黄泉返りの島8
空は雲もほとんどなく、満天の星空だった。まるで自分に向かって落ちてきそうなほどの迫力に、思わず目を閉じてしまう。 静かに夜空を仰いでいると、微かな物音が耳に届いた。音に釣られるようにして、そちらに首を向ける。 開けていた窓をそのままにベンチから立ち上がって、梯子を上ってくる男が入ってくるのを見守った。 「よぉ。差し入れ。」 「ありがとう。」 なんだか普段と逆だな、とゾロは手にした酒瓶を掲げる。 今夜の見張りはくいなだった。 体がサンジということで体力があるのもあったのだが。不慣れなくいなを不寝晩の当番から外そうという意見を、くいなは大丈夫だ、と言った。仲間である限りは男女平等に当番が回ってきていたのを聞いていた彼女は進んで当番を引き受けた。 それに元々その晩は、サンジが当番になる順番だったのだ。別に順番が変わったからと言って、問題が生じるわけではないが、せっかく順番がすでに決まっているのならば、それでいい、とくいなは言った。 そうして、展望台に上った。 星空を見ていたら見張りにならないだろうが、感傷的になっているのだろうか、くいなは、空を見ていて気持ちが落ち着いた。 そうして過していたら、誰もが寝静まっただろう時間帯に、ゾロはやってきた。 昼間の言葉を忘れていなかったのだろう。 几帳面な性格だと、くいなは思う。 しかも、いつもなら手にすることはないだろう夜食を持って。酒だけならわかるが、夜食までついているのは、いつもならきっと立場が逆なのだろうな、とくいなは心の中で笑う。しかし、その中にもほんのちょっぴりチクリと痛む心がある。 あぁ、体はサンジさんのものでも、心は私のものなのだ、とくいなは素直に納得できた。 「飲めるだろう?」 「うん。」 まだ幼くしてなくなった彼女に酒はどうだろうかと思ったが、体は受けつけるはずだ。きっと飲めるだろうと踏んで、ゾロは一緒に持ってきたグラスを渡した。 トプトプと注いで、自分はそのままビンを手にする。カチンと軽く合わせて、ゾロはビンのまま酒を口にした。 女性陣用にサンジが常備しているものだ。甘口で飲み易い。最初は戸惑う仕草を見せたが、結局、くいなは苦もなく、それを口にした。ゾロには少し甘かったが、元々がサンジの目利きで手にいれたものだ、味は美味い。 「今日は・・・・。」 ビンを手にしたまま、ゾロは空いている窓から空に視線を送った。 「星が綺麗だな・・・。」 「うん。」 「これだけ明るきゃ、襲撃もないだろう。」 月もその影を隠さずに、大きく光を反射している。 「そうだね。」 「ま、もっともこの島には今、他の海賊はいないらしいからそんな心配もねぇだろうがな・・・・。」 「うん。」 会話がぎこちない。 らしくない、とゾロは自分を叱咤した。 結局はストレートにしか話ができないのだ、と自分を分析する。サンジともいつもそうだった。サンジは回りくどい言い回しが多かったが、自分からは真っ直ぐに言葉を綴った。 二人がそういった関係になった時もゾロははっきりとサンジに己の気持ちを伝えたのだ。 今回も、そうなるだろう。 「やっと勝ったな。」 とはいえ、あまりにいきなりな会話にくいなが目を丸くしている。 しばらくして、「あぁ、昼間のこと?」とわかってくれた。 「昔から念願だった勝ちをやっとお前から取る事ができた。」 「あれは・・・私が油断したからだよ!明日また勝負すれば、きっと私が勝つ!」 ぐいと拳を握る姿は、サンジとして見ても、なんとなくかわいいとゾロは思ってしまう。 「そうだな・・・。確かに昼間の勝負は、無効みたいなもんだ。」 途端、目にする笑みにゾロも軽く笑う。 彼に会えなくなってどれくらいだろうか。いや、まだそんなに日にちは経っていない。しかし、ずっと会っていないかのような錯覚に陥る。目の前にその姿はあるのに。 いや、今はくいなと話をしているのだ。とゾロは改めて、自分に言い聞かせた。 「それより、ゾロ・・・。」 くいなは思い出したように改めてゾロを見た。 「昼間の話・・・。」 「聞かなかったことには、できないんだろうな・・。」 予想通り避けられないだろう話題には、意外にもくいなから口を開いた。 ゾロはビンを持ったまま俯いた。 くいなも釣られて俯く。お互いに自分の足元を見つめた。 「・・・・・・。」 「俺は・・・・。」 暫く黙ったままだったゾロが決心がついたかのように再び口を開くのを、くいなは手を上げて押し留めた。 「ゾロが望むなら、サンジとして振舞う。私はサンジさんになる。」 「・・・・・!」 くいなの言葉にゾロは絶句する。 「男に成るって決めたんだから、きちんとそう振舞わないとね。最初にもそう言ったはずなのに・・・・。つい、ゾロの前だと昔に戻ったみたいで・・・私・・・。」 「待てっ!」 ゾロは立ち上がった。くいなには怒っているように見えるのは気の所為か? 「ゾロっ!」 くいなが悲痛な声を上げるのをゾロは無視して言葉を続けた。 「お前があいつになる必要はねぇ!コックはコックだ!くいなはくいなだ。別人だ!俺はお前にあいつの変わりになって欲しいとは、これっぽっちも思ってねぇ!」 「だって、ゾロっっ!!」 くいなの思いを拒否していると受け取ったくいなは、耳を塞いでいやいやと首を振った。 ゾロは舌打して、彼女の腕を取る。男のしっかりとした、手に馴染んだ腕だ。 「いいか、よく聞け!」 ぐい、と腕を掴み上げ、真正面に向き合ってゾロはくいなに告げた。 「あの頃、俺はただお前に憧れて。お前にように強くなりたくて。・・・それしか考えていなかった。それしか考えられなかった。恋とか愛とか、そんなのは知らねぇ!」 「・・・・・!!」 「でも、今は違う。それなりに大人になったし、大事だと思える人間もできた。だから、お前の気持ちもわからんでもねぇ。」 「っっ・・・。」 ゾロは掴んでいる手の力を強めた。 くいなはゾロの顔から目が放せないようで、ただ黙って彼を見つめている。その表情は今にも泣きそうだ。 「お前の気持ちをわかってやれなくて、悪かった・・・。」 ゾロの顔つきはまるで怒っているようなのに、その言葉は穏やかになっていく。 あぁ、ゾロだ。 くいなは思った。 彼は見た目とは違い、相手のことを思いやる事が出来る人間だ。優しさと強さを兼ね揃えた心豊かな人間だ。ただ、それを上手く表に出せないだけだ。 「じゃあ・・・・。」 「ただ、お前の気持ちを受け入れることは、あいつを裏切ることになる。」 ゾロの言葉はわかっていたことだ。今、彼の心はサンジの元にある。 わかっていたことだが、それを素直に受け入れるほど、くいなに余裕はなかった。 「そうじゃなくて!」 「?」 「そうじゃなくて、ゾロの気持ちを知りたい!私のこと、好きなの?嫌いなの?」 「それは・・・・。」 ゾロは口篭った。 すぐに返事が返ってこない、ということはゾロの気持ちは揺らいでいる証であると、くいなは感じた。 「嫌いなの?」 「そうじゃねぇ。」 即答だ。 「だったら好き?」 「・・・・。」 黙ってしまう。 さきほどゾロが口にした言葉は「サンジを裏切る。」という言葉だ。それはくいなのことが嫌いということではない。好きである気持ちが含んでいるということだ。好きだが、応えられない。そういうことだ。 「抱いて!」 「な・・・!!」 ゾロは驚愕の顔で目を見開いている。 いきなりすぎたかもしれないが、もう後には引けない。くいなはもう一度繰り返す。 「これは裏切りじゃない。だって体はサンジさんのものだもの。サンジさんに会いたくても会えない寂しさからサンジさんの体を抱いたことにすればいい。」 「しかし、中身はお前だ。あいつじゃねぇ・・・。」 ゾロの声音が震えている。あきらかに戸惑っている。 「大丈夫。サンジさんを抱くんだよ、ゾロは・・・。」 くいなは力の抜けたゾロの手をそっと解き、ゾロの頬を両手で包んだ。 彼の瞳がゆらゆらと揺れている。 きっと、会えない彼を思い出しているのだろう。 それに衝き入る自分は卑怯なのだろう。 しかし、それでもゾロと一緒にいたい。ゾロと結ばれたい。その心がくいなを動かした。 「ゾロ・・・・。今日、強かったよ。」 「・・・。」 「ゾロ。」 「・・・。」 「ゾロ、好きだよ。」 「・・・。」 ゆっくりとくいなの方から唇を重ねた。 それは昼間の時とは違って、艶を含んだ意味合いを持って。 「ん・・・・。」 重ねる唇は湿り気を帯びて、音を立てた。 徐々に強く深くなっていく。 それに合わせて宙に浮いていたゾロの手はサンジの体を強く抱きしめた。 ぎゅっとくいなは目を瞑る。 「・・・・・サンジ・・・。」 ゾロの言葉にくいなは聞こえない振りをした。 |
008.11.18