いつか桜の木の下で3
チャンチャンチャン。ワハハハハハ。 今日も辺り一帯、賑やかに男女が温もりを求めて混じり合う。老いも若きも入り乱れ。 有名な大きな見世もこじんまりとした小さな見世も、それはどこも同じだ。 花魁道中で賑わっていた通りは、その美しい姿が見えなくなっても、今度はさらに大ぜいの人が溢れかえっていた。 そんな中。 東海屋は、賑わいの中にも緊張が走っていた。 ワハハハハハ。ウフフフフフ。 どの部屋からも男女の楽しげな声が届いたが、中でも最奥の部屋では人が溢れんばかりに出入りがなされていた。 「これでお前の酌を貰うのも最後かと思うと、なかなか寂しいもんだな、ロビン・・・。」 「クロコダイル様・・・・。」 カチリと小さな音を立て、ロビンがクロコダイルの猪口に酒を注ぐ。 目の前には豪勢な料理。クロコダイルの正面で踊りを披露している者が数人。そして、部屋の両脇には、ロビンの妹分達が並んで座り、場を盛り上げている。いや、ロビンの妹分達だけではなく、この見世に住まう遊女の半分近くがこの場に居合わせているのだろう。それだけクリークはクロコダイルを大事な客としている。 どの遊女もクロコダイルの目線に、緊張する。直接相手をすることまではなくとも、それでもクロコダイルの機嫌を損ねてはいけない。華やかな中でも、只ならぬ緊張があった。みな穏やかな笑みを見せているが、いつになくぎこちない。できれば、この席から外れることができたらどんなに有りがたいことか。見世には大事な客も、遊女達には嫌われ者というのは、ごく当たり前にあることだろう。 それは、ナミも同じなのだろう。ロビンの横に並び座っているが、表情は固い。ロビンが大丈夫よ、とそっと手を添えるが、ナミは細かく震えるばかりだった。 「今日は、楼主の招待ということだが、どうやら俺の今後が気になるらしいな。いつになく、華やかな席を設けて・・・。ご苦労なこった。」 「それだけ、クロコダイル様が大事な方だということですわ。」 「ふん・・・。そうか・・・。」 ロビンが注いだ酒をグビリを飲み干し、猪口をトンと置く。それにまたロビンはゆっくりと酒を注いだ。 クロコダイルは、ふんと鼻を鳴らし、とりあえず目の前にある料理に箸を伸ばした。 「ん?」 「どうかなされました?クロコダイル様・・・・・。」 何か口に合わなかったのだろうか。咄嗟にロビンが手を差し伸べる。 「いつもと、味が違うな・・・。料理番が変わったか?」 「お口に合いませんでしたか?申し訳ありません。すぐに作り直させますわ・・・・。」 「いや・・・・。いつもより美味い。この見世で高級料亭と同じ美味さを味わえるとは・・・。気に入った!」 目の前にある料理を口にした途端、クロコダイルの表情が和らいだ。金の有る者は何かと口うるさいものだが、目の前に料理は気に入ったらしい。 「それはそれは・・・・。安心しましたわ。」 ロビンがホッと胸を撫で下ろす。 横にいたナミはハッと思いだしたように、ポロリと料理を作った者の名前を口にした。 「サンジくんの・・・・料理・・・。」 それは、とても小さな声で、賑やかな中において誰もが聞き逃す程度の音量だったが、何を思ったのか、クロコダイルがその言葉に反応した。 「いつもの料理番と違うのか?」 眉間を寄せて問いただす男にナミは慌てて両手を振った。 「あ!・・・・いえ、その・・・・。」 「別に隠すほどのことでもあるまい。何か知っているのか。」 腕を組み、尊大な態度で、クロコダイルはナミの方を向いた。 「ナミ・・・・・。」 ロビンが心配そうにナミに膝を寄せる。 「・・・・・たぶん、その料理。サンジくん・・・いえ、サンジという若者が作ったものかと・・・・。まだ料理番見習いですが・・・・・すみません!」 ナミは頭を畳に擦りつけた。 「申し訳ありません!!」 ロビンがナミのフォローを術く、クロコダイルにすり寄る。 「申し訳ありません。腕は確かとはいえ、見習い程度の若造の料理をクロコダイル様に差し出すなど・・・・。すぐに別の料理に変えます!」 「いや。いい。」 クロコダイルは、脇のロビンを押しやるとナミの前に寄って来た。そのまま、畳に付けたナミの顔を顎に手をかけて上げさせる。 「そのサンジとやら、若いのに相当な腕前のようだな。しかも、お前はお気に入りのようだ。興味が沸いた。連れて来い。」 「!?」 ナミの怯えの顔が一瞬にして驚愕の表情に変わる。 咄嗟にロビンも二人の傍に寄り、クロコダイルを宥める。 「お戯れが過ぎます、クロコダイル様。見習いの料理番など、このような場所に連れてこれません。」 「構わん!」 「クロコダイル様!!」 「ナミ、連れて来い!!」 両目を大きく見開いたまま、ナミはゆっくりと立ち上がった。 「はい・・・・・。」 立ち上がり、落胆したように足を引きずりながら、ゆっくりと部屋を出る。 この後の展開が読めず、周りにいた者は誰もが身動き一つできないまま、心配そうにナミを見送った。いつの間にか、音楽も鳴りやんでいた。 「クロコダイル様。そのサンジを呼びだして、一体どうなさるおつもりで・・・・。」 「なに、心配いらん。その若者の顔を見たいだけだ。気に入れば、うちの屋敷の専属にするのもいい。」 ロビンが驚きと共に心配そうに、顔を歪めた。 クロコダイルの気まぐれには、何度も苦湯を飲まされている。彼の我儘で潰された者は男も女も含めて大勢いる。 今回のロビンの身請け話で機嫌が悪いかと思えば、今のところ、どちらかといえば回りの心配を余所に意外にも機嫌はいい。別にロビンのことが気に食わなくて見世を鞍替えするいいチャンスと思っている訳ではないだろうが、なんだろう、とロビンは首を捻った。 「クロコダイル様・・・。」 ロビンの心配そうな顔にクロコダイルは、穏やかな笑みを溢した。 「料理が美味くて気に入ったのは本当だ。ただ、ちょっとな・・・。」 ロビンの眉が歪んだ。 「噂に聞いてな。この見世には、毛唐の子がおると。そいつが料理番をしているとチラリと聞いた。どんな奴が見てみたいだけだ。こんな美味い料理を作るとは意外だったがな。」 最後には笑みがニヤリとしたクロコダイルは、してやったりの顔だ。まさか、自分の料理をサンジが作っているとは思っていなかったのだろうか。予想以上に簡単にサンジを呼び出すことが出来て、ほくそ笑んでいるようだ。 あぁ、やはりな、とロビンな内心、落胆した。 サンジやゾロのことは、この界隈では知られている存在だ。だが、あくまでこちら側の立場での話であって、客の側からすれば、知っている者はほとんどいないだろう。 とはいえ、ゾロもまた見習いではあるが若衆として働いているから、客の目にも止まることが多い。ただ、昼見世は別にしても夜見世は灯りの具合もあり、あまり緑の髪は目立たない。そのためか、ゾロに異国の地の者の血が混じっているとは誰もほとんど気付かなかった。 しかし、サンジは。 彼の金の髪は目立つ。昼も夜のほの暗い灯りの中でも目立つ。いや、却って夜の灯りの中では彼の金の髪は輝いて見える。楼主もそれをわかっているのでサンジをあまり外に出したがらない。本人もまた、わかっているのだろう。必要以上に外に出ることはなかった。男だから大門の外に出られないということはないが、敢えて自分から金の髪を他人の目に晒す機会は減らしていた。 しかし。 どこでどう情報を得たのかは知らないが。何事にも興味を持ち、面白おかしく周りを掻き回すクロコダイルに、ロビンは、どうか何も問題が起きずに済むようにと心の中で祈るしかない。 と。 ロビンの思考がこの場から離れていたのを、ナミの声が呼び寄せた。 「失礼します。」 小さく襖の開く音が聞こえる。 開け放たれた襖の向こう、廊下でナミの後ろで小さく頭を床に擦りつけているサンジを、ロビンは不安気に見守る。 「この度、こちらの料理を作りましたサンジでございます。」 声が震えている。サンジもまた、表に出ることがなくともクロコダイルの事は知っている。噂はロビンやナミから聞いているし、いつもクリークが口うるさく遊女たちに粗相のないようにと叫んでいるのを聞いている。 何か粗相したのでは、と心配なのだろう。 気がつけば、楼主もサンジのすぐ横に姿勢を正しているのを見つけた。 「クロコダイル様にはいつも贔屓にしていただき、ありがとうございます。今回のこの料理。サンジが作りましたものがありますが、何せまだまだ若造。ごくごく一部の料理でございます。何か気に食わぬことがありましたら遠慮なくお申し付けください。すぐに別の者に作りなおさせます。」 楼主のクリークもまた、クロコダイルの怒りを鎮めようと頭を下げている。どちらもサンジの料理に不備があったと思っているのだろう。 だが、違う、とロビンは胸元に添えた手をギュッと握った。彼の思惑が今だ読めないが、ただ、クロコダイルはこのチャンスに何かしらを狙っているのだ。 「お前がサンジか・・・。」 「はいっ。」 これ以上ないくらいに下げた頭をさらに床に擦りつける。 「顔を上げてみよ。」 「でも・・・。」 「いいから上げよ。」 怒っているのではないと、少し優しく、しかし、有無を言わさぬ調子でクロコダイルはサンジに命ずる。 恐る恐るサンジが顔を上げた。隣には、今後の動向が心配とばかりのクリーク。そしてサンジの後には、やはり、不安が隠せないままどうにもできないナミがサンジを見守った。 ゆっくりとサンジが顔を上げる。 「ほう・・・・。」 クロコダイルの息に何かしらをロビンは感じた。 それは、警鐘とも呼べる。 ナミにもクロコダイルの意図がその時わかった。 「なるほどな・・・。見事な金の髪だ。」 「は?」 何もわからずキョトンとしているのはサンジ本人のみ。 この場にいる者は誰もが、クロコダイルの視線に、彼がこの後、発せられるだろうセリフが容易に想像できた。 「ただの料理番にしておくのはもったいない。」 あぁ、やはりそうなのか。 しかし、ここは女性が殿方の相手をするところ。陰間茶屋ではないのだ。 それでも。 それでも、このクロコダイルはきっと我を通してしまうのだろう。そして、非道な楼主は、サンジに遊女と同じことを強要してしまうのだろう。 先の読めたロビンは、ただ顔を伏せることしかできなかった。 ナミもまた、今後の展開が読めたのだろう。顔を大きく歪ませている。 いやいやと言っていたクロコダイルの相手をしなくて済むことになるのだろうが、それでもこの展開はナミが望んでいるものではない。 ロビンは伏せた中でも、チラリとナミの方へ視線を寄こした。やはり、ナミは唇を噛みしめて震えている。 「楼主。」 クロコダイルの声が静まり返った部屋に響く。 「このサンジという者の料理だけでなく、俺は、全てを食してみたいのだが・・・?」 サンジは驚きで目を見開いたまま、指一本動かすことができなかった。 |
11.02.07