いつか桜の木の下で4
「ロビン姐さんっっ!!」 ナミが髪を振り乱してロビンの胸に縋る。あまりの乱れように、せっかくの美しい着物も着崩れてしまった。 ナミの頬を撫でるようにしてロビンは、ナミを胸に抱く。 「サンジくんがっっ!!あんな男にっ・・・・。サンジくんがっっ・・・・。」 大声で泣き叫びそうになるナミをロビンは宥めた。 「悔しいの?客をサンジくんに盗られて。」 ナミの怒りがそうではないことを知っているが、確認するかのようにロビンはナミに問うてみた。 「違うの!そうじゃないの!!」 わかっているくせに!ナミはそう言いたげにロビンを見上げた。 ギュッとさらにきつく、ナミはロビンに抱きつく。 「わかってるわ、ナミ。あなたの悔しさがそうじゃないことは・・・。」 穏やかにナミを宥めるロビンに、ナミはわかっていても怒りが収まらない。 「だって!だって!!ここは、陰間茶屋じゃないのに。なのに、あの男は!それにクリークもクリークだわ!!断ればいいじゃない!ここにいるのは遊女のみだって、男は売っていないって!なのに。あっさりと承諾するなんて!!」 二人して離れた部屋に連れていかれたサンジを思い出して、廊下を見つめた。 彼は、不安な表情をなんとか隠して、そして二人を安心させようと、ニコリと笑ってクリーク達と一緒に廊下を歩いて行った。 その時の表情が今も頭から離れない。 今は誰もいなくなった、この部屋。 本来なら、このあとナミがクロコダイルを迎えるはずだった部屋。ナミにとっては初めての客になるから、とそれなりに整えたのに意味を為さなくなった。 クリークは、その部屋を使うことなく、別室にクロコダイルを迎えることにした。何も知らないサンジを連れて。 先ほどまでクロコダイルを迎えて賑やかだった席も今は静かだ。ただ隣近所の部屋から、別の客を迎えて賑わっている音が聞こえてくるだけだ。一緒にクロコダイルを迎えた他の者たちも、今は別の客の方へとそれぞれ移動したのだろう。 ここは廓。 この東海屋は、さほど大きくはなく大見世ほど堅苦しくはないが、それでも遊女が男を迎える見世。 それなのに、今、クロコダイルは、男であるサンジを買うという。しかも、何も知らない、客を迎える作法も身につけていない料理番見習いの。 しきたりも何もあったもんじゃない。普通ならありえないことだった。 大見世なら、二つ返事で断るところだ。 それなのに。 楼主のクリークは、真逆に二つ返事でクロコダイルの申し出を受け入れたのだ。 本来ならその役目を請け負うはずのナミを差し置いて。 ただ救いなのは、それなりに回りに配慮したのだろう。遊女が客を迎えるべきはずの部屋を使わずに。特別扱いと言わんばかりの通常では使われることのない部屋。訳ありの客を迎える時のみに使われる部屋へと向かった。そこは、さほど豪華さはないが、それでも通いの客を迎えるには恥ずかしくない程度の調度品と広さはあった。 ただ心配なのは。 ナミは新たに涙を溢す。 と、ダンダンと廊下を乱暴に歩く足音が聞こえた。同時に、数人の男達の声も聞こえる。 「落ち着け、ゾロ。」 「これが落ち着いていられるか!!こんなこと、ありえねぇ!!」 ハッとナミとロビンは顔を見合わせた。 慌ててナミは立ち上がり、声の聞こえた廊下に走り出た。 そこで目にしたのは、サンジが連れて行かれただろう部屋へ向かおうとするゾロと、それを押しとどめようとゾロを押さえる男たちが数人。 「騒ぐな。他の客の目につく!」 「そんなこと俺の知ったことじゃねぇ。離せっっ!!」 数人に押さえこまれて、今にも暴れ出しそうなゾロに「何だ何だ?」と、あちこちの襖から顔を覗かせる客が見え始めた。 「ゾロッ。」 ナミが押さえて、それでも彼に聞こえるように名前を呼んだ。 腕を振り上げて押さえる男達を振りほどこうとしていたゾロの動きがピタリと止まる。 「ナミ・・・。」 まるでその名前が呪文のように、ゾロは振り回していた腕をだらりを落とした。 「ゾロ。こっちへいらっしゃい。」 ナミの後からロビンが襖の陰から顔を出した。 ロビンの登場に安心したのか、ゾロを押さえつけていた男達もまた力を抜く。 「ゾロは私に任せてもらえるかしら・・・。」 「ロビンさん。」 見世番のギンがロビンを見つめた。 「悪いようにはしないから。」 「わかった・・・・。あんたに任せよう。」 軽く頷くと数人の男達に「持ち場に戻れ」と指示を出して、ギンはロビンを振り返った。 「頼むよ、ロビンさん。」 「えぇ。」 一言だけ告げると、呆然と立ち尽くすゾロを置いて、ギンは持ち場に戻るべく踵を返した。ギンもまた、去っていく背中が彼の落胆を伝えている。ギンもサンジのことを可愛がっていたのだ。ショックを隠せないのは仕方がないだろう。 気付けば、騒ぎに廊下を覗いていた輩もいつの間にか消え、この場は、3人になっていた。 遠く三味線の音が聞こえる。賑やかに笑い合う男女の声も届いてくる。そのうち、時間が経てば女たちの甲高い声が、あちこちから響いてくるのだろう。 クロコダイル以外にも客はいるのだから当たり前だが、見世は一部を除いて、いつもと同じに客を迎え、宴を開き、酒を飲み、男を褥に引き寄せる。 その一部がここだ。ただ、ここにいる3人と、そしてサンジとクロコダイル。 それらが、いつもと違う夜を迎えようとしている。 「ゾロ。いらっしゃい。」 ロビンはもう一度、ゾロを呼んだ。 ナミが心配そうにロビンを見上げる。ゾロは、もはや他にいうことを聞くしかないとばかりに素直にロビンの招くままに二人がいた部屋へと入った。だが、表情は固いままだ。 ゾロを招き入れると、ロビンはパタンと襖を閉めて、ゾロに座るように示した。 ゾロが座るのを見届けると、ロビンはお茶を用意すべく、茶器を取り出す。 「姐さん、私がやるわ・・・。」 「いいから、ナミも座って・・・。少し落ち着きましょう。」 ロビンの言葉にゾロの感情に再び火がついたようだ。 「これが落ち着いていられるか!!」 一度座ったものの、もう一度立ち上がろうとするゾロをロビンが眼でのみ押しとどめる。 「うっ」と言葉に詰まって、中腰のまま、ゾロは固まった。 「このまま飛び出して、あの部屋へ乗り込んでいってどうするの?」 コポコポと注がれるお茶から温かい湯気が上る。火鉢の炭がバチンと爆ぜた。まだ寒さ厳しい季節ではないが、火鉢のお陰で部屋は充分に暖かい。だが、心がどうしようもなく、冷たく冷めていく。 お茶のいい香りが部屋に充満し、ナミの気持ちを落ち着かせるが、そのお茶の香りにも気付かないとばかりにゾロは興奮していく。心は冷めていくのに、感情は熱くなっていくばかりだ。その証拠とばかりにゾロの息が荒い。 「あのクロコダイルをぶっ飛ばして、サンジを助ける。」 それでもなんとか感情を抑えようと、声を押さえる。 「それでどうするの?お客をなぐったりしたら、あなただけじゃなくて、サンジにもお咎めが入るわ。」 「構うもんか?二人してここを出る。」 ロビンは3人分のお茶を、自分も含めてそれぞれの前に差し出す。ナミはそれに手をつけることもできずにハラハラと二人を見比べる。 「出て、どうするの?」 「出て・・・・二人でどこかで・・・っっ。」 ゾロの言葉が詰まる。ここを出てからどうするというのか。 ゾロの言葉を追いやるようにロビンの方が話を続けた。 「貴方達は遊女じゃないから、ここの大門を抜けられる。でも、貴方もサンジくんも二人ともまだこの見世に、お母様の時からの借財が残っている。それに、クロコダイルに見染められ、部屋に連れて行かれた段階で、すでにサンジは遊女と同じ扱いを受けることになってしまっているわ。きっと、連れ戻されて足抜けした遊女と同じ運命を辿る。この意味がわかる?」 「っっ!」 ゾロの額は今の感情を隠せないほどに皺が寄っている。 あまりの怒りに言葉を無くしたゾロの代わりに、ナミがロビンに聞く。 「でも、やっぱり姐さん、あたし、納得できない!サンジくんは男で、料理番見習いで、この見世の遊女じゃない。それなのに!!」 「この見世の楼主がクリークという段階で、普通の見世の常識を通せというのが、そもそも無理な話・・・。ましてや、客もあのクロコダイル様。この見世では、見世の損得勘定、クロコダイルの愉悦、それらのみで全てが決まるわ。私たちには、どうしようもないの。」 「でも・・・っっ!!」 「ナミ。」 お茶の穏やかな香りにも関わらず、結局、ナミも感情が押さえられない。改めて、ポロポロと涙を溢した。 ロビンが、ナミの傍に寄り、改めてそっと抱き寄せる。 さっきまでは、叫ばんばかりのナミは、今度は、声を押し殺して泣いた。 「ゾロ・・・。」 ナミを抱きしめたまま、ロビンはゾロを見つめた。 ゾロは、どうすることもできずに、ロビンを見つめ返すしかできない。 「一番辛いのは、サンジくんよ。あのクロコダイル様ですもの・・・どんな扱いを受けることか・・・・。それに、もしサンジくんを気に入れば、きっと今回1度きりでは終わらないはず。これから彼の地獄の日々が始まる。二人で逃げたところで、逃げ切れるものじゃないわ。」 「・・・・。」 「サンジくんを支えるのは貴方しかいないのよ?ゾロ・・・・。」 「・・・・っくしょうっっ!!」 震える拳で畳みをガンガンと殴りつける。あまりの勢いに畳みは凹み、ゾロの拳から出た血が滲んだ。 それでも何度も何度も畳みを殴る。耐えることしか、今のゾロにはできなかった。 夜はこれから更けていく。 |
11.02.17