いつか桜の木の下で7
「ゾロ!待って、ゾロッ!!」 ナミがハァハァと息を荒げて廊下をダンダンと歩くゾロを追った。 「待ってよ、ゾロ。楼主のところへは・・・。」 「行かねぇよ!!」 声を荒げてゾロはナミを振り返った。 その様子に、廊下で何事かあったのかと各々の襖から覗く顔を、ゾロは一睨みで黙らせる。その形相に顔を出した連中は慌てて襖をピシリと閉めた。 騒ぎでも起こされたらまずい、とナミはゾロの袖をひっぱり、誰も使っていない部屋へと入った。 庭に面した部屋。ここなら大丈夫だろうと、一応、辺りを見回してからパタンと襖を閉める。 と、同時にゾロはナミに怒鳴る勢いで話した。 「あいつは!サンジはもう決めたんだろうが。だったら、俺がどうこう言ったってしょうがねぇだろうが!今更クリークのところへ行ったって変わるもんじゃねぇ・・・・。」 最後の方は段々と声が尻すぼみになっていく。 悔しくて悔しく。 でも、自分の力ではどうすることもできなくて。 ゾロは膝を崩して座り込んでしまった。 「ゾロ・・・。」 ナミは立ったままゾロを見下ろすことしかできない。 ゾロは、膝の上でグッと拳を握った。 「わかってんだ。突然のことだし、あいつが望んで客を取るわけじゃないってことは・・・・。あいつの夢は一流の料理人になることだ。人気のある遊女になりたいわけじゃねぇってことぐらい、わかってんだ。誰だって好き好んで客に抱かれるわけじゃねぇ、それはお前も同じだろ?」 ゾロの言葉にナミもぐっと唇を噛んだ。 コクリと頷く。俯いているゾロにはナミの返事は聞こえないが、様子できっとわかったろう。 誰ひとり、好きこのんで男に抱かれるわけじゃない。誰もが辛い思いを押し隠してこの仕事をしている。それは男だろうが女だろうが関係ない。 だが、ここは女性が客を取るところ。男が客を取りたければ、その場所がきちんとあるのだ。男性であるサンジがこの見世で客を取ることへの他の遊女からの非難は避けられない。ただでさえ辛い状況であるのに、それを考えると他の者よりも厳しい現実がきっとサンジに押し寄せるだろう。 膝を抱えて、ゾロは体を小さく丸める。 「強くなりてぇ。あいつを守れるように強くなりたい。」 「ゾロ。」 「あの時、決めたんだ。母さんが亡くなった時に・・・・、強くなってあいつを守るって・・・・。でも、俺にはまだその力がねぇ。」 「・・・・。」 「二人してここを出て行けるだけの金も力もねぇ。・・・・俺は無力だ。」 そう言ったきり、ゾロは黙り込んでしまった。 ナミにもどうすることもできない。沈黙が二人を襲う。それは、どれくらい続いたか。 と、ナミがふと思い立ったようにゾロに声を掛けた。 「ねぇ、ゾロ。強くないなら、これから強くなればいいじゃない?」 「ナミ?」 ナミは膝をついて、ゾロの肩に手を掛ける。 「今はまだ二人とも無力かもしれないけど・・・それは私も一緒。だけど、これから強くなればいいじゃない!」 「・・・・。」 「私だって好きこのんでここにいるわけじゃないけど・・・。でも、いつか、ここを出て行く。できれば、ロビン姐さんみたいに素敵な人を見つけて、身受けしてもらえれば一番だろうけど。でも、そんな人が見つからなくても、頑張って働いて、ここを出て行く。ゾロもサンジくんも、今は辛い時期かもしれないけど、ここを出ていけるように頑張ればいいじゃない!」 ナミの言葉に顔を上げたゾロの顔は、今まで見たことのないほどに、涙でくしゃくしゃだった。母親が亡くなった時でもこんな表情はしていなかっただろうと思うほどに。沈黙していた僅かの間に、声を殺して涙を流していたのだろうか。 あの時は、母を亡くして、サンジと二人きりになって。サンジを守らなければと耐えていた気持ちがゾロを支えていた。だが、ゾロを支えている根底がこんな形で崩れるとは思わなかった。 暫く顔を上げたまま、ゾロは涙をぽろぽろと溢した。 そう伝えることしかできなかったナミは、言いたい事を伝えると、ゾロを黙って見つめる。 「でも、それまでが地獄だ・・・・・。」 ゾロがポツリと溢した言葉にナミは、顔を歪める。 「ゾロ・・・・。もしかして、あんた、サンジくんのこと・・・。」 「・・・・。」 「でも・・・・でも、もう・・・・。」 「わかってる。」 もしかして、とゾロの気持ちを口にしようとしたら、それを絶たれた。 それ以上はきっと言ってはいけないことだろう。それに言ったところでどうなるものでもない。 ナミはゾロを勇気づける為に吐いた言葉を少しだけ後悔した。 二人して黙り込んでしまう。 きっと僅かの間だろうが、暫くするとゾロは「ナミ」と目の前で心配そうに自分を見つめる遊女の名を改めて呼んだ。 「ナミ・・・。」 「うん?」 昔を思い出したのだろうか。それとも、涙を流して少しは落ち着いたのだろうか。はたまた、ナミの言葉がゾロになにかしら思わせたのか。 先ほどよりは少しだが、表情が和らいだ。 「ちょっと行ってくる。」 畳みに崩れ落ちていたゾロは腕でぐいっと顔を拭い、おもむろに立ち上がった。先ほどまでのように楼主のところへ怒鳴りこむような雰囲気は消えうせていた。 「どこへ行くの?」 「桜の木を見に・・・。すぐに戻ってくる。」 「ゾロ・・・。」 ナミが心配そうにゾロを見つめる。 「俺の気持ちはどうあれ、状況は変わらないんだ。・・・・それに俺のあいつへの気持ちは何があろうとずっと変わらねぇ。なら、お前の言う通り、これから強くなるしかねぇ。」 「ゾロ・・!」 「あぁ、ナミは大門を出られないからな・・・。そう心配するな。・・・・・本当にもう大丈夫だ。・・・木を見に行くだけだ。」 「わかったわ・・・。」 ナミの前を横切り、襖に手を掛けたゾロに、ナミは「待って。」と思いだしたように声を掛けた。 「?」 「ゾロ・・・。」 「どうした?もう、さっきみたいに取りみだしたりしねぇよ。」 「うん・・・。ねぇ、ゾロ。・・・・私が言うのもなんだけど、サンジくん、きっと顔に出さないけど、すごく辛い思いをしてると思う。だから、これからもサンジくんを支えてあげて。」 「ナミ・・・お前・・・。」 「ゾロもサンジくんも大切な私のお友達。今すぐは無理でも貴方達には幸せになってもらいたい。ううん、私も一緒に・・・みんなで幸せになってここを出ましょう。」 ゾロを見つめるナミの表情は、まるでロビンのように慈愛に満ちた顔をしている。女性はどうしてこうも強いのだろか。ゾロはただただロビンやナミに感心するばかりだ。 自分も強くならなければ。 「そうだな・・・・。いつかみんなでここを出て、一緒に花見でもするか?」 「いいわね、それ。」 「ナミ・・・・ありがとな。」 「ゾロ・・・。」 照れくさそうに俯いて礼を言うゾロに、ナミはもう安心だと胸を撫で下ろす。 「じゃあ、ここを出た時に花見ができるように、下見に行って来る。」 「下見って・・・。」 ナミはクスリと笑った。ナミに助けられ、ゾロも漸く笑みを見せることができた。 ゾロは、ナミに軽く感謝の言葉を述べると落ち着いた足取りで部屋を出て行った。 ゾロは大門を抜けると暫く歩いた。 すでに日は明け、あちこちで朝食の用意がされているのだろう、米を炊くいい匂いがゾロの鼻をくすぐった。だが、ゾロは脇目もふらずに真っ直ぐに進んだ。 さほど大きくない川沿いを歩き、少し離れた小高い丘に辿りつく。そこには、1本の桜の木が植わっていた。 川沿いには、いくらも連なる桜並木があり、春になると桜の花びらが通りいっぱいに舞い、そこを通る人々を楽しませてくれる。それは巷ではそれなりに知られた桜の名所になっていた。遊郭に通う客も時折、足を延ばして立ち寄るほどに知られた場所だった。 が、そこからまるで外れたようにポツンと1本だけ、別の場所に桜の木がある。通りからは外れ、誰も立ち寄らないような小高い丘。そこに何故1本だけあるのかわからないが、人々から忘れされたように立つ桜があった。 その木を最初、見つけたのはサンジだった。 ゾロの母親、牡丹が亡くなった日、憐れな遊女の行き着く先と誰もが目を背ける場所へと桶に入れられて連れ出されたのを二人して泣きながら追った。 結局、牡丹を乗せた桶は先に出発してしまっていたため、行方を見失い、牡丹が辿りついただろう場所へは二人は辿りつけなかったが、その道中、迷子になりながら見つけた場所がここだ。 1本だけ寂しく、それでもまるで全ての力を振り絞って咲き誇る桜の木に目を奪われた。ほおっと二人して見惚れた。 二人してどれだけ見上げていたのだろうか。 夜も明けない時間から彷徨い、見つけた場所にまた夜が訪れ、ギンが二人を見つけ出してくれるまでずっと桜を見続けた。 あの時、二人で誓った言葉を、ゾロは今、1人で思いだす。 今、その桜の木は、これから訪れる冬に向かってまるで冬眠でもするかのように静かにそこに立っている。 当たり前だが蕾らしい蕾もまだ見受けられない。 それでも、目を瞑ればあの時の美しく咲き乱れた花びらを思い出すことが出来た。あの時に、口にした言葉と同時に。 あの時、サンジはずっと泣き続けていた。涙が後から後からあふれ出て、どうしてこれだけ目に涙があるのだろうと、不思議に思ったくらいだ。 「もう泣くな!」 「ゾロ・・・・・だって・・・・だって・・・・牡丹母さんが・・・。」 「泣いたって、もう母さんは戻ってこれないんだ!泣くな!!」 「う・・・・。」 それでも泣きやまないサンジに、ゾロはまだ小さい腕をめいいっぱい広げて彼を抱きしめた。 「頼むから・・・泣かないでくれ。」 「ゾロ・・・。」 「俺が今度から母さんの代わりにお前を守ってやるから・・・。」 「・・・ゾロ・・・?」 「強くなる。今までは弱くて母さんを守れなかったけど・・・・強くなるから。」 ゾロの言葉にサンジは泣き腫らした顔をゾロに向けた。ゾロもまた涙で顔は汚れていたが、今はもう涙はない。ニコリと笑ってサンジを見つめた。 「なぁ、この桜の木、たった1本だけなのに・・・綺麗だな。」 ゾロの言葉にサンジは今度は桜の木を見上げる。 「俺、この桜の木みたいにたった一人でも平気なぐらい強くなる。いや、1人じゃないけど、それぐらい強くなる。そして二人してあの見世を出よう。」 「強くなって見世を出るのか?」 「あぁ。誰にも負けないぐらい、強い剣士になる。そんですごいお武家さんになって、りっぱなお殿様のところで手柄をいっぱい立てて、いっぱいお金を稼いで、幸せになるんだ!」 ゾロもまた桜の木を見上げた。 大きな決意をこの木で誓う。 釣られてサンジも己の夢を探しだす。 「俺・・・・・俺は、牡丹母さんが俺の作った料理美味いって食べてくれて嬉しかった・・・。だから、俺は俺の料理を食べてもらって、みんなに幸せになってもらいたい。」 「そっか・・・・お前の夢はじゃあ・・・・一流の料理人だな。」 「そうだな・・・・。」 漸くサンジにも笑みが見えだした。 「だったらここで誓おう!」 「うん。」 「俺は世界一強い剣士に。」 「俺は一流の料理人に。」 「二人して夢を叶えて、見世を一緒に出るんだ。」 「あぁ!」 それから二人で黙って、ただただ只管桜の木を眺めた。 あれから3年が経つ。たった3年、それとももう3年。それはわからないが、長い人生の中ではきっと短い方だろう。その短い間に、夢を語った大事な人はその夢を絶たれることになってしまった。 だったら、自分がその夢を先に叶えて、サンジを支えてやるしかない。サンジをこれから始まるだろう地獄から救えばよい。 手にしてきた手作りの木刀をゾロは強く握った。 びゅっびゅっと空を切り、木刀を振り下ろす。 力も何もない今、ただただ鍛錬するしかないのだろう。 只管、無心に木刀を振り下ろす。 が。 「なにそれ?まるでなってないわよ。」 集中していたのに、思わず耳に入った言葉。 侮辱ともとれる言葉に、ゾロは木刀を下ろして声のした方をキッと睨みつけた。 「そんなんじゃ、いつまで経っても上手く慣れないわよ。」 「なんだと!?」 「でも、まぁ、筋は悪くないわ。」 まるで見下すように吐かれた言葉は、可愛らしい女の子の口から出た言葉だった。 |
11.05.06