七夕よりも



練習が終わりロッカーで着替えをしていたら、ふと石崎が慌てているのが目に入った。いつもはおしゃべりばかりしていてロッカー室を出るのが一番最後になるのが通例だというのに、一体どうしたことか。
不思議に思って石崎を見ていた岬にその横にいる浦辺との会話が耳に入った。
「おーおー、慌てちゃって・・・。嫌だねぇ〜、彼女持ちは!」
「うっせいなぁ!悔しかったらお前もさっさと彼女作ればいいだろうが!」
どうやら、「やるもんだねぇ〜v」と皆から囃し立てられながらも練習の合間にちょくちょく差し入れを持ってきてくれるあの元気な彼女と今から会う予定らしい。この時間から言えばデートというのだろうか。
いいね、幸せそうだね。と思いながら二人を見ていると、シャツははみ出し、ジーンズも裾が片方折れ曲がったままの着替えが終わったといえるのかどうか怪しい格好で石崎は飛び出すようにドアを開けて駆け出していった。
そういえば、練習がいつもより30分遅く終わったから、きっと待ち合わせ時間ギリギリになったのだろう。
と、思っていたらまだバタンと大きなドアの開く音がする。
皆がその音に驚き一斉に音のした方を振り向くと、音を立てた本人はあわてて自分のロッカーに戻り、またまたロッカーを開けるのにバタンと大きな音を室内に響かせた。
一体何やってんだ、お前は。の回りの突っ込みも無視し、石崎は奥から何かを取り出すとそれをこれまた慌ててカバンに詰めてロッカーのドアもしめずにバタバタと今度は違う音をたてながら部屋を出て行った。
「なんだったんだ・・・。」
ぼそりとチームキャプテンが呟く。
皆あっけにとられながらも、その後何事もなくそれぞれの帰宅の準備をした。




岬は、石崎に対し浦辺とは反対側の位置にいた為、そっと開け放たれたロッカーのドアをそっとしめようとした。
ゆらゆらとゆれたままのロッカーのドアを手に掛けた時、足元に落ちていた紙切れに気が付いた。
さっき石崎が何かをカバンに詰め込む時、落としたのだろう。
まだ嵌めていなかったコットンパンツの釦を嵌めながら屈みこみ、その紙切れを拾った。
「あ・・・。」
内容を見るつもりはなかったのだが、ついつい目に入ってしまった。
どうやら、それは今日彼女に渡す予定だっただろう、カードだった。
字が下手だからと、いつも溢していた石崎が丁寧に書いたのだろう、上手とはいえないまでも読みやすい文字が、淡い、しかし夜をイメージしただろう空の絵のカードに書かれていた。そのカードの下の方には笹の絵が描かれている。
「あぁ〜・・・そっか。」
岬はそのカードに描かれたイラストと石崎の優しさが溢れた文字に、今日が何の日だったのか、思い出した。
そして、改めて入り口ドアの横に張られているカレンダーを見る。
そのカレンダーにもこの日をイメージしているのか、イラストに優しげな表情の男女が描かれているのを見つけた。
誰が持ってきたんだっけ、このカレンダーは。と年初めを思い出そうとしてそれは失敗をしたが、岬はまぁ、いいかと改めてそのカレンダーを見つめた。
この日に渡す石崎の彼女へのプレゼントの意味合いはよくわからないし、大事なカードを落として行ったのだが、岬はそんなことはどうでもいいような気がした。
この日。
7月7日は七夕の日だった。









自宅への帰り道。
すっかり夏日になり、陽の暮れるのが遅くなったとはいえ、もう辺りはかなり暗くすでに外套が灯っていた。
あまり広くなく、車もほとんど通らない道を一人で帰る。
あの後、タイミング良くなのか電車に乗っている間に夕立があったものだから、服は濡れずにすんだのだが地面はかなり濡れている。しかし、生憎、暑さが引くまでの長い時間は降らなかった。おかげで反って昼間より蒸し暑くなってしまった感がある。
駅からの距離はさほどないのだが、額から汗が流れるのは、やはり尋常ではない湿度があるからだろうか。
さっきのロッカー室での冷房が思い出される。電車は帰宅ラッシュの時間帯ではなかったとはいえ、やはり人が溢れかえり、車内の冷房が人から発される熱を収めるまでには至らなかった。
歩きながらかばんからタオルを出して首に掛ける。
練習帰りということでTシャツに薄手の七分長けのパンツとラフとはいえ、首にタオルというちょっと人には見られたくない格好に岬は苦笑いが浮かんだ。
自宅マンションまで大概この時間帯は人に会うことがほとんどないのを知っているからできることなのだが・・・。
額を拭き、今度は反対側の首から流れた汗を拭き。
一通り汗を拭き、少しは気持ち悪さが拭えたところで、つ、と立ち止まってみた。
ちょうど、右側にこじんまりとはしているが、かわいらしい作りの門構えの家の玄関先に、この日を改めて思い出される今時では外に飾る事がめずらしいものが目に入った。
「へぇ〜〜」
それは風に吹かれてサラサラ〜という歌そのままの様子だ。
「めずらしいな、七夕飾りを飾る家って・・。」
ちょっと強い風が吹くと今度はサラサラというよりザワッと笹の葉が音を立てた。
しかし、笹の葉が奏でる音にはどこか優しさが含まれている。あぁ、短冊がいっぱい飾ってあるからか、と岬は思った。
確かにこれ以上ないほどに沢山の飾りが笹の葉に負けなるものかと風に揺れていた。それはもちろん短冊だけではなく、スイカの絵や星型の紙。折り紙で作られた輪っかや飾り切りされたもの。
なぜか靴下の形をした折り紙まであって、ちょっと笑えてしまった。
ここの家の家族はまだまだ子どもが小さいのだろうか、短冊はどうみても大人が書いたものだとわかるものばかり。きっとまだ子どもが小さくて自分では字が書けないのだろう。しかし、そこに書かれている願い事はまぎれもなく子どものもので、「おなかいっぱいケーキが食べたい」とか、「おもちゃがもらえますように」(?)とか。「サッカー選手になりたい」と言うものもあってちょっとうれしくなった。
たくさんの飾りを見てぷっと笑えることもあったのだが、それでも微笑ましい家族が思い描かれて暖かい気持ちに包まれた。
そのたくさんの飾りの上の方に、織姫と彦星をイメージしたのだろう、紙人形が飾られていた。


「年に1度・・・・だっけ。」
そう、呟くと脳裏に何故か遥か遠くでがんばっている彼の人を突然思い出した。
今、向うは昼だろうか。それともまだ午前中だったろうか?
咄嗟のことで日本との時間差がどれだけだったかが思い出せないが、たとえ朝だろうが夜だろうが向こうはサッカー漬けの毎日だろう。


軽くため息を吐くと岬は一歩足を進めた。そして、そのままゆっくりと歩き始めた。
今、このまま考え出したら会いたくなってしまうから、何も考えないようにしてただひたすら自宅を目指して歩いた。
5分もかからないうちに岬がその暮らしの中心としているマンションが見えた。
今は岬 一郎とも離れひとりで暮らしている。
画家である岬の父親は今だ一人で全国を旅しながら相も変わらず絵を描き続けているはずだった。時々、思い出したようにハガキが届き、また、個展などが開催される時は近況を知らせてくれる。岬が彼の元から離れてすでに3年が経とうとしていたが、すでに慣れてしまったのか特に心配もしていないし、たまに入る連絡に対しても特にあからさまにホッとするわけでもない。
これはドイツにいる恋人のことを考えるのとは大違いだ。もっとも、家族と恋人ではもともと愛情の形が違うのだろうが、それでも岬にはこの違いがただ単に親と恋人という関係の違いだけではないような気がする。
ずっと彼らを見ていて感じる信頼感の違いだろうか。
それとも、ただ単に今だドイツにいる青年と自分との関係に自信が持てないからだろうか。




オートロックのマンション玄関を開け中に入り、ポストを覗く。
電気代の引落とし明細やローン会社の勧誘のハガキ、チームを通しているはずなのに、あらゆる手段を駆使して岬の住所を調べ上げたのだろう、数多くのファンレターがポスト内に詰まるように入っていた。
面倒くさいので、一つ一つを確認せずに束のまま郵便物をまとめてカバンに詰め込んだ。
少しカバンが重くなったが練習疲れの身体の割りには、さほど影響はない様子でエレベーターに乗った。
岬の部屋は12階建てのマンションの5階部分だった。乗ってすぐにチンとエレベータの音がした。
エレベーターホールの前、左右対称になって見えるドアの右側に向かって歩き、鍵を差し込む。がちゃがちゃと音を立てながら後ろを振り返るとお隣さんはまだ帰っていないようでとても静かだった。
一つの階に2軒と、小さなイメージのマンションだったが、中は思ったよりも広く作られていた。しかし、1軒は2DKと家族が住むのにはあまり適さない間取りはほとんどの者が独身で、その為か住人に会うことはほとんどなかった。
前回、お隣さんと挨拶をかわしたのはいつだったっけと先週を思い出しながら、自宅ドアを開けると見た目より軽いドアが風に押されて思いっきり開いた。
ぴゅうっっと音が耳に入って少しドアに身体が押された。
朝、出かけに窓を開け放したままだったのを思い出す。
その風の勢いに負けて、カバンから頭の出ていたハガキが数枚飛ばされた。
「あっ・・・・っと。」
慌てる必要などまったくないのについつい慌ててそれらを拾った。3枚ほど飛ばされていたが、そのうちの1枚はエレベータ前まで飛ばされてしまった。
肩にかかったカバンから再度ハガキが落ちないように気をつけて屈み、しかし、最後のハガキを取ろうとしてそのまま固まってしまった。
絵葉書になっている裏の風景に見覚えがあったから。

それは、もう5年以上も昔、中学生だった自分達が再会を果たした場所。
今も変わらないで存在しているらしい、公園がそこにあった。
あの時はただの友人として、自分からその当時父親の留学先であったパリから彼に会いに行ったっけ、と昔を思い出した。
そして、自分はその夏の終わりに日本に帰って、3年が経ち。
高校を卒業してから再会。その後、翼の結婚を機に彼から告白を受けて。
ハガキが描かれている場所に行かなくなって、もう5年以上経っていたのだが、、その間に自分達の関係もすっかり変わったことまで思い出した。
ハガキを手に取ると、先ほど余所の玄関先にあった笹の葉を眺めて感傷に浸りそうだったのを我慢したことまで思い出した。
考えないようにしていたのに。
それは思い出したら、考え出したら止まらなくなった。
慌ててそのハガキを掴むと走るようにして家の中に入った。
投げ出すようにして靴を脱ぎ、そのままリビングのソファに突っ伏す。

前回会ったのはいつだったっけ。
一緒の食事で食べたものは何だったっけ・・・。
考えたら考えただけ彼とのことが脳裏に溢れかえった。
男なんだから、泣いたらおかしいだろうと思いながらもポロリと涙が零れた。
それこそ、織姫と彦星のように1年以上会っていない。
しかし、織姫と彦星は七夕の今日、今は雲ひとつない空の上、あの満天に輝いている天の川で会っているのだろう。
それに比べて自分はまだ次にいつ会えるのかがわからない。
それとも、もう会うことはないのだろうか。
情けない事にポロポロと零れだしたら止まらなくなった雫を拭う事もできずに、ただただ昔楽しく一緒にサッカーをした公園の風景を眺めた。
おかしい。こんなことで弱気になるなんていつもの自分とは思えないのに。
そう頭の隅で思いながらも、いまだ普段の自分らしからぬ心の弱さから抜け出せないでいた。





いつの間にか寝てしまったのか、気が付いたらポケットに入っていた携帯からなにやら音楽が流れていた。
がばっと慌てて起き出して、一瞬何が起こったのかわかなかったので頭をキョロキョロと振る。
あぁ、携帯が鳴っていたんだなと少しずつ思考がクリアになり、今だ鳴っていた携帯をポケットから取り出した。
受信中の絵が描かれている画面を見て、驚く。
先ほどまで会えないと思って泣き過していた相手の名前がそこにあった。
恐る恐るスイッチを入れると携帯を耳にあてた。


「よぉ、岬。元気か?」
当然といえば当然なのだが、今までの岬の様子などまったく知らない様子で遠く離れた恋人、若林の明るい声が岬の耳に入ってきた。
それは、久しぶりのことでもあり、突然のことでもある為、逆に若林の声が遠く感じられたほとだった。
「ぅ・・・・ん。元気だよ!」
「そうか、今そっちは、もう夜なんだよな!」
そういえば先ほど泣きつかれてそのまま眠ってしまった為に今何時だかがわからなかった。くるっと後ろを振り返ると壁に掛かった時計がすでに10時を表していた。
帰宅したまま寝てしまってからかなり経っている。
若林にはそんなことはわからないのだが、何故か赤面してしまった。
「え・・・・っと、10時・・かな・・。」
「なんだぁ〜〜。やけに元気ないじゃないか!どうした。何かチョンボでもしたか?」
カラカラと笑う若林に元気のない理由を言えずにつられて笑うことができなかった。
「ど・・・どうしたのさ、急に電話なんかして・・・。いつも電話なんかしてこないくせに!」
誤魔化すように多少強い口調で返す。
「いやな、ハガキそっちに着いた頃かな〜〜〜って思って。」
そのセリフにさっき自分が落ち込んだ原因になったハガキを見つめる。
裏に公園が描かれている他に表には近況報告が書かれている普通のハガキだが、よくよく考えれば若林がハガキを書くこと自体が、ものすごく珍しい事だった。
「あ・・・ハガキ・・・。着てるけど・・・。」
「それにさぁ〜〜〜、書き忘れたことがあって・・・さ。」
遠くで大勢の声が聞こえる。それは怒鳴り声や、掛け声、いろいろと混じっていた為、どうやら練習場からというのが想像できた。
「何・・・。書き忘れって・・。」
久しぶりということが嬉しいのは嬉しいのだが、今だ先ほどの感情から抜け出せないので、どうも返事が中途半端になってしまう。
「今度の日曜日、空いてるか?」
咄嗟にカレンダーを仰ぎ見る。
そこには特に何も予定が書かれていない空欄が目に入った。
「うん・・・。特に予定はないけど・・・。一体何さ?」
「そっちに着くのが日曜日になるから・・・さ。」
「え・・・・??」
若林の言わんとしている事がよくわからない。
再度聞き直した。
「何・・・?」
「だから、そっちに着くのが日曜日になるってことだよ!」
「えぇ!!」
ついつい声が大きくなってしまう。
「空港に朝8:00!わかったな!それから1週間は滞在するから部屋片付けとけよ!おっと、休憩時間が終わりだ。じゃあな、待ってろよ!」
そういうと携帯を落としたのが耳障りな音が聞こえたかと思うとプツリと切れた。
「いったい・・・・・。空港に8:00・・・・だって・・・。」
ポツリと漏らすと先ほどまでの暗い気持ちはどこへやら、頬には赤みが差していた。
織姫や彦星以上に幸せな自分に苦笑いを浮かべた。




END




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今頃ごめんなさい.(土下座)