いつか桜の木の下で27




エースは言った。

「できれば、あのサンジと出会った日までに身請けの話の返事が欲しい。」

サンジは目を瞑る。
そう言われれば、寒いあの日にサンジはエースに命を助けられ、出会ったことを思い出す。あれから何年経とうというのか。
帰り際にエースの言った言葉を反芻して瞼の裏に彼の顔を思い浮かべた。

「あの時、サンジは一度死んで、新たに生まれ変わったと言った。そして、ここで生きて行くと誓ったんだよね。」

コクリと頷くサンジにエースは優しく抱きしめながら訴える。

「だったら、もう一度、あの日にまた生まれ変わらないか?そして俺の傍で生きて欲しい。だから、あの俺達が出会った日までに心を決めて欲しい。」

サンジの出す答えを今から想像して不安になっているのか、幾分が声が震えていたのをサンジは感じ取った。
いつも傲慢で自信家で非の打ちどころがないような男だが、それでもサンジには優しく、サンジの嫌がることはしなかった。

「好きだよ。」「俺の所においで。」

いつも口癖のように言っていたが、それは軽口を多少は含んでいた。
だが、今回のコレは本気だ。
漸く回り環境が動いたというべきだろうか。
本気だからこそ、慎重にサンジの様子を伺う。
本当にエースに大切にされているとサンジは改めて感じた。

今日はエースは朝までサンジの傍で過ごさなかった。











「サンジくんっ!」

ドタドタと速足でナミがサンジの傍にやってきた。食事を終えて部屋に戻ろうとしたところだった。
楼主に見つかったらどやされるだろうのに、回りを気にせずやってくる。
今は、夜見世の準備に取り掛かろうとしているところだった。誰もが準備に忙しなく動いているので気にならないと言えば、そうなのだが。

「ナミさん。走ったら危ないって。それにクリークに見つかったら怒られるよ。」

それでもナミを落ち着かせようと、いつよりもまた一段と落ち着いた声音でサンジが振り返りながら訴えた。
それでもナミの興奮は冷めやらないようだ。

「ルフィから聞いたわ!」

ナミの言葉にサンジは目を見開く。
情報が早いと言うべきか、まぁ、確かにサンジの同行によっては自分たちの身の振り方も変わって来ると言っていいだろう状況だ。

「ナミさん・・・。」

サンジの手を両手で包むナミに、サンジはとりあえずと自室にナミを招いた。
落ち着こう、と部屋に入ってナミにお茶を勧める。

「あったかい・・・。」

まだ日が当たるところは暖かさを感じるが、日に日に気温は下がって来ており寒さを感じるようになっている。
湯気の上がる湯のみを両手で持ち、ナミはほっと息をつく。

「ルフィから聞いたんだ?」

目を細めて笑うサンジにナミは顔を上げた。ゆっくりと頷く。

「ルフィから聞いた。エースがサンジくんに身請けを改めて申し込むことを。しかも、料理人として・・・って。それによってエースとルフィの跡継ぎ問題も決着が着くって・・・。」

今度はサンジが頷く番だった。
サンジは真正面からナミを見つめる。

「エースに返事はしたの?」

今度は首を横に振る。

「俺の返事次第でナミさん達の運命さえ変わっちゃうんだ・・・。」

サンジの言葉にナミは俯く。
確かにサンジの言う通りで。

元々、遊女には先の生き様など大して変わりはないように思っている。
身請けされずに、この籠の中で一生を過ごすのか。その場合、最悪な事態としては病気を貰って見難く朽ち果てしまう憐れな結末。そうでなくとも、見世でずっと若い連中に指をさされながら遣り手として生きて行く道。
上手く身請けされれば儲けもの。しかし、それとて思いを寄せている相手に身請けされるとは限らない。どこぞの年老いた好色めいた男に身請けされることだってあるのだ。それでも見世に残るよりはずっとましだが。
それ以外にだって悲しい結末を迎える遊女は数知れず。
愛する男と結ばれることが出来ず、二人でひっそりと終焉を迎える遊女もいる。本気になってしまった客と他の遊女とのもつれにもつれた関係に殺傷沙汰を起こす遊女だっている。
様々な愛憎劇が繰り広げられるこの場所で、言えることはただ一つ。
自分の望む様な幸せを掴む女はほんの一握りしかいないのだ。

その一握りの、誰もが憧れる人生を送ることができる未来がこのナミには待っている。
しかし、その前にサンジが出す結論によってはナミの未来が変わってしまう恐れがある。

サンジは恐かった。
自分の答え如何によっては、自分だけでなく、ナミやルフィ、そしてエースの人生までもを決めてしまう。

ナミを見つめて、サンジもまた俯いた。膝の上で握っている拳が震えていることにサンジは気がついた。
と。
そこに白く美しい手がそっと添えられる。
サンジが顔を上げるとナミが優しくサンジに微笑む。

「サンジくん・・・。」
「ナミさん。」
「私達のことは何も考えなくていい。どんな形であれ、ルフィと一緒にいることができるのだから・・・。それが私の幸せなの。家の跡を継ぐとか継がないとか・・・そんなことは、私にはどうでもいい。」

ナミの言うことは半分本当で、半分間違っていることをサンジは知っている。
家の跡を継ぐと継がないとではその扱いに差は出てくるだろう。
正妻になれば、その立場は揺ぎ無い。誰に遠慮もいらない。
しかし、ルフィが跡を継ぐことになって別に正妻を迎えることになるのならば、ナミの立場はとても弱いものになるだろう。正妻になる人物に依っては、辛い人生を送らねばならないだろう。

「私はサンジくんに幸せになってもらいたい。」
「ナミさん・・・。」

それは、サンジだって同様だ。ナミには幸せになってもらいたい。
男として女の郭にいる辛さ、諦めなければいけなかった夢。ゾロにも裏切られ、何も残っていないサンジにナミはいつも笑顔を見せてくれていた。
エースもそうだが、ナミがいなければ、サンジは今ここで生きていなかっただろう。ナミはサンジの生きる支えの一つだ。

「ね、サンジくん。エースのこと、好き?」
「・・・・・えっと・・・。」

ストレートに聞かれる、正直照れる。
エースにも言ったが、確かにゾロのことは忘れていない。裏切られたと口では言っても実際には、心のどこかでゾロとの約束がサンジを支えている。
それでも、エースに心惹かれていることもまた事実。

「う・・・ん。好き・・・・だと思う。」

頬を染めて小さな声で答えるサンジにナミはクスクス笑った。

「じゃあ、まだ夢は諦めていない?」
「それは・・・。」

それは、その通りだ。
今でも時々空いている時間の隙をついて、料理をしている。それはほんの少しだし客に出すわけにはいかないので、ナミに食べてもらったり、客と言っても気心しれたエースには出している。
エースも美味しいと言って食べてくれる。自惚れるつもりはないが、それでも味には自信がある。
だからこそ、エースは料理人としてサンジを身請けしたいと言ってくれたのだろう。

考え込んでしまったサンジにナミは改めて両手でサンジの手を掴んだ。

「自分の気持ちに素直になりなさい。」
「俺は・・・。」
「うん。」

ナミの眼は穏やかにサンジを見つめている。

「わからない。エースと一緒にずっといたいとも思うし・・・料理をしたい気持ちもある。諦めたつもりだったのに、やっぱり料理がしたくて堪らないんだ。」
「サンジくん。欲張りね。」
「・・・・悪ぃ・・・。」
「うぅん。サンジくんを責めているわけじゃないのよ!とてもいいことだと思ってるわ。」

ナミは笑みを崩さない。
本当に姉のように、母のように、温かな人。

「返事はすぐってわけじゃないんでしょう?」
「あぁ・・・うん。まだ時間はあるけど・・・。エースと出会った日が期限。」
「あ・・・・あぁ。あの・・・・そう。」

過去を思い出したのか、ナミの表情が少し曇る。
でも、それはもう過去のことなのだ。今度はサンジの方がナミに微笑む。

「確かにあの日のことは苦い思い出でもあるけど、エースと出会った大切な日でもあるんだ。」
「そうね。そうよね。」

ナミが腕を広げてそっとサンジを抱き締める。

「ゆっくり考えればいいから・・・。」
「ありがとう。」

サンジを抱き締める腕にサンジは顔を埋めた。

「幸せになりましょう、お互いに。」
「そうだね。」

お互いに流した涙にそっと口づけた。


12.07.09




               




     
       あと少し。あと少し・・・・。