いつか桜の木の下で15
「ちょっと!!どういうこと、サンジくん!!」 ナミがいつになく声を荒げて、サンジの部屋を訪れた。バタンと開けられた襖の音が部屋に響く。 「どうしたのさ。ナミさん?」 「せっかくの綺麗な顔が台無しじゃないか」と言うサンジの声を無視して、ナミはどかりとサンジの前に座り込んだ。 「ゾロはどこ言ったのよ!!」 「ゾロ?」 「そう!ゾロよ!!」 「さぁ?」 サンジは首を傾げて、「それがどうかしたか?」とでも言わんばかりの様子でナミを見つめる。 ナミは更に顔を赤くして、サンジに詰め寄った。 「さぁ?じゃないわよ!!どこにもいないのよ!ゾロが!!」 「知ってる。」 「知ってる・・・・って・・・。」 あまりのサンジの様子に、ナミは逆に毒気を抜かれたようにポカンと口を開けてしまった。 と、ハッと我に返って、サンジの襟元を掴む。 「意味わかってんの!?ゾロ、もう三日も戻ってこないのよ。朝、消えたきり・・・・。私、てっきり遠くへのお使いだとばかり思ってたけど、ギンに聞いたら違うっていうし・・・。それに、今までだって、迷子になって遅くなって帰ってくることが多かったけど、これは尋常じゃないわよ。わかってんの?サンジくん!!」 ナミの形相に反して、サンジは穏やかに笑みを見せて答えた。 「うん。ゾロ、もう二度と戻ってこないから・・・。だから、そんな慌てなくて大丈夫だよ。ナミさん・・・。」 「・・・・え!?」 表情からでは到底考えられない内容に、ナミは目を丸くするばかりだ。 思わず、掴んでいた手が離れる。 「どういうこと・・・?」 驚きを隠せないにナミにサンジは穏やかな声で答えた。 「ゾロ・・・出て行ったんだ、ここを・・・。」 「出て行った・・・?」 「そう。ここを出て行って、お武家さんになったんだ。とても素敵なお嫁さんを貰って、立派な武士になるんだよ。」 ナミの表情が、先ほどとは比べようもないほどに変わっていく。 ニコリと笑うサンジと、サンジの言葉に驚きと怒りが湧きだしたナミの表情は対照的だ。 「な!?・・・・何言ってんの、サンジくん・・・・。ゾロがお武家さん・・・・って、無理に決まってるじゃない!!」 「それが、無理じゃなくてさ・・・本当なんだよ、ナミさん。今日・・・・多分、もう婚礼始まってるんじゃないかな・・・。」 細かい時間は知らないが、昼見世が始まろうとしているこの時間、きっとゾロは、凛々しい衣装を身につけて美しい奥方を迎えようとしている頃だろう。 目を閉じると、慣れない衣装に戸惑いながらも穏やかに笑うゾロの顔が浮かぶ。顔も知らないがゾロにお似合いだろう女性が、その横に並んで頬を染めてゾロを見つめているだろう。白無垢が彼女の肌をさらに綺麗に見せ、角隠しから見え隠れしている髪はサンジと違い、艶やかな黒をしているだろう。 きっとお似合いで、周りからも祝福され、幸せな時を過ごしているだろう。 自分はその場に居合わせることはできないけれど、遠くこの場から彼らの幸せを願っている。 正直に言えば、胸の奥がちょっぴり痛いが、ゾロの幸せを考えれば耐えられる痛みだ。 そんなサンジの心の内に触れようともせず、ナミは声を荒げた。 「そんな!!・・・サンジくんっっ!!いいの!?本当にそんな・・・・・!?何でっっ!!??」 あまりに予想外の話にナミは混乱するばかりだ。思わずサンジの胸倉を掴んで声を荒げる。 が、慌てるナミを穏やかに見つめてニコリと笑うサンジに、ふるふると怒りが頂点に達した。 「いいわっ、私・・・・・これからそこに行って、ゾロ連れて帰ってくるから!!」 ダン、と掴んでいたサンジの着物を離すと、ナミは足を踏みならして踵を返した。が、咄嗟にその腕をサンジが掴み留める。 「サンジくんっっ!離してよ!」 「嫌だ。」 「サンジくんが行かないから、私がゾロを迎えに行くんじゃない!!その手を離してったら!!」 「ナミさん。」 ブンブンと振ってサンジの手を振りほどこうとしているナミを、目を細めて見つめる。ナミを掴む手が熱い。 「ダメだよ、ナミさん。ゾロの幸せを壊しちゃ・・・。」 「・・・・サンジ・・・・くん。」 真っ直ぐにナミを見つめるサンジ。確かにゾロの幸せを願っている瞳に間違いはない。 サンジの言葉にナミは力が抜けたようにだらりと手を落とした。その勢いで、サンジの指からナミの手が離れた。 「ごめん・・・ナミさん。ナミさんが怒ると思って言えなかったけど、他のみんなはもう知ってるんだ。」 「どういうこと・・・?」 一見静かで穏やかに聞こえる声音も、異論を受け付けない響きを持っている。ナミはもう、反論することも出来ずに、ただ小さく疑問をぶつけるしかない。 「ゾロは、夢を叶える為にここを出て行った。秘かに通っていた道場のお嬢さんと夫婦になることで、ゾロは武士になるんだよ。ゾロの奥さんになる人とゾロのお義父さんになる人以外は、ゾロの過去は知らないんだ。ゾロがここにいたことは誰にも内緒だし、誰にも知られちゃいけないんだ。だから、ゾロは最初からここにいなかった人間なんだ。だから・・・。」 「だから・・・何なのよ・・・。」 ナミは俯いてしまった。声も段々小さくなっていく。 サンジは、いつも二人に優しく、仲良くしてくれたこの遊女に申し訳ない気持ちでいっぱいになる。 「だから、ゾロのことは探しちゃいけない。」 「・・・・・そう・・・。」 「どのみち、ナミさん、大門から出られないんだし・・・。」 「知ってるわよ、そんなこと・・・。」 「ゾロがどこに行ったのかもわからないだろ?」 「・・・・そうね・・・。」 ポツリと答えるとナミは諦めたように、玄関に向けていた足の向きを変えた。そのまま部屋へと戻る。 サンジは、ナミが心配でたまらないという風にナミの後を付いていく。 そのままナミの部屋に入るとサンジにも手招きして部屋に招き入れた。 火鉢にかかったまま冷めたお茶をそのまま入れてサンジに出す。 素直に受け取ると、サンジはずずとお茶を飲んだ。その様子を湯のみを持ったまま、ナミは見つめる。お互い向き合って座っていた。 「ごめんね、ナミさん。黙ってて。他のみんなにはクリークから口止めのお達しはあったんだけど、ナミさんには俺から話すからって頼んだんだ。でも、どうしても言えなくって・・・。」 「酷い。」 「ホント、ごめん。」 「・・・・うぅん・・・。サンジくんこそ辛かったはずだから・・・。」 「俺は大丈夫だよ。」 サンジが答えると、ナミはそれ以上サンジを責めるようなことは言わなかった。シンと静かな空間になる。 「ねぇ、サンジくん・・・。」 思い出したようにナミはサンジに顔を上げる。 「何?」 「サンジくんはいいの?それで・・・。」 「・・・・・もちろん。」 「本当に?」 「あぁ、本当に。」 「あの夢・・・・。」 「夢?」 「そう、ゾロが言ってたの。ここを出たら3人で花見でもしようって・・・。」 「花見・・・・そっか・・・。」 花見の言葉に思い当る節があるのか、サンジはクスリと笑った。 ナミは「何?」と顔を上げる。 「ゾロはどこまで話をしたのかな?花見をしようとしてる木のこと・・・。」 「う〜ん。ただここを出たら花見をしようって言ってただけだから・・・でも、そんなことゾロが言うなんて、きっと何かあるんだろうって思って・・・。それぐらいしか知らないわ。」 「そっか・・・。ゾロらしいな。」 サンジはその花見をしようと言った桜の木のことをナミに話した。 昔、牡丹母さんが亡くなった時、追いかけて偶然見つけた桜の木。 二人でお互いの夢を語って木の前で誓ったこと。 今はもう見に行くことはできないけれど、それでもきっと毎年綺麗に咲いているだろうこと。 ナミは溢した涙の跡を拭きながら、静かにサンジの話を聞いた。 「でも、もうその夢も叶わないわね。」 「ん〜〜。でも、ナミさんももうすぐここから出られそうだし・・・・そしたら、二人で見に行ったらどうだろ?」 「え!?」 「知ってるよ、身請けの話が出ていること。」 「あ・・・・あの・・・その・・・。」 「ルフィって奴だろ?ナミさんの初客で馴染みの・・・。」 「サンジくん・・・その・・・。」 ルフィの名前が出ただけで、頬を赤く染めるナミがまるで初心な少女のようで可愛いとサンジは思った。 「でも・・・まだ身請けが決まったわけじゃないの・・・。」 「え?どうしてさ。それこそD家っていえば、大名の中でもかなりのとこじゃないか?そこの跡取りならば、身請け料だって払えないわけじゃないし・・・。」 「だから、お金の問題じゃなくて・・・。」 ナミが口ごもる。 あぁ、そういう事かとサンジは納得する。 ゾロがここの出自を隠すことになったのと同様。ナミもまた、D家に迎え入れられない理由もそこだろう。正妻として彼女を迎えたいとサンジとも気安く話をする男は言っていた。ただ、妾ならばいざ知らず、正妻ならば、それなりの娘でなければいけないのだろう。 ルフィの本意とは別に、家老をはじめ、多くの人間がナミを迎え入れることに反対しているのだろう。 肝心のルフィは、身分とか、そんなことにこだわる男ではないのだが。 ナミの馴染みのルフィは屈託ない男で優しく、ナミと仲のいいサンジも時々、部屋に招き入れてもらって話をすることがあった。そんな時は色っぽい雰囲気にはならずに、まるでそこが吉原とは思えないほど色事とは無縁で、おしゃべりで一晩を明かすこともあった。 ナミもただ抱きに来るだけの客と違う、ナミとの時間を大切にするルフィに好意を持っている。ルフィもまた、美しいだけでなく遊女にしては明るく前向きに生きる彼女を好いている。 自分の想い人と結ばれることがない遊女にとって、これは幸せと呼んでいいだろう。 ルフィはサンジに言っていた。 いつかナミを身請けする、と。 でも。 「ナミさん・・・。」 「でも、いいの。時間はかかるかもしれないけど、それでもルフィは、周りを説得して、必ず私を迎えに来てくれるって約束したもの。」 ナミの言葉に、サンジはゾロのあの夜の言葉を思い出す。 『信じて欲しい。必ず迎えにくるから・・・・。どれだけ時間が掛かろうとも、必ず俺は、お前を迎えに来る。だから、待ってて欲しい。』 同じだな、とサンジは思う。 「ナミさん、一緒だよ。」 「え?」 「ゾロも言ってくれたんだ。」 「ゾロが?」 サンジはコクリと頷いた。 「彼は妻を迎えて武士になってしまったけど。もう、心を通わせることはできないかもしれないけど、それでも言ってくれたんだ。必ず、迎えに来てくれるって。」 「サンジくん。」 「ゾロは嘘をつくような奴じゃない。俺達、力のない人間だから、どういう形で迎えに来てくれるのかわからないし、結果、それが果たされないことになるかもしれないけど、ゾロの思いは変わらないって信じてる。」 真っ直ぐ見つめてくる瞳は濁りなく、幸せを知っている瞳だとナミは思った。 ゾロはサンジを置いて、見世を出て行った。自分の夢を叶えるために。サンジという心から愛する人がいながら別に妻を迎えて武士になる。 事実だけを考えたら、どれだけ辛いことなのだろう。 でも、今、目の前にいるサンジは、それらの過酷な現状を昇華して穏やかに笑っている。 ゾロとサンジの二人に、別れる前にどういう時間があったのか、ナミにはわからないし、きっとほんの僅かな時間だったのだろうけど、それでもきっとサンジには、辛い環境を乗り越えるだけのゾロとの至福の時間があったのだろう。 ナミははぁ、と溜息を吐いた。 「まったくもう、敵わないな〜。」 呟くとナミは手にしていたお茶をゴクリと飲み干した。 「じゃあ、もう私からは何も言えないじゃない!」 「ナミさん・・・。」 立ち上がると、ナミはサンジにニコリと笑った。 「惚気に聞こえるわ。ホント・・・。」 ナミの言葉に、思わず頬を染めるサンジもまた、ナミ同様、ニコリと笑みを溢した。 「さぁ、もうすぐ昼見世の始まる時間だわ。支度しなきゃ!」 「そうだね。」 支度を始めようと立ったナミに釣られて、サンジもまた自分の部屋へ戻る為に、立ち上がった。 そのまま襖に手を掛けるサンジに、ナミは元気よく声を掛ける。 「今日も頑張るわよ!」 「あぁ。」 お互い、見つめ合い、そしてクスクスと笑いあって仕事への準備を始めた。 |
11.07.13