たった10秒のすれ違い・・・


「あぁ、もうっ!!これで通算20回の遅刻記録の更新だよ!!もう〜今度1秒でも遅刻したら、その時は僕は帰るからね。本当だよ!!!わかった?!」
「あぁ、わりぃ。・・・・・今度は気をつける。今度は絶対遅刻しない。それに今からの夕食も奢るから〜、機嫌直せよ。なぁ、岬・・・。」
「僕、こんな寒い外で30分以上待たされて、もう体も冷え切って冷たいんだから!!暖かいの食べさせてよ!!」
「ほんと、悪い悪い・・・。カニでも河豚でもなんでも奢らせていただきますvv」
「別に高価なものじゃなくていいから・・。それよりホントだよ、今度は遅刻なしだからね!!」
「はいっ」




そう約束したのは、先週のこと。
時間にルーズでドジな若林はずっと待ち合わせ時間の遅刻記録を更新中だった。もうかれこれ25回を数えるだろう。
年も明け、大きな寒波が来ていた先週などは、誰もが外に出たがらないという寒さの中、岬は30分以上も待ちぼうけをくらったのだ。
すでに堪忍袋の緒が切れていた岬。
もう、たまらない!!
と、若林に最終通達を告げた。
『今度1秒でも遅れたら即刻帰宅する。1秒でも待ってない!』
若林も常々岬には悪いと思っていたので、ただひたすら頭を下げながら岬の言うことに首を縦に振るばかりだった。






「はぁ〜〜〜、どうしてこうも遅刻するんだろうなぁ〜〜〜。」
頭をボリボリと掻きながら目の前の鏡に映る己の姿を見つめる。
特に寝坊という訳ではないのだが気が付けば時間が過ぎていることが多い。
大概は「今日岬は何を着てくるのかなぁ〜」と考えていたり、「そういえば、あそこに食事に行きたいって言ってたなぁ〜。でもフランス料理の店、予約しちゃったしなぁ〜」などと下らない事を考えて、考えすぎて時間を忘れることが原因なのだ。元々最初は時間を考えて用意していてほんのちょっとした余裕がある時につい、「まだ大丈夫だから」と余所事を考えることからなので余計いけない。若林がいう余裕なんてほんのちょっとのことなのだから・・・。
だからあっと言う間に時間が過ぎて、気が付けば「あわわわ・・・・。」なんてことばかりなのだ。そして、あわてる為に鍵を掛け忘れて出直し、とか、靴とサンダルを履き間違えて出直しとか。ついでに言えば、ついつい考えていたら「あ・・・。寝ちまった!」なんてこともしばしば。
しかも、それを毎回と言っていいほど繰り返す。人から言わせれば学習能力がないのであろう。
もはや、ドジを通り越してアホである。


今日遅刻したら即刻退場!
といっても若林が退場ではなく、岬が先に退場していて、舞台には誰もいない。・・・のである。これは退場とはいわないか・・。
ぼんやりと鏡の中の自分を見てへらっと笑う。
「あぁ・・・・むなしぃ〜〜〜。」
ため息を吐いた。
自然、鏡の中の自分の姿が哀れになってきた。
しかし、落ち込んでいる場合ではない。岬が時計を睨みながら自分を待っているのだ。
しかも、また今日は先週以上の寒さになると天気予報では言っていた。もしかしたら雪が降るかもしれない。
そんな中岬を待たせては、しもやけどころか凍傷になってしまう。下手をしたら凍え死にだ。
いや、実際一晩待たせるなら話は別だが、今回は時間通りに行くのだからそんな凍え死ぬほど待つ事はないだろう。
(何考えてんだ、俺・・・。)
岬が凍え死ぬとこまで考えて、ふ、と我に返って頭を振る。
「いかん、いかん!そんな余計なことを考えているから遅刻するんだ!」
そう独り言を吐き、時計を見る。
「うわっ、ヤベっ。またやっちまう!!」
時計を見ると岬との待ち合わせの時間まであと15分。ここ、自分のマンションから待ち合わせになっている駅前まで歩いて約10分。まだ支度が途中だった。
「うわわわっっっ!!!遅刻しちまうっ!!!」
あわてて顔に水を浴びせた。











はぁ。
と、手袋をした手を丸めて息を吐きかける。手袋をしているし、その手袋が岬の手を温めてくれているので息を吐きかけてもあまり意味はないのだろうが、ついついやってしまう。
ふ、とその手袋に目をやった。
ついこの間、クリスマスプレゼントとして若林からもらったもの。
薄い茶色を基に緑とオレンジのラインがさりげなく入っている岬好みのデザイン。手作りもので細身に作られている為、女性用かとも思われたが、女の子のものよりは一回り大きいサイズで男性用だとわかった。あまり派手なものを好まない岬好みのものを捜すのは面倒くさがり屋の若林にはなかなか骨だったことだろう。
その手袋を見てクスッと笑みが零れた。
と、同時にヒュッと風が頬の横を通り過ぎる。
やはり天気予報の通り、かなりの寒さだ。しかも風が多少吹いている為に、体感温度は実際より1〜2度寒く感じられる。

チラとコートのポケットに手を入れ、隙間から見える携帯が表している時刻を覗き見た。
約束の7時まであと1分。
まだ若林の姿は見えなかった。
若林の住むマンションからこの駅までは何度も曲がり道を辿らないといけないのだが、しかし時間にして10分ほどで付くはずだ。一度電話をしてちゃんと時間通りに外出したのか確認しようと思ったのだが、癪にさわるのでそれはしない。
前回、あれだけしつこく若林に注意したので、今回は絶対約束の時間よりは早く来ると岬は思っていた。思っていたので、そんな若林を待たせてはいけないと思い、自分もいつもより早く待ち合わせ場所に来た。約束の時間よりも30分も早く着いていた。
空を見上げるとすでに暗くなった所に、雲まで出ていて星はまったく見えなかった。道理で寒いはずだと岬は思った。
ふぅとため息を吐き、再度ポケットに手を突っ込み今度はきちんと携帯を掴みポケットから出す。藁をも縋るような気持ちで携帯の画面を見た。丁度、時刻を表す数字は7:01と画面が変わったところだった。
「やっぱ、若林くんに時間を守らせるのは無理なのかな・・・・。」
ポツリと小さく漏れた。
それが妙に自分でも悲しく聞こえ、岬は諦めたように今度は深いため息を吐くとすぐ脇の地下に続く階段を下りて行った。
ゆっくりとした足取りが岬には重く感じられた。


「若林くんの・・・・バカ・・・・。」









はぁはぁと息を切らして若林は駅前に続く道を曲がった。
もう、約束の場所は目の前だった。
時計に目をやりながらひたすら走る。
約束の7時にはあと1分。なんとかぎりぎりで間に合う。
岬のことだから怒りながら走ってくる俺に向かって叫ぶんだろうな。「もう、なにやってたんだよ!」って・・・。
そんなことを思いながら駅に目をやった。いつも待ち合わせの場所にしている階段横を見る。

怒った岬がそこに。





怒った岬は、そこにはいなかった・・・・・。



「あれ・・・?」


足を止め、若林は自分の腕時計に目をやった。はぁはぁと息が上がったまま。
デジタルの数字は7:00を指していた。


「間に合った・・・・よな?」

若林は小さな独り言を発し、ちょっと体を傾げて階段屋根からは死角になっているバス停横に立っている時計にも目をやった。
その時計もまだ7の数字を差したままだった。まぁ、あと数秒で長針が動くだろうタイミングは予想できたが。
いくら今までが今までだといえ、岬が時間前に帰ることはないのは若林にも想像できた。
と、いうことは・・・・。

「めずらしな、岬の方が遅刻かよ・・・。」
フッと笑うと、まだ息の整わない体を壁に預けた。

と、同時に階段を降り切った岬は横の角を曲がり、上からはまったく見えない所へと進んで行ってしまっていた。
お互い、そんなすれ違いには気が付かずに。




「たまには待つ側にならなきゃな・・・。」
そんなことを呟きながら若林は崩れて意味を成していなかったマフラーを首に巻きなおした。
「うへぇ〜〜〜。今日はまた一段と寒いなぁ・・・・。」
家を出た時以上に強くなってきた北風にブルッと体を震わせ、ポケットに手を突っ込む。
「岬も、いつもこんな寒いところで待ってたんだよな・・・・。」
冬の間はいつも頬を赤くして自分を待っていた岬。無くしちゃったんだと笑いながら悴んだ指先に息を吐きかけるのを見かねてクリスマスに手袋をプレゼントしたのを思い出す。
あれ以来、若林のプレゼントによって岬の手は多少暖かい体温が保たれるようにはなった。
しかし、やはり寒いのは変わらず・・・。それどころか寒さが厳しくなってきたこの時期。春まではまだ遠い。
それまでに何度、岬を寒空の中、待たせたんだろう。
そして、まだかまだかと何度も時計を見る岬を想像した。
なかなか来ない相手を待つのは寂しいよな・・・・心細いよな・・・。
いつも岬はこんな孤独な時間を過していたんだよな・・・。
口には出していたが、実際、反省というほどの反省をしていなかった若林は岬に申し訳なくなってくる。

「ただ待つのって結構辛いもんだな。・・・いつも岬にばっか寂しい思いさせてたんだなぁ。」

口から零れた言葉に自分が今まで岬にさせていた思いを理解し、さらに申し訳なくなった。



腕時計の数字は7:15を表示していた。
岬にしてはめずらしいほどの遅れ。
寒空の所為で頬が赤くなっているのがなんとなく自分でも想像できた。触るとカサカサとした感触がする。
「岬・・・・どうしたんだろう・・・。」
ちょっぴり心配になった。






7:30を表していた。
これで何度目だろう、腕時計を見たのは。
若林は顔の半分をマフラーで隠して北風を凌いでいた。それでも空気自体も冷たいのでやはり寒いのは変わらなかった。
足が小刻みに震えているのがわかった。
何かあったのだろうか、岬にしては初めてとも言える遅刻になる。
それともやはり、帰ってしまったのだろうか。
「ちゃんと7時には着いたし・・・まさか・・・・な。」






7:45になった。
いよいよおかしい。
若林にはどうしたらいいのかわからなかった。
やっぱり電話しようか・・・。それとももう少し待ってみるか。
さっきからずっと心の葛藤が続いている。
さほど悩むほどのことではないのかもしれないが、7時を少し回ったところで携帯を家に忘れてきた事に気が付いた。公衆電話を探して電話を掛けている間に岬が来たらすれ違いになってしまう。
それこそ岬は、若林がいない。と帰ってしまうだろう。
どうしよう・・・。






8:00になろうとしていた。
待ち合わせ時間からもうすぐ1時間。
爪先はすっかり冷え切り、手も頬も赤かった。霜焼けは免れないかもしれない。
気が付けば頭に少し白いものが乗っかっている。
いつの間に降りだしたのか、雪が周りにチラついていた。
「あぁ・・・。雪・・・・降ってたのか。」
ぼおっとした表情で独り言を呟いた。
ずっと岬のことを考えていて気が付かなかった若林だった。


どうしたんだろう・・・。

何かあったのだろうか。
事故にでもあったのだろうか。
それとも帰ってしまったのだろうか。
今から来るかな。
電話してみようか。
でも、その間に来たらどうしようか。
入れ違いになったらそれこそ帰っちゃうよな。
そういえば、今日の予定、狂っちゃったな。
あの店、鍋が美味しいのに。
今から行ったら間に合うか。
それともどこか違う店でも探そうか。
岬、遅いなあ。
来ないかなあ。
何かあったのだろうか。
いっそのこと家まで行ってみるか。
でも入れ違いになったら。

どうしよう・・・。


ぐるぐるといろいろな思考が頭の中を回っていた。
ぼおっと空を見上げた。
まるで雪が自分に向かって迫ってくるようだった。
はぁ、と出た息が白かった。

岬・・・。


俺、寂しいよ・・・・・・。

あいたいよ・・・・・・。

今度から絶対遅刻しないから・・・・。

あいたいよ・・・・。















バサッ



急に目の前が暗くなった。
一体何事かと頭を動かすとまたバサッと音をたてて、足元に何かが落ちた。
今度は急に目の前が明るくなった。

明るいと思ったのは、白いマフラーだった。
空の暗さと対象に白いマフラーは若林に明るさをもたらした。



「ばかっ!!」



目の前が明るくなったと同時に飛んだ怒声。
足元に落ちたマフラーから声の上がった方向に目線を上げると、そこには白いマフラーと対象に赤い顔をした岬が白い息を吐いて怒った表情をしていた。


「今度遅刻したら、帰るっていってただろう!!」

岬の目は何故か少し潤んでいて・・・。
その表情がかわいくて若林はにっこりと岬に笑いかけた。
「だってよぉ、俺、ちゃんと7時に着いたんだぜ。ギリギリだったけど。」
その言葉を聞いた岬はさらに顔を真っ赤にしてキッと若林を睨みつけた。
「でも、僕は!ちゃんと時間前にここに来て、7時1分になってから帰ったんだよ!」
そう言って、自分の携帯を見せた。見せたところで7時1分になっているわけでもないのに。
「俺はだから7時にここに着いたって・・・・・。」
若林の腕時計も同じく7時になっているわけでもないのに釣られて腕を差し出し時計を見せた。
それはちょうど8:00を表していて。
岬の携帯と並んで時間を表示していた。


と・・・。


若林の腕時計はまだ8:00を指しているのに、岬の携帯はすでに8:01と表示されていて。


お互い見詰め合う。


暫くの間そうしていて、同じタイミングで2人ため息を吐いた。

「そうだよな、時計って秒針の進み具合までまったく皆一緒ってわけじゃないのに・・・。」
「そうだよな・・・。」

再度、目を合わせてゆっくりとお互い微笑む。

「バカだな、僕って・・・。」
ポツリと岬が溢した。
「そんなことねぇよ。そもそも今まで遅刻ばっかしていた俺が悪いんだし・・・。」
「でも謝らないからね。」
「俺も。」

岬がジッと若林の顔を覗き込んだ。
「身体すっかり冷え切っちゃったね。」
手袋に包まれて暖かい岬の手は、冷たく冷えた若林の手をギュッと包み込んだ。
そんな岬を見下ろしながら若林は岬に聞いた。
「さっき、一度帰ったって・・・。」
「うん・・・。」
「何故、戻ってきたんだ?」
「なんとなく・・・。」
「なんとなく?」
「うん・・・。若林くんがなんとなくずっと寒い空の下で僕を待っているのがわかったから・・・。」
岬の言葉に身体は寒いが、心の方は暖かくなったのを感じた若林だった。
「もしかして、岬が先に帰ったのに気が付いて、帰っちゃったか、岬の家に行ったかもしれないのに?」
「若林くんなら、ずっと待ってる気がした。」
「そうか・・・。」
それから暫くはお互いずっと黙ったまま手を握り合っていた。


気が付けば雪も止んでいて、冷たい北風ももう吹いていなかった。
手を繋いだまま一緒に歩き出した。
「ねぇ、若林くん。」
「なんだ?」
「若林くんこそ手袋してないよね・・。」
「あぁ、俺も無くしちゃたんだ。」
ニカッと今までとは違う笑顔を若林は見せた。
「じゃあ、今度僕が買ってあげるよ。プレゼントに。」
多少体温が伝わって暖かくなった手をさらにギュッと握り締めた。
「何のプレゼントだ?」
不思議そうに若林は聞いた。
「う〜〜〜〜ん。」
空いた方の手で顎を指で押さえながら暫く考えて岬は答えた。
「僕を1時間待っていたお礼。」
「なんだ、そりゃ?」
「だって若林くんの性格だと、帰っちゃいそうだもん。」
「なんだとぉ!」
思わず若林は繋いでいた手を外して岬の首を締めた。
「く・・・くるしいってぇ〜!」
「俺だってちゃんと岬を待てるさ!」
すぐに力を緩めるが、腕はそのまま岬の首に回したままだった。
「若林くん・・・すっかり身体の芯まで冷えてるね。」
「まあな。でも今から温まるから。」
岬を見つめてニヤリとする。
とたんにボッと湯気が岬の頭から出た。
「なぁ〜〜〜に考えてんだよ、みさきくんvv」
「だって若林くんが意味深な顔するから!!」
ちょっと怒りながら岬は若林の腕をぎゅっとつねった。それは服の上からでも痛かったらしい。若林の顔が歪む。
「だから、最初予定していた、鍋の美味しい店はここから遠いから今からじゃあ間に合わないけど、美味しい日本酒が揃っている居酒屋がこの近くにあるんだ?いくだろ?」
とたんに岬の顔に笑顔が戻る。
「居酒屋?久しぶりだね。いくいく!!」
「じゃあ、そうと決まれば急ごう。そこ、人気あるからすぐにいっぱいになっちまうんだ。席なくなっちまう。」
岬に腕を回したまま走り出した若林に岬があわてて抗議する。
「ちょっと若林くん、ちょっとぉぉ〜〜〜!」
半ば引きづられるようにして走る岬に若林は笑いながら内心誓う。



今日も遅刻したつもりはないけど、今度から本当に気をつけるな。お互い待つの辛いもんな・・・。






END