いつか桜の木の下で11




「てめぇが大事にしている緑の小僧。ゾロは・・・・。あいつはここを出て行くよ。お前を残してな。」

突然の話にサンジは、ただ茫然とするしかなかった。




どういうことだ!?
ゾロが一人、ここを出て行く。

いや。出ていける訳がない。
ゾロ自身、若衆として働いているし、自分もこうやって遊女として働いているのだが、それでも借財は二人揃ってまだまだここを出ていけるほどに返してはいない。
もしかして、ゾロの分だけでも借財が返せたのか?
いやいや。そんなはずはない。そんなことは一言も聞いていない。他の見世ならありえるだろうが、あの楼主が借財を返せるほどにゾロに賃金をつけてくれているとは到底思えない。

だったら、何故!?

グルグル思考が回るサンジにクロコダイルは、笑いを噛み殺した。
考え込むサンジの様子に早く続きを話したくて仕方がないという表情だ。

「あの小僧の分だけでも借財が無くなったと思ったか?いや、この見世じゃあ、そんなことはないのはお前もわかってるだろう。」

クロコダイルの言葉にサンジはキッとクロコダイルを睨んだ。

「だったら何故?」

面白そうに見つめるクロコダイルは、サンジの髪に手を伸ばし、優しく梳いた。

「知ってたか?あの小僧が秘かに道場に通ってたことを・・・。」
「え!?」
「あの小僧が何を目指しているのかは知らないが、毎日毎日、一日も休まず通ってるそうじゃないか。」
「ゾロが・・・道場に・・・?」
「そうだ。この吉原の大門の中にいる限りじゃあ知らないと思うが、巷じゃ知らない者はいない有名な道場があってな。『シモツキ道場』と言ってな、噂じゃ主は心の広い持ち主で、素質があれば身分など関係なしに道場に通うのを許しているそうだ。そもそもその道場も将軍家も認める実力揃いのところでな。」


初めて知った。
いや、ゾロがいつもいつも仕事の合間に消えているのは知っていた。
回りのものは、お使いを頼まれた際に迷子になっていると勝手に決め込んで笑っていた。
自分もそうかと思っていたが、それでもあまりにも毎日なのでおかしいとは思っていた。だが、どこでどうしているのかまでは知らなかった。ただ、日増しに逞しくなっていくゾロに、せいぜい廓の外で自分なりに鍛錬していると思っていた。

が、そうではなかった。何かしら機会を見つけて道場に通っていたのだ。
それは、一流の剣士を目指すゾロにとっては喜ばしことだ。だが、何故自分には黙っていたのか。それが解せない。
しかも、そのことでゾロがここから出て行くことになるとはどういうことか。

「わからない。って顔だな。」
「・・・・・。」

サンジは肩に羽織っている打ち掛けをぎゅっと握りしめた。
落とした煙管はすでにクロコダイルが拾って、自分で吸っている。

「奉行の話じゃ、ゾロがどこの誰だか知っている輩はいないが。それでも、奴の実力が世間に認められたようでな。道場の跡継ぎとして迎え入れられる話が出ているようだ。そこの一人娘との夫婦になることでな。」
「・・・・!?」

今度こそ、サンジは頭が真っ白になった。
宙を泳ぐ手がガタリと何かにあたった。



ゾロが出て行く。
サンジの知らない娘と夫婦になるために。

何も言えずただただ呆然とするサンジに、クロコダイルは髪を梳いていた手を青白くなった頬にそっと這わせた。

「かわいそうにな・・・。てめぇは、あの大事なお友達に捨てられて、一人ここで暮らすんだ、一生な。」
「・・・・・・。」

声も出ず、ただ呆然とクロコダイルの言葉を聞いているのかいないのか、わからない表情でクロコダイルを見つめた。

「でな、お前の借財が減らない理由がそこにある。」
「・・・・。」
「ゾロが婿になり、その道場を継ぐとしてだな・・・・、肝心の婚儀の費用をどうする?」
「・・・・・・。」
「まぁ、婿養子ということもあり、シモツキ道場の方でそれなりに用意はされるだろうが、あいつの出生は誰も知らないままだ。いや、今もこれからも誰にも言う事は出来ないだろう。そんなことをしたら、その道場は将軍家お抱えから外されてしまうやもしれないからな。」
「・・・・。」
「ということは、それなりにゾロの方も費用を捻出しなければならないじゃねぇか?例え向こうの家に入ろうともだ。巷ではあの小僧は、両親は亡くなっているがそれなりの家の出だという噂になっている。まぁ、無理もないだろう。剣の腕前はそんじょそこいらの連中よりもいくらも上なのだからな。道場の主は事情を知っているかはどうか怪しいが、ゾロの方もここの出だとは到底言えないだろうが。」
「・・・・金が・・・いるってことか・・・。」

ショックで黙ったままだったサンジの口から漸く言葉が発せられた。表情は変わらないまま。

「で、あの小僧はどうするかはわからないが。」
「ゾロは、自分から誰かにお金をせびるような真似はしない。」
「が、お前はどうかな・・・?」

クロコダイルの言葉にサンジは眉を寄せて俯いた。そこに、まるで囁くようにサンジの耳に唇を寄せる。

「大切なお友達が、金に困るってんだ。が、ここから出て行く以上、あの小僧はここでは金を借りることはできん。かといって、宛になる者もいない・・・。」
「・・・・・。」

唇を噛みしめるサンジに囁き声は続く。

「で、お前の性分を考えたら・・・おのずと答えが出てくるってもんだ。」

クククと下卑た笑い声が耳に響く。

「・・・・・そういうことか。」

クロコダイルの意図することが、これ以上言われなくてもサンジにはわかる。

「わかったか?」
「・・・・わかったよ。旦那が言いたいことは・・・。」
「で、どうするよ?」

クロコダイルは、頬にあてていた手を顎に掛けて、クイとサンジを上向かせた。
サンジは負けじと目を細めてクロコダイルを睨みつける。

「悔しいが、旦那の予想は当たりそうだ。だが・・・・。」
「何だ?」

いかにも楽しそうなクロコダイルだ。
そうだろう。ただの料理番から遊女へと落としめた男がさらに地に落ちて行くのだ。
それにしても、体の痛みを伴う目に見える責め苦よりも精神的に苦しめることに快楽を感じるのだろうか、この男は。
しかし、サンジは、虚しいながらも反論を試みた。

「まだ、あくまで巷の噂の段階だろうが・・・。俺はゾロから何も聞いちゃいねぇ・・・。」
「話せると思うか?大切なお友達を放って、可愛い嫁を貰って自分だけが幸せになるんだ。」
「・・・・っ。」

顎に掛かるクロコダイルの手に力が入る。
噛みしめる奥歯がギリギリと鳴った。

「憐れな女郎として生きる男を置いて、自分だけが大門を出て行くんだ。言えるか?『俺は道場の跡継ぎになるため、嫁をもらう。そしてここを出て行く。』と・・・。」
「・・・・っっ。」
「大切なお前を置いて、自分だけのうのうと幸せに生きるんだ、奴は。」
「・・・・・っっっ。」

クロコダイルの言葉に、目から涙が溢れそうになる。が、ここで泣いてはこの責め苦を与える男をさらに喜ばせるだけだ。
サンジはグッと下唇を噛みしめた。血がジワリと滲んでくる。
だが、涙は耐えた。

「ゾロは・・・・・。ゾロは・・・・。」
「・・・何だ?」
「そんな奴じゃない。自分だけ幸せにのうのうとなんて・・・・そんなつもりはない。」
「だったら何だ?奴は、何故ここを出て行く。」
「・・・・・あいつの夢は、一流の武士になることだ。そのためにずっと努力してきたんだ。」
「・・・・ほう?」

サンジはぐっと拳を握った。
顎に掛けられた手をグッと引き離した。非道な男が眼を見張る。
サンジはクロコダイルを改めて睨み返した。

「確かに、俺もあいつもここから出るのが夢だ。だが、それだけじゃない。あいつは、一流の剣士になって大切な人を守れる人間になりたいんだ。」
「あぁ・・・その大切な人ってのが、その道場の一人娘ってわけか・・・。」

心が折れそうになるのを耐える。

「・・・・・。」
「残念だったな、お前じゃなくて・・・。」
「・・・そんなこと・・・・っっ。」
「噂じゃ、その娘もそうとうな剣の使い手らしいぞ。しかも、器量も良しとの話だ。まさにお似合いって奴だな。」
「・・・・・そりゃあ・・・・・良かったじゃねぇか・・・・。」

サンジは自分の声が震えているのを自覚していた。
本当なら喜ぶべきなのだ。おめでとうと言って笑ってやるべきなのだ。
なのに、この心の中で締めつけられているのは一体何だ!?
わからない・・・?

いや、わかっている。この感情が何なのかを。
ずっと口にすることはしなかった。いや、口にしてはいけない感情だ。
だが、その感情が爆発しそうだ。
だめだ。
蓋をしなければ。
何も思わない。
何も考えない。


「あいつが・・・ゾロが・・・・何処へ行こうと俺には関係ねぇ・・・。確かにあいつとは、ずっとここで一緒に暮らしてきた。だが、所詮は他人だ。」
「ほぅ。」

必死になって言葉を紡ぐ。
サンジの意図がわかったのか、クロコダイルは、愉快に目を細めるだけだ。

これ以上、もうこの話は聞きたくない。話はしたくなかった。
サンジは首をブンブン横に振ると、無理矢理笑みを作った。

「旦那・・・・。」
「?」
「あいつの話は、もういい。それより・・・。」
「何だ?」

必死に笑みを見せるサンジに、クロコダイルは敢えてそれ以上、この話はしなかった。
歪んだ笑みを見せるサンジに、クロコダイルは満足したようだ。

「もう一回抱いておくれよ。」
「あぁ?」
「お願いだ。」

震える手でクロコダイルの着物を掴んだ。

「旦那。頼む。酷く・・・抱いてほしい。」

サンジの感情を読み取ったのか、クロコダイルは人の悪い笑みを溢すと「いいだろう。」とその手を取った。
精神の壊れる寸前で、必死にしがみ付く。クロコダイルはその表情に快感を感じているのか、容易にサンジの誘いに乗って来た。

「朝まで。てめぇが壊れるまでとことん抱いてやろう!」

クロコダイルの言葉に、サンジは頷くと大きく足を広げた。


11.06.13




               




      あまり進まず、すみません。そして、サンジの不幸はさらに続きます。(っていうか、UP?)ごめんなさい。でも、私もサンジファンvv