黄泉返りの島15




「今度は、前となんだか様子が違うわね・・・。」

洞窟を前に、ナミが怪訝そうに辺りを見回した。
いつになく、誰も何の文句も言わずにただ只管まっすぐに山を登った。島に着いたのは、昼前だったのに、もう日が傾いている。前回よりも時間が掛からずに目的地に着いたように思えたのは気の所為だろうか。何故か、頭の中で考えたよりも実際には時間が掛かったようだ。
急がなければ、夜が更けてしまうだろう。そうなれば、ただでさえ獣道のような道を登ってきた場所だ。まっすぐに山を下りることができないだろう。ゾロでなくとも道に迷うのは、想像に容易い。かといって、急いで船を出てきた為、ここで野宿する準備さえしていない。いつもなら、考えてそれ相応の準備をするのに、そんなことさえすっかり忘れていた。それだけ気が急いていたのか。
ただ、ナミが言うように前回と様子が違うのは、夜が近づいているからだけではないようだ。

「前と・・・・・・前より飛んでいる光・・・・魂の数が妙に少なくない?」

誰ともなしに問うてみた。誰かがそれを受けて頷いている。

「確かに、前来た時は、もっとあちこち光が飛び交ってて・・・・・。でも、今日はやたらといねぇな。」
「もう寝ちまったとか?」

顎を撫でて首を傾げるフランキーにウソップが話を受ける。やっぱり、魂だけとはいえ夜は寝てしまうのだろうか。

「寝るとか寝ないとか、そんなことわかんないけど、でもそういういことじゃないみたい・・・。」

目の前の洞窟にナミが足を踏み入れようとすると、僅かばかりに回りに飛んでいた光が前を塞ぐように眼前に迫ってきた。

「え!?」

思わず、進めようとした足を踏みとどめる。言葉を発しているわけではないのに、何故か、「来るな」「来るな」と訴えられているようで。
サンジとの再会を拒まれているようで、癪に障った。

「何なのよ、もうっ!!時間がないのにっ!」

行く手を塞がれて、ナミが怒りを露わにする。
それでも光は怯むことなく、麦わらメンバーの行く手を遮るように洞窟の入り口でふわふわと漂っていた。まるで目に見えない壁だ。
業を煮やしたのか、先頭に立っていたナミを手で制して、ルフィが洞窟前に立ち止まった。

「サンジィィ!!」

大声で中に向かって叫んだ。

「迎えに来たぞ!!帰ろう!一緒に船に帰るぞ!!」

暗闇に向かって叫んだ言葉は、ワンワンと中で木霊して響いている。中にいるだろうサンジに上手く届いただろうか。
辺りの木々がザワザワと騒ぐ。チョッパーやウソップがソワソワと後ろを振り返った。
日はすっかりと赤く焼け、海に沈もうとしている。海に赤く伸びる影はゆらゆらと揺れていて、ただ単純に夕日を眺めたのなら綺麗なことだろう。
だが、今は回りの景色を鑑賞する暇など無い。夜になったらいろんな意味で、サンジを連れ戻すのに労を要するだろう。

「最早時間はありません。サンジさんは出てこないようですし、一旦、船に戻りませんか?」

冷静なブルックの指摘通り、サンジらしい魂の光は見当たらない。
いや、洞窟の中から出てこないのだ。
出てこないと核心できる。
どれがサンジの魂かなんて、見た目ではわからないが、それでも核心できるほどに心でわかった。

「サンジィィィ!!!」

ルフィがもう一度、名前を呼んだ。
だが、名前を呼ぶたびに、洞窟を塞ぐ魂が増えていくだけで、肝心のサンジが出てくる気配はなかった。

「どうしてっ!!サンジくんっっ!!」

釣られてナミも中に向かって叫んだ。ウソップ、チョッパー、フランキーにブルック。果ては、普段冷静で声を荒げないロビンさえもみんなと一緒にサンジの名前を呼んだ。

ただ、それらを呆然と見つめている者が、二人。
くいなとゾロだ。


くいなは、ただただ不安そうにサンジの名を叫ぶ仲間を見つめるだけ。
ゾロは、そんなくいなを、やはり何も言わず見つめるだけ。

「・・・・・・・。」


仲間を取り戻そうとするルフィ達を止めることもできず、ただサンジが戻ってくるのを怯えながら待つしかないのか。
不安に心が押しつぶされそうになったくいなは、ずり、と一歩後ずさった。


このまま。


このまま、ここから離れれば。
麦わら海賊団から離れれば、この体を手放す必要はないのではないか。
ふと、そんなことがくいなの頭の中に過ぎった。

だが。
だが、彼らには、サンジには、この体が必要なのだ。例え、くいながここから逃げ出したとして、きっと彼らはこの体を取り戻そうと追いかけてくるだろう。
海賊である彼らから逃げおおせるものではない。
ましてや一人では。

一人・・・?


思い立った顔に、後ろを振り返る。

ゾロは。

ゾロは、他の仲間同様にサンジを呼ぶべく洞窟の前に進むわけではなく。みんなの、くいなの背後で、静かに彼らの、くいなの動向を見守っているだけだ。

サンジが元の体に戻らないと分かった時、彼は確かに他の仲間同様、サンジを迎えに行くことに同意した。彼を忘れたわけではない、とくいなに告げた。
だが、今はどうだ。
他の仲間と同じようにしてサンジを呼び戻そうとしているわけではない。彼は行動を起こさない。
只管、黙ったままくいなを見つめるだけだ。


それは、もしかして。
やはり、最終的にくいなを選んだ。ということではないだろうか。
ほんの少しだが見えた希望。

誰もが、洞窟の中に意識を集中している。


今なら、ゾロの手を取って、共に未来を歩んでくれるのでは。


くいなはそっと、後退りながらゆっくりとゾロの傍に近寄った。
ずっと仲間を見守っていたゾロは、くいなの行動に顔を向ける。ただ、その表情から彼の心の内を察することはできなかった。

「ゾロ・・・・。」

くいなが隣に立つ男の名を囁く。

「・・・・・・。」

返事はなかった。
やはり、ゾロの真意がつかめない。

「ゾロ。」

再度、名前を呼んだ。

「どうした?」

今度は返事を返してくれたが、その声音は固い。何かしら、決意していることでもあるのか。
それは、もしかしたら・・・。

「ゾロ・・・。行こう。」

そっと、でも力強く、くいなはゾロの腕を掴む。
ゾロは、くいなの云わんとすることがわからずに、疑問をに眉間の皺に見せた。

「みんな、洞窟に気を取られてる。今のうちに行こう!一緒にこの島を出よう!」

悲壮な顔に反して口にした言葉があまりにも力強く、ゾロも一緒に来てくれると信じているその口ぶりに、ゾロは一旦は目を丸くするが、すぐに先ほど以上に目を細めて険しい表情をくいなに向けた。

「本気か?くいな・・・。」

口調は、同意を示しているものではなく、意に反している、と訴えている。
途端にくいなは、表情通りに弱気に様変わりする。


こんな女だったのか。
あまりにも昔と違っている。


ゾロは、船で一緒に過ごしたこの数日間を改めて思い出した。
昔から勝気で強くて自信に溢れていた。女だてらに、と道場の仲間内からいろいろと言われたが、気にするでもなく、実力で悪態をつく者をねじ伏せてきた。
そんな所は変わらないと思っていた。
確かに変わらない部分はある。が、長年の歳月が彼女を堂々とした風体から遠ざけてしまったのだろうか。
サンジの体を手に入れる方法といい、今の一緒に逃げようとする口ぶりといい、いつの間に彼女はこんな姑息な手を使うようになってしまったのか。
亡くなってから他人の体に入って出会った現在までというのは、彼女が変わらなければならないほどの、それだけの年月だったのか。

だとしたら、サンジは。
もし、このままサンジが戻らなければ、彼もまた、長い年月を経て変わってしまうのだろうか。くいなのように。
くいなからすれば、「きっとサンジの魂は浄化される」と言ったが、到底、そうなるとはゾロには思えなかった。くいなの魂が入った体でオールブルーを目指すのは、彼の本心ではないはずだ。
だから、きっと永遠にこの島を彷徨うことになるだろう。サンジは、永遠にこの島を漂い、今のくいな以上に歪んだ心を持ってしまうかもしれない。


そんなことは許さない。
そうだ、彼を殴る、と決めてこの島に戻ってきたのだ。


みんなでこの島に戻ると決めた時、ゾロもまた優しすぎる彼を一発殴ってやろう、と決めていた。
その為にも、サンジには元に戻ってもらわなければ。
その後のことはまだ決めていない。
でも、このままくいなと二人、みんなから逃げるように島を出るわけにはいかない。



ゾロは、ゾロの視線に体を振るわせるしかできないくいなのゾロを掴む手を、そっと外した。

「やっぱり・・・・」

くいなの、その後の言葉はゾロが絶った。

「一旦は、コックを取り戻すと決めていた。だが、コックを取り戻すのとどちらを選ぶのか、というのは別だ。俺はまだ、お前とコックと・・・どちらかを選ぶことができねぇ。ただ、逃げることはしねぇ。卑怯かもしれねぇが・・・・これで決めてぇ・・・。」

ぐ、と拳を一度握ると、脇に差してあった刀を一本引き抜いて二人の間に翳した。

「ゾロ・・・・。」

くいなの目が大きく見開いた。

「最後の勝負だ、くいな。」

そう言うと、ゾロは返事ができなくなったくいなをおいて、刀を一旦脇に戻して、みんなのいる洞窟入り口へ向かった。
そのままゾロは、誰もが中に入れずにただ叫んでいる前に漂う魂と同じようにして皆の前に立ち塞がった。

「ゾロ?」

誰もが怪訝な顔をゾロに向ける。みんなの前に立ち塞がるということは、彼もまたサンジを呼び戻すことに反対なのか。

「ゾロっ。どけよ。もう夜になっちまう。サンジを呼び戻さないのかよ!」

ウソップが非難の声を上げる。

「ルフィ。」

ウソップの抗議に目を向けて黙らせると、船長の名を呼んだ。

「悪いが、みんなと先に船に戻ってくれ。」
「ゾロ?」

どうした、と不思議に思ってナミがゾロの名を呼ぶ。ルフィはまっすぐにゾロの顔を見つめた。

「俺とくいなは一晩、ここに留まる。」
「ゾロ?どうするのよ、テントもなにも用意はしていないわ?夏島だからって、こんな山の中、何の用意もなしに・・・。あんたはともかく、体はサンジくんでもくいなは女なのよ?」

今度はナミがゾロに抗議の声を上げた。

「ナミ。てめぇ、あいつが嫌いじゃなかったのか?」

顎を上げて苦笑するゾロにナミが「う。」と声を詰まらせる。例え、好きになれなくとも今は大事なサンジの体を預けている身なのだ。多少でも、心配がないわけではない。

「体はコックのだし、元々は丈夫な女だ。心配はねぇ。」

ゾロは軽く答えて、大したことはない、と伝える。

「ゾロ、どうするつもりだ。」

ルフィはゾロの眼をまっすぐに見ている。
まるで一対一のようにお互いに対峙した。
だが、戦うわけではない。お互いの真意を測っているようだ。

「別に逃げたりはしねぇ。」

先ほど、みんなの後ろであったやり取りを言うつもりはないが、敢えて言葉にした。
誰かが「な!」と驚きの声を上げた。ルフィの目が細まる。

「俺のやり方でコックを呼び戻す。だが・・・・。」
「?」

ゾロは一旦ルフィから視線を外して地面を睨む。

「失敗するかもしれない。もしかしたら、コックは元に戻らずにくいながコックの体に残るかもしれねぇ。」
「何言ってんの、ゾロ!!あんた、もしかして!!」

ゾロの言葉にナミが激昂した。
ゾロに掴みかからんとするナミをルフィは制した。
壁を作るようにして漂っていた魂達も、二人を見守るようにまわりを囲うように漂いだした。

「ルフィ・・・。」

ルフィはただ真っ直ぐにゾロを見つめる。
ゾロは改めて、ルフィに視線を戻す。

「だが、結果がどうなろうと、俺は今夜一晩掛けてコックを呼び戻す。嘘は言わねぇ。それでも、俺が許せないっていうのなら、くいなと一緒に船から追い出してくれ。」
「本気か?ゾロ。」
「あぁ、本気だ。全身全霊を込めて、あいつを呼び戻す。それは嘘じゃねぇ。それでもコックが戻ってこれないってことは、俺の気持ちが足りねぇってことだ。そんなヤツは仲間として許されねぇ、船から追い出してくれて構わない。」

会話が途切れても、暫くの間、二人はまるで眼で会話をしているように黙ったまま見つめあった。
どれくらいの間、そうしていただろうか。いよいよ夜がやってくるのではという頃、ルフィは大きく息を吐いた。
ルフィはゾロの瞳に彼の真意を見た気がした。それは言葉では表現できなかったが。


「わかった・・・。」

一言吐くと、ルフィはニコリと笑った。

「ゾロに任せる。ゾロ、サンジを頼んだぞ!」
「あぁ、キャプテン。」

納得し、すっきりした顔のルフィにナミが横から喰いついた。

「ルフィ!!いいの!!?」

怒りを隠さずにナミはゾロを睨む。

「もしかして、ゾロ、くいなと一緒に船を降りる気じゃ!!」
「結果がそうなっても、業とはしねぇよ、ゾロは。」
「でも!!」

声を張り上げて訴えるナミにルフィはポンと肩を叩いた。

「ゾロを信じようぜ、ナミ。」
「ルフィ・・・。」

それまで黙っていた面々も、ルフィの言葉に従うしかなかった。船長の決定は絶対だ。

「じゃあ、俺達は船に戻ろう。まだ、今なら間に合うだろう?」

すでに日はその姿をほとんど隠していた。本来ならば、夜の山道は危険だ。だが、野宿するわけにもいかないし、船に戻ろうと船長の決定が下りている。
なんとか幸いにも、僅かに残っている太陽の赤い光がなんとか帰り道を教えていた。船に着くころはきっと深夜になってしまうかもしれなが、これもまた幸いにも姿を見せだした月が大きく丸かった為、月明かりも期待できそうだった。
同時に、洞窟内に入るだろうと用意した携帯用のランプもいくつかあった。

「帰るぞ。」

ルフィはきっぱりと言い、さっさと踵を返した。
誰もが黙って船長の後をついていく。
一番最後についたロビンが、ふっと後ろを振り返った。

「ゾロ、みんな待ってるから無事に帰ってらっしゃい。」
「あぁ。」

そう言い、歩きだしてずっと呆然と立ち尽くしたくいなの横を通り過ぎる時に、一旦足を止めた。

「今度はいい形で出会いたいわね。」

ロビンとしては、もうくいなとは二度と会わないつもりでの言葉なのだろう。
くいなはぐっと奥歯を噛み締めた。



ルフィを先頭に岐路に向かった仲間を黙ったまま見送って、誰もいなくなる頃には、太陽はもうその色さえも姿を見せなくなった。
星が瞬きだした夜空の下、ゾロとくいなは向かい合った。


ゾロは刀を一本改めて抜くと、くいなの前に掲げた。

和同一文字だ。




「くいな、お前に最後の勝負を望む。」





08.12.27




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今年最後の更新です。今年もこんなところに来て下さってありがとうございました。