いつか桜の木の下で19
「ナミ、お前、本当に良かったのか?あの客・・・。」 ゾロ達を振り返ることなく見世を出て行った男の後ろ姿を思い出す。 どこかで見たことあるような気がしたが、思い出せなかった。まぁ、後で考えればいいだろう。 それよりも、とゾロはナミを心配そうに見つめた。 「本当にもうっ!折角のルフィとの時間がなくなっちゃって・・・・。」 「やっぱり、他の娘にしておけば良かった?」 「いや、・・・・それは・・・。」 ナミの言葉にゾロは、ゴモゴモと口ごもる。ここはやはり、ナミでなければダメなのだろう。 ナミは肩を竦めて苦笑した。 「この貸しは高いわよ!でも、心配しないで。ルフィは、細かいこと気にしない人だし、もしかしたら、力になってくれるかもしれないから・・・。」 「力に?」 ナミの言葉に疑問符が浮かぶ。 ゾロの表情のナミは、「あ。そうか・・・。」と手を打った。 「そっか。ゾロ、知らなかったのね。ルフィの名前、聞いたことあるでしょ?」 「その名前・・・・・俺の記憶が間違っていなければ、俺が仕えているD家の跡継ぎと同じ名前なんだが・・・。」 「そうよ、そのルフィよ。いつか私を身請けしてくれるって言ってくれてるの。家臣がなかなか認めてくれなくて、まだ叶わないけど・・・・。」 「そうか・・・。すごい奴だな。大きな大名なのに、遊女を正妻に迎えようとしてくれるなんて・・・男気があるな。そのルフィという跡継ぎにはまだ会ったことはないが、俺もいい大名に仕えることができてるんだな・・・。」 感慨深げにゾロは呟いた。 ナミはちょっと鼻が高い。 「でしょ?ルフィは、いい男よ。見世じゃ拙いでしょうが、いつかチャンスがあったら、会うといいわ。」 「あぁ・・・。」 ひとしきりルフィの話題をしてから、ナミは表情を改めてゾロを見つめた。 「で、ゾロ。話は本題に戻るけど、どうしてここに来たの?」 いつまででも立ったままでは、とゾロを促して、酌をしながらナミは目の前の男に問うた。 「俺は、ただあいつに会いたくて・・・・それで・・・。」 しかし、注いでもらった酒に口をつけることなく、ゾロは猪口をそっと置いた。 目の前にあるのは、ルフィの為に用意された残りのものではなく、サンジが逃げた詫びとして見世で改めて用意された酒だ。 以前はここで世話をしていた者であるだろうに、今は上客と見なされているのだろう。かなり上級の酒が用意された事が、器からも届く匂いからもわかった。 年齢と共に酒を覚え、見世であまり出回らない残った安酒をよくぐびぐび飲んではサンジに怒られていたのを知っているナミは、ゾロの動きに目を見張る。 「酒代が掛かる!」と、あれだけいつもサンジに怒られても止められないほどに酒好きのゾロが一口もそれを口にしない。しかも、上級なものなのに。 それだけ、ゾロには先ほどのサンジの行動がショックなのだろう。 「俺は・・・ここに来ることがどういうことか、まるでわかっていなかった。」 「ゾロ・・・・。」 ゾロは格子から外に目をやる。そこから届く夜の空気は相変わらず、客引きの声やどこかから洩れて来る三味線の音で賑やかだ。それは襖から漏れ届く声も一緒だが。 しかし、自分達もその賑やかさを担う一旦のはずなのに、どうしてこうも重い空気なのだろう。 「ただサンジに会うためだけに大門を潜り、この見世の暖簾を潜った。己の立場を理解せずに。」 「・・・・。」 「俺は、サンジの客としてこの見世に足を踏み入れたんだな・・・。」 「・・・・。」 「俺は、ただ会う手段として金を払うとしか思っていなかったんだが、実は、客としてサンジを買ったことになるんだな。」 「・・・・。」 ゾロは、気づいたことを淡々と述べると、ナミを見つめた。 「ゾロ様・・・。」 「・・・・っ。」 ナミのゾロを呼ぶ呼び方に、思わず顔をくしゃげる。 それを見て、改めナミは、両手をついてゾロに頭を下げた。 「ゾロ様。この度は、ここのサンジがゾロ様の顔に泥を塗りまして、大変に申し訳ありません。このナミでよろしければ如何様にもしてくださいませ。サンジには、後で見世としてきちんと処分を・・・。」 「やめろっっ!!」 ナミの言葉にゾロは思わず大声で叫んだ。 顔を歪めてハァハァと息を荒げるゾロに、ナミは顔を上げる。 「やめてくれ・・・。」 「でも、こういうことなのよ、ゾロ・・・。」 ゾロは両手で顔を覆った。 涙が溢れそうで溢れそうで、堪えるのに必死だ。大の男がこんなところで涙を見せるわけにはいかない。 そんなゾロにナミはそっと肩に手を掛ける。 「ごめん。ゾロがこんな風に接して欲しいわけじゃないことぐらい、わかってるわ。でも・・・。」 「わかってる。俺が浅はかだったんだ・・・・。」 唇を噛みしめて耐えるゾロにナミはそっと後から抱き締めた。 「もう二度とここには来ねぇ・・・。」 ボソリとゾロは呟いた。 「ゾロ・・・。」 「・・・・サンジには会わねぇ。」 「それでいいの?」 ゾロの呟きにナミは、非難めいた口調をとる。 「何言ってんだ、ナミ!お前だって俺を客としてしか見てないじゃないか。」 「私達は客を取るのが仕事。それが当たり前。でも、好きな人と会いたいって気持ちがあるのも事実。その狭間で苦しんでいる遊女が大勢いるのもわかってる。客として会う人もいる。間夫としてこっそりと会う人もいるわ。だから、どういう形で会うのがいいのかって私には決められないわ。決めるのは貴方とサンジくん・・・。」 元々ナミは、客であるルフィと恋に落ちた。サンジ達とは、順番が逆なのだ。 「でも、あいつは・・・。」 「サンジくんは、ゾロが客で来たのがよほどショックだったのもわかるわ。いつもサンジくん、言ってたもの。ゾロが夢を叶えたように自分も夢に向かって頑張るんだって。サンジくんは、ゾロと同じ立場として夢を追っていたのよ。でも、遊女と客になるってことは・・・・どういうことかわかるでしょ?」 ナミの指摘に、ゾロは「あぁ。」と頷いて、しかし、「だが。」と首を振った。 「俺の夢は叶っちゃいねぇよ。」 「え?どうして?あんたの夢って、一流の剣士でしょ?道場で強くなって、その腕を見込まれて大名に仕えることになって、夢が叶ったって言っても過言じゃないと思うけど。」 「それだけじゃねぇんだ・・・。」 「どういうこと?」 「俺の夢は、一流の剣士になるだけじゃなくて、強くなってあいつを守ることまでが俺の夢なんだ。小さくて弱くて、母さんを守れなかった分、強くなってあいつを守ってやりたいんだ。」 「ゾロ・・・・。」 なんとなしに、サンジの気持ちもゾロの気持ちも、ナミにはわかるような気がした。どちらも自分の恋慕と相手を思いやる気持ち、そして夢を追う気持ちと葛藤しながら出てしまった行動なのだ。 「ねぇ、ゾロ。見世の開いている時間じゃなくて・・・・、朝とかに裏からとか、茶屋に来れない?」 「それこそ間夫じゃねぇか。」 「そうか・・・それも拙いわね・・・。」 「そんなのは、俺もあいつも望んじゃいねぇ。結局、あいつが遊女としている限り、会うのは叶わないってことがわかった。」 「でも、会いたいんでしょ?」 「う・・・。」 「なんとか、私がいい方法見つけるから、諦めないで!」 ゾロも少し落ち着いたのがわかったから、ナミはゆっくりとゾロから離れる。 そのまま腕を組んで、何かしら方法がないかと首を捻る。 ナミのなんとかして二人を合わせようと提案する言葉に、漸く気持ちに余裕ができたのか、今頃、ゾロは猪口に手を伸ばした。 気持ちを落ち着ける為に酒に手を伸ばしたのは、わかるが、ゾロらしくて、内心ナミは笑った。これなら、大丈夫だろう。 「じゃあ、ゾロ。私の馴染みになってよ!」 「はぁ?」 真正面にまわり、下から見上げる姿勢で顔を覗きこむナミに、ゾロは思わず咽る。 「私はあんたが客でも全然構わないわよ。お金を落としてくれれば!なんなら、ほんとに抱いてもいいわよ。」 「あ"ぁ!!」 それはないだろうことを見越してナミはわざと目を細めて妖艶な笑みを見せた。 ゾロが嫌な顔をするのを見て、ナミはケラケラ笑った。 昔よく冗談を交わした、友人としての雰囲気が戻ってくる。 「冗談よ。わかってるわよ、あんたがサンジくん以外の人には興味がないって。その時間をサンジくんとの時間に使いなさいよ。それでも、サンジくんがあんたを拒否するようなら、直接会わなくても、私が文代わりになってあげる。」 本当にそれでサンジが納得するとは思えないが、今は他に方法が思いつかなかった。 ゾロもまた本当にそれで納得したという顔ではなかったのだが、やはり他に考えつかなかったのだろう。というよりもゾロ自身はサンジと会うことを諦めつつあった。 しかし、まずは今回のことは詫びたい、とゾロは思う。 ナミはじっとゾロを見つめた。 元々お互いに納得済みで会わなかっただろうが、それでも再会の日がいつ来るのかは未知だ。だからこそ、想いが募っていく。会いたいのに会えないのは、やはり辛いだろう。 その証拠にゾロがここに来たではないか。 サンジだって本当は会いたいのは、時々話す言葉のイントネーションでわかる。 だったら会えばいいのではないか、とナミは思った。 「てめぇには感謝してもしきれねぇ恩ができちまうな・・・。」 暫く思案の様子を見せていたが、ナミの提案を受け入れることを決めたのだろう。穏やかにゾロが笑った。苦笑ではあるが、ここにきてから漸く見せた笑顔だ。 「サンジくんが戻ってきたら私から話すから・・・どうする?たぶん今日はもう会えないだろうから引き上げる?」 「あぁ・・・・。でもあいつが無事に戻ってきたのを確認してから帰るよ。」 「そう?じゃあ、もう少し飲まない?」 「そうだな・・・。もらおうか・・・。」 サンジが戻ってきたら厳しい折檻が待っているのは間違いないだろう。それは、もうどうすることもできない。ただ、それを多少なりとも緩和してもらえるよう、客として怒っていない、大丈夫だと伝えることしかできない。ならば、楽しく時間を過ごせたという証に酒でも頼んだ方がいいだろうか。 少しずつだが動くようになった頭で考えて、ゾロは酒の追加を頼む。 ナミが笑顔でそれを取り次ごうと襖を手にした時、ザワザワと玄関の方がざわついているのに気づいた。 もしや、と思い、目を見合わせる。 「ゾロ。様子を見てくるから、待ってて。すぐにサンジくんの様子伝えるから、お願い。部屋で待ってて。」 拳を握るゾロの手をそっと押さえてナミはゾロを窘めた。 震えだす拳を押さえてなんとか頷くゾロを置いて、ナミが廊下に出る。 人目を避ける様に歩く人影を見つけ、ナミは足を速めた。 と、ナミの目に入ったのはギンと見知らぬ男に抱きかかえられたまま気を失っているサンジだった。 |
11.09.14