いつか桜の木の下で6




朝靄が辺りを白く染めている。夜明けが近いのだろう。
時折、小声で話声が聞こえるのは、あちらこちらで一晩過ごした男が帰るのを惜しんでいる遊女達の嘆きか。それとも、別れを惜しんでいるのは、客である男の方か。

「朝ね・・・・。」

ロビンが格子の隙間から外を見上げた。膝にはナミが泣き疲れて眠っている。
一晩、ロビンは寝ずにただ只管、ナミの背中を撫でていた。

「ゾロ・・・?」

ロビンの言葉にゾロもまた、同様に格子の間から見える明るくなっていく空を見上げた。
彼もまた眠っていなかった。ただただじっと目の前の畳みを見つめていただけだ。暇つぶしに畳みの目を数えていた、ということはないだろうが只管静かに彼は座っていた。

が、ロビンの呼ぶ声に、ゾロはおもむろに立ち上がる。

「ダメよ・・・・。まだ、客が残っているわ。もう少し・・・。」

待って、というロビンの言葉は襖を開ける音にかき消された。
思わず二人して開かれた襖の方に目をやる。
ナミもまた二人の様子に目が冷めたようだ。遅れて顔を上げて、同様に襖の方に目を向けた。

「さ・・・・サンジッッ。」

「よぉ。」と襖の陰から上げた手が覗いた。まだ表情全てが見えないが、その場に来たのがサンジであることは声とチラリと見えた金の髪ですぐにわかった。

「ロビン姐さんもナミさんにも・・・・悪かったな。心配掛けたようで・・・。」

ゾロはすぐにサンジの元へと駆け寄る。そのままギュッと彼を抱きしめた。
「いてて・・。」と顔を顰めるサンジにゾロは目の前のしかめっ面を凝視した。
声が掠れている。それがどういうことか、ロビンとナミにはすぐにわかった。ゾロだってわからない年ではない。
「大丈夫か?」と聞きたいが、ゾロは声が出なかった。いや、どう声を掛けてよいのか、わからない。戸惑うことしかできない。
ゾロの動揺を察したのか、サンジの方からゾロに声を掛けた。しかも、いつもと変わりない明るい様子で。

「どうした、ゾロ。何、神妙な顔してんだよ!」

「ん?」と肩を窄めてゾロの顔を下から覗いた。

「あ・・・・いや。その・・・。」

まともにサンジの顔が見られない。ゾロは顔を背けながら口をモゴモゴとすることしかできない。
ゾロが言いたいことを察して、サンジの方から先に何でもないように話をする。

「どうやら、あのクロコダイルの奴、俺のこと気に入っちまったみたいでよ・・・。今度から、俺があのクソおやじの相手をしなきゃいけないみたいだ。・・・・ナミさん、ごめん。ナミさんの客、俺が取っちまってよ・・・。あいつの中身はともかく、羽振りのいい上客だってのに・・・。悪ぃ。」

申し訳なさそうに頭を下げるサンジにナミは、ぶんぶんと首を振った。

「何言ってんの!!あんな奴なんてどうでもいいわよ!!そんなことよりサンジくんよ!!あんたは、遊女じゃないのに!料理を作るのがサンジくんの仕事なのに!!こんな扱い・・・。クリークもクリークだわ!私、すぐに抗議に行くから!」
「必要ねぇよ。」

立ち上がり、今にもクリークのところへ抗議に向かわんとするナミをサンジの穏やかな笑みが押しとどめた。

「サンジくん・・・?」

手にかけていた襖に凭れかかるようにしてサンジがナミに向き直る。ゾロは、ただその横で呆然と立ち尽くすばかりだ。

「俺があのクソおやじの相手をしなきゃいけないのは、もう決定事項みたいでさ・・・。奥の・・・あの、使われてなかった部屋が、今度から俺の部屋になるってよ。」
「え!?」

ナミの眼が見開く。ゾロもまた、驚きを隠せなかった。

「それって・・・。」
「俺はもう、料理を作らなくてもいいらしい・・・。」

穏やかに見えた笑みは自嘲の笑みだったのか。

「ま。他の姐さん達のようには表には出られないから、そうそう客がいるわけじゃないだろうけど・・・・。ま、あの楼主がどういう形で俺を売り込むかは知らないが、俺も姐さん達と同じように客を取ることになるから、よろしく頼むよ。」
「そんな・・・・。」
「あ・・・もちろん、ナミさん達の邪魔にならないように気をつけるからさ・・・。」

慌てて、手を振ってナミ達に配慮するサンジに、大きく見開いた瞳からナミの頬に何かが零れた。

「ロビン姐さん。」
「・・・・なぁに。」

ずっと冷静にサンジを見つめていたロビンが至極普通に返事をする。

「悪ぃけど、俺、客にどう接していいのかわからないからさ・・・いろいろ教えてくれないか。「芸事は覚える必要はない。」ってクリークに言われたから最低限のことだけでいいから。姐さんの空いている時間をちょっとだけ俺に貸してくれないかな。ここ出て行くまで時間ないだろうから簡単でいいから。迷惑は掛けないから・・・。」

ジッとサンジを見つめるロビンは、フゥと息を吐いた。

「いいわよ。その代り、条件があるわ。」

条件という言葉にドキリとするサンジに、ロビンは微笑みを見せた。

「ここを出て行くまで毎日、一品で構わないから、私に美味しい物作ってくれる?」
「え?」
「それから、今、芸事は必要ないって言ったけど、私は一通り貴方に教えるわ。踊りも三味線も・・・全て一通り。覚えておいて損はないもの。それが私の条件。」

ゴクリとサンジは唾を飲み込む。

「わかった・・・・。」
「時間がないから、厳しいわよ、いいかしら?」

サンジはコクリと頷いた。

「ずるい!!私もサンジくんの料理食べたい!」

今までポロポロと涙を流していたナミがぷうと頬を膨らませていた。二人のやりとりに機嫌はいくらか上向いたようだ。

「姐さんの後は私が引き継ぐから、だからサンジくんの料理、食べさせてv」
「あら?貴方、いつの間にそんな、人に教えられるほどになったの?」
「酷い、姐さん!私、新造の中で踊りも三味線も一番上手って言ってくれてたじゃない。」
「そうだったかしら?」

クスリと笑うロビンにサンジも釣られて笑った。

「じゃあ、ロビン姐さんがここを出て行った後、ナミさんにいろいろ教えてもらおうかな?」
「いいわよ、その代り、私にも美味しい物、食べさせてよ。」
「もちろん。腕によりを掛けるよ。」

悲壮感溢れるような出来事だったはずなのに、いつの間にかすっかりにこやかな雰囲気に包まれた。
女性の強さはここにあるのだろう。
当人であるサンジも一晩で腹を括ったのだろうか。最初、この部屋を訪れた時も多少なりとも辛い雰囲気を表に出さなかったが、今はすっかりとナミ達とにこやかに今後の話をしている。

ゾロは、ぐっと拳を握りしめ、ダンと壁を叩いた。

「ゾロ・・・・?」

ナミが眉間に皺を寄せて振り向いた。

「いいのかよ!そんなんで、本当にいいのかよ、サンジッッ!!」

ギリギリと歯ぎしりが聞こえるほどに噛みしめる。

「あぁ。いいんだ、これで。」
「・・・・・!!」

部屋に入り込んでロビンの横に位置していたサンジが襖のところで取り残されているゾロを温かい表情で見上げた。

「ゾロ。お前は何も心配せずに剣の道を進んで、強くなればいい。」
「お前の夢はどうすんだよ!!」
「俺か?・・・・そうだな・・・俺は、ロビン姐さんのような売れっ子を目指そうかな。ナミさんにも負けないよ。」

お茶目な答えに、ゾロはもう堪忍袋の緒が切れた。

「勝手にしろ!!」
「ゾロっ!!」

バン!!と大きな音を立てて、襖を閉めるとゾロはダンダンと足を踏みならして部屋を離れて行った。
「大丈夫かしら・・・?」

ナミが心配そうに襖を見つめた。

「ナミ・・・。悪いけど、ゾロの様子を見てきてくれる?たぶんクリークの所に行くことはないと思うけど。」
「えぇ・・・・わかったわ。」


出て行ったゾロとその後を追ったナミを、サンジは黙って見送った。そのままじっと微動だにしない。

「サンジくん・・・。」

ロビンの声にはっとサンジは振り向く。

「今ならいいわよ。」
「何が?」

ヘラリとサンジはロビンに恰好を崩す。

「泣いていいわよ。今なら、ゾロもナミもいないわ・・・。今だけ・・・。サンジくん、いらっしゃい。」
「ロビン姐さん。」

大きく腕を広げ、サンジを穏やかに見つめるロビンに、サンジはクシャリと顔を崩した。

「ゾロの前では泣かないんでしょう?ここに入って来た時の表情でわかったわ。」
「・・・・うん。」

サンジはおずおずとロビンの膝ににじり寄った。
ロビンは、ふわりと着物を翻してサンジを受けとめる。

「今だけ・・・。」
「うん。今だけ・・・・いいの?姐さん。」
「明日から、毎日お稽古厳しくするから、今だけ甘えなさい。」
「・・・・ありがとう、姐さん。」

ロビンは優しくサンジを包み込むとそっと頭を撫でた。
ギュッと強く抱きつくと、堰が切れたようにサンジはわぁわぁと声をあげて涙を流した。


11.04.17




               




      日にちが経っている割に話がすすまず、すみません。