いつか桜の木の下で13
サンジは、散々クロコダイルにいいように抱かれて疲れ切った体に鞭を打とうと、部屋を出た。 外に出るほどの体力は残っていないが、庭に出て少しでも違う空気が吸いたいと思った。どのみち、見世の外に出ることは普段からほとんどないのだが・・・。 少し落ち着いたら、腫れた瞼もなんとかしなくてはならない。 煙管から煙草をコンコンと落とすと、サンジは立ち上がった。 乱れた着物を井桁に掛け、襦袢だけで部屋を出る。客のいない時間だ、構わないだろう。 散歩代わりに廊下を歩き、庭へと向かう途中。楼主の部屋を視界に入れた時に、見知らぬ顔をその端に見つけた。 手にしている刀からしてどこかのお武家さんか?と首をを傾げたが、客ならば刀は見世に入る際に預けるはずだ。客ではないのだろうか。いや、そもそも客の入る時間帯ではないし。 なんとなく嫌な予感がして、サンジはそっと足音を立てずに楼主の部屋へと近づいた。幸いに誰も近くにいない。物陰に隠れる様にして、サンジは中を伺った。 「噂は聞いている。うちの若衆のゾロがどこぞの道場の娘に入れ込んでいると・・・。」 ゾロ・・・!? 出てきた名前に、サンジは、背筋に緊張を走らせた。 クロコダイルから聞いた話を思い出す。 『この吉原の大門の中にいる限りじゃあ知らないと思うが、巷じゃ知らない者はいない道場があってな。『シモツキ道場』と言ってな、噂じゃ主は心の広い持ち主で、素質があれば、身分など関係なしに道場に通うのを許している。そもそもその道場も将軍家も認める実力揃いのところでな。』 『奉行の話じゃ、ゾロがどこの誰だか知っている輩はいないが。それでも、奴の実力が世間に認められたようでな。道場の跡継ぎとして迎え入れられる話が出ているようだ。そこの一人娘との夫婦になることでな。』 では、今来た男はその道場の関係者というのだろうか。 「いやはや。噂とは恐いものですな。いつの間にか尾ひれがついているようで・・・。」 「まぁ、あながち間違っていないんじゃねぇか?」 「はぁ・・・・。まぁ・・・・。」 「で?」 「言い遅れましたが、先日は、ゾロくんへの試合の許可をありがとうございました。お陰様で見事に我が道場が勝利を納めることができました。そして今日訪れたのは、ゾロくんの今後のことです。ゾロくんは、貴方に話をしましたか?」 「いや。まだ何も聞いてねぇ。」 穏やかに笑う男は、楼主の強面にも怯まずに淡々と言葉を連ねた。 楼主の方も、普段から柄の悪い連中とやりあっているし、楼主自体も柄が悪いからか、相手がお武家だろうと遠慮はなかった。 「ゾロくんもまだ、どう話して良いのかわからないんでしょうね。ならば、私の方から全てを説明させてもらいます。」 そうして、いつの間にか出されたのだろう、目の前に出されたお茶を口にすると、シモツキ道場のコウシロウは、話を始めた。 試合の許可をお願いした時には、話さなかった詳細まで説明をしだした。 ゾロが道場に通い出した時のこと。 今は、道場でも一番の剣の使い手になったこと。試合でも勝ち進んで、あちこちの大名から様々な誘いがあること。 この見世の出自を隠したまま、娘のくいなと夫婦になり、婿養子として迎える用意があること。 それらの費用は全てコウシロウの方で用立てること。 全てのことにゾロ自身も了承していること。 気の短そうな楼主を見越してか、掻い摘んで、それでも大事な部分を漏らさない様、要点は押さえて話をした。それは、物陰に隠れるサンジをも納得させるだけの力があった。 楼主は、「ふん」と顎を上げて、目の前の穏やかな男を見やる。 「まぁ、うちとしちゃあ、別にあいつが出て行ってくれて御の字だが・・・。だが、残念ながらまだ借財が多少なりとも残っている。それもあんたがあいつの代わりに払ってくれると言うのか?」 「それは、もちろん・・・。」 「待ってくれないか!」 ゾロの面倒をみるのは、もはや当たり前だと言わんばかりにコウシロウが首を縦に振るその瞬間、襖が突然開いた。 そこに立っているのはサンジだ。 楼主とその客の話に割り込むなど、況してや金の話に割って入ることなど、あとで折檻ものだが、それでもサンジは襖をを開けてしまった。ここは聞き逃してはいけないことだ。 話をしていた二人は、驚きの表情で襖のところに立つサンジを見上げる。 「何だ!?サンジじゃねぇか!?・・・てめぇ・・・。大人の話に入ってくんじゃねぇ!」 「・・・・サンジくん?貴方が・・・。」 コウシロウはサンジの事を多少なりとも知っているのだろうか。ただ驚いただけの表情ではなかった。 チッ。ゾロの奴。道場の人間に何を話してんだか・・・・。 コウシロウの表情に内心舌打ちしたが、今はその感情を無視して、二人の会話の続きを自分が続けた。 「ゾロの借財だが、俺が全部引き受ける。もちろん、婚儀に掛かる費用も全部だ。」 「なんだと?」 クリークの眉が跳ね上がった。 「何言ってんだ、てめぇ。自分の分だってかなりあるのに、さらにゾロの分も請け負うってのか?」 「あぁ。」 楼主の言葉に、ニヤリとサンジは口端を上げた。 「何考えてんだ?てめぇ?」 「サンジくん。私は君に負担を掛けるためにゾロくんの話をしにきたわけじゃあ・・・・。」 「俺がそうしたいんだ!」 自分も会話に加わろうと部屋の中に入り、後手で襖を閉めた。そのまま、赤い襦袢を翻してサンジはどかりとコウシロウの隣に座った。どうみても遊女とはいえない仕草だったが、それを咎める者はここにはいない。 幸いにも、見世の若衆連中は誰もサンジが部屋に入って来た事に気づいていない。楼主が誰かを呼ばない限りはこの部屋からつまみだされることはないだろう。そして、楼主は、サンジをここから追い出すつもりはないらしい。どころか、話が面白くなったとニヤニヤしている。 「ゾロはこんなチンケな見世の用心棒で終わる男じゃねぇ。」 ”チンケ”な部分にクリークの眉がピクリと動いたが、話の流れもあってか耐えたようだ。だが、あとで折檻決定だな、とサンジはチラリと楼主を見やった。が、そのまま言葉を続ける。 「悪いけど、おっさんの話は聞かせてもらってた。それで、ゾロの夢が現実になろうとしてるのがわかった。」 「そうです。すでにいくつかの大名からゾロくんに奉公の話が出ているんです。」 コウシロウが合いの手をうつ。サンジは軽く頷くとさらに言葉を続けた。 「それで、だ。ゾロがいつまでもこの見世にいるのもまずいのもわかった。かと言って、ゾロにも借財はある。婚儀にもこれからの生活にも費用がかかるのもわかる。」 「だから、それはこちらで用意させてもらいます。彼にはくいなと一緒になってもらってうちに入ってもらわないといけません。」 すでにその準備を進めているというコウシロウにサンジは目を細めた。 クロコダイルの話とコウシロウが楼主に説明したことは、ほぼ外れていなかった。 確かにゾロは、世間では、お家断絶状態であるがそれなりの家柄ということになっているらしい。ならば、世間的にも婚儀の費用もまるごと道場主に頼むわけにはいかないだろう。 それに。 サンジは脳内の片隅にゾロの顔を浮かべる。 今まで、生まれてからずっと借金まみれの生活だったんだ。 心身ともに新しくここから出て行ってほしい。 あぁ。クロコダイル。てめぇの言う通りだよ。 てめぇ、俺の性分をよくわかってんじゃねぇか。さすが、馴染み歴が長いねぇ。 誰にもわからないようにサンジは俯いて自嘲し、言葉を続けた。 「でも、そうするとゾロには今度、あんたの所に借財を作ることになる。例え、返す必要はないものと言ってもだ。それはゾロに取って、今までと何も変わらない。」 「サンジくん。」 多少無理があるように聞こえるかもしれないが、ゾロの性分もまたサンジにはわかる。 彼の事だ。表向きは、何事もないように見えても、彼の心の中では、きっとこのコウシロウとくいなへの詫びの気持ちがずっと無くならないだろう。 せっかくここから全てを捨てて出て行くのだ。 全く新しい人間として、武家の息子として生きて行って欲しい。 「ゾロの分の借財。そして婚儀の費用。全て俺が負担する。」 「ほぅ。」 「な・・・サンジくん・・・。」 ニヤニヤと笑う楼主にサンジも笑みを見せる。 「今更、更に借財が増えたところで俺の生活はなんら変わることはねぇ。なぁ、楼主さんよ。」 「まぁ・・・・そうだな。せいぜい、今以上に仕事に励んでもらわねぇといけねぇがな・・・。」 サンジの提案に楼主もあっけなく乗る。今以上に、雁字搦めになってしまうサンジに笑いが止まらないようだ。 「そんな・・・・いいんですか?本当に。」 心配そうに見つめる優しい男にサンジは穏やかに笑った。 「俺は構わねぇ。っていうか、一つ頼みがある。」 「何だ?」 改めて楼主に向き直ったサンジにクリークは眉を跳ねた。 「この話、絶対他言無用で頼む。金の件、ゾロには、見世からの祝儀ということにしておいてくれないか?」 「ほう?いいのか?サンジ。」 「当たり前だろ?俺はゾロに優越感を持ちたいわけでもゾロに負担を感じさせたいわけでもねぇ。しいていえば・・・・そうだな。ずっと今までの礼がしたいだけだ。」 「礼?」 コウシロウが首を傾げる。 「あぁ、俺はゾロの母さんとゾロのお陰でずっと今まで生きて来られたんだ。感謝しても感謝し切れないぐらいの恩だ。その恩を返すことなく別れたくはねぇ。だから、これは俺からの祝儀と感謝の気持ちだ。」 「サンジくん・・・・。」 サンジが口にしたことは本音だ。彼の幸せを願っていると同時に、彼にこれ以上ないくらい感謝している。 何も間違ったことは言っていない。 ただ、一つ。サンジの心の奥深くで燻っているゾロへの恋慕の想いは口にしないが。 生まれた時からずっと一緒で。片時も離れずに一緒に生きてきた。お互いの夢を語り、一緒にここを出ようと誓った。兄弟と言ってもいい仲だ。 だが、そのゾロへの想いが違う形に変わったのはいつからだったのだろうか。 ゾロへの想いに気付いたのは、無理矢理から始まった遊女への転換。クロコダイルに強姦とも取れる扱いを受け、慣れない体に雄を差し込まれた時。 これが、ゾロならば、と思った。その瞬間、サンジはすとんと納得してしまった。 きっと、そんな思いがあるからこそ、遊女として扱われるようになってしまったのだ。 一度、客を迎えてしまえば、もはや戻ることのできない世界。 サンジは、ただ只管ゾロの幸せだけを願って。彼と結ばれることは一生ないだろうことを覚悟して、あれから遊女として生きてきた。 その延長なだけだ。 俺は何も変わらない。 ゾロが幸せになれれば、それでいい。 「でも、ゾロは、俺が費用を捻出したと知ればきっと受け取らないだろう。まぁ、見世からの祝儀と言っても不審がるとは思うが、そこは上手く頼むよ、楼主さん。」 「あぁ、俺は、別にどうでも構わねえぜ。俺の懐が痛まなければな。」 「助かるよ。」 話はこれで終わりだ、とサンジはよいしょと立ち上がった。 それを見てコウシロウは目を細めた。 「本当にそれでいいのですか?」 コウシロウが再度重ねてサンジに問う。 「あぁ、ゾロが幸せになれれば、それでいい。くいなさんって言ったっけ?あんたの娘さん。きっといい娘なんだろうな。」 「えぇ。自慢の娘です。」 くいなの名前が出れば、その男はやはり一人の親である顔をした。その表情を見て、サンジの顔にも笑みが漏れる。 「ならば、安心だ。ゾロをよろしく頼むよ。」 「わかりました。」 コクリと頷くコウシロウを見て、サンジは穏やかに笑った。 「俺は、細かいことは何も分からないから、準備なんかは全てまかすから。金額は後で俺につけておいてくれ。どれだけ掛かってもかまわない。立派なお武家さんの婚儀だ。派手に頼むよ。」 クリークに、後の手配は頼むと手を振った。 自分は何も知らな子どもと同じだ。儀礼儀式とは縁のない生活。段取りとか準備とかそういったことは、わかる大人達で進めてもらえばいいだろう。 これで自分の用は終わりだ、と部屋を出て行こうとする。 コウシロウは慌てて思い出したように「サンジくん。」と声を掛けた。 「ん?」 開いた襖に手を掛けたまま振り返るサンジに、コウシロウは真正面からサンジを見据えた。 「ゾロは、私達が責任を持って立派な剣士に育てます。そして、ゾロは貴方をここから連れ出すことを決めています。どれくらいかかるかわかりませんが、彼を待っていてください。」 真摯な瞳で見つめる男に、サンジは遊女らしくない仕草で頭をガリガリと掻いた。 あぁ、この人たちは、俺の気持ち、知らないんだよな。ま、知ったらきっとこんなこと言えないだろうけど・・・。 「ありがとう。期待しないで待ってるよ。・・・・でも・・・。」 「はい。」 「俺のことよりも、まずは自分達の幸せを優先していいから。」 「わかりました。」 それだけ言うと、サンジは改めて楼主の部屋を出て行った。 夕べクロコダイルに散々に扱われ、疲れ切った体を癒そうとしたのだが、結局それも叶わず。 今日の仕事の準備へとサンジは、自室に戻った。 今以上に働かないといけないよな。と笑いながら。 |
11.07.04