いつか桜の木の下で16
ゾロが見世を出て行ってからどれくらいの月日が流れたのか。 サンジには、あっという間のようにも、とてつもなく長い時間だったようにも感じられる。 その間、お互いに連絡を取るすべもないため、風の噂を耳にすることしか相手のことを知るしかできなかった。 時折、情報をくれるクロコダイルによれば、ゾロとくいなの婚礼は多くの人に祝福され、華やかに行われたらしい。その後、ゾロは、道場の師範として「シモツキ道場」で日々鍛錬を重ね、また仕えることになったD家でも腕の立つ者として一目おかれる存在にもなっているとの話だ。 順風満帆。その言葉通りに幸せに暮らしているのだろう。 逆にサンジの話は、ゾロの耳には入らないだろう。なんせ、吉原でも一部では知られているとはいえ、元々は隠れた存在だ。それに、幸せに暮らしている新婚さんには、縁のない世界と言ってもいい場所。 まぁ、ゾロが幸せならそれに越したことはない。 サンジは、日々、そう呟いて過ごしていた。 サンジは、近くにゾロの存在がなくなっただけで何も変わらなかった。 季節は流れ、今は、寒い冬。 新しい年を迎えて、日も浅いとある夜。 夜の冷え込みは厳しい。そんな夜こそ人肌が恋しいのか、客足は悪くない。 ナミも相変わらず、まだ身請けには至らないが、馴染みのルフィが来てほんのりと心が温まる時間を過ごしている。 彼女は、笑ってサンジに言っている。時間は掛かるだろうけど、ルフィとのことは諦めない、と。 強い人だとサンジは彼女を誇りに思う。 そんな彼女の一時の至福の時。 サンジにはそんな客はいないが、それでも稼がなければいけない。できれば、客を迎えられたらいいのだが。残念ながら、今日はめずらしくまだ客を迎えていない。 まぁ、慌てて稼いだどころで大して違いはないだろう。こんな日があってもいいか。たまにはゆっくりと時間を過ごしたい。 と、ぼんやりと夜空に輝く月を眺めていたら、見世番のギンがそろりと襖を開けた。 「サンジさん・・・・客が見えたがいいかい?」 「あぁ、わかった。」 「初めての客だが、お武家さんで・・・。」 「へぇ・・・珍しいな。」 ぼんやりとする時間もさしてなかった。いつもと同じか、とサンジがよいしょと立ち上がった。が、部屋の入り口で立つギンの顔が歪んでいるのがわかった。 「座敷に・・・通しているんだが・・・・。」 何だが言葉に歯切れが無い。よほど良くない客なのだろうか。 「どうしたんだ?ギン・・。よほど、癖のある客なのか?別に俺ぁどんな客でも構わないぜ?」 「い・・・いや。そういうことじゃ、ないんだが・・・。」 モゴモゴと口ごもるギンにサンジは眉を顰めたが、他の遊女よりも借財が多いのだ。贅沢は言ってられない。 髪を整え、着物を調えると気持ちもシャンとする。サンジは切れのよい動きで踵を返した。 楼主とは違い、何かとサンジを気遣ってくれるギンには、サンジは心の中で感謝している。初めての客だから心配してくれているのだろうか。 まぁ、どんな相手でも仕事はきっちりこなしてやるよ。 そう笑うサンジにギンは増々顔を歪めた。 「しかし、俺ご指名の客で座敷に通してるなんて、珍しいな。まずは挨拶ってか?身分のある方なのか?」 「・・・・あぁ、お武家さんで・・・一人で来なさったんだが・・・。」 「ふぅ〜〜〜ん。」 その後の言葉が続かない。 ギンらしくない様子にサンジは、溜息を吐いた。 「まぁ、会ってみてのお楽しみか?どうせ、向こうも興味本位で来ただけだろう?気にすんなよ。問題起こさないように、適当に相手しておいてやるから・・・。」 「・・・サンジさん・・・。」 大丈夫大丈夫と、ギンの肩を叩くサンジに、元々顔色の悪いギンの顔がさらに青ざめている。 本当に珍しいと思いながらも、サンジは、案内された部屋の前に立った。 ギンが腰を落として襖をそっと開ける。 「お呼びしました。」 サンジは両手をついて、頭を下げた。 「本日は、私のような者をお呼びいただいて、まことにありがとうございます。」 「あぁ。」 挨拶の言葉に返ってきた声音に一瞬、聞いたことのある錯覚に陥る。 「え?」と思いながらもそっと頭を上げて、客に視線を合わせる。 が。 思わずサンジの動きが止まってしまった。 「・・・・な!?」 サンジの表情に、隣にいたギンが大きく顔を背けた。 つい今しがたのギンとの会話を思い出す。 「しかし、俺ご指名の客で座敷に通してるなんて、珍しいな。まずは挨拶ってか?身分のある方なのか?」 「・・・・あぁ、お武家さんで・・・一人で来なさったんだが・・・。」 「ふぅ〜〜〜ん。」 > あぁ、そうだよな。 こいつはもうここの若衆じゃなかったっけ。 身分ある人間になったんだよな。 妻を娶り、回りからも祝福され、道場でも腕を認められ、大名からも信頼を得、ほぼ夢を叶えたと言ってもいいだろう。 今、幸せのただ中にいるだろう男。 どうして? 大切な奥さんはどうした? 家にはなんと言ってここに来た? お義父さんはこのことを知っているのか? あの日を最後にもう会うことは叶わないと思った人物が、今、目の前にいた。 緑の髪の男。 ずっと一緒に育ってきた大切な人。 こんな所に来るのは拙いだろうが。 俺達は会っちゃいけないだろうが。 心の中ではずっと会いたかった人が目の前にいるのに、それを押し殺して生きていたからか。 嬉しいという感情はまったく湧かなかった。 いや、それよりも。 サンジの中には、苦痛という感情しか湧かなかった。 それを予測していたのだろう。ギンの表情の意味が漸くわかった。 サンジは後で控えているギンを振り返った。 「ギン、どういうことだ・・・?」 「サンジさん。・・・・・あのお方が今夜の客です・・・・。」 二人の戸惑いを余所に、客である男がゆっくりと立ち上がった。 「サンジ・・・。」 ずっとずっと耳にしたかった声。 ずっとずっと目にしたかった容姿。 まだ1年も経っていないはずなのに、会わない内に更に精悍さが増したように思われた。 帯刀して見世には上がれないから腰には下げていないが、いつもならそこにあるだろう剣が見えるように感じられる物腰と服装。 いつの間にかついたのか、一人前になったと自信に溢れる表情。 目の前の男は、知っていた人間とはかけ離れた、逞しい武士になっていた。 「ゾロ・・・・・。」 「サンジ・・・・会いたかった・・・。」 「ゾロッッ!どうしててめぇが・・・・・ここにいる・・・・んだよっっ!!」 サンジは震える声で叫ぶしかなかった。 |
11.07.30