いつか桜の木の下で25
「ゾロ・・・・どうしたの?体が冷えるわ。」 くいなが後から声を掛けたのに、チラリと顔を向ける。 「あぁ・・・すぐに戻る。」 道場へ続く庭から空をもう一度仰ぎ見てから踵を返して、ゾロは妻のいる部屋へと足を向けた。空は月が煌々と光を届け、暗いはずの足元もよくわかり憶測なく歩くことができた。 吐く息は白い。くいなが言う通り、気付けば体はすっかりと冷え切っていた。 が、心の中はそれ以上にゾロを冷やしていた。 くいなが襖の影からゾロを待っている。身重の体こそ冷やしてはいけないと、慌てて自分を叱咤して足を早めた。 敢えて勝手口から回り、中に入るとまっすぐ寝所へと向かう。 そっと体を寄せるくいなの肩を抱きながら、今、一人泣いているのではないかと、想い人を心の中で思い浮かべた。 「ゾロ?」 ゾロの様子に何かを思ったのか、くいなは不安気に見上げる。 「あぁ、何でもない。大事な体なんだから、くいなこそ体を冷やしてはいけないだろうが・・。」 「えぇ・・・。ありがとう。」 横になるくいなにそっと上掛けを被せ、ポンポンと布団を叩く。 安心したのか、くいなは静かに目を閉じた。 それを見届けて、ゾロも自身の布団に体を潜り込ませる。 が、目を閉じても、眠気は全くと言っていいほど訪れなかった。 昼間訪れてきた男の顔が脳裏に蘇る。 昨日一度訪れて、時間がなくて日を改めて来てもらった男だ。 くいなの話では、幼い頃、ここに通っていたという。 ゾロも仕えることになったD家の嫡男、エース。だが、家督は弟のルフィに任せる予定だと笑っていた。 ゾロがD家仕えることになったとはいえ、実質、シモツキ道場の主はまだコウシロウだ。D家の城に登城することはほとんどない。ゾロは他の跡取り連中同様に若者達に交じって義父に従って奉公するのみ。確かに過去、対外試合に置いて一目置かれ、召し抱えられることになったのだが、言葉と実際には開きがあるのは仕方が無い事なのだろう。 ただ救いなのは、やはりゾロの名前は誰もが知るところとなっており、若さと経験値の少なさから未だまだまだ重要な役職にはつくことはできないが、それでも将来を約束されていることだろう。 その手始めとばかりに、コウシロウは、道場での指導において少しずつだがゾロに任せるようになってきている。 それに口約束の類ではあるが、家老からこの先、口添えをしてもらえることにはなっている。 それが噂になり、ゾロを妬む者も数多存在はしていたが、ゾロはそんな連中には頓着しないし、剣の腕前で言えば、誰にも負けない自信はある。それに、口下手で不器用なりにも真っ直ぐな心根を持つゾロに好感を持つ同士も幾人かはいるのだ。 客間でお茶を出そうとするくいなに、エースは散歩しながら話でもしようと立ちあがった。 道場の方は、今日は古株の師範に任せてある。 部屋で話し出さないエースにくいなは首を傾げるが、エースは、「大事な内密の話なんだ。」と肩を竦めた。 その仕草に、何かしら仕事がらみの話だと勝手に解釈したくいなは、良い妻を演じて「いってらっしゃい。」と後ろに下がった。 どれくらい歩いただろうか。すっかりと道場から遠くなった人気の全くない神社に辿りついた。 ざっと踵を返したエースの表情は、先ほどくいなに向けた穏やかな飄々とした遊び人風からは程遠かった。 「サンジのことで話がしたかった。」 初めて出会う男の口から出た名前に、ゾロの眉間に皺が一気に寄った。 「サンジの・・・?くいなの話ではあんたはD家の人間だということだが、仕事絡みの話じゃないのか?」 「あぁ、どちらかといえば、個人的な話なんだ。」 エースは笑みを見せているがそれが偽りの笑みであることはすぐにわかった。 「あんたは何だ?サンジの・・・客か?」 一瞬の躊躇ののち、客という言葉が出てきた。 仕方がない。内心はどう思おうと、サンジの仕事は客を取る仕事だ。しかし、客がサンジの口からゾロの事を聞くことなどありえない。クロコダイルのように、その昔、まだサンジもゾロも小さい頃、見世で一生懸命二人して生きていたことを知っているごく一部の古株の人間でなければ。 しかし、どう見たって目の前の青年は、二人の過去を知っているほどの年を重ねているようには見えないし、年齢はともかく、二人の過去に関わっているのならばゾロもこの男の顔に見覚えがあってもいいだろう。だが、まったくの初対面だ。 ゾロの不審気な様子は予想通りなのだろう。ゾロの相手を伺うあからさまな視線にも全く怯むことなく、対峙している。いや、逆にエースの方こそ、ゾロに対しての視線が不躾で歪んでいる。 「まぁ、サンジの客ではあるのは確かだ。」 「それが俺に一体、何の用なんだ?」 お互い目を細めて睨みあう。一歩も怯むことなく対峙している様は、まるで剣を交えているようだ。 「サンジを死に追いやろうとした罪として、サンジにはもう関わらないで欲しい。」 「・・・な!?」 突然、相手の口から出た言葉に、ゾロは大きく目を見開いた。 暫く口が開いたり閉じたり、どう反応してよいのかわからないようで固まったまま動かなかった。 エースは、ゾロが驚愕して動かなくなったのを静かに見詰めた。いつ反応するのかわからなかったが、辛抱強く待った。 どれくらいそうしていたのだろう。大きく深呼吸してから、漸くゾロの口が言葉を発した。 「・・・・なんで?・・・一体・・・・どういうことだ!?」 「どうもこうも、言葉の通りだ。」 驚きを隠せないゾロに、エースは更に冷たい声音でゾロに忠告する。 「いいか?二度とあの見世の暖簾をくぐるんじゃない。サンジには会わないで欲しい。」 「どうして!?」 突然、切り出された内容にただただゾロはうろたえるしかない。 どうして二度と会ってはいけないことになってしまったのか。 自分がサンジに対して犯してしまった罪とは一体。 見世を飛び出して暫くしてから見つかったサンジにほっと安心した際、ナミはサンジのことをどう話していたのだったか。 朧気ながらあの時のナミの説明が脳裏に蘇らせる。 あの時、ナミはなんと言っていたのだろうか。 確かに、ナミからサンジが見世を飛び出してどうしていたのか、何があったのかを聞いている。 だが、その話の内容は、今目の前の男から出た言葉とどうしても繋がらない。驚きを隠せないままあの時のナミの言葉を思い出そうと目をゆっくりと閉じた。 「サンジくん、街をうろついていて、ちょっとチンピラに絡まれたみたい。それを通りがかりの武士の方が見つけて助けてくれたんだけど、場所が悪かったのね。河原での乱闘だったものだから、二人ともずぶ濡れになって戻って来たの。ううん。サンジくん、気を失っているけど、大丈夫よ。」 そんなことを言っていたような気がする。 「それから、こんな騒ぎがあったから暫く見世に来るのはちょっと控えてもらっていい?またサンジくんが落ち着いたら、私から連絡を入れるから?いい?ゾロ、お願いだから・・・。暫くは我慢して・・・。私は、二人の味方だから・・・。」 ゾロの震える拳に手を重ねてそう優しく微笑むナミに、ゾロは頷いて見世を後にしたのだ。 あれから2週間ほどしたが、肝心のナミからは連絡はなかった。事が事だけに、暫く折檻されたりしてすぐに見世に出られないのは想像できたので、ただ我慢をして連絡を待っていた。 ゾロから動かなかったのは、ナミを信じていたからだ。ナミはサンジとゾロの味方だと言っていた。だから、我慢して彼女からの連絡を待つことができたのだ。 が、それがどうだ。 見も知らぬ男が道場の元までゾロを訪ねてきて、いきなりサンジに会うなという。見世の暖簾を潜るなと立ち塞がる。 訳が分からない。 ナミはこの男の存在を知らないのだろか。 ただただ呆然と立ち尽くす男に、エースは自嘲とも言えぬ苦笑なるものを見せた。 「ナミは・・・・?」 「あぁ、ナミちゃんは、もうてめぇの為には動いてくれねぇよ。」 エースの言葉にガバリを顔を上げる。 どういうことだ。まったくわからない。 「昨日さ、ここに一度来ただろ。俺・・・。」 「あぁ。」 それは覚えている。こちらの都合もあり、一旦は引き取りを願った男だ。 「その帰りにくいなちゃんに会ったんだ。」 「くいなに・・・?」 まだまだ知らないことが多い自分を自覚する。昔の知り合いとだけは軽く聞いたが、それだけだ。自分の妻を気軽に呼ぶこの男はひと癖もふた癖もあることが伺えた。 「まぁ、俺と弟のルフィ。二人で小さい頃、ここに通っていた時期もある。もうずっと昔の話だけどね。」 ゴクリと生唾を飲み込んだ。グッと喉仏が動いたのに気付いたのは自分だけか。 「で、昨日、道場を訪れた時に偶然にもくいなちゃんに会えたけど、彼女、すっかりと変わったんだね。もうすぐ母親だ、と穏やかな表情で笑ってたよ。」 あぁ。知られてしまったのか。 エースの言葉にゾロは、反って無表情になった。 ゾロを咎めるつもりなのだろう。エースの表情がそう伝えていた。 「ゾロ・・・。あんたがどうしてこの道場に婿養子として来たのか、理由は知らない。知りたいとも思わない。だが、くいなちゃんの旦那としてこの道場に来ることでサンジが傷ついたのはわかるだろう。」 「・・・・。」 エースの、過去を暴露するような推理に反論することもなく、ゾロは黙ってエースの言葉を聞いていた。 「それでもサンジは耐えたんだよな。お前とサンジと、二人の間でどういう話しをしたかも知らないが、それでもサンジはゾロが見世を出て行くのを認めて、1人寂しく頑張ってたんだ。」 エースの言葉にゾロは垂れ下ったままだった拳にぐっと力を込めた。 エースは話を止めるつもりはないらしい。 「その一人頑張っているサンジをさらに暗闇に突き落としたのはお前だろ?ゾロ。」 「暗闇って・・・。」 エースの言いたい事がわかっていないのだろう。エースはイラつく心を叱咤してさらに言葉を続けた。 「お前がナミちゃんから聞いた、「チンピラから絡まれた」話は真っ赤なウソでさ・・・。サンジは身投げをしたんだ。お前との関係に絶望して・・。」 「身投げ!?」 初めて聞いたという顔をエースに晒すが。エースはそんなゾロの動揺も気に留めない。どころかゾロの何もわかっていない表情に怒りガフツフツと湧き上がって来た。 「ずっと対等である立場だと思っていたお前が、いきなり客として現れちゃあ、サンジとしてもショックだろうよ。お前は客で・・・サンジは、その客を喜ばせる遊女だもんな。」 「っっ・・・。わかってる。ナミに言われた。」 拳を握るだけでなく、唇を噛みしめるゾロに、エースは、何を今更。と内心思う。 「本当にお前、わかってんのか?」 「・・・・。」 「しかも、ナミちゃんには協力を頼んでおいて、サンジをただの遊女と見なしておいて・・・。自分はのうのうと自分の夢を果たし、幸せな家庭を作っている。しかも、赤ん坊までできたんだと!?二人の信頼を裏切っておいて、そりゃあないだろうが!」 「・・・・。」 「てめぇのことを昨日、見世でナミちゃんにも話した。ナミちゃん、相当お冠だぜ?」 「それは・・・・。」 エースは腕組をしてゾロを上から見下ろすように睨んだ。 大切だと思っていた人を大切に扱うこともせず、況してや、自分ばかり大切な人々に囲まれて愛の溢れん環境に身を置いている。 何が子どもだ!何が赤ちゃんだ! ゾロのサンジへの愛情は嘘っぱちだったんだ。 エースは、怒りで目の前が真っ赤になった。相手を殴らないだけ、剣を懐から抜かないだけましだろう。 ゾロは何一つ言葉を返すことなく、項垂れた。 |
12.04.01