いつか桜の木の下で14
コウシロウが見世を訪れた日から、どれくらい月日が経っただろうか。 世間は何もかわらず。サンジもいつもと同じように客を取る日々が続く。 ゾロも相変わらず気がつけば姿を消していて、「また迷っているな。」と他の若衆からぼやかれる毎日だ。 が、僅かだが、ゾロの姿を見ない時間が増えたような気がする。 婚礼の準備をしているからだろうか。 でも、ゾロは何も言わない。 結局、いつもと変わらない日々が続くばかりだった。 ゾロからは何の話もなく、サンジは日増しに不安になった。 あれから話は順調に進んでいるのだろうか。 楼主にいろいろと聞くことはサンジの心情からしてできない。況してや、やたらとその事を口にして誰かに聞かれでもしたら拙い。 ゾロに自分から聞くこともできない。 イライラが募るばかりだ。 そんなある日。 「サンジ。ちょっといいか?」 「何だ?俺ぁ、今準備で忙しいんだが・・・。今日は、雷屋のエネル様が来ることになってる。あんま時間ないんだが、あとじゃダメか?」 「すぐに済む。」 部屋で髪を髪結いに整えてもらいながら答えるサンジは、平静を装いながらもいよいよ来たかと思った。 いつにない緊張を隠そうとしているサンジの雰囲気に、わからないまでも何かしらの気まずさを感じた髪結いは、早々に仕事を纏めるとそそくさと出て行った。 「ったく、てめぇが慌てさせるからいつもより雑な仕上がりになっちまったじゃねぇか・・・。」 鏡を見て髪の仕上がりを確認しながらぼやくサンジに、ゾロが頭を垂れた。 「悪ぃ・・・。」 申し訳なさそうに項垂れるゾロに、サンジは、脇に寄せてあった煙管に手を伸ばした。 葉を詰め、火をつける。 「で?話って何だ?」 「・・・・・。」 「何だよ、一体・・・。」 「あ・・・・のな・・・・。」 いつになく余所余所しいほどの様子に、サンジは思わず声を荒げたくなったが、なんとか耐えた。 言いにくいのは、当たり前だ。サンジを置いて、自分ばかりがここを出て行くことになるのだから。 ったく、律儀だよなぁ。 内心溜息を吐いて、サンジは改めてゾロに向き直った。 「話があるって言ったのはてめぇだろ?黙っていたらわかんねぇよ。」 「そうだな・・・。」 「こっち来て座れよ。」 「あぁ。」 サンジに促されて、ずっと襖の傍で立っていたゾロは、サンジの真正面に胡坐を掻こうとして、慌てて正座に正した。 その様子からして、話の内容をいよいよ確信した。 サンジは一見、火鉢に凭れて寛いだ風を装うが、心持ちゾロに合わせて姿勢を正した。 ゾロの様子にサンジは、グッと自分の気持ちを引き締める。 「あのな・・・。」 「うん?」 何度自分からゾロに話を振ろうと思ったかわからない。だが、その度に自分を叱咤したのだ。 ゾロから話をしてもらわないといけない。 どんなに辛いことでも、言いにくいことでも、ゾロがケジメを付けなければいけないことなのだから。 口ごもるゾロにサンジは顎を上げて話を催促した。 その様子に意を決したのか、ゾロがサンジの眼を見て、両手を畳みに着いた。 「今度、俺ぁここを出て行く。剣の腕を認められて、大名に召し抱えらることが決まったんだ!」 「・・・・・へぇ・・・そりゃあ、すごいじゃねぇか・・・・。」 驚きを隠せず、それでも平静を装うフリをして、サンジは煙を吐いた。 が、自分の知らない内に奉公の話しまでも決まったのか、と心の奥で口を緩めた。 サンジが楼主の部屋で話を聞いた時は、まだ勧誘のための使いが何人か来ている段階での話だったと記憶している。 「そりゃあ・・・・良かったじゃねぇか・・・・・。よくこんな、吉原にいる若造を召し抱えようとしてくれる大名がいたもんだ。」 口角を上げて、喜びを見せる。 本来なら、飛び上がらんばかりの朗報なのに、サンジの喜びは今一つだ。 真正面にあるサンジの表情が歪んでいるのを見つけ、ゾロは眉を跳ね上げたが、あえて見えない振りをした。 サンジが何か知っているとしても、お互い、どうすることもできない。 なんせ、この話はこれだけでは終わらないのだから。 「それは・・・・俺はここの人間だって知られてねぇ。だからこそ決まったことだと思う。」 「ほぅ?だったら、どこの誰なんだ、てめぇは?」 「俺は・・・・『シモツキ道場』の人間になる。そこの一人娘のくいなと3日後に婚礼を行うことになっている。そしたら、もう俺は『シモツキ道場』の人間だ。・・・・ここには、来ねぇ・・・。」 「3日後!?」 突然出された日にちに呆然とする。 サンジは、ゾロの婚儀の日取りを知らなかったから、ただただ驚くばかりだった。 サンジの驚きに、ゾロは俯くしかない。 「3日って!?おまえ、まだここを出て行く準備とか、向こうで住む準備とか・・・どうすんだよ!?」 サンジの言葉に、ゾロは、やはり知っていたのか、と唇を噛みしめる。 でも、どうすることもできない。 「それは、もう全てできている。明日には・・・・ここを出て、後は向こうで済ませる用ばかりだ・・・。」 「明日!?」 カランと手にしていた煙管が滑り落ちた。 この先の展開を知っていたとはいえ、全てのことを知っていたわけではない。 準備も段取りも全て『シモツキ道場』のコウシロウや楼主が取り行っていたからだろう。 サンジは、結局何も知らないのと同じだ。詳細も日程もわかっていなかった。 しかも、明日ここを出て行くことになっている!? そりゃあ、ゾロはここの人間でないということでくいなと夫婦になることになっている。婚礼を執り行う当日までこんなところにいたら拙いだろう。 だが。 だが、何も明日出て行くって言う日に言う事はないではないか。 サンジはグッと唇を噛み締めた。 だからといって、引きとめることはできない。 ゾロが未練を残さないように、笑ってここを送りだしてやらなければいけないのだ。 「そっか・・・・。さみしく・・・なるな・・・・。」 「サンジ・・・・。」 落とした煙管を手に取り、震える指を誤魔化しながらゆっくりと煙を吐いた。 「まぁ、・・・・てめぇの夢が叶うんだ。こんなめでてぇことはねぇよな・・・・。」 「サンジ!」 強く呼ばれる名前にサンジは体をギクリと強張らせた。 「その反応・・・。何か知ってるんだな?」 どうしようも無くとも、ゾロはやはり聞いてしまった。 ゾロは正座のまま、ズズズとサンジに擦り寄った。サンジは、顔を背けて、もう一度煙を吐く。 「別に・・・何も知らねぇ・・・。そりゃあ、驚いたが、てめぇの夢はわかってるから・・・・だから、反対する理由も引き止める理由も俺にはねぇ。それだけだ。」 そうだ。もし、本当に何も知らないとしても、ゾロを引きとめたりはしないだろう。ショックはでかいだろうが、それだけは確かだ。どちらにしても、サンジの行動になんら変わることはない。 だからこそ、笑顔でゾロを見送らなければならない。 「そうか・・・。」 わかっていただろうに。サンジが知っていようと知っていまいと、結局、結論は一緒だから。 ゾロはそれ以上、サンジの答えに何も詰め寄ることもしなかった。 お互い、夢のことをわかってるのだ。 もし、これが逆の立場だったとしても一緒のはずだ。 「悪ぃな・・・。急なことだし、・・・・何も・・・・祝って送り出すことも・・・・できない。」 「何もいらねぇ。あぁ・・・・いや、一つだけある。」 いつの間にか、正座を崩して、ゾロはサンジのすぐ傍に寄って来た。 「な・・・・何だ?」 近い顔に、サンジは思わずうろたえる。 「今夜一晩、俺と過ごして欲しい。」 「な・・・!?」 「その一晩の時間さえあれば、俺は、この先頑張っていける。」 今にも抱きこもうとしている腕をサンジは払った。 「な・・・何言ってやがる!さっきも言っただろうが!俺はこの後、客が来るんだ。そんな時間は・・・。」 「雷屋なら来ねえ。」 「え!?」 頭を振るサンジを押さえこむ勢いで、ゾロはサンジの頬を両手で掴んだ。 「楼主に頼んで今夜の客は断った。体調が悪いと言ってもらって。悪いがその後、雷屋にはてめぇから詫びを入れてもらわねぇといけないが、それでも俺には、今のこの時間が欲しかったんだ。」 「ゾロ・・・・・。」 顔を上げて見つめるサンジにゾロは目を合わせた。 そのまま強く抱き締める。 「ただ、時間を貰ったとしても、俺には何もできねぇ・・・。でも、一晩、こうしてて欲しいんだ。・・・・頼む。」 サンジの首筋に顔を埋め込んで、ゾロはくぐもった声でサンジに話しかける。 強く抱き締めるゾロの腕は、僅かながらも震えているのがサンジにも伝わった。 サンジは天井を仰いだまま、ゾロの言葉を聞いた。 「サンジ・・・・すまねぇ・・・。本当にすまねぇ・・・・。」 背中を痛いほどに抱きこむ強さに反して、ゾロの声音は弱かった。 いつも真っ直ぐ前を見つめて、強い剣士を目指すと、宣言している男とは到底思えない。 いつも、若衆の中で一番の年下とはいえ、その腕っぷしの強さでもって、チンピラ紛いの客から見世を守っている逞しい男とは到底思えない。 そういえば、噂を聞きつけていきなりサンジを抱かせろと息まいて上がり込んできた男が来た時も、ゾロが真っ先に駆けつけてくれて、その男を追いだしてくれたことがあった。 何を勘違いしたか、客を取られたと思った余所の見世の遊女がサンジを出せと言って玄関で騒いだ時も、ゾロはサンジを庇って代わりにケガをしたこともあった。 どんな嗜好を持ち合わせているのか、通常では考えられない非道な扱いをする客がいて、サンジが傷だらけになった時は、ゾロは優しくサンジの体に薬を塗ってくれたこともあった。 小さい時は、薪が上手く持てなくて四苦八苦しているサンジに、ゾロが「俺が持つ」と自分の倍もある重さの薪を運んでくれたこともあった。 お義母さんが亡くなった時、サンジを守ろうと一生懸命サンジの倍の仕事をこなしてくれた。 まだ小さい時は、お義母さんが仕事でいない時は、ふたりで手を握り合って過ごした。 次々にゾロとの思い出が脳裏に蘇ってくる。 それのどれもが、サンジを守る為の行動で、サンジを愛しんでくれる姿ばかりだ。 今度は、自分の方がゾロを守って、助けてやる番。 サンジは、目をギュッと瞑って、溢れそうになる涙を堪えた。 たった一晩だけど・・・・。 ゾロがそれでここを安心して出ていけるのなら、一晩だけだけど、ずっとゾロの傍にいよう。 それは、きっとゾロだけでなく、自分もまた、この先一人きりになっても生きていられる糧になるだろう。 逆にゾロに感謝しないとな・・・。 「ゾロ・・・・。」 天井を向いていたサンジは、そっとゾロの頬に手をあてると、穏やかに彼の瞳を見つめた。 「ゾロ・・・ありがとう。俺も、この時間があればきっと、これからもここで生きて行くことができる。」 「サンジ・・・・。」 お互いに見つめあった。 「サンジ・・・。」 「・・・何だ?」 「信じて欲しい。必ず迎えにくるから・・・・。どれだけ時間が掛かろうとも、必ず俺は、お前を迎えに来る。だから、待ってて欲しい。」 ゾロの言葉にサンジはクスリと笑った。 「わかった・・・。でも、ゾロ。」 「何だ?」 「夢を叶えるんだろ。」 「あぁ。」 「一流の剣士になって幸せになるんだ。わかったな。」 「もちろんだ!」 二人して穏やかな笑みを見せると、何の迷いもなく、お互いに顔が近づいた。 そっと触れるだけのキス。 最初で、最後の。 軽いキス。 だが、測りきれないほどの思いが籠ったキスだった。 一晩、二人で肩を寄せ合って過ごしたのち、ゾロは静かに部屋を出て行った。 そして、そのままゾロは、見世から姿を消して帰ってこなかった。 |
11.07.11