いつか桜の木の下で22
「やぁ。」 ニコリと手を上げて、襖の向こうで挨拶をする花魁に笑いかけた。 「あ・・・・あんた。確か、サンジくんの・・・。」 初会の客ということで緊張した面持ちで襖を開けたナミは、驚きを隠せない。客の方は、初会だろうがなんだろうが関係ないとばかりにナミに手を振る。 水濡れのサンジを抱えて見世を訪れた時から、只ならぬ者だとはナミは感じていたが、こうも見世というものに対して砕けた人間も珍しい。己の地位を知っていて傲慢な態度でやって来るどこぞの武家達ともまた違う。いや、ただ地位のみで態度のでかい武家連中とは違い、己の実力と性質をわかってるからこそできる態度だ。 そういえば、ナミの馴染み、そして将来を誓い合っている男、ルフィと似たところがある。ナミは内心笑った。彼もまた、ナミの最初の客として来た時もこんな感じだったとナミは記憶している。 ナミがルフィと初めて会った時。 「お前がナミか。可愛いけど、なんか気が強そうだな〜。」 その時は、会っていきなりそう言われた。 ナミはそれはどういうこと!?と思った。 ナミの初見世では多くの人間が名乗りを上げた。その中で、初客の権利をとったのは、目の前の男だ。ただ、ナミがロビンについていた頃もまったく、一度も会ったことがない男。 どうしてと不思議だったが、一種のステイタスのように話題に上る遊女の初客になりたがる男はあちこちにいる。だから、ナミの初めての客としての権利を取ったのも、そういったことが理由だと思っていた。 初めて会って、ナミを見て、がっかりしたのかと、ナミは怒りが湧きあがった。 「悪いけど、あんたの相手をするつもりはないわ。帰って!」 しきたりも何もあったもんじゃない。 ナミは怒りで真っ赤になった顔を上げて、ルフィにそう言った。 途端、ルフィは「ええ〜〜っっ!!」と不満気な声を上げる。 「なんでだよぉ。俺、一目でお前のこと、気にいったのに・・・。」 そう口を尖らせていきなり、席を外そうと立ち上がったナミの腕を掴んだ。 ルフィはナミ以上に、しきたりなぞクソ喰らえと笑った。 あの時の笑顔。 ナミはその笑顔にやられたのだと自分でも思う。 何故かルフィを思い出して、苦笑する。 だが今はこの見世の花魁として仕事をしなければ、と頭を振って、ルフィの顔を頭の隅に押しやった。 が、この男も「しきたりなんぞクソ喰らえ」というタイプなんだろう。にこにことナミにこっちこっちと隣を指さした。 ま、いいか。とナミは肩を竦めて足を進めた。 後に控えている新造達には、戻るように促した。彼女達は怪訝な顔をするが、ナミは「特別な客」とだけ伝えて、自分だけ部屋の中に足を踏み入れた。 客もそれに依存はないようだ。ただ、黙ってニコニコとナミを見つめている。 サンジくんを助けてくれた人だもんね。 たぶん、彼がここに来たのもサンジのことが気になったからだろう。 あれから1週間が経つが、彼はまだ仕事に復帰していない。なぜなら、見世を飛び出した罰としてお仕置きをされていたのもある。特にケガはなかったが、精神からきているのか、体調も良くない。 今は、床でほとんどの時間を過ごしている。 「本当はサンジをお願いしたかったんだけどね・・・。」 部屋にはナミだけが残ったのを確認して口を改めて開いた。客が苦笑を見せて口を開く様にナミは「ほら」と思った。 「でさ、きみ、ここのしきたりには煩くないと思って呼んだんだけど、話をさせてもらっていいかな?」 「どうぞ。えっと・・・エース様っておっしゃったわよね。」 「あぁ、きみを呼んだけど、客として接するつもりはないから、気易くエースでいいよ。その方がきみも話しやすだろう?ナミちゃん。」 「わかったわ。」 ナミは顔を傾けて、穏やかな笑みを見せる。 最初にサンジを抱えてこの見世に来た時は、サンジの様子に慌ててこの男のことはしっかりと見ていなかったが、いや、ただ睨んでいたのかもしれないが、それでも内心悪い印象はなかった。やはりどこか、ルフィと似た空気を纏っているからだろうか。 「サンジ、体調がすぐれないようだね。大丈夫かな?」 悲しげな表情。それでも気分でも紛らわすようにすでに用意された酒に手を伸ばした。 「えぇ・・・。察しはつくでしょうけど、お仕置きを受けたこともあるし・・・。でも、やっぱり気分的に落ち込んでいるみたい。」 「それは、飛び込みをした理由かな?」 男の顔を見た段階でナミにはその話題は避けられないのがわかったから、誤魔化しはしなかった。なにより、ギンから多少この男のことは聞いた。 「そうよ。ギンから聞いたんでしょう?サンジくんの事情。」 「あぁ。その原因となった彼、きみがこの間名代を勤めたんだよね。」 「そうよ。」 空になった猪口にナミは新たに酒を継ぎ足した。エースは遠慮なく、酒を飲む。 再び猪口に酒を足しながら、ナミは目の前の男にクギを指した。 「だめよ、サンジくんは・・・。」 直球だ。 「なんで?俺、彼に一目惚れしたんだけど・・。」 「サンジくんには、ゾロがいるわ。」 お互い目を逸らさずに会話を進める。 「ゾロって。そのサンジを捨てた男の名?」 「捨てたわけじゃないわ。今は、耐える時期なの。」 「なんだい、そりゃ?」 目を丸くして肩を竦めるエースにナミはキッと睨みつける。 「ゾロもサンジくんのこと、大切に思っているのよ!」 「だったら、サンジのこと、遊女として扱うことはないんじゃないかな?」 サッとエースの眼から怒りが湧きあがったのが見えた。 まだ会って間もないのに、サンジへの思いにナミは驚く。 「何も知らない貴方が口を挟む権利はないわ。」 「だから、こうやって彼のことを知るためにここに来たんだけど?」 「知りたいなら、話してあげる。だけど、土足で二人の仲に入り込むのはやめてちょうだい!」 「それは、内容しだいだよ。そのゾロって奴にどんな思いがあるのか知らないが、それでもサンジは泣いて、自ら命を絶とうとしたんだろ?それは事実だ。そりゃあ一目惚れではあるけど、こんな気持ちになったのは初めてなんだ。俺は彼の涙を見たくない。早々に引き下がるつもりはないよ。」 「エース・・・。」 真っ直ぐにナミを見つめる瞳。 あぁ、この人は本気なんだと、ナミは思った。 いっその事、エースに全てを委ねればサンジは幸せになれるのではないかと思うほどに。 でも、どんな状況でも、ゾロだって彼なりにサンジのことを思って生きているのだ。 「二人が小さい頃からここで一緒に育ったってのは聞いた。お互いが大切に思ってただろうってこともわかった。でも、ゾロはサンジを置いてここを出て行った。そして、今度は客としてサンジのところに来た。」 「事実だけ見れば、そうよ。」 会話の合間にもお互いの手は動く。ナミは酒を注ぎ。エースはそれに口をつける。 「でも、俺が知っているのはその事実だけだ。それ以上のことはわからない。サンジはそのゾロのことを好きだったんだろう?」 「えぇ。」 淡々と話すエースにナミは相槌を打つ。何も間違ってはいない。 「何の為にゾロはここに来たんだ?」 「知って、どうするの?」 「さぁ・・・。さっきも言ったろ。内容しだいだって。」 「・・・・・。」 ナミは目を伏せて考える。 この人に話をしてもいいのだろうか。彼にサンジを託してもいいのだろうか。 でも。 でも、ゾロだってずっとずっとサンジのことを思って生きていたのだ。 その二人の仲を壊すことになるのではないだろか。 「場合によっては、彼を身請けしようと思う。」 「・・・・え!?」 エースの言葉にナミは伏せていた顔をバッと上げた。 エースが苦笑いを見せているのは、他にも何かあるのだろか。 「実は俺の弟のルフィがここに懇意にしている花魁がいてね。」 「え!?」 「彼女を身請けしたいと言っているんだけど、家臣を始め大勢の人間が反対をしているんだ。今やルフィはD家の跡継ぎとは言われてるけど、まだ正式には継いでいない。理由はわかってるだろ?もちろん、俺の中でもルフィにはD家の跡継ぎになってもらう予定だけどね。」 「それは・・・・。」 エースの突然の話の変わり具合にナミは固まったまま何も言えなかった。変わりに膝に置かれた手がギュッと拳を握った。エースは膝を使って頬杖をついている。苦笑いしたまま。 「で、先日はここにいるというルフィが懇意にしている花魁に会いに来る予定だったんだ。その途中でサンジと会った。奇しくも同じ見世とは思わなかったけど・・・。」 「エース・・・。」 「サンジに会って、ルフィの気持ちがわからなくもない、と思うようになった。もちろん、元からあいつの嫁が誰になろうと俺はどうこう言うつもりはなかったけどね。」 「・・・。」 「笑えるだろう。兄弟揃って、同じ見世の人間に惚れちまうんだから・・・。家からすれば困った兄弟だ、で済まないことだろうけどね。」 ナミは再び俯いた。どう言えばいいのだろうか。 「君だろ?ルフィの懇意にしている花魁って・・・。」 あぁ、やっぱりわかってしまったのか。 コクリとナミは小さく頷いた。 「だろうと思ったよ。名前は聞いていなかったけど、なんとなくルフィなら君に惚れると思った。」 「・・・・エースは跡を継がないの?」 「俺?」 エースの口調は変わらない。彼の真意がナミには見えなかった。が、単純明快とばかりにエースは素直に応える。 これもきっとルフィと似ている一部なのだろう。そう思って、ナミは改めてエースをそっと見上げた。 見た目は似てるとも似てないともどちらとも取れない。元々、血は半分しか繋がっていないとルフィから聞いていた。 でも、育った環境もあるのだろうか。雰囲気は確かにルフィと似ている。性格も似ていると言っていいだろう。 「俺は君たちしだいかな〜。」 「なに、それ・・・。」 エースがどうしたのか、本当にわからない。 「そもそも俺が跡を継ぐ予定はないんだ。俺は元々側室の子だから、家を継ぐことなく、ルフィの手助けをするつもりだったんだ。だが、ルフィが君を身請けして嫁にするとなると、家臣達の中にはこれをチャンスばかりに俺を表に引っ張り出そうという連中も出てくる。まぁ、態の良い出世狙いなんだろうけど・・・。実際、話はこちらにもちらほら来ている。ルフィはどうするつもりか・・・まだしっかりと話てはいなけど、君を身請けすること自体は何も変わらないだろうから、今は家臣を説得しているにしても、場合によっては跡を継がないと言い出すかもしれない。」 「・・・・。」 「だがそこで、俺もルフィ同様、サンジを身請けしたらどうなるか・・・。まぁ、女じゃないからね。別に正室を設ければ問題ないと言えばそうなるけど、俺はサンジを身請けしたら正室を迎えるつもりはない。サンジに振られたら正室を考えることになるだろうけど。予定通り、家は元々継ぐ気はないんだよ、俺は。」 「それじゃあ・・・。」 「下手をすればD家の跡取りがいなくなっちまう・・・。困ったねぇ〜。」 エースは本当に困った風には見えない笑みをしている。が、内心は表情以上に悩んでいるのだろう。 「本当に俺もね、迷っているんだよ。だからまず、君たちの意思を聞きたいと思った。それから、自分の意思を考え直そうと思ってるんだ。ただ、サンジへの思いは本当だから諦めるつもりはないけどね・・・。あ、でもそうするとやっぱ、俺が跡継ぐ話はまったくなくなるかな〜。」 本当に掴めない。とナミは思った。 「ナミちゃんは、ルフィと一緒になりたいんだろう?」 エースの屈託ない笑顔に素直にコクリと頷いた。 「私はルフィが家を継ごうが継ぐまいが・・・一緒になりたいって思ってる。それが、ルフィの家の家臣の方達には伝わらないのね。小汚い一介の遊女が家を乗っ取ろうとか、そんな風に思ってるんでしょうね。」 「まぁ、・・・・そうだね。」 「悔しいわ。」 唇を噛みしめるナミにエースは、ポンポンと肩を叩いた。 「そんな気を落とすなよ。実際、身分の低い者が由緒ある家に嫁いでも、その家が繁栄したって大名だって結構いるんだ。うちの家臣達の頭が固いだけだよ。」 「ルフィも同じこと言ってた。」 「だろ?」 エースの屈託ない笑みにナミは心がほんのり温かくなる。やっぱりルフィと兄弟なのだとわかる。 ゾロのことはさておき、サンジもこのエースに会えば、もしかしたら今の苦しい気持ちも少しは解れるのではないだろうか。 ゾロもサンジも、お互いへの思いは何も変わらない。それはわかっている。 お互いが添い遂げられれば、それが一番だ。だが現実問題として、ゾロはすでに妻を迎え、家庭を築いている。心がどんなに繋がっていても、一緒になる、という選択肢はないのだ。 心を繋げる人と添い遂げることはできないが、それでも、それぞれまた別の幸せを掴んでいいのではないかと、エースを見て、ナミは新たに思った。 ナミは基本、ゾロの味方ではある。が、それ以上にサンジに幸せになってもらいたい。夢を叶えるのと、実際に結ばれるのは、今の二人には別問題だ。お互いに別の人と一緒になったって、同じ世界で生きて行くことができるのではないだろうか。 ならば。 このエースになら、サンジを委ねてもいい、とナミは思った。 「ねぇ、エース。」 「ん?」 膝に置いていたエースの手にそっと自分の手を重ねる。 「私達の問題は、別問題よ。私達は私達でこの問題を乗り越えるわ。」 「ナミちゃん。」 「だから、サンジくんを幸せにしてあげて・・・。」 ナミは薄っすらと涙を浮かべて、エースに訴えた。 |
12.02.06