黄泉返りの島16




「くいな、お前に最後の勝負を望む。」


丸い月が雲一つない夜空に上がり、煌々と二人を照らす。
ゾロとくいなは向かい合ったまま、暫くお互いの距離を近づけることも離れることもできないまま見つめあった。
ゾロが掲げた和同一文字は、ゾロの手に握られたままだ。


「ゾロ・・・・・。勝負?」
「あぁ。お前と最後の勝負をしたい。」

『最後』の言葉がくいなに強く響いてくる。

「最後って・・・・・どういうい意味?」

くいなは怪訝な顔をゾロに向ける。ゾロの言う言葉に納得できなければ、彼が差し出す刀に手を伸ばすことはできない。くいなの表情はそう訴えていた。

「お前とコックの魂をこの勝負に掛けたい。」
「私とサンジさんの?」
「あぁ・・・。」

ゾロが、コクリと頷く。
真っ直ぐにゾロの瞳がく逸らされることなく、くいなに向けられる。
が、この勝負をしたらからといって、確実にサンジの魂が帰ってくるとは限らないのだ。帰ってくることが確かならば、どうして島を出た時に元に戻らなかったのか。
考えなくともわかりそうな結論に、くいなは怒気を含めてゾロに伝える。

「この勝負にゾロが勝ったからってサンジさんが元に戻る保障はないわ。必要のない勝負よ。況してや、貴方はまだ私には勝てない。」
「一度、勝った。」
「あれは、私が精神的に参ってた時のことじゃない。実力じゃ、私の方がまだ上。それに、私はこの体をサンジさんに譲る気はない、負けない。」
「それはコックの体だ。お前のじゃ、ねぇ。」
「今は、私の体よ!」
「だったら、取り戻してやる!」
「本気?」
「あぁ、本気だ。」

お互いに前にも後にも一歩も動かない。ただ、会話だけが辺りに響く。

「俺が勝ったら、その体から離れろ。」
「それでも、サンジさんがこの体に戻ってこなかったら?この体はただの死体になるだけ・・・。」
「それでもだ!!」
「ゾロっ!」

ギリとくいなは奥歯を噛み締めた。誰の魂も残さずに、この体をただの死体にさせるのは、なんと勿体無いことか。
突如、思いついたようにくいなはゾロに歩み寄った。

「くいな?」

今まで対峙するだけだった相手が突如傍にやってきた。


そして。

「んっ・・・!」

突然、くいなは、呆然とするゾロに唇を押し付けた。

「な・・・っ!くいなっ!」

一旦唇が離れた隙にゾロはくいなを引き剥がそうとしたが、それは失敗に終わり、さらにくいなはゾロを抱きしめて再度キスを施す。
強く抱きしめる腕は、縋りつくようで。重ねられる唇から舌が送り出される。濃厚なキスと熱い抱擁。
あまりにも強い想いに、ゾロは、一旦はサンジへと向かった気持ちが揺らぐ。
驚きの為、引き剥がそうとした腕は、思わず抱きしめようと力が緩む。それを知ってか、くいなのゾロを引き寄せる力が強くなった。
熱い熱い恋人の抱擁。
誰が見てもそうとしか見えなかった。


僅かに残っている辺りを漂う魂の光が、二人を祝福すべく飛び交う。
しかし、未だ。
肝心の人物の魂らしき光は、その気配すら感じられない。

熱くなってゆく体を叱咤して、くいなはゆっくりとゾロから離れた。
このままいけば、セックスへと雪崩れ込むのではないかという雰囲気になりつつある。そうなればきっと、ゾロはもうこれ以上、サンジの魂への執着はしなくなるだろう。だが、その前に確認しなければならないことがある。

「ほら、ゾロ?サンジさんは私と貴方がキスをしても現れない。ヤキモチすら妬かない。もう、この島に魂がないか、貴方のことを忘れたか、じゃなければ貴方のことを私に託す気になったのよ。例え、勝負に貴方が勝ったとしてもこの体に戻ってこないわ・・・。」

「ね?」と顔を傾げて、問う姿はサンジそのものなのに、その表情には、僅かだがくいなの勝ち誇った表情が伺えた。
先ほどまで何度も不安気な顔を見せていたくいなは、今はそれが結論のように自信に満ちた顔を見せる。



本当に。
ゾロが何をしようと、どう足掻こうと、サンジはここには戻ってこないのだろうか。
ならば、今からゾロが行おうとしている勝負は無意味ではないだろうか。

一旦は首を巡らして、サンジらしき魂を探す。が、それらしい魂はどうしても自分の傍には来ない。
ゾロは、首を傾げたままゾロを見つめるくいなに眼を向ける。
中身はくいなだが、見た目はサンジだ。


彼女を、いや、男として生きて行くことになった彼を生涯の相手とし、一緒に旅をして。
そして、共に世界一の剣豪を目指し。
くいながサンジと約束したという、彼の夢の海を一緒に目指し。
サンジとのことを一生の思い出として心の奥に留めて行く。

それが、サンジの望みなのか。
彼は、器だけでも自分がこの世にあることでいいのか。中身は別人だとしても、体が存在しさえすれば、それでいいのだろうか。


ゾロは目を瞑った。



それが、本当にサンジの願いなのだろうか。
自分の願望なのだろうか。



サンジを殴る名目で、この島に引き返すことに賛同し、彼を呼び戻す約束で船長達を船に帰した。
サンジに会いたい。本当は殴るのではなく、彼を抱きしめたい。
そう思うのに、その為にくいなと勝負を挑んだのに、くいなの言葉を聞くと、くいなからの熱い思いをみると、最後の一歩が踏み出せなくなる自分がいる。

自分はどうしたいのか。
この先、誰と共に未来を歩みたいのか。





メリー号でリヴァースマウンテンを目指した時のことを思い出す。
それぞれの夢を語り、樽をみんなで蹴り開けて船出とした。
サンジの夢は、オールブルーを見つけることだと言った。そして自分は大剣豪。
それぞれの夢を叶える為にこのグランドラインへ来たのだ。
誰かの身代わりになるためではない。
しかし、いつも彼は誰かの犠牲になることを厭わない。それどころか、誰かを守る為には進んで体も、そして命をも差し出してしまう。
それが、腹立たしくもあり、また、好ましくもあるのだが。


ゾロはギリリと歯軋りする。


そんな彼を守るヤツが必要なのに。
それは自分だと、彼と心を通わせた時に決めていたのに。
己の欲と、友の欲を最優先して、彼の夢を、彼を犠牲にしていいわけがない。

ルフィは。
船長は、真っ先にサンジの夢を、サンジを守ろうとした。
それは「船長だから当たり前だ」と、ルフィは言うかもしれないが、だったら自分はどうなのだ、と今更ながらに自分に問う。

それに。
船に戻るように話した時に約束したではないか。
彼を全身全霊を掛けて呼び戻すと。結果がどうなろうと、自分の全てを掛けて、サンジを呼び戻すと。
その為に、くいなに剣を掲げたではないか。
勝負を挑んだのではないか。

それなのに。

それなのに、くいなのゾロを求める心を見せ付けられると揺らいでしまう自分がいる。
何度も何度もゆらぐ心に、あまりにも情けなく思った。





ゆっくり深呼吸をして、ゾロは再度、くいなに目を向けた。

抱きしめてくれるゾロの腕に一度は自信に満ちた顔を見せたくいなが、今また、何の反応を見せなくなったゾロに不安な表情を曝している。
一体こんなやりとりと何度繰り返せばいいのだろうか。
今もし、彼女を選んだとして、同じ事をこれからも何度も繰り返すのではないだろうか。
そんなことさえ頭に過ぎる。



彼女は昔に亡くなったのだ。
己に欲に眩んだ亡者になってしまったのだ。その為にはどんな手段も選ばないだろう。今回のように今後もそうなるだろう。剣士としての誇りを忘れて。
それが、くいなの為になるはずがない。
彼女の為にも、彼女を選ぶことがいいわけがない。


そう、自分の心に訴えた。
そうでもしないと、また自分を求める彼女に翻弄されてしまうだろう。




サンジと、サンジの夢を守る為に。
くいなの魂と、彼女の剣士の誇りを守る為にも。





ゾロは、ぐ、と拳に力を込めた。




もう迷わない。
惑わされない。











「くいな、もう一度言う。最後の勝負を望む。結果がどうあれ、俺はお前に勝ち、あいつの体を取り戻す。」
「ゾロ・・・・。」


あくまで、自分を選ぶだろう想定を外されて、くいなはきつく唇を噛んだ。
ギュッと眉間に皺を寄せて、悔しそうな顔をする。

ゾロは、そんな彼女を抱きしめてやりたい衝動に駆られる。が、ここを踏み越えなければいけないことを何度も自分に繰り返し訴えたはずだ。
そう、ゾロもまた眉間に皺を寄せて、くいなを遠ざけた。

改めて、白い鞘を差し出しす。

「これはお前の剣だ。一度、お前に返す。だが、この勝負で俺が勝ったら、改めて俺が使わせてもらう。お前の魂としてこの剣を使って大剣豪になる。」
「もう勝ったような口ぶりはやめて。この勝負、私が勝てばいいだけのこと・・・。」

くいなは諦めたように、差し出された剣を受け取った。

「貴方との真剣勝負は避けたかった。無駄な戦いはしたくなかった。でも、避けられないんだよね・・・。」

くいなは肩を落とした。差し出された刀を見つめて呟くくいなに、ゾロはもう惑わされなかった。

「避けられない勝負だ。そして、お前と俺の最後の勝負だ。」
「・・・・・・・。」

受け取った白い剣を見つめたまま、暫くくいなは動かなかった。ゾロもまた、くいなと同様、刀を差し出したまま、動かない。
お互いに、暫く黙ったまま、そうしていた。
月が明るく二人を照らしている。風はほどんどなく、辺りは静寂に包まれている。
回りを彷徨っている魂の光達は、やはりふわふわと、漂うだけで、何かしら変化は見られない。

どれくらい経った頃だろうか。
漸く、心の底から踏ん切りがついたのか、くいなが差し出された刀を受け取った。
両手で刀を受け取ると、ゆっくりと鞘を抜いた。
すらりとした刀身は、芸術品ともいえる線を描いている。その曲線は、月の光に反射して、まるでそれが武器であるかのことを忘れてしまいそうなほど、綺麗な光を放っていた。
くいなは、鞘をそっと地面に置くと、刀を掲げて白く光を放っている刀身を下から見上げた。

「綺麗・・・。」

くいなの口からポロリと自然に零れた言葉に、ゾロもくいなの持つ刀に目を寄せた。
確かに綺麗だ。
この島に来るまで、ずっとこの刀をくいなの形見として大事に扱ってきた。くいなの、そして自分の夢をこの刀で果たそうと必死に戦ってきた。
何人もの剣士と対峙し、多くの血を流してきた。ゾロが今まで歩いて来た道のりに出会った全ての剣士の血と思いもこの刀が背負っているだろう。
だからこそ、美しく、また畏れもある。
今のくいなは、この刀が背負っている強い思いとその意味を知っているだろうか。

否。

知らないだろう。

それは今まで闘ってきたゾロだからこそ知っていて、持っている意味がある刀になっている。
それだけでも、この勝負は負けられない。

いや、それだけでない。



改めて、今、目の前にあるが、それでも違う人の顔を思い浮かべる。




俺は、もう迷わない。
そして、必ず勝つ。




ゾロは、あと二刀、脇に差してあった刀を手にした。
二刀をスラリを抜き、ゆっくりと振り返った。
刀を握ったかと思ったら、突如、向きを変えたゾロにくいなは、不審に見つめる。
そんなくいなを気にする事もなく、ゾロは後ろでぽっかりと大きな口を開けていた洞窟に足を進めた。
コツコツと足音が洞窟内にまで届いた。
入り口まで来ると、ゾロは大きく深呼吸をした。

「サンジィィッッ!!!聞こえてるかぁっ!俺が今からお前の体を取り戻す!だから、そこで待ってろ!!俺がそこへ行くまで待ってろ!!」

わんわんと洞窟内に反響して少し耳が痛かったが、そんなことはお構いなしだ。
ゾロは、言いたいことを叫ぶと、改めてくいなに向き合った。

「ゾロ・・・・。」

目を細めてゾロを睨みつける相手は、もはやくいなのものではなかった。己の欲にただ縋りつく亡者のものだった。

「さぁ、勝負しよう!亡者め・・・。」


09.01.13




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冬休みが入ったわりに進まなくて、すみません。