いつか桜の木の下で2
「はっ、はっ、はっ、はっ、はっ、はっ・・・・。」 荒い息とともに、ビュッ、ビュッと空を切る音が小さく耳に入る。 と、そこへいつもと同じ、聞こえ慣れた声が耳に新たに入ってきた。 「おい、もうすぐ飯だぞ。」 裏庭で手作りの木刀で素振りをしていたゾロは、後ろから掛けられた声に振り返った。 「ったく、すごい汗だな。水を浴びてから来い。そういやぁ、ナミさんが、お裾分けって砂糖菓子をくれたぜ?ロビン姉さんから頂いたらしい。旨いぜ?」 「へぇ〜。めずらしいな・・・。って、てめぇ、食ったのか?」 「あ?いや、ナミさんがそう言ってたんだ。」 「そうか。」 二人はご飯を食べるべく、話ながら歩き出した。 他の連中はすでに食事を終わらせたようで、勝手口から中に入っても誰もいなかった。隅にポツンと二人分の飯が置いてあるだけだった。 みんな夜見世の準備と忙しいのだろう。 外も気付けば、薄暗くなっていた。 「あれ?ナミさんからもらった砂糖菓子がねぇ・・・・。」 サンジは一瞬、キョトンと目を丸くしたが、何かしら思い当ったのか、途端に唇を噛みしめた。 どうやら、ゾロもサンジの想像するところがわかったらしく、はぁ、と溜息を突く。 「クソッ!やられた。」 「もらったら、その辺に置いといちゃダメだろう・・・。」 「ご飯の後に食おうと思ったんだよ。」 「どうしたの?サンジ・・。」 二人の会話に割って入ってきた甲高い声に二人揃って声の方を見上げた。そこには、まだ化粧はしてないものの、それでも美しい女性が立っていた。 太夫のアルビダだ。 一旦、化粧を落として入浴し直したのか、化粧っ気なしでもほんのり頬が赤い。夜見世用に新たに準備をするところなのだろう。 「あの・・・・いえ。なんでもないです。」 「だったら、さっさと食べちゃいなさい。片付かないでしょうが!」 そう叱るように言葉を投げるとさっさと踵を返して去ってしまった。 二人して黙ったアルビダが去るのを見届けてから、お互いに目を合わせて肩を落とした。 「ナミさんからもらった砂糖菓子・・・・。たぶん・・・。」 「だろうな・・・。まぁ、証拠もないし、仕方ねぇ。それより、さっさと飯食っちまおうぜ。」 「あぁ。」 二人して並んで、冷えて固くなったご飯を食べた。量は茶碗一杯分。おかずもなく、腹の足しになるかならないかだ。だが、文句は言ってられない。白い米粒なだけマシな方か。 今の二人には、食事を満足に食べられるほどの稼ぎがないのだ。いや、仕事がまだ満足にこなせない、というのが正解か。 以前なら、もう少し、まともな食事を食べられただろう。ゾロの親、牡丹が生きていた頃だったら。 ゾロの親、牡丹は、ゾロを産んで、そしてサンジを引き取ってから闇雲に働いた。自分の年季が明けるまで、赤ん坊二人分を養う必要が出きてしまったからだ。 牡丹は、売れっ子というほどではなくともそれなりに馴染みがいて、三人生きていくには困らない程度の稼ぎはあった。ただ必死に働いて、困らない程度だ。部屋持ちではあり馴染みがいるとはいえ、太夫達のようなほどの稼ぎはない。女郎も見目麗しく客を迎える為のそれなりの出費は必要だ。そこに赤子が二人。 いつかこの廓を出て三人で生きていきたい、と常日頃から口にしていて、がむしゃらに働いた。 ゾロとサンジは、幼いながらもそんな牡丹を支えたいと、それぞれに自分でできることを探した。 そして見つけたことは、サンジは牡丹に美味しい料理を食べさせたいと料理番見習いになった。ゾロは、二人を守りたい、強くなりたいと、我流であるが剣の道を突き進むことを決心した。 結局、牡丹の夢は果たされることなく、牡丹はこの世を去ってしまうことになる。元々彼女も強い身体ではなかったため、過労が彼女を蝕んでしまったのだ。 ただ救いは、彼女が息を引き取る寸前。牡丹は二人に告げた。ゾロを産んで良かったと。サンジを引き取って良かったと。三人、ささやかではあるが一緒に生きて幸せだったと。 そう告げて亡くなった。 彼女が冷たくなり、小さな桶に入れられた朝、サンジは取りみだすほどに泣き崩れたが、ゾロはそんなサンジをただただ只管慰めんとばかりに抱きしめた。 そして、ゾロは決心する。 母、牡丹を守り切れなかった分、自分がサンジを守り生きて行く。そして、いつか二人でこの廓を出て、彼を幸せにする。 牡丹にも言われたのだ。「ゾロのがほんの少しお兄さんだから、サンジを助けてやって。」と。 二人が本当の兄弟ではないことも知っている。それでも本当の兄弟みたいに支えあって生きてきた。それはこれからも変わらない。 二人が、10歳の時だ。 あれから3年が経つ。 ゾロは若い衆の見習いとして。サンジは料理番の見習いとしてなんとか生活している。 二人を守ってくれていた牡丹はいなくなり、楼主のクリークを始め、二人に厳しい人間が多数を占める中、二人に良くしてくれる人間も少なからずいた。 父親がなく女ばかりの家を支えるべく、女衒に連れてこられたナミは、最近来た顔ぶれの1人だがとても二人に良くしてくれる。 ゾロもサンジもそんなナミと話をするのは、楽しい。そして、ナミを世話している御職のロビンもまた、以前から時折二人に声を掛けてくれる。 先ほど、ナミからもらった砂糖菓子もロビンからもらったものだ。ナミは兎も角、サンジやゾロが甘いお菓子を口にすることは到底できないのに、ロビンからナミを通して二人に分けてくれる。ゾロもサンジも優しく、時々お菓子をくれるロビンのことは大好きだった。 今回は、せっかくの二人の好意が台無しになってしまったが、二人はそのナミとロビンの気持ちだけありがたく受け取ることにした。 彼女らのような人間がいるから、辛い生活にも耐えていけるのだ。 もちろん、先ほどのアルビダのようにあからさまに二人に厳しい人間は多い。ただでさえ毛唐の子として疎まれる要素がある。しかも、ゾロと違ってサンジはあからさまにそれが目につく。 昼は兎も角、ゾロの緑の髪は、夜の見世のほの暗い行燈の炎の中ではあまり目立たない。対して、サンジの金の髪は昼も夜も目立つ。しかも、夜の行燈の明かりはその金の髪の輝きを一層美しく見せた。 表に出ることはないため、誰それに彼の美しい金の髪を見られるわけではないのに、それを知っている女郎連中は、まだ幼く男である彼にさえ嫉妬する。商売には関係なくともだ。だから、余計に誰もがサンジにきつく当った。 さっさと、少ないご飯を食べると、ゾロは綺麗になった茶碗を洗い桶に入れようと立ち上がった。 と、そこへ番頭のギンが足音高くやってきた。 「ゾロ。お使いを頼みたいんだが。」 「今からですか?」 夜見世の準備が始まっている。さっさと手伝いに行かないと見世番に怒られてしまうだろう。 「あぁ、パールには言ってあるから構わん。すぐにお使いをしてもらいたいから、こっちに来てくれ。」 「わかりました。」 頷くゾロにサンジが手を差し出す。 「一緒に茶碗、片付けとくよ。」 「悪ぃな・・・。」 苦笑してゾロから差し出された茶碗を受け取るサンジに、ギンは「そうだ。」と思い出したようにサンジに顔を向けた。 「サンジ。」 「はい?」 名前を呼ばれると思っていなかったサンジは、不思議そうに顔を傾けた。 「料理番の方で1人、体調が悪くて寝込んでいる者がいる。今日は、クロコダイル様が見える予定だから手を抜けないんだ。幸いにもお前の料理は、クリーク様も認めていらっしゃる。料理の方、手伝いを頼めるか?」 突然のことにサンジは目を見開いた。 いつもならまだまだ見習いということで、客に出す料理に関しては、野菜の皮むきぐらいしかさせてもらえない。しかし、廓の人間向けに何度か、サンジは料理の味付けをさせてもらったことがある。 それはとても美味しく仲間内で評判が良かった。サンジ自身はなかなか認めてもらえないものの、心の内ではサンジの料理を美味しいと思っている輩は多い。楼主もそれを知っている。楼主は、サンジの料理を口にしたことがあった。 ただ、年齢と経験、そして回りからのサンジ自身の評判もあり、まだ実際には客に出す料理を直接作ることには関わらせてはもらえない。 しかし、今日はそれが違うという。 まだまだ雑用程度だろうが、それでも客に出す料理を作ることに関わることができる。 サンジはキュッと顔を引き締めた。 「は・・・はい。」 胸元の服を握りしめて、サンジは返事をした。 「じゃあ、すぐにそれを片付けて、手伝いに行きなさい。今日は、太夫がクロコダイル様への最後の挨拶ということでおもてなしをするのだ。粗相はできないから、しっかりとお手伝いを頼む。」 「わかりました。」 「頑張って、サンジ。」 「はい、ありがとうございます。」 サンジは、軽く会釈すると、すぐに手にしている茶碗を持って立ち上がった。そのままバタバタと駆けていく。 ギンは目を細めて、サンジを見送った。ギンもまたサンジには優しく接する1人だ。 「無事にお勤めできればいいが・・・。」 今日見える予定のクロコダイルは何せ気まぐれなところが多い。 ずっとロビン太夫の馴染みであったが、そのロビンがついに別の男の身請け話を受けることが決まった。 クロコダイル自身はロビンの身請けなどは考えてはいなかったようだが、それでもこの出来ごとは面白くないようだ。 ロビンの身請けの相手は、一介の船大工の棟梁でフランキーと云った。廻船問屋のクロコダイルは、船を扱っていることからフランキーのことも知っている。お互い相手の事をよくは思っていないが、クロコダイルからすれば、仕事の関係上、特にフランキーは立場が下だと思っている。 だから、特に気分が悪いようで、ここ最近、見世に来ることが少なくなった。 だが、楼主としては、このまま上客のクロコダイルを手放したくはない。ロビンの身請けに関しては、確かに痛手ではあるが、それなりの身請け料が入るし、他の太夫の稼ぎもあるのでさほど気にはしない。 ただロビンを身請けするつもりもなかったクロコダイルは、やはりそのまま上客としてこのまま見世に欲しい存在だ。 できれば、ロビンが身請けされる前にクロコダイルを招き、見世離れを避けようとの楼主の策だった。クリークとしては、多少早いが、ナミをそのままクロコダイルにと考えている。ナミとしても、姉女郎の馴染みだから初めての客にするには問題ないだろうと、踏んでいた。 ただでさえ機嫌が悪いだろうに、元々クロコダイル本人はかなりの我儘で傲慢な客だ。通常、他の客ならそれでなんら問題ないことでも、なんせ、相手はクロコダイルだ。この世界の常識を平気で覆すことが多かった。いつ何時、ケチをつけられるか・・・。ロビンが相手をしている時も彼女は癖のある客の対応は上手かったが、それでもいつも見世の人間はハラハラしたものだ。 ともかく、ロビンの挨拶を無事に終わらせて、そしてそのままナミを気に入ってもらえるように上手く計らわなければ。 見世は、今日は一大イベントのような有り様だった。 |
10.11.19