いつか桜の木の下で26
エースが東海屋を訪れるようになっていくつかの季節が過ぎた。季節は冬をもうすぐ迎えようとしている。 エースは最初の頃ほどは頻繁にというわけではないが、定期的にサンジの元を訪れた。もちろん、回数が減ったからというのは、サンジへの気持ちに変化があったわけではない。 エースもまた、家業のことで忙しいようだ。 ルフィも相変わらずで、ナミの元を足繁く通ってはいるが、身請けにまでは至っていない。どうやら、ルフィ、エース、そして二人の父親や家臣を交えて今後のことを話しあっているようだ。もちろん、通常の城主としての仕事を抱えている父、そしてそれを支える家臣達との話し合いは回りの都合を見ながらなので思うように進まないのは仕方が無いだろう。もちろん自分達だってフラフラと遊んでいるわけではない。家業を継ぐだけでなく、元々の役割だってある。 これからのことは二人して長期戦と踏んでいるようだ。だが、すでに元服を終えて妻を娶っていても、いや、それどころか子どもも何人もいても不思議ではない年齢の二人に家臣を始め回りはやきもきしているようだが、飄々と我が道を行く二人にはそんなことはどうでもよかった。それがナミには救いだっただろう。 エースもまた、サンジを身請けしたいとは言ったものの段取りが決まらず、また、サンジの方も穏やかに笑ってごまかし、正式にはエースの申し込みを受けていない。 ゾロはあの一夜以来、全く姿を現わさなかった。 シモツキ道場で、男の子を、新たな跡継ぎが生まれたことは、エースの話より先に風の便りでサンジは知った。 最初はサンジを傷つけなようにゾロを庇うような言葉を発していたエースも、サンジがゾロに子どもが生まれた事を知ったのを知って、もうゾロを庇うようなことは言わなくなった。嫌悪を滲みだした表情をした。ただ救いは、サンジの前でゾロを罵らなかった事だけだろう。 エースはただ只管サンジに優しかった。 「ここから見える紅葉も、月の光に照らされて綺麗なもんだなぁ〜。」 注がれた酒を手に、開けられた障子から除く景色を堪能した。 サンジの部屋は、立場上見世の奥の方に位置する。華やかな座敷側に比べて多少は座敷の声は届くがそれでも静かに時を過ごすにはもってこいの場所だった。景色も座敷ほどではないが、僅かに庭が見え隠れする。そこから綺麗に輝く月はよく見えた。 「なんだか今日はいつになくご機嫌じゃないか?」 酒を注ぎながら、サンジはエースに笑い掛ける。 「そうかな〜?サンちゃんに会えたからじゃない?ここ最近、使いと称して近隣諸国を回っていたから…来れなかっただろ?久しぶりにサンちゃんに会えたから嬉しいんだ。」 「そう言えば、ナミさんも最近元気がないと思ったけど、ルフィも一緒だったのか?」 確かにここ数週間、エースもルフィも見世には訪れていなかった。理由は聞いていたので、心配はしていなかったが。 思い出したように呟くサンジにエースはケラケラ笑った。 「まぁな・・・。でも・・・そっか〜。ルフィもやたらと元気がないと思ったのは、そっか。ナミちゃんに会えなかったからか・・・。わかりやす二人だな。」 「似たもの同士だからな、あいつら。」 見世の仕事はきちんとこなすが、いつになくナミに覇気がないのは知っていた。もしかしたら、と思ったがやはりルフィに会えないのが寂しかったのかと彼女の淡い思いにサンジはクスリと笑った。 「戦じゃないんだから、普通なら兄弟一緒に使いに出すということはあんまりないんだけどね。ここ最近、近隣諸国も代替わりしたもんだから、ガタガタしていて…。本来ならば、こちらから挨拶に出向くことはしないんだが、先手撃っておけってさ。」 「それはやはり、ルフィとエース、どっちが跡を継ぐのか決まらないからか?」 心配そうに覗くサンジにエースはそっと優しく肩を抱いた。 「ん〜。親父の考えてることはわかんないけどね・・・。みんな頑固だからなぁ〜。お互いの主張を曲げないから話が進まない。」 エースの言葉にサンジは顔を曇らせる。 「エース・・・。」 「なんだい?サンちゃん・・・。」 下から見上げる角度でサンジはエースを見つめた。 「やっぱり・・・エースは・・・・エースが跡を継ぐべきじゃないか?俺なんかを身請けするなんてこと言ってないで・・・。」 サンジの言葉にエースは困った顔をする。 「サンジは嫌?」 「え?」 エースの言葉にサンジはエースを真正面から見つめる。 「ルフィと同じで、俺もサンちゃんを身請けしたいと言いながらそのための準備が何もできていない。確かに、ルフィもナミちゃんを身請けするといいながら全然話が進まないから、ナミちゃんは未だにここにいるけど・・・・。でも、サンジの場合、俺の申し入れを受けてくれるって・・・返事もしてくれないじゃないか・・・。」 「・・・・。」 エースの指摘にサンジは俯くしかできなかった。 「まだ・・・忘れられない?ゾロのこと・・・。」 「・・・・それは・・・・別に・・・・。」 俯いたサンジの頬にそっと手を添えて改めて顔を上げさせる。見上げる瞳はほんの僅かだが潤んでいた。 「ね?サンジ・・・。改めて申し込みたいんだ。身請けの話。」 「エース・・・・。」 頬に添えた手に僅かに力を込めて、角度をつける。そのままエースはサンジにそっと口づけた。サンジも素直にその口付けを受ける。 軽く合わせた唇はすぐに離されて、サンジはエースともう一度見つめ合う。 「サンジは男に戻りたくない?」 身請けの話から突然切り替わった話にサンジは目をパチクリする。 「実はね、ずっとみんなと話し合っていたのは、身請けした後のサンジの立場なんだ。」 「・・・?」 穏やかだが真剣な眼差しでエースは頬に当てていた手で今度は両肩を掴む。 「でも、それは俺にとってはとても辛い選択なんだけど・・・・。サンジはどう思うのか知りたい。もし、サンジが少しでも俺のことを思っていてくれて、その選択が嫌ならば、この話はもう一度振り出しに戻そうとは思っているんだけど・・・。」 ゾロの事、言えないよな・・・。と呟くエースに、サンジは肩を掴まれた手に己の手を添えた。 「詳しく話してくれないか?エース・・・。俺は何だって受けとめる覚悟はある。あの日・・・・一度は捨てた命だ。もうどんなことにだって耐えられる覚悟はある。そうして生きているんだから・・・・。」 そう告げると、今度はサンジの方からエースに口づけた。 「確かにエースからの身請けの話、まだ俺は受け入れられない自分がいるのも事実だ。でも、それはエースの事が嫌いだからでも何でもない。ただ、ここから出ることが怖いだけなんだ。」 「サンジ・・・。」 生まれた時から、この大きな籠の中で生きてきて、籠の外で自由に羽ばたく術を全く知らない。もし、たった一人でここから飛び立てと言われてもきっと生きていけな程には、サンジの生活は歪んだものになっていた。 「でも・・・それだけじゃなく、ゾロのことも・・・・ないわけじゃない。どんなに酷い仕打ちを受けたって、あのゾロとの約束が未だ胸の中に残っているんだ。迎えに来てくれるっていう・・・。ホント、自分でもバカみたいだと思うけど、でも、それでもその言葉に未だ縋っている自分がいるのも知っている。」 肩を掴んだエースの手にそっと頬ずりするようにサンジは首を傾げた。 「酷い人間だよな、俺って・・・。」 自嘲めいた言葉に、それはお互い様だとエースは笑った。 自分の方の話もまだ終わっていない、とエースは再度口を開いた。 エースの言葉によれば、今ルフィも交えて話し合っている内容はこうだった。 ルフィは彼の要望通りにナミを正妻とするべく身請けする。 そして、正式な婚礼を行う前にナミには徹底的に武家の世界のしきたりを叩きこむ。だが、それはD家の跡取りとしてではなく。 D家の跡取りはエースが受ける。実はルフィのナミ身請けの話を条件に跡を継ぐのを承諾するのだ。 ルフィもエースもナミもサンジもみんなが幸せになる方法をエースは模索していた。 未だ頑固な父、そして家臣をも納得させるべくエースが選らんだ方法がこれだ。 だが、そうなればエースはD家の跡取りとして正妻を迎えなければいけない。その内容にはサンジを身請けしたいと考えているエースの意思は含まれていない。 それでもサンジを幸せにしたい。彼の夢を叶えてやりたい。ずっとサンジと一緒にいたい。 そうするには。 エースの出した結論はこうだった。 「サンジ・・・。君には料理人としてうちに来てほしい。」 「え!?」 「確かに最初は遊女として身請けしようと考えていた。俺は君の心も体も欲しいと思っているし、サンジとしてもそうやって生きて行く道しか知らないからそれが一番いいと思ってたんだ。」 「エース・・。」 ニカリとエースは笑った。 「だけど、違ったよな?サンジの夢。前に話してくれただろ?」 確かに最初は死にたいと思っていた命を助けられ、エースを逆恨みもした。 だけど、毎日のように通ってきてくれて、サンジの凍った心をゆっくりと溶かしてくれたエースにサンジも少しずつ心を開き、いろいろな話をするようになっていった。 その中には、ゾロとナミしか知らないサンジの夢も含まれていた。 「料理人になりたいって言ってたの、思い出してさ。だったら、サンジの夢を叶えてやりたいって思って・・・。」 「・・・・っっ・・・・エース・・・。」 エースの言葉にサンジは思わず両手で口を覆った。 想いもよらない言葉だった。 ずっと夢で終わると思っていた。叶わないものだと思っていた。 その夢をエースが叶えてくれるというのか。 「でも・・・・そうなると俺の、サンジと添い遂げたいって思いが果たせなくなって・・・・。すごく悩んだ。」 確かにエースの言う通り、サンジを料理人として迎えるならば。そして、家督を継ぐと言うのならば、エースは正妻を迎えなければいけないだろう。 サンジは己の夢を果たせるのだが、傍にいるとはいえ、お互いの想いを押し殺して生きて行かなければいけなくなるだろう。 エースはサンジを愛している。 サンジもまた、エースを愛するようになっていた。 その想いはどこへ行ってしまうのだろうか。 エースの言いたいことがわかって、サンジは顔を歪めた。 夢を取るのか、お互いの恋慕を取るのか。そのどちらかを選べとエースは言っているのだ。 「エース・・・。」 全てを察して呆然とするサンジに、エースはそっとサンジの手を取りその甲に口づけた。 「もしサンジが夢を選ぶというならば、料理人としてサンジを迎えたい。でも、俺と添い遂げてくれるっていうならば、改めて俺の愛する人として来てほしい。」 「その場合はどうなるんだ?」 「その場合は、ルフィにも泣いてもらう事になると思う。でも、ルフィはまだナミちゃんを正妻として迎えることを諦めていないし、結局・・・別に親父には養子を迎えることを提案しようと思う。D家の醜態を晒すことになるからその提案を受けてもらえるかはわからないけどね・・・。」 「それじゃあ、みんなは幸せになれないってことか?」 「そういうわけじゃないよ。心配しなくていい。」 「・・・でも。」 「サンジは自分の気持ちに正直に考えて欲しいんだ。それに、今すぐ返事が欲しいわけじゃない。ゆっくりでいいから考えてくれないか?そして、サンジの心が決まったら返事が欲しい。」 「エースは・・・・どうしたいんだ?」 ゆらゆらとゆらめくサンジの瞳を見つめてエースは優しく微笑んだ。 「全てはサンジの思うままに・・・・。」 「でも・・・・。」 「俺はサンジに幸せになってもらいたいんだ。それが俺の幸せなんだ。」 「エース・・・。」 泣き笑いのような顔でエースを見つめる。 「でも・・・。」 「・・・?」 エースはゆっくりとそれでも力強くサンジを抱き締めた。その腕の動きは欲を含んだものを現わしていた。 「今はサンジを抱きたい。いい?」 ペロリとサンジの目尻に浮かんだ水を舐め取った。 「あぁ・・・。俺もエースに抱かれたい。いっぱい抱き締めてくれないか?」 「もちろん。」 サンジの頬の傍で囁くとそのまま深く二人は唇を重ねて行った。 |
12.05.16