赤ん坊を椿に抱かせてやんな。」
「・・・・・っ。」

牡丹は涙をぽろぽろと溢しだした。
まるで嘘をついているのではないかというほどに椿の様子が急変し、我が子に伸ばした手も力なく下がっていく。

「椿ちゃん。あんたの赤ちゃんだよ。おとうさん、きっと前ここに来た外国の人だよ。綺麗な稲穂のような髪をしてる。」
「・・・・・・。」

椿は涙を溢して、一旦は崩れ落ちた手を必死に我が子へ伸ばそうとしている。
牡丹は、椿の顔の横に赤ん坊を寝かせた。最初の産声ほど大きくはないが、まだ少ししゃくり上げているようにしている。赤ん坊の方は、もう大丈夫だろう。
くれはは、治療をする気はないのか、まわりを片付け始めた。

「名前、どうする。まだ決めてなかったっけ・・・。」

牡丹は笑顔で椿に話しかけた。
と、椿に赤ん坊を抱かせてやろうとする牡丹の耳に、突然ドカドカと五月蠅い足音が届いてきた。

「赤ん坊は生まれたか?どうだ、椿に似た器量よしの娘が生まれたか?」

ガラリと扉を開けたと同時にどなり声のような大声がその本人よりも先に部屋に入ってきた。
中に入る前に部屋の様子がおかしいことに、雑音としかいえない言葉を発した男は、「んん?」と眉を顰めた。

遠く、見世の方からは賑やかな声が小さく届いてくる。まだ、夜に向けて準備中だが、誰も彼もが忙しく動き回っているのだろう。
まったく扉一枚隔てただけでこの違いはなんだろうね。とくれはは、内心眉を顰めた。
その慌ただしい中、様子を見に来たのは、この見世の楼主、クリーク。

「なんだ?そりゃあ、毛唐の子か?しかも、男ときている。お前といい、椿といい。できりゃあ器量良しの娘を産めばまだしも、男なんざ、使えねぇじゃねぇか!」

クリークはその場に立ったまま、牡丹に吐き捨てるように、大きな舌打ちをした。
と。椿の様子に片目を上げる。
察したのか、くれはが聞かれもしないのに、椿の様態を説明した。

「椿はもう駄目だよ。元々、体力のない子だったが、どこか悪くしていたのかい?私ぁ、今の出産時しか呼ばれてなかったからわからないが、もしかしたら何かしら持病でもあったのかもしれんねぇ。」

睨みつけるようにくれはは、クリークに先に臨終とも言える宣告をした。

「あぁ?そうだったか?持病は知らねぇなぁ。まぁ、何にしても親がダメなら子ももう処分しちまおうか?男じゃ使えねぇし。」

クリークが嫌そうな顔を向けて非情な宣告を告げる。

「いやよ、この子は私が育てる。」

キッと涙を溢しながらクリークを見上げて牡丹が告げる。

「あぁ?てめぇ、二人も子ども育てようってのか?まぁ、構わねぇが、そいつらガキ二人分のメシ代も何もかもお前につけるぜ。いいのか?今なら、まだてめぇのガキ1人分で済むんだぜ?」

酷い言われようだが、盾突くことはできない。しかし、牡丹はクリークの言葉に反論した。

「構わない。この子はゾロと一緒に育てる。ね、椿ちゃん、いいでしょう?」

はぁはぁと息も絶え絶えの椿に、思い出したかのように牡丹は顔を覗かせた。
椿は、涙を溢して牡丹を見つめた。

「・・・・おね・・・・・が・・・い・・・・この子を・・・おねが・・・・・い。」

お互いに赤ん坊を挟んで、見つめあった。
同じ時期にこの見世に連れて来られて、小さい頃から一緒に女郎として教育された。ちょっとでも刃向かうと途端に折檻される。女の扱いがあまりよくない見世であることは同業者には知られていたが、だからといって助けてくれる者はいなかった。だからか、どんなに酷い目にあってもお互い励ましあって生きてきた。まるで姉妹のように生きてきた。
そして、どんな運命なのか、それぞれ順に赤ん坊を身ごもった。本来なら、産むことはできないはずなのに、二人して産むことを決意した。一緒に育てて行こうって、話し合っていた。
先に牡丹が子どもを産んだ。名前はゾロとつけた。椿の子が生まれて女の子だったら、将来一緒になってくれるかしら、とか、男同士だったら親友になってくれるだろうか、とか、まだ見ぬ赤ん坊の将来に話が弾んだ。
むろん女の子だったら、嫌でも自分たちのような暗い将来が目に見えているので、生まれた子が男でほんとうにほっとしたのを牡丹は覚えている。椿も、今、言葉にはできないだろうが、内心喜んでいるだろう。

椿の言葉に牡丹も「うんうん」と頷いた。

「大丈夫。この子は大丈夫。ゾロの方がちょっとだけ先に生まれたから、ゾロのがお兄ちゃんね。いい兄弟になれるわ。ね。」

牡丹の言葉に椿は安心したのか、すっと力を抜いて目を閉じた。

「椿ちゃん?」

なんとあっけないものだろうか。さっきまで、一生懸命に赤ん坊を産もうと力強く自分も生きていたのに。なんて、あっけない。

「残念だが・・・・椿は、臨終だよ。」
「椿はいい奴だったが、残念だ。まぁ、その分、牡丹に働いてもらおうか。」

くれはの言葉が氷のように冷たい。いや、くれはは、椿のことを考えて治療をしなかったのだろう。もし、下手に治療をして長生きすれば、もっと酷い地獄が待っている。この見世の辛さを知っているからこそ、くれはは、このまま椿を看取ったのだ。分かったことだが、それでも牡丹には、まわりに立つ他の大人が酷く冷たい人間に思えてならなかった。

椿と牡丹と、そして今は大人しくなっている赤ん坊を置いて、二人の冷血な大人は一旦部屋を出て行こうとした。
クリークは椿の処理の手続きのために。くれはは、椿と牡丹をまずは二人にしてやろうというほんの小さな心遣いだろう。

と、クリークが思いだしたように振り返った。

「そうだ、そのガキの名前はサンジだ。3月2日生まれで、椿の命日だ。覚えやすいだろう?」

厭らしい笑みを言葉の端に乗せて笑った男はそれだけ告げると、早々に部屋にも入らずにその場から引き揚げた。



「サンジ・・・・。あなたは今から椿ちゃんと、私の子。ゾロと一緒に大きく育ってね。」

牡丹は、優しくサンジを抱きしめながら、隣ですやすやと寝ているゾロを見つめた。


10.10.15




              




      とりあえず、出だしです・・・。