いつか桜の木の下で20




「サ・・・・サンジくんっっ!!」

ナミは思わず大声で叫んでしまった。
それに気付き、ギンとサンジを抱き抱えたナミの見知らぬ男が振り返る。
サンジとその男は水浸しで床にまでポタポタと滴が垂れていた。
何事かと玄関に人だかりがあったが、楼主のクリークの一喝で見世の人間が動きだし、半ば野次馬化していた客も遊女達がそれぞれの部屋へと連れ戻って行く。
その中、ナミは立ち尽くしたまま気を失っているサンジを呆然と見つめていた。

「何やってんだ、ナミ!さっさと部屋へいかねぇか!」

サンジを抱き抱えている男は、ナミをチラリと見たが、何も言わず黙ってギンの案内のまま見世の奥へと進んでいく。ナミは、クリークの言葉を無視してその後へついて行こうとした。

「おい、ナミ!」

再度、クリークの檄が飛ぶが、ナミは負けずにキッと睨み返した。

「まだ、彼の客が部屋に残っているわ。詫びるだけでなく、ことの次第を彼に説明する義務が私にはあるわ。」
「あ"ぁ?まだいんのか、あの小僧は・・・。」

今でこそ客ではあるが、それ以前にこの見世で働いていたのをわかっているからか、クリークの言い草はまるで客じゃないようだ。それも致し方ないだろう。
だが、クリークはそれ以上ナミを止めることもせず、ただ舌打ちして踵を返した。

「ギン、あとはてめぇに任せる。きちんとかたぁつけろよ。」
「はい、楼主・・・。」

軽く頭を下げると、再度、若者を奥へと招いた。

「ふぅ〜ん。東海屋ねぇ・・・。話には聞いたことがあるが・・・なるほど。あれが楼主ね・・・。」
「あんた・・・・えっと・・・。」
「あぁ、俺はエースだ。」
「エースさん。ともかくサンジさんをこちらへ頼む。」
「あぁ・・・。」

と二人の後についてくる遊女に、エースを目を見張った。先ほどは無視の形を取ったが、今度は気になり、話しかける。

「あ?あんた、仕事いいのかい?」

ニコリと雀斑の頬を緩ませて声を掛ける。

「問題ないわ。それより、サンジくん・・・・一体どうしたの?」

濡れ鼠の二人に驚きを隠せないまま、それでも落ち着いた声でナミは先ほどエースと名乗った男に声を掛けた。

「あ〜、これね・・・。」

ポタポタと裾から滴る滴にエースは苦笑を溢した。











ドボォォォォォン


後から聞こえた水音と同時に、どこからか「飛び込みだぁ」と誰かが叫ぶ声が響いた。
慌てて後ろを振り返ってみたが、今までいただろうはずの場所にあの美しい女がいない。
彼女が!?と疑問に思う間もなく、橋の欄干から下を覗き込むとなるほど、水面に何かが落ちた証拠とばかりに水の輪が幾重にもなって広がっていた。

「この川は見た目と違って底が以外にも深くてよ、場所によってはもう浮き上がってこれねぇんだとよ・・・。」

誰かがぼそりと話しているのが聞こえた。だからなのだろうか、心配そうに覗きこむ人はいるが、誰も助けようと動かない。

「何か思いつめることがあったんだろうねぇ。かわいそうに・・・。」

エースは、人情のへったくれもねぇなぁ、と「チッ」と舌打ちしながら迷いなく橋の欄干に足を掛ける。
それを見つけた隣でやはり下を見下ろしている男が慌てて声を掛けた。

「おいっ、あんた!・・・。」

「やめときな!」の制止の声も聞き終わらずにそのまま橋から飛び降りた。

「おいっっ!!」


ドボォォォォン


足先から川の中に飛び込んで、すぐにその冬の川の冷たさに体を震わす。一瞬、あまりの冷たさに後悔しそうになるが、あの娘を見殺しにすることなど、エースには到底考えられなかった。
しかも、冷たいだけでなく暗い夜の川だ。川そのものも結構な大きさがある。なんて川だったか名前までは覚えていないが。

どこだ・・・・彼女は・・・・!!

ゴポゴポと口から息を吐いて、潜り込む。手を伸ばしてもその先は真っ暗で何も見えない。言葉通り手探り状態だ。

このままずっと川の中にいちゃあ、溺れる前に凍え死んじまうっ。

彼女が落ちた先を感で予測し、その先に手を伸ばす。体が凍りそうに冷たい。早く見つけなければ。しかし、ただ闇雲に探すしかエースには方法が思いつかなかった。

もし、彼女と俺が出会う運命にあるならば、絶対助けられるはずだ。

妙な自信を持って更に潜ろうとしたが、息が続かない。
クソッと一度息を吸おうと上に手を伸ばした時、何かが指先に触れた。

布?

厚みのある布らしきものが手に触れる。それを見失わないように慎重にさらに手を伸ばした。と、その布らしきものの他に人の腕らしいものが触れた。

いた!!

グイッとその腕だろう触れたものを握りしめ、エースは一気に水面を目指して上昇した。

早く早く!!




ガハアッッと。
息を吐くと同時に顔を水中から出す。
ザバアアッッと辺りに響く水音に、エースのように飛び込む勇気はないが、それでも見殺しにするほどの非情さを持ち合わせていない人たちの歓声が上がる。やはり心配だったのだろう。誰もが必死に水面を凝視していただろうことが伺えた。
水面まで上がるとそのまま掴んでいた腕から体を抱きよせる。着ていた着物は高価なものだろうからか、ただでさえ重いのに水気を吸って並々ならぬ重さでエースをもう一度水面下へ引っ張ろうとしていた。
兎も角これじゃあ川岸までも辛い、と一番上に着ていた着物をなんとか脱がせると重さが半減した。高価だろう着物はそのまま水底へ沈んでいった。

ま、大事なものかもしれねぇが、命にゃ代えられねぇよな。

心の中で呟いて改めて彼女を抱き抱えて、エースは川岸に向かって泳ぎだした。彼女は気を失ったままだ。
ザバザバと漸く川岸に辿りつくと、心ある人たちが火を焚いてくれていた。じゃりの上に温かい赤色が灯っている。

「おい、大丈夫か!?」

心配そうに声を掛けてくれる。何かしら温かい布でも掛けてくれるとありがたかったが、他人に布を渡すほどに生活に余裕のある人間はこの場にはいないのだろう。心配そうに声を掛けるのみだ。だが、火を焚いてくれただけでもありがたかった。
抱きあげた娘を火の傍にそっと下ろす。

「おい、生きてるか?」

パンパンと頬を叩くが反応はない。

あぁ、水飲んでるかもなとふっと思い、顔を横に向かせてぐっと胸を押してみた。ら、それが上手いこといって、ガボッと水を吐いた。
ゴホゴホと咳き込むと、薄っすらと目を開けた。

「おい、あんた・・・。大丈夫か?」

回りの人間はただただ心配そうに見つめるだけで、解放するのはエース一人の作業になっていた。
覗きこむエースに、あっているのかあっていないのかわからない焦点でもって目を見つめ、金の髪の娘は「あぁ。」と息ともつかぬ声を溢した。

「死ね・・・なかった・・・・んだ・・・。」

ポツリと溢した言葉に、エースは顔を歪めた。

「せっかく冷たい川に飛び込んで助けたってのに、そりゃあないだろうが!」

まぁ、飛び込みという段階でこの娘が死にたかったのだろうことはわかったことなので、感謝の言葉がないのには腹は立たなかったのだが、それでもなんだか残念だ。
ただ、命を助けた以上、ここでハイ、サヨナラというわけにはいかないだろう。それに何かしらこの娘とは運命の糸で繋がっているようにもエースには感じられる。一目惚れとはそういうものなのだろか。

「お前・・・、名前は?家は・・・・どこだ?」

死にたいのだから答えることもないかもとは思ったが、敢えて聞いてみた。
火を焚いてもらっているとはいえ、びしょ濡れなのだから、寒い。歯の根が合わずガチガチと震えながらの会話だから上手く相手に伝わるかもわからない。
もし帰るところがなければ、このまま自分の屋敷へ連れて帰ろうと思っていた矢先。
か細いが答えが帰ってきた。

「東海・・・屋・・・。」
「東海屋?」

それだけと呟くとまた気を失ってしまったのだろう。目を瞑って全く反応しなくなってしまった。
困ったな、何の店か、と首を捻ってたら、後から「あぁ、吉原の。」と声が聞こえた。
「何だ?」とエースは声を発した男を振り返る。

単純に冬の寒さを焚いている火で紛らわしていると思えるぐらいの様子の男が、「あんたやっかいなの拾っちまったねぇ。」と肩を竦めた。

「どういうことだ?」

エースの目が細められる。

「あんた、そりゃあ東海屋の遊女のサンジだよ。その金の髪。間違いない。」
「東海屋のサンジ?」

まだ吉原の遊女には詳しくないエースは、それでも「東海屋」の名前にとあることを思い出す。先ほど、目指そうとしていた見世だ。だが、こんな遊女がいることは聞いていなかった。

「まぁなぁ、男だが吉原にいるからさ、あまり表には出て来ないんだ。ただ噂はちょくちょくあるんだ。毛唐の血を引いているから金の髪を持っているってね。美しさはそんじょそこらの遊女に引けを取らないってので、一部では結構人気があるってよ。」
「へぇ・・・。」

足元に倒れている遊女と言われる女を改めて見つめる。そう言われれば、確かに抱き抱えた時に感じた、女性特有の柔らかさは感じなかった。もちろん状況が状況もあるのだろうが。

「そこの楼主ってのが結構良くない噂が多くてな・・・。まぁ、遊女を助けたんだから、ケチをつけられることはねぇだろうが、あんまお礼は期待しない方がいいかもな・・・。」

そう言うと、もう俺は関係ない、と踵を返してしまった。暖も取れたのだろう。
火を焚いてくれたのは誰だかわからないが、誰もがもうこれでこの騒ぎはおしまいだと言わんばかりに、それぞれ岐路へと足を向けた。曰くつきの遊女と関わるのは良くないだろうと踏んだのだろう。
所詮、人情もここまでか、とエースは改めて気を失っているサンジを見下ろした。

俺もここでこの遊女を置いてさっさと帰って、濡れた着物を乾かして・・・という選択肢はすでにエースの中にはなかった。
どの道、目指していた見世だ。

一目惚れしちまったしな・・・なんか運命感じちゃうよなぁ〜。

呑気なことを考えて、まだ体は温まらないが、このままここに居ても何も変わらないと遊女を抱き抱えてエースは立ちあがった。

「まずは吉原へいかないとな・・・。」

震える体は、抱き締めることによってお互いの体温を少しでも分け合うことで押さえた。



気を失っているサンジを抱いて、吉原の大門を潜ると何やら物騒な雰囲気を醸している連中が数人走ってくるのが見えた。
様子から察するにエースが抱いている遊女を捜していたことが容易にわかった。こりゃあ、なんとまぁいいタイミングで、とエースは笑みを溢してしまう。

真っ先に走っている顔色の悪い男は、エースの抱いている人物にすぐに気付いて表情を変える。

「サンジさんっっ!!」

エースの傍までやって来ると、エースのことはそっちのけでサンジに声を掛ける。

「サンジさんっっ、サンジさんっ!!大丈夫ですかっっ!?」

強く揺さぶるのに思わず落としそうになるのを耐えて、エースは冷静に声を掛けた。

「ちょっと、あんた、落ち着け。この娘を落としちまう。」
「あ・・・・悪ぃ・・・。」
「気を失っているが、大丈夫だ。ともかくこの娘をきちんと介抱しないと・・・。」

声を掛けられて初めてその存在に気がついたかのようにギンはサンジを抱いている男を見上げた。

「あ・・・・あんたは?」

敵意を表したいが、そういうわけにもいかない事情があるらしいと複雑な顔をする男に、エースは「兎も角・・・。」と足を動かしながら話をしだした。

「見世はこっちでいいんだな?」
「あぁ・・・。」

心配そうに横に並ぶギンに残りも者はどうしたもんかと、お互いに顔を見合わせながらただただ二人の後を付いてくるのみだ。

「サンジって言ったっけ?この娘・・・。この娘の身投げの現場にただ居合わせただけだが、ほっとけなくてね。助けはしたんだが・・・。命はあるが、気を失っている。それに見ての通り、ずぶ濡れだ。この寒空の中、体が冷え切ってしまってるから見世に着いたらそうそうに温めてやらないと、今度は凍え死んでしまう・・・。もっとも、見世側がこの子の命を見捨てるつもりなら、俺が連れ帰ろうかとも思うが・・・。」

ギンの眼を見てエースは話した。

「そんな!!サンジさんを見捨てるだなんて・・・。それよりも、あんた・・・・・・。サンジさんを助けてくれたんだな。・・・礼を言う。」

ギンのサンジを見つめる瞳は、まるでチンピラ風情とは思えないほどに優しい。
この男の心情を垣間見て、エースは苦笑した。

「俺はギン。東海屋の見世番をしている。楼主はどう思うかしれないが、俺はサンジさんが助かって良かったと思う。本当にあんたには感謝するよ。」
「いや、俺もこの娘をほっておけなかったしね。」
「それにしても・・・・サンジさん。身投げするほどにショックだったんだな・・・。」

エースの腕の中で気を失っているサンジの乱れた髪をそっと撫でる。サンジはそれでも微動だにしないのに、ギンは顔を歪めた。

「ともかく、凍える前に見世の方へ・・・。」
「あぁ。わかった。」

ギンがこちらだと体の向きでもって行き先をエースに告げた。
エースも震える体を押さえて、素直にギンの後について歩いた。


11.10.09




               




      さて・・・。この後の展開が予想つきますね。こんなんでごめんなさい。