いつか桜の木の下で12
サンジは思い出す。 いつもゾロには言っていた。 「いつかお前にいい人が出来て、ここを出たいのなら、先に出て行って構わないぜ。」 その度に、ゾロは何も答えずにただ不機嫌な顔を見せた。 それは、ゾロがきっとサンジを一人置いてこの廓を出て行くことがないからだと思っていた。 だからこそ、安心していつも同じ言葉を吐いていたのだ。 どこかで、思っていた。 ゾロが本当に自分を置いて、ここを出て行くことはない・・・・と。 だが、そうじゃなかったんだ。 そんな思いはただの甘えだったんだ。 まだゾロからは何も聞いていないが、クロコダイルの話が本当なら。 ゾロは、サンジを置いて出て行くのだろう。 一流の剣士になる夢は、この先その道場の娘と共に追うのだろう。隣に立つのが自分ではなかっただけだ。 そんな現実を考えたことがまったくなかったわけではないが、それでもまるで他人事のように実感していなかった。 サンジは部屋の格子から空を見上げた。 いつになくいい天気だ。雲ひとつなく昇って来た朝日が綺麗だ。 そうだ。夢に向かって突き進む、何一つ曇りのない彼の想いのようだ。 煙管からコンと煙草の葉を落とした。 悔しい。 寂しい。 辛い。 いや、そんなことを口にしてはいけない。 なんせ、サンジはいつもゾロに言っていたのだ。 「ここを出て行っていい。」と。 自分はゾロを問い詰めることは出来ない。 彼の幸せが最優先だ。 クロコダイルに散々抱かれて彼が帰ってからは、誰にも知られないように、それでも、これでもかというぐらい涙を流した。 たぶん、今日は仕事にならないぐらいに顔が腫れぼったくなっているだろう。 それでも、仕事はこなさないといけないだろうが。 化粧をいつもより濃い目に塗れば大丈夫だろうか。 どんな状態でも働かないと。 これからさらに増えるだろう借財のためにも。 そうだよな。 ここを出て行くまで彼を支えていかなければいけないのは自分なのだ。 今まで温かく自分を守ってくれた彼の母と彼に、ここまで育ててくれた恩返しをしないとな。 サンジはふぅと息を大きく吐くと、立ち上がった。 クロコダイルがサンジに事の話をする数日前。 コウシロウは庭で素振りをしていたゾロに声を掛けた。 「ゾロ、話があります。ちょっと来てもらえますか?」 「はい?」 一心不乱に木刀を振っていたゾロは何だろうと首を傾げる。 先ほどまで、道場内でいつくかの手合わせをして疲れ果てているだろうに、彼はその後、また一人庭で鍛錬をしている。 これほどまでに必死になって強くなりたいという彼の思いに、コウシロウはただただ感心するばかりだ。 誰もいない部屋にゾロを通した。 母屋の奥の一室。門下生が普段入ることの許されない空間だ。その場に通されるということはよほど重要なことなのだろう。 「先生。話とは何でしょうか?」 大きな座卓の前で規律正しく正座を組むゾロに、コウシロウは、目を細めて口を開いた。 「先日の対外試合は見事でした。全て年上の連中なのにも拘わらず、ああも一撃で負かしてしまうのは、見事としかいいようがありません。このような者は、試合を開催してから今までの中でいなかったわけではないですが、ゾロは最年少のようです。」 「ありがとうございます。」 お互いの鍛錬の為と名を上げるために、各道場や大名から名のある武士がその腕を競う場として、年に一度、対外試合が催される。 どの道場も大名も各々の名誉の為に自慢の者を選出するのだが、今年は、シモツキ道場からゾロが選出された。 年齢的にはまだまだだと反対する者も師範の中にはいたが、彼の実力がその声を退けた。コウシロウもまた彼の実力を認めている。 「女が出て構わないなら、私が出たいのに・・・。」 そう悔しがっていたくいなもまた、今だ道場の中では一番の実力者だ。 とはいえ、くいなとゾロは毎日剣を交わしているが、いつの間にかその勝負は対等になっていた。くいなが勝つこともあれば、ゾロが勝つこともあった。 要は二人とも道場の一番の剣の使い手と言えよう。いつの間にか、ゾロは誰もが認める実力者になっていた。 だからこそ、試合に出ることを許されたのだ。 もちろん、一日、日を潰してしまう試合に出ることは、見世の仕事を休むことになる。だから、諦めてしまおうかとも思ったが、やはり、一番強い男を目指しているゾロとしては、このチャンスを逃すことなどできやしない。 そのため、試合の話が出た時に、ゾロは、コウシロウに全てを話した。 自分の出自のことから、今の暮らし。何故、強くなりたいのかまで。 もちろん、その内容から試合の話は帳消しになる可能性もあった。が、ゾロとしては、どうしてもこの対外試合に出たい。 ここ数年のコウシロウのゾロへの接し方から、ゾロの出自を理由に試合の話をないものにすることはないと信じたのもあり、ゾロは全てを話したのだ。 それに、もし、ダメだと言われても「試合に出たい」と食い下がるつもりでいた。 案の定、最初は驚いたコウシロウだったが、ゾロの想像とは別に、コウシロウは優しくゾロを抱きしめた。 「辛い人生でしたね。でも、これからは大丈夫。あなたの努力は必ず報われます。」と。 コウシロウの優しさにゾロは涙を流した。 そして、全てを話したゾロのために、コウシロウは秘かに見世の楼主のクリークにゾロが試合に出られるよう交渉してくれた。もちろん、楼主以外の人間には漏らさないことを条件に。 楼主もゾロの先を見越してしぶしぶながら了承してくれた。見世の連中には、遠くへのお使いだということにした。 そして、道場主の期待通りに、ゾロはその試合で負けを出すことは無かった。 「直接お目に掛かることはできないのですが、将軍様の耳にもゾロの事が届いたようです。」 「本当ですか?」 コウシロウの言葉に、ゾロは膝が浮いた。 この調子で頑張れば、いつか自分を認めてくれて、召し抱えてくれる大名がいるはずだ。 そうすれば、あの辛い廓からサンジと一緒に抜け出すことができる。 ゾロは、心持ち顔が紅潮した。 「あなたを迎え入れたいと名乗りを上げる大名も幾つか見えます。」 「・・・本当にですか!?」 「えぇ・・・。貴方はその話に乗る気がありますか?」 「もちろんです!!」 間髪入れずに即答した。当たり前だ。 あぁ、いよいよ夢が叶う時がくるのだ。 ゾロは鼻息が荒くなるのを自覚した。がこの感情を抑えることができるはずもない。 ソワソワと落ち着かなく、コウシロウの話に耳を傾けた。 「ただ・・・。」 「・・・?」 ちょっと辛そうにも見える表情でコウシロウが口を歪ませた。 「先日話した貴方の出自が、貴方の言葉のままでは今の話を受けることはできません。」 「・・・・!?・・・・え!?」 ゾロの将来を約束する話ではないのか? でも、どういうことだ。 浮足立った体の動きが止まってしまった。 「巷では、貴方の出生は、貴方が思うようなことにはなっていないんです。」 「どういうことですか?」 「貴方は両親は失くしたものの、どこかしら武家の子ということになっている。」 「え?」 話が見えない。 「あくまで噂です。が、貴方を召し抱えたいと名乗りを上げている方々はみな、その噂を本当だと信じている。将軍様までその話を知っていて信じているのです。」 「・・・・!?それは、噂じゃないですか!!!」 思わず師に声を荒げてしまった。 回りの噂などゾロにはどうでもいいことだ。 「でも、それが世間では事実となっているのです。これがどういうことか、わかりますか?」 「わかりません!!俺は俺だ!」 ダンと畳みに拳を叩きつけた。 この話の先が見えてきてしまった。 「もし、貴方の本当の出生を知ってしまったら・・・・これらの話は全て無くなってしまうでしょう。」 「そんなこと、わからないじゃないですか!」 「私の所に来た大名の使いの者は、皆、口を揃えて言うのです。両親が亡くなってしまった為にお家を無くした貴方を、ぜひまた元の誇れる武士に戻して受け入れたいと・・・・。」 「そんな勝手なこと・・・。」 「それを受けるかどうかは全ては貴方次第ですが・・・・、貴方がもし、世界一強い剣士に、一流の武士になりたいという夢を叶えたいというのなら、このまま貴方の本当の出自は隠したままが一番なのです。今の時代、まだまだ身分の差別は大きいです。誰もが、貴方が女郎の子でも認めてくれるとは限りません。これは貴方の為でもあるんです。」 「しかし・・・・。」 コウシロウの言いたいことはわかる。だが、それを認めるということは、自分はもうあの廓にいることは許されないことになるのではないだろうか。 この先、実際は再建ではないのだが、噂を真にしてお家再建したとして、どこかの大名に召し抱えられたとしたら、もう二度と、見世に戻ることはできないのではないか。 そんなこと・・・。 首を振るゾロにコウシロウは優しい声音で持って、残酷な現実を突き付けた。 「貴方の夢を掴むチャンスは、もう二度とないのかもしれないのですよ。」 コウシロウの言葉にゾロはハッと顔を上げた。 「元々の貴方の身分を明かしたとして、誰もがそれを受け入れてなお、召し抱えてくれる人ばかりではありません。確かに理解のある人物もいなくはないんですが・・・それでも、誰でもみな、自分の夢を叶えるチャンスが早々くるわけではないんです。見世にいるお友達との縁を切るようで心苦しいでしょうが、貴方が一流の武士になった暁に、彼を見世から救い出すこともできるのではないでしょうか?」 コウシロウには、自分の生い立ちを話す時に、サンジの事も話した。 男なのに見世で遊女と同じ扱いを受けている友達がいる、と。彼は、ゾロの話を聞いて涙を流してくれた。だから、コウシロウの言葉は、彼なりに考えていてサンジを見捨てるつもりでのことではないはずなのだ。 それでも、今のゾロにはコウシロウの言葉は、サンジを見捨てろと訴えているようにしか思えなかった。 脳裏に過去、桜の木の下で誓った言葉を思い出す。 「誰にも負けないぐらい、強い剣士になる。そんですごいお武家さんになって、りっぱなお殿様のところで手柄をいっぱい立てて、いっぱいお金を稼いで、幸せになるんだ!」 ゾロの言葉に釣られてサンジも己の夢を言葉にした。 「俺・・・・・俺は、牡丹母さんが俺の作った料理美味いって食べてくれて嬉しかった・・・。だから、俺は俺の料理を食べてもらって、みんなに幸せになってもらいたい。」 「そっか・・・・お前の夢はじゃあ・・・・一流の料理人だな。」 「そうだな・・・・。」 「だったらここで誓おう!」 「うん。」 「俺は世界一強い剣士に。」 「俺は一流の料理人に。」 「二人して夢を叶えて、見世を一緒に出るんだ。」 「あぁ!」 二人して夢を叶えて、見世を一緒に出る。 そう誓った。 だが、今のこの状況では、一緒に見世を出られるとは到底思えない。 自分だけが先に、見世を出て行くことになるだろう。 『一流の武士になった暁に、彼を見世から救い出すこともできるのではないでしょうか?』 次いつくるかわからないチャンスを只管待つよりも、その方が彼も早く幸せになれるのだろうか。 確かにその言葉には、説得力があるようにも思える。 ただ。 サンジは。 彼は、ゾロを待っていてくれるだろうか。 ゾロは目を瞑った。 まるで瞑想するような表情のまま、ゾロの口が開きかけたその時、後からゾロの名を呼ぶ声が聞こえた。 「ゾロ・・・・。」 頭の中で浮かんだ声とは違う声。 ゾロは、声のした方を振り返った。 そこに立っていたのはくいなだ。 ゾロがここに通うようになった頃は、お転婆という言葉が似合う娘だった。 それは、今も変わらないのだろう。 女性ということもあり、本来ならばすでに剣の道から遠のいても不思議ではない。が、彼女もまた、剣の腕を磨いていて、女性とは思えないほどの実力はある。 腕力では叶わなくなっただろう年頃だが、ゾロと今だに互角でやりあっている。もちろん、以前はゾロはくいなの足元にも及ばなかったのだから彼女からすれば、それは悔しいの一言に尽きるのだろうが。 とはいえ、剣の腕は男勝りとはいえ、器量も良く、普段の仕草も年相応の娘としての振る舞いと礼儀は覚えたようだ。それは、コウシロウの指導の賜物であるだう。 だからこそ、このくいなはシモツキ道場の門下生には高根の花と囁かれて、憧れの的でもある。それは道場の中だけに限ったころではないのだが・・・。 「く、<いな・・・・?」 「くいな・・・どうしたんですか?」 ゾロだけでなく、コウシロウもまた驚いている。コウシロウが呼んだわけではないのだろうか。 「ごめんなさい。お父さん、呼ばれる前にここにきちゃったわ。」 くいなの言葉にコウシロウは溜息を吐いた。 呼ばれる前? ということは、コウシロウの話には、まだ続きがあるのだろうか。くいなも関係するような話が。 「ゾロ。」 「はい。」 コウシロウの呼ぶ名にゾロは素直に返事をした。 まだ話があるとしても、もうこれ以上、驚くことはないだろう。 「実はまだ、話には続きがあるのです。」 「はい。」 ゾロは段々と冷静になっていく自分を自覚した。 今度はどんな話に展開するのか。 「貴方の夢をさらに確実にするためにも、悪いことではないと思うのです。」 「?」 「くいなと夫婦になりませんか?」 「・・・は!?」 静かな男に見えて、この道場の師匠は一体どれだけゾロを驚かしてくれるのか。 呆然とするゾロにくいなが後からゾロに近づいた。 「私から、父に頼んだの。」 理由がわからない、とゾロは後を振り返った。 「ゾロは知ってるわよね。私の夢。私も貴方と、誰にも負けないほど強い剣士になること。女性だから武士というわけにはいかないけど、でも、誰にも負けないほど強くなりたい気持ちは今もかわらないわ。」 それは知っている。だからこそ、最初はゾロはくいなに歯が立たなかったとはいえ、今はお互い切磋琢磨していると言っていい。 だが、それと夫婦になるということが繋がらない。 「でも、この間のことでもわかったけど、私は、剣士として表舞台で剣を交えることはできないわ。どんなに強くなろうとも、試合に出ることさえできないのよ。この悔しさ、わかる?」 「・・・・・。」 そうだ。各道場や大名から出られるのは、わずか2名。このシモツキ道場からは、ゾロと、やはり商家の出であるコ―ザが出た。 それは、武家の出である連中からは妬み僻みの対象にしかならなかったが、この道場内での実力試しで全ての者の口を封じた。それだけの実力があることを立証済なのだ。 だが、この中にくいなはいない。 なぜなら、くいなは女性だから出られないのだ。もし、くいなが出ることが出来たのなら、ゾロかコ―ザのどちらかは、試合に出ることはできなかっただろう。 ゾロは知っている。 誰もいない林の中で泣いていたくいなを。 だから、自分が強くなるだけでなく、彼女の分も、と頑張ったのだ。 「だから考えたの。私はどうやって生きて行ったらいいか。もちろん、剣の腕を磨くことを止めるつもりはないわ。でも、男の人みたいに生きていくことはできない。悔しいけど・・・・女としての幸せをみつけないといけない。だから・・・。」 「・・・・・。」 一旦俯いて、浮かび始めた涙を拭ってくいなはゾロを見つめた。 「だったら、私のことを理解して、一緒に剣の腕を磨いてくれる人と一緒になるのが、私の幸せじゃないか・・・って。」 「・・・・!?」 驚きのあまり、開いた口を閉じることができなくなったゾロに、くいなの父、コウシロウが話を続けた。 「幸いにも、くいなはゾロ、貴方を慕っています。ゾロ、貴方もくいなのことを嫌ってはいないでしょう?それに、剣の腕も含めて、お互いを認めている。」 「・・・・。」 確かに、くいなの事は、1人の剣士として認めている。嫌っていないのも確かだ。だが、今までくいなを女性として見たことはなかった。 確かに、周りの門下生連中は、くいなのことを剣士として以外に年頃の娘へ向けるのと同様な熱い視線を向けていた。 だが、自分には思いを寄せる人がいる。くいなの事を好くよりも、大門の中で儚く笑う大切な人がいる。 だからこそ、くいなを他の男と同じ目で見ることは無かった。だが、夫婦になるということは、彼女を女性として受け入れるということだ。 「俺は・・・・。」 ゾロは俯いた。 くいなはそんなゾロを見て、彼の膝に手を乗せる。 「ゾロは私のこと・・・・嫌い?」 言葉に顔を上げると、不安そうに見つめる瞳が目の前にあった。 「いや、嫌いというわけじゃ・・・。」 「だったら、この申し出を受け入れて欲しいの。」 「・・・・。」 真剣な瞳に言葉が詰まる。 コウシロウも人の親。なんとかくいなとの話を進めたいのだろう。助け舟を出す。 「ぜひ、私からもお願いします。もちろん、くいなは一人娘。婿養子になってもらうことになります。でもそうなれば、先ほど話した貴方の出自の件も暴かれる心配がさらに無くなります。自ずと話が全て上手く進んで、貴方の大事なお友達を救うことにも繋がるのではないですか?」 「私もそう思うわ・・・。」 コウシロウとくいなの言葉に、ゾロは眉を寄せた。 ゾロの表情に、コウシロウが申し訳ないと頭を下げた。 「悪いとは思ったのですが、くいなには貴方のことを全て伝えました。むろん、くいな以外には誰ひとりとして話していませんし。」 「私も、誰にも言わないわ。それに、貴方がどこの誰であろうと、貴方を好く気持ちにはかわらないの。」 二人して、申し訳ないが、他言はしないと言う。 それはもういい、とゾロは思った。コウシロウ同様、くいなも信用に足る人間だ。 でも。 でも、コウシロウにも伝えず、また、くいなも知らないことが一つあった。 ゾロの気持ちだ。 コウシロウには、ゾロが大切だという人間は同じ男でと見世で一緒に育ったとしか話していない。むろん、必然的にくいなもコウシロウと同じだけの情報しか持っていない。 ゾロのサンジへの気持ちは二人とも知らないのだ。 ゾロは、膝の上で拳を握りしめた。 自分だけが、先に見世を出て行く。 一見するとまるでサンジを見世に置き去りにするようだ。サンジを見捨てたと思われても仕方が無い状況だ。 例えそれが、最終的にサンジを見世から救い出す方法だとしてもだ。 それに。 心に思う人がいるのに、他の女性と所帯を持つことがゾロにはできるのだろうか。己の心に蓋をして。 目の前で不安そうに、しかし、ゾロが首を縦に振るのを信じて疑わない二人が静かにゾロの口から発せられる言葉を待っている。 「しかし・・・・。」 「ゾロ?」 ゾロは無理矢理理由を付けて、最後の抵抗を試みた。 「俺の出自を知っているならば、わかっていると思いますが・・・・・。俺には、見世に借財があるのみ。彼女が満足するような婚儀も挙げてやることはできません。」 事実ではある。 だが、その言葉をもコウシロウは穏やかな笑みを伴って覆した。 「そのことについては安心してください。むろん、婚儀の費用は全て私の方で用立てます。なにせ一人娘の一生に一度の晴れ舞台なのですから・・・・。貴方は何も心配せずに、身一つでここに来てくれればいいのです。」 「そうよ、ゾロ。どうせ、ゆくゆくはここを継ぐのだし・・・。今のことは父に任せて!ゾロはこれからなのよ。」 「・・・・・・。」 心が揺らぐ。 何が一番なのだろう。 わからない。 頭がグルグルとする。 「今すぐに返事ができないのなら・・・。」 「お父さん!」 コウシロウの言葉をくいなは絶った。彼女はゾロに恋する乙女になってしまったようで、必死だ。 「ゾロ・・・。私・・・・貴方だけなの。」 「くいな・・・・。」 必死に縋りついてくる、いつもは強気な剣士が、今は儚い女性としてゾロを見つめる。 「それに、ゾロや貴方の友達の為でもあるのよ。これがみんなが幸せになれる一番の方法なのよ。」 くいなの言葉に、ゾロはそういうものかと思う。 見世と道場しか知らないゾロは、世間の事は何一つ知らない。大人の世界は何もわからない。 自分には、確かに二人が言う方法以外に、サンジを助け出す術を持っていない。 サンジはいつも言っていたではないか。 「いつかお前にいい人が出来て、ここを出たいのなら、先に出て行って構わないぜ。」 それが彼の強がりであることはわかっている。でも、本音であることも知っている。 ゾロがサンジの幸せを考えるのと同様、サンジもまた、ゾロの幸せを願っている。 お互い一度も口にしたことはないが、それでも心は通じ合っていると信じている。 自分が彼を抱きしめて、彼の穏やかな笑みを引き出したいのに。 小さくても構わない。二人でひっそりと過ごしたい。そうも思うのに。 でも、お互いに口にした夢を叶えたいとも思うのだ。それもまた、お互いに幸せになる道だと信じている。 サンジの幸せ。 それは、見世を出て、男として暮らすこと。涙を隠して客に体を開くこともなく、ただ己の作った料理を食べてもらって人々を幸せにすること。 サンジのためならば。 己の気持ちに蓋をしよう。 大丈夫だ。 彼の幸せを掴むためなら、何だってやってやる。 それが、例え自分の気持ちを裏切ろうとしてもだ。 ゾロは、今一度、拳を握り締めて、コウシロウに向き直った。 「今までの話・・・・全部、受けます。」 真正面から見つめる瞳に、コウシロウは今まで以上に笑みを溢した。 「受けてくれるのですか?それは、ありがたい。」 「ゾロ・・・・嬉しい。」 なかなか返事を口にしなかったゾロに不安な表情を見せていたくいなは、涙を浮かべながらゾロの腕に手を絡めた。 もう後には引けない。 ゾロは脳裏に浮かんだ金髪の後姿を、無理矢理心の奥から押しだした。 |
11.06.17