いつか桜の木の下で30




開いた襖から入って来る月の光は細く、立ち並ぶ男達によってすぐに塞がれた。逆光でしっかりと顔を見ることはできないが、雰囲気から察するにサンジを囲む複数の男達は今日見た連中の中にはいなかった。料理人ではないようだ。当たり前か。そもそも料理人である者達は同じ部屋で寝ているのだから。どこから来たのだろうか。いや、そんなことはどうでもいい。
只ならぬ雰囲気に、がばりと踵を変えて逃げ出そうとするも、すぐに壁に阻まれて行き手がなかった。
途端、後ろから腕を掴まれ、次に口を塞がれた。
サンジとて、囲われた生活を送ろうとも男だ。多少のことなら抵抗する術だってあるのだが、なんせ相手は複数人、すぐに抑え込まれた。
大声を出せば近くで寝ている料理人の先輩達も起きて気づいてくれるだろに、みな疲れているのかよく寝ている。しかも、サンジを襲っている連中は手慣れているのか素早い。いや、武術の心得があるのだろう動きだった。チラリと視線をやれば、脇に携えている刀が見えた。

「ぅ・・・・・ぅぅっっ。」

すぐに猿轡を噛まされ、声を出すことさえできなくなった。相手は4・5人はいるだろう。四肢は一人一人に抑え込まれて身動きが出来ない。

「ここじゃヤバイ。移動するぞ。」


リーダー格だろう男の囁き声で、連携よくサンジを連れ出す。

雰囲気、動き。それらから察するに、何をされるのか容易にわかった。
あぁ、ここも見世と変わらないことをさせられるのか。と今更ながらにサンジは絶望した。
見世で体を売るのではなく、己の腕と技術で生きていける場所を見つけたと思ったのに。そうじゃなかったのか。
いや。料理人として自分を育ててくれると、今日会った人達は言外に伝えていた。まだ怒鳴られもしていないが、きっと他の先輩連中と同様にゼフに怒鳴られ、教えられ、きっと一人前の料理人になれると思った。
それなのに。悔しかった。

俺は何処へ行っても、いいように体を差し出すことしか求められないのか。
悔しい。
だが。
別に処女でも無垢な子どもでもない。どれだけの数の男が寄って来ようと今さらだ。だったら、下手に抵抗して余分に体力を使う方が損なだけだ。明日から早い。

何処を辿ったかわからなまま見知らぬ部屋へと連れて行かれた。
諦めて力を抜く。

「おぉ。さすがにわかってるな。」

男どもが舌舐めずりをしたのがわかった。
勝手がわかっているのだろう。誰にも会わずにそのまま廊下を突き進み、とある部屋の前に来ると一人の男がなるべく静かにとゆっくりと襖を開ける。そこは普段使われていないのだろう部屋と思われた。ずるずると引き摺るようにしてサンジは部屋の中へと連れて行かれ、そのまま畳に叩きつける様にして腕を離された。
ふっと気づけば、リーダー格だろう男がサンジをまたぐ形で膝立ちで構えていた。やはりここでも入って来る月明かりが逆光になって、顔が見えない。見えたところで、サンジには抗うこともできないし、後で訴えることもできないだろう。サンジを襲った連中も同様のことを考えているようで、見えないだけで顔を隠そうとはしていなかった。それでも他の者に現場を見られたら事が事なだけにまずいらしい。

「おい。襖を締めろ。」

指示を出しながら、男はすぐにと己の袴の紐に手を掛けている。
ペロリと舌舐めずりしているのがサンジには見えた。
指示された一人が、襖を締めようと立ち上がった。

ここにいる全員相手をしなくてはいけないのだろうか。できれば、なるべく早く終わって欲しい。

大きく深呼吸して目を閉じる。力も抜く。
と、突如、聞き慣れない呻き声とドサリと何かが倒れた音がサンジの耳に届いた。
一体何だ?と閉じた瞳を再び開ければ、サンジに覆いかぶさっていた男が驚愕の表情を晒しながら体を捻り、外を見つめていた。
釣られてサンジも男の視線の先を辿った。

と、まだ締め切れていなかった襖の隙間から庭に面した場所に影が見えた。

「・・・え!?」

月を背に男が立っている。だが、やはり逆光で顔が見えない。
どうやら仲間内の一人が他者の気配に気づいたが、追い払う前に逆に打ちのめされたらしい。立っている男の足元に仲間が一人呻きながら転がっていた。
立っている男は、明らかにサンジを襲った連中とは別者だということがわかった。

「だ・・・れ?」

ぽつりと零れたサンジの呟きが届かなかったのか、耳に入っていないのか、サンジの上にいる男が大声で、しかし人が来ない程度の声量で叫んだ。

「誰だ!?」

答えず影になっている男がじりじりと近づいてくる。
遠慮なく寄る男の顔がわかったのは、廊下に上がり、中にいた一人が締めようとしていた襖に手を掛けた所だった。

「え・・・・うそ?」

目の前に現れた男にサンジは目を見開く。

一体どうして・・・。

予想外の人物にサンジは茫然とする。
と、そのサンジをまるで庇うように目の前の男が立ちあがり、入って来た人物に立ちはだかった。

「貴様、何用だ!?」

声が震えているのは気のせいではないだろう。己の所業が何を表しているのかわかっていながら、なんとか誤魔化してその場を収めようとしているのがわかった。

「そこの者を一体どうするつもりだ。使用人もみな床につく時間だ。」
「うるさい。この者が私達を誑かしてきたのに乗っただけだ。お互い楽しむだけだ。用のない者は出て行ってもらおう!」

目の前で交わされる会話に、あぁ、よくあるパターンだとサンジはぼんやりと思った。いつの時も、サンジが悪い。誰もがサンジを指さし、「こいつが俺を誑かした」と訴える。遊女の客の取り合いの場でもよく耳にする言葉だ。

「こいつが言ったことは、本当か?」

本来の理由もわかっているのにサンジに問うてくることに、思わず眉間に皺が寄ってしまった。
上に被さっている男が『余計なことを言うな』と声に出さずにサンジを睨みつけてきた。
サンジは、ぐっと唇を噛みしめて目を瞑る。今、頷けば、サンジはずっとこの男達のいいようにされてしまうだろう。否定せねば。
しかし・・・。
何を脅されている訳でもないのに、首を横に振ることが出来なかった。ずっと長年過ごしてきた遊女という生き方が染みついてしまっているのだろう。

「・・・。」

どちらにも答えられずに、体が震えるのみだ。涙さえ滲んできた。

「わかった。」

サンジの返事を待たずに、廊下で立っている男はそう一言呟くとすっと動いた。
サンジを襲った連中は、自分達の主張を受け入れられたと勝手に安堵の息を吐く。
と、踵を返すと思われた男が、一気にぐんとサンジと上に被さる男の傍に詰め寄った。
途端。

ダン!!

あまりの一瞬の出来事に何が起こったのか、サンジにはわからなかった。気がつけば、サンジの上に被さっていた男の姿が消えていた。かと思えば、部屋の隅へと転がっている。

「うぅ・・・。」

大きく仰け反って倒れている男を誰もがポカンと見つめていた。
サンジも呆然とするばかりだ。
ただ一人、拳を握る男のみが状況を理解しているようだ。当たり前か。自分がおこしたことなのだから。

「返事を口に出さずとも、その表情でわかる。」

チラリとサンジを見て、改めて男達に向き直る。

「脅しても無駄だ。」

ぎっと辺りで輪を描くように立ち並ぶ男達を睨みつける。
分が悪いと思ったのか、囲む側がじりじりと後退りする。と、殴られ吹き飛んだリーダー格の男が呻きながらも起き上がった。チッと舌打ちするのがサンジの耳にも届いた。

「いいか、覚えてろよ!いくらエース様やルフィ様のお気に入りだろうが、お前は今はただの素浪人同然なんだよ!」
「え?」

ここで争うのは拙いと判断したのだろう。リーダー格の男が立ち上がりながら仲間を連れて、早々にその場を立ち去った。あまりのあっけなさに言われた方はなんだ、という顔だ。
去り際に叫ぶ言葉に、サンジの方が目を見開く。言われた当の本人はただふんと鼻を鳴らすだけだ。

「よく言うぜ?俺に一度でも勝ってからそういうことを言うんだな・・・。まったく、やっていることが下種なんだよ。素手で殴られただけで済んだと感謝しろ。」

お互いの素性を知っている口ぶりだ。
それはそうか、とサンジは茫然とした頭で納得していた。
双方の恰好を見れば一目瞭然だ。お互いに刀を腰に差しているし、着ている着物もよくよく見れば上等の部類だ。サンジを襲ったのはたぶんそこそこの家の跡取り連中と言ったところか。ただ、行動が見た目にそぐわないのはいただけないが。
と、そこへ別の者が逃げた連中と反対の方向からドタドタと足音を遠慮なく響かせてやって来た。

「一体何事だ!」

城内を回っている者だろうか、腰に差した刀を手に抑え、灯りを翳しながら数人やってきた。
いや、容姿からしてただの見回りの者ではないようだ。
部屋の中の様子とそこに立つ男に一人が声を掛ける。

「ゾロ殿・・・か?」
「あぁ、いや・・・。すみません。下種な連中がまだまだ城内にいるようで、使用人に手を出そうとしていたのを見つけたので・・・・。」

ゾロの言葉に奥に蹲るサンジに気づき、灯りを持つ者が灯りを翳して覗き込む。サンジは思わず顔を伏せた。

「あぁ。悪戯をしようとした連中はすでに退散しましたよ。いつもの・・・・連中です。」

そう答えるゾロの言葉に、誰もが眉間に皺を寄せて顔を見合わせる。どうやら城内では有名なのだろう。

「ゾロ殿・・・・。其の者達の詳しい話は明日また聞こうよぃ・・・。おい、そこの者。」

灯りを翳して傍に来て話しかける人物が、サンジにも声を掛ける。

「ここは使用人の入る場所ではないよぃ。幸いにも大事には至らなかったようだし、今夜の事は忘れて、早々に戻るのだよぃ。いいな・・・。」
「はい。」
「この者はまだここに来たばかりで・・・。一人では戻れないでしょうから、私が連れて行きます。」

ゾロの言葉とサンジの容姿に、その場にいる数人が「あぁ。」と納得した顔をした。
サンジの存在は、ある程度エースを通して知られているようだ。
ともかくこのままでは、と着物の合わせ部分を握りしめて俯くサンジを庇うようにして、ゾロが姿勢を正した。

「うむ。それでは頼んだよぃ。」

そう顎を上げると何事もなかったようにして、来た時同様に早々に去って行った。事を大きくするつもりはないらしい。
ポツリと二人取り残される。

「ほら・・・。」

声にサンジが顔を上げるとゾロが手を差し伸べていた。

「立てるか?」
「・・・・あ・・・・あぁ。」

多少の気まずさはあったが、ここで手を払いのけるのも躊躇われて、逡巡した後、サンジはゾロの手を掴んだ。そっと立ち上がらせてくれる。

「さっきマルコ様が言った通り、ここにいつまでもいたらまずい・・・。行くぞ。」
「あぁ。」

引っ張り上げられると簡単に手が離れた。少し名残惜しいと思う自分に、サンジは内心叱咤する。

「さっきのお方は・・?」
「あぁ、お目付役のマルコ様だ。」
「え?そんな方が・・・?」

回りを見ればその部屋の様子から、サンジ達が足を踏み入れていい場所ではないものの、武家連中でさえそうそう来れるような場所ではないような部屋らしい。それに、多少のいざこざを起したが、そう大きな騒ぎが起きたわけではなかったのに、いくら何でも対応が早い。
もしかしてエースがこの部屋の近くにいるのかもと思ったが、そうではなく、今回の事態を想定していたからマルコ達が動いたような素早さだった。
これはエースの配慮だろうか。

「まぁ、エースがサンジの回りに気をつけろと言ってたが・・・。まさかマルコ様が来るとは思わなかったな・・・。」

ゾロの独り言ともとれる言葉にサンジはやはり・・・と思う。エースがサンジを気にしていてくれているのだろう。
直に顔を会わすことはできなくなったが、それでもこうやって気を配ってくれるエースにサンジは嬉しくなった。思わず顔が綻ぶ。
まだここに来たばかりだが、いつか一人前の料理人になってエースに早くサンジの料理を食べてもらいたい。

と、ふとゾロがその場にいることの不思議を今更ながらに思い出した。

「そういえば・・・・どうしてゾロもここに来たんだ?よく・・・・わかったな・・・。」

マルコよりもゾロの方が早くサンジの元に来てくれた。今回のことはやはり想定内だったとして、何故、ゾロが?
サンジは疑問に思った。

「そりゃあ・・・・・エースに頼まれて・・・・。」

口をモゴモゴするゾロに、これもエースの配慮かと、驚きと共に嬉しさよりも先に不思議さと苛立ちを感じた。
単純にサンジを見守ってくれているのならば、嬉しい。
でも、ゾロがサンジの傍に来るということは・・・?二人の関係を全て知っているはずなのに、どうしてエースが・・・。
大門の前まで迎えに来たことといい。今のことといい。
やたらとゾロが登場する場面が多すぎる。
サンジとしては本心は兎も角、ゾロとはもう終わった関係だと思っている。いや、始まってすらいない。
しかし、エースはサンジの奥底に秘めている気持ちを知ってるからこそ、こうやってゾロを寄こすのだろか。それとも、口ではいろいろ言いながら二人の仲を試しているのだろうか。
それならあまりにも残酷だ。
どうして!という気持ちが湧き上がってくる。

サンジはギリと奥歯を噛みしめて立ち上がるとゾロの手をぶっきらぼうに離した。

「助けてくれたことには感謝する・・・。でも・・・自分で戻れるから・・・。」

そう告げると立ち去るべく早々に部屋を出た。
廊下を・・・・どちらに行けばいいのか、と思わずきょろきょろする。
と、ゾロが後からサンジの肩に手を掛けた。

「こっちだ・・・。」

ずいと進行方向に体の向きを変えてくれる。が。

「方向音痴のゾロに教えてもらっても、本当かどうか、・・・・信用できない。俺に構わなくていい。自分で帰るから・・。」
「さすがに、城の中はある程度覚えた・・・・と思う。たぶん・・・。」

ある程度というのが怪しい。たぶん、とまで言われると信憑性がまた下がった。
じろりとサンジはゾロを睨みつけた。

「大丈夫だ。お前のいる場所はさすがに覚えたから。」

覚えたって、今日来たばかりなのに?

「俺を信用しろ。」

不遜な言い方だが、声音には自信が含まれている。さすがにそれ以上突っぱねるのも悪いと思って、サンジは素直にゾロの指す方向へと体を向ける。
でも。

「わかったから・・・。こっちだな。後は一人で戻れる。」

それは譲れなかった。
月明りが眩しいくらいだが、時間帯が時間帯だ。そっと足音を忍ばせて進める。
ゾロは結局着いてはこなかった。
背中に痛いほどのゾロの視線を感じたが、気付かないふりをしてサンジは自分に宛がわれた部屋へと戻って行った。
そっと襖を開けると気配を感じたのか、入口で寝ていた一人がムクリと起き上った。サンジの指導をゼフから担っていた先輩であるカルネだ。

「どうした?さっきから姿が見えなかったが・・・。」

今、気付いたという風ではなかった。どうやらサンジがいないのに気づいて待っていたのだろうか。
サンジは申し訳ないと頭を下げた。

「あ・・・起してすみません。あの・・・ちょっと厠に・・・。」
「それにしては遅かったな。」
「あの・・・慣れなくて迷ってしまって・・・。」
「・・・・そうか・・・。明日から早いんだ。早く寝ろ。」
「はい・・・。」

それ以上は追及しなかった。カルネはそのまままた布団に潜り込んだ。
サンジは、わからないようにそっと息を吐いた。
今後はともかく、今日のことは忘れるしかない、と頭から布団を被った。
幸いにも、これがきっかけでサンジにちょっかいを出そうという輩はこの後出なかった。



早朝、ドンと蹴られて目が覚めた。

「起きろ。朝だ。」

目覚めは元々いい方だが、結局あの後はあまり寝られなかったためにすぐに体を起せない。と、もう一度、蹴られた。
なんて乱暴なんだ。と思わないでもないが、これが男同士での関わり合い方なのだろうと思うと、少し嬉しかった。
もそり、と起きるとバサリと着物が投げられた。サンジ専用で用意されたものらしい。寸法が丁度だ。
回りを見ると、すでにほとんどの者の姿が見えなかった。後の者も着替えたり布団を畳んだりと忙しく動いている。ここで一番下っ端になる自分がのんびりとしていてはまずいだろう。慌てて布団から飛び起きた。

バタバタと走ってすぐに土間の方へ向かう。
怒鳴り声が向こうから届いた。
と、はぁはぁと息を切らせてサンジが入ると「おせぇ!!」といきなり一喝された。サンジを起したカルネはすでに包丁を手にしている。

「す・・・・すみません!!」

慌てて頭を下げると、舌打ちしながら「さっさとしろ。」と恐い声で指示が下った。
まだ入ったばかりなので、包丁どころか竃の前に立つことさえ許されない。まずは雑用とばかりに、他の先輩から箒を手渡された。
「ここはいいから、外を掃いて来い。」と言われる。文句が言える立場ではない。言われるまま、箒を手に外へ出た。
壁際に散らばっている野菜を整理しながら、慌ただしく動きまわる先輩達を横目にさっさっと箒を掃く。
これが料理人の仕事か?と不満に思うが、来たばかりなのだ。文句が言える立場ではない。
と、視線を感じた。
ふと違和感を感じる方に顔を向けると・・・。

ゾロ・・・。

思わず目があった。

途端、向こうは顔を背ける。あからさまにむっとなるが、こちらから話しかけるつもりはないし、お互いに箒を手にしていた。声も届かない位置だし、とサンジは自分の割り当てられた仕事に意識を向けた。
後で昨日の礼を言えば良かったとちょっと後悔した。









そうこうしているうちにサンジが城に来てから一月が経った。
廓とは真逆の生活に最初は戸惑ったが、漸く慣れてきた、というところだろうか。
ゼフの元で働く面々はみなゼフの影響を多大に受けているのだろう。武士顔負けの荒くれ者ばかりだが、誰もが気さくで嫌みがない。散々怒鳴り合ったかと思えば、次の仕事に時にはケロッとした顔で、味の意見を求めあったりしていた。もちろん嫌みにならないほどの悪態は外せてないが。
サンジも元々の性分はここにいる料理人達と似たような気性を持っていた。廓の生活ですっかりと忘れていたが、こんなやりとりは気持ちがいい、とサンジは思う。
確かに下っ端でまだまだ怒鳴られることばかりだが、それでも多少は軽口を叩けるぐらいには馴染んできた。
最初は不思議な目で見てたサンジに容姿や過去に対しても、誰もが気にしないとばかりに接してくれる。誰もがみな一流の料理人を目指していることには変わりない。同じ目標を持つ仲間だからだろうか。料理には容姿は関係ない。先輩達に学ぶことは多かった。
まだエースにお目通りが叶う事すら出来ないが。それでも、ここの生活は活気づいていて幸せを感じている。

しかし、時々感じる視線。
毎日とは言わないが、気付けばその視線の先にゾロがいる。そんな事が多い。しかし、そのことに対して不満を吐くことはできずに悶々とするしかない。
廓に居た時に聞いたゾロの噂話から考えれば、他の武家達ほどではないにしても、サンジの視界に入る場所にいる男ではないはずだ。今のゾロは噂とは違い、刀を腰に携えているもののやっていることは使用人と大して変わりがなかった。
一体どうしたことだろう。そんな疑問も無くはない。
やはり、気になる。でも、直接聞くことはできない。





時々ゾロの様子を伺うサンジに、ある日、サンジの様子に気づいていたゼフが口を開いた。

その日は城内の全ての剣士が参加する、いわゆる腕試しとして城内試合が催されていた。
最初はそれほど大きな行事になる予定ではなかったのだが、どうやらお忍びで将軍家の方も見えるということになり、いつもより早い時間から、いや、前日、それ以前から城内は準備でてんてこ舞いだった。お忍びでとはいえ、将軍家の者が来るとなればそれなりの用意が必要だ。当初の予定よりは大掛かりな準備になってしまっていた。
本来ならば、内々で行われるつもりだったのだが、どこをどうやって噂を聞きつけたのやら・・・と思えば、どうやらゾロが一枚噛んでいるらしいが、一介の使用人であるサンジは詳しいことは知らない。ただゾロのことが噂になっていて将軍家の者がゾロを見たいとのことらしいことは耳にした。
それにサンジは関われるはずもなく、ただただ、言われるまま働くしかなかった。
それにしても、これだけ大々的に準備しなくてはならないなんて・・・お忍びにならないだろうと思うが、そこはサンジの関われるところではない。
遠くから喧騒が土間にまで届く。
今はそれぞれ腕自慢が剣を交えている頃だろう。城内のほとんどの剣士が参加しているという話だが、どれだけの参加があるのかはやはりサンジにはわからない。だが、お忍びで将軍家の人間が来るということで、名売りのチャンスとばかり我先にと試合に臨む者がいるらしいことは、当初予定していた料理の量よりも追加があったことでわかった。
まだまだ今はサンジは料理に直接関わることはさせてもらえないが、以前、試しに作ったサンジの料理を口にしたゼフからは「今は他の料理人の腕を盗む時期だ。それを覚えればさらに腕が上がる」と期待されていることを促す言葉を貰っている。その分、ちょっとでももたついていると叱責されるが、サンジとしてはゼフの言葉はなによりも嬉しかった。
ただ、今日は人手が足りないということで、サンジも下拵えを手伝っている。わらわらと竃を中心に動きまわっている料理人の仲間の一人になった気がして俄然力が入っていた。
後は、火を消すばかりや、盛り付けるだけなどの段階になるとサンジは休憩を言い渡された。
人手が足りないと言えども、やはり少しは休憩を入れなければその後の仕事が疎かになる。まぁ、味に関わることはサンジにはまだないが。・・・・しいていえば、使った料理道具を邪魔にならないように片付けるぐらいだろうか。
ゼフも、他の者に任せるべくふぅとひと心地ついた様子だ。と、サンジと目があった。
そして、顎で来いと示されたのが、今。
誰もいない裏庭に連れて来られた。遠くの喧騒が届かない訳ではないが、かなり静かだ。

「今日、城内で行われてるのがなんだかお前も知ってるだろう。」
「はい。」

突然の話に首を振りながらサンジは何故、そんな話をするのかわからなかった。

「その試合にあの緑の髪の男が出る。」
「・・・・ゾロが?えぇ、噂には聞いてるけど。」

D家に仕えている者ならば誰でも参加できると言っていたし、ほとんどの剣士が参加するということだからから不思議ではないが、ここで改めてゾロの名前が出てくることにサンジは俯いた。
彼とサンジは同じ家に仕えているとはいえ、もはや今は関係はないはずだ。

「今日の試合であの男が勝ったらエース様はあの男に特別な御褒美を与えると、聞いている。」
「エース・・・様が?」

いまだ呼び慣れない敬称だが、ここでは彼をエースと呼び捨てにすることはできない。
今、ここにはゼフとサンジ以外誰もいない。人目を避けて、土間からさほど離れてはいないが庭の片隅での会話だ。それでも、彼を呼び捨てにすることなど、二度とできないだろう。

「もちろん、他の者にはそれはそれで元々の褒美はあるが、緑の小僧は図々しいことに勝ったら別の褒美が欲しいと抜かしおった。」

ゼフからすればゾロも小僧扱いなのには内心笑ったが、それでもゼフのいう褒美の内容が気になったといえば嘘はない。
もう関係ないと思えば思うほどに、日々仕事の合間に時々感じるゾロの視線を思い出す。
あれは・・・・。

「ゾロは一体、何を褒美に・・・。」
「そんなにあの男が気になるか。」
「あ・・・。」

どう答えて良いのかわからずに、サンジは口を噤む。

「お前の過去のことはエース様やルフィ様から全て聞いている。あの男とのこともな・・・。」
「え!?」

思わず顔を上げた。
サンジの心配を悟ったのだろう。ポンとゼフがサンジの肩を叩いた。

「もちろん、あの男とのことを知ってるのは俺だけだ。お前が吉原出身って言うのは、エース様が足繁く通っていたからどうしても噂になってな。たから大抵の者は知ってるが、料理には出身は関係ないと言っておいたし、心配ないはずだ。吉原じゃなくても、とんでもない田舎から出てきた者や人売りから逃げてきた奴もいる。見た目の通り、過去罪を犯した者もいる。どいつもこいつも似たり寄ったりの荒くれ連中だからな。口は悪いがお前のことをどうこう言う奴はいないだろうが。」
「はい。」

ゼフの言葉にサンジはほっとする。
が、そこで話がまだ本題にすら入っていないことで、改めてサンジはゼフを見つめた。

「エース様が奥方を迎えてから暫く経つ。実際のところエース様がすでにこの家の主として動いているが、まだ正式にはこのD家を継いだ形にはなっていない。だが、もうすぐ正式にエース様がこのD家の主になる。」
「はい。」
「今日の城内試合は、そもそもその前祝いを兼ねての催し物だ。多少の褒美を強請ったところでエース様も喜んで褒美を与えようと言っていた。」
「・・・。」
「それを上手く利用して、あの緑の男はなんと言ったと思う。」
「さあ?俺にはなんとも・・・・。ずっとゾロとは話もしていないし・・・。」

どういう展開になるのかまったくわからない。ゾロの考えていることなど知らない・・・。

「あの男。シモツキ道場の跡を継ぐかと思いきや、新たらに家を起したいと言いおった。だたの城内の腕試しにしては過ぎた褒美だ。」
「は?」
「どうやら、上手くいっていないらしいな。夫婦仲が・・・。すでに家を出ておるらしいな、あの男。だからこそ今は使用人同然の扱いなのだが。」
「どういう・・・。」
「やはり、お前は何も聞いていないか・・・。」

サンジにはまったく意味がわからない。
ゼフもここから先は人から聞いた話だと前置きして、知っていることを教えてくれた。
そもそもシモツキ道場は元々は将軍家お抱え指南役だったのだが、D家とも親交があったため、ゾロが跡を継ぐことを機に将軍家の指南役を降りてD家に仕える事になっていたのだが、やはり将軍家より再び声が掛かっていた。
それと並行するように、ゾロとくいなの息子が生まれたのを切欠に夫婦仲がギクシャクしだしたとは道場関係者の話だ。
シモツキ道場の跡を継ぐはずだったゾロだが、そもそもシモツキ道場の人間はくいなの方だ。仲違いになった場合、出て行くのはゾロの方なのだ。たぶん、ふたりの子どももくいなが道場の跡取りとして引取ることになるだろう。
目下、世間で噂になっているのはそこまでだ。
まだ、正式に離縁が決まったわけではないらしいが、家を出ているという話にこの城でのゾロの働きを見れば、それが単なる噂ではないことは一目瞭然だ。ゾロがこの試合の褒美に家を起したいと言いだしたことは、その噂が真実だったと証明しているとしか思えない。とそこそこで話が出ている。
ゼフが知っているのは、そこまでだと言う話だが。

「あの男の真意はわからん。エース様も全て知っているようだが、緑の男に関しては何も教えてくれん。まぁ、一介の料理人には関係ない話だが・・・。どうやら、お前も何か知ってるかと思ったが、今は無関係のようだな。」
「・・・・。」

ゼフの言うように、確かに今のサンジにはまったく関係ない話だ。
だが。
だが、過去、サンジがゾロの婚礼の費用を担う覚悟をしてゾロを送りだした、あのことは一体何だったのだろう。
ゾロの夢を叶えるためだったのではないのか。
ゾロの夢はシモツキ道場では叶えられないのか?それとも、くいなとの仲が拗れたことは、ゾロの夢を追うこととはまた別で。だからこそ、改めて家を起したいと言い出したのだろか。

ぐるぐるする頭でサンジは考えた。

ゾロの申し出は確かにシモツキ道場からは縁が無くなることではあるが、夢を諦めていないことを証明することではないだろか。
まだ若いのだからいろいろ苦難はあるだろうし、元々人づきあいの下手なゾロだ。くいなとのことは残念ではあるが。人間関係で失敗することはあるが、それで夢を諦めたことにはならないはずだ。
今は同じ家に仕える、ある意味同じ立場である自分達。

ならば、サンジにもなにかゾロの役に立てることがあるのではないか。そんな思いが沸き上がった。
心の隅にほんの少し浮かんだ、くいなとの破局にちょっぴり浮かれそうになる感情に蓋をし、サンジは顔を上げた。
サンジの様子にゼフは何かしら感じたのか、ポンと背を叩いた。

「もう試合は終わるころだ。こっちの方は、今のお前にはできることはない。まだ休憩していていい。試合の後の宴が終わる頃は片付けで忙しいから、それまでに戻って来い。」
「はい・・・。ありがとうございます。」

ぺこりと頭を下げるとサンジはすぐに掛け出した。


12.11.18




               




     
       たぶん次回で終われると思います。後少しお付き合いください。