いつか桜の木の下で21
濡れた着物を着替えて、体を拭く。まだ寒さは感じたが、部屋にある火鉢に火を起してもらい、暖を取った。 漸く落ち着いた心地がした。 ギンの案内により、エースはサンジを抱いたまま、元々人目につかないサンジの部屋にそのまま連れて行かれた。 部屋にひかれていた布団にそっとサンジを下ろした。布団に寝かされたサンジはそれでも、目を開くことはない。救いは多少体温が戻ったのか、青くなっていた唇に赤みが戻ってきたことだった。 「特にケガがあるわけでもないし、・・・・暫く安静にしていれば落ち着くと思うよ。」 「先生・・・ありがとう。」 たまたま次回の検診の相談で見世に来ていたチョッパーという医師がサンジの診察をしてくれた。チョッパーは最初サンジの境遇を聞いてから、何かとサンジに優しく接してくれている医者だ。運がいい。 ギンが畳みに擦りつける勢いで、医師に頭を下げて感謝した。部屋にはギンにチョッパー医師。そして、サンジを助けたエースも店にある着物を借りて暖を取っていた。 ナミは同じ部屋にはいるが、少し離れた場所でじっとサンジを見つめている。 「兎も角、一安心ね。」とナミは漸く立ち上がった。 「ゾロにサンジくんのこと説明してくるわ。」 「あぁ・・・・頼む。」 ギンは気の無いまま返事を返す。 エースは何気ない様子でそんな二人のやりとりを見つめた。 パタンと襖を閉じてナミが部屋から遠ざかっていくのを確認してから、エースは漸くギンに向かって口を開いた。 「ちょっと聞いていいかな?」 重い雰囲気を引きずりたくなく、それでもあまり軽口にならないようにエースは慎重に口を開いた。 「彼女を助けたモンとして、説明をしてもらってもいいかな?」 耳に届いた言葉に、思い出したようにギンが振り返った。 「あぁ、あんた・・・・まだいたのか・・・。」 部屋まで案内してくれたのはギンなのに、今までその存在を忘れていたかのような言葉にエースは眉を下げる。 「そりゃあ、ないってもんだろう?いちおう彼女・・・いや、彼の命の恩人なんだぜ?」 「そうだったな・・・。いや、ほんと、サンジさんを助けてくれてありがとう。なんとお礼を言ったらいいのか・・・。」 確かにサンジの命の恩人で、ここに落ち着くまでサンジを抱いて体温低下を防いでくれていた。サンジを部屋に置いて、じゃあ、というわけにはいかないのは当然か。 改めてギンが頭を下げるが、エースはいやいやと手を振る。本気で怒っている訳ではないようだ。 「そんなことを求めちゃいないよ、俺は。それよりも、何か訳ありと見たんだが・・・。」 「・・・・・。」 目を細めるエースに、ギンは途端表情を変えてギロリと睨みつける。それは、命の恩人に対してとる態度ではない。 しかし、エースもチンピラ風情の睨みで怯えるほど腰ぬけではない。もし、ここで殺傷沙汰になろうが腕には自信がある。 一目惚れと言っていいだろう、彼女が何故、こんなことをしたのか、純粋に知りたいだけだ。間夫に捨てられたのか、はたまた気に入らない相手の所へ身請けされようとしているのか。 睨みあう二人に、医師のチョッパーは空気の恐ろしさと重さ、そして自分がここにいてはいけないと医師の立場を考えて、すっと立ち上がった。 途端、ギンはもう一度、畳みに擦りつける勢いで頭を下げた。 「じゃあ、俺、帰るよ。」 「あぁ・・・。本当にありがとうな、先生。」 「いいよ、そんな。・・・それよりもサンジにもしまた何かあったら遠慮なく呼んでくれよ。」 「あぁ。助かる。」 ニコリと笑うとチョッパー医師は、エースにも軽く頭を下げて静かに出て行った。彼もまた多少なりともサンジの事情を知っているようで、出て行く時のサンジを見つめる瞳は、涙を浮かべていた。 エースは初めてこの場に来た人間にも関わらず、サンジの事情に関わりたいと切に思った。 が、それを許さないとばかりにギンが再び口を開く。 「あんたには、本当に感謝している。この礼は改めて必ずするから、今日のところは引取ってくれねぇか?」 「その前に聞かせてくれねぇか?この子が身投げした理由を・・・。」 エースはそっと手を伸ばし、サンジの乱れた髪を撫でた。途端、部屋に電気が走ったようにピリッとする。ギンが睨んでいる。 「何故、サンジさんのことを知りたがる?助けてくれたことには感謝するが、あんたがそこまで知る必要はないんじゃないのか?」 ギンはエースから目を離さない。ジロジロとまるで値踏みされているようだ。 「まぁ、助けた手前、理由が知りたいっていう野次馬根性がないわけじゃないが・・・・それよりも、俺はこの子にどうやら一目惚れしちまったらしい。今、死にたいほどに苦しんでいるこの子をできれば助けてやりたい。」 「あんた・・・。」 エースの言葉に、ギンは驚きで目を見開く。彼にしてみれば予想外の言葉だったのだろう。 「もうわかってるだろうが、サンジさんは遊女だが、男だ。訳あってこの吉原にいるが、それでもれっきとした男だ。あんた、そっちの趣味があるのか?」 「いや、どっちかっていえば、やっぱり美しい娘さんの方が好みだけどね・・・。」 「だったら・・・。それが、どうして・・・。」 「言ったろ?一目惚れだって・・・。この子、結構人気があるそうじゃないか・・・。きっと誰もを惹きつけるほどの魅力があるんだろうね・・・。」 穏やかに目を向けるエースを見て、ギンは大きくため息を吐いた。争う気が萎んでいく。 「だからこそ、陰間茶屋に売られずにここにいると言っても過言じゃない。サンジさんは、男なのに誰もを魅了するだけの力を持っている。最初は、ここの馴染みがサンジさんに目をつけてな。楼主もサンジさんが金になるとわかってから、ずっとこの状態だ。」 「じゃあ、ここにいるのが辛くて身投げを・・?」 ついでとばかりに、身投げの理由を聞いてみる。目の前で悲しげな顔で目を伏せる見世番もまた、このサンジに魅了された一人なのだろう。きっとサンジの事がなにより大事なのだろうことが伺えた。 「確かに、サンジさんは人気のある遊女だが、それでもこの見世では厄介者扱いで、仲のいい遊女も少なくて・・・・。心を許せる人間はさっきまでいた花魁ぐらいだったんだが。」 「あぁ、あのオレンジの髪の美しい娘ね。」 先ほどまで、サンジの傍にいた遊女を思い出す。しっかりとした瞳は強く輝き、この悪環境にも負けない強い意思が感じらた。きっと、見た目が美しいだけでなく、芯の通った心も美しい人なのだろう。 「何よりもサンジさんがずっと大切にしていた人が以前いたんだ。」 「この見世の人間か?」 エースの言葉にコクリと頷くと、ギンは再度、口を開いた。 ここまでくれば全て話す気になったのだろう。なにより、言葉とは裏腹に真剣な瞳を向けるエースの様子からして話しても大丈夫だとギンが判断したのだろう。 「幼い頃からサンジさんと一緒にここで育った男がいたんだ。母親は別々の遊女だったがどちらも早々に亡くなって、兄弟のように仲良くお互いを頼りに生きてきた。サンジさんは、なによりその男を大切に思っていた。だが、ある日、奴は女を見つけてここを出て行くことになったんだ。祝言を上げることになったと言って。その女は道場の娘というから、出世欲が出たのかも知れん。俺達からしちゃあ、その男はサンジさんを見捨てたとしか到底思えなかったが、サンジさんはそいつがここを出て武士になることをとても喜んでいた。いや、本当は辛かったんだろうけど、なによりその男の幸せを願っていたから、辛さを押しこめていたんだろうな。」 「・・・・・。」 そこで深呼吸でもするように息を整えると、エースの無言の促しにのって、話を続けた。 「その男が今日、この見世に客としてきたんだ。サンジさんの客として・・・。」 ギンの言葉にエースは驚きでギンの顔を見上げた。 「そりゃあ・・・・。」 「そうだよ、客だよ、サンジさんを買う・・・。それがサンジさんにとってどういうことか、わかるか?ずっと一緒に育ってきて、大切に思ってきた人だ。この見世を出る時でさえ、奴の幸せを願って笑顔で見送ったんだよ、サンジさんは・・・。サンジさんにとってはなによりも大事な人だ。一緒に夢も語っていた。奴もサンジさんのことを兄弟として大事にしていたはずなのに。それなのに、客としてサンジさんを買ったんだ。奴は、サンジさんをただの遊女と見なしたんだ!」 ギンは握りしめた拳を震わせた。段々と怒りが増してきたのか、声音がきつくなった。ギンの怒りは、きっとギンもまたサンジの事が大切だからだろう。見世の人間としては、サンジを遊女として扱うしかないのだろうが、それでもギンの振る舞いからすれば、サンジは大切に思っている人なのだろう。 それが、サンジと乳兄弟である人間が、遊女としてしかサンジを扱っていなかった事実に怒りを表している。 サンジはきっとその男のことを何よりも大切に思っていたのだろう。それが、恋と呼ぶものなのか家族としての思いなのかは、エースにはわからないが、それでもサンジの思いを考えれば、今日、身投げした意味がわかったような気がした。 「その男はどうした?まだいるのか?」 エースの言葉に、ハッとギンは俯いていた顔を上げた。 「先ほど、ナミさんが部屋を出て行ったから、話しをしてもう帰ったかもしれない。いや、もしこの部屋に来るつもりがあったとしても、俺はヤツに会わすつもりはねぇ。」 「あぁ、先ほどまでここにいた花魁が相手をしてたのか・・・・。」 客ならば、相応の対応が必要だろう。逃げたサンジの代わりにその花魁がきっとその男を慰めていたのだろう。 とはいえ、その花魁もサンジと仲がいいと先ほどの話にあった。よくその花魁は男を咎めたりしないもんだ。確かに、相手は元はここの人間とはいえ、今は客だ。よく名代を務めたもんだと、遊女の強さに感服する。 が、ふと、エースは気づいた。 本当にその男は、ただ単に興味本位や気まぐれで、サンジに会いに来たのだろうか。 目の前の見世番は、怒りでその男の本心までの思いを巡らせていないが、一緒に育った仲なのならば、お互いに思いあっていたのではないだろか。 建前上は、出世欲から女を作って出て行ったように聞こえたが、実際はどんな経緯で別れることになったのか、詳しいことは分からない。だからもしかして、その男もサンジに会いたい一心でここに来たのではないだろうか、事の顛末までは考えずに。 いやいや。とエースは、小さく首を振った。 その男の真意は兎も角、目の前で今は静かに寝ている、辛い人生を送っている遊女は確かに死にたいほどの思いをしたのは事実だ。 エースは、もう一度、今は静かに眠っているサンジに目をやった。 よくよく見れば、化粧は落ちて、今晒している素顔は男の顔と言ってもいいだろう。だが、それでもすでに遊女としての性を身につけてしまったのか、男くささは微塵も感じられなかった。それどころか、濁った女の厭らしさもない、中性的などこか純粋さを滲ませる美しさを感じた。 男にまったく興味のない自分でさえも惹きつける魅力を、このサンジは生まれつき持っているのだろう。 先ほど出て行った花魁を思い出す。 彼女なら、いろいろと事情を知っていそうだ。そのうち、その花魁にも話を聞いてみたいもんだとエースは思った。 ルフィの件はすっかりと忘れて、エースは今、サンジとその回りの事だけが気に掛かった。 兎も角、この寂しい遊女の支えになりたいとエースはそっと手を握りしめた。 |
11.11.21