ー番外編1ー




枯葉が舞い、寒さが身に滲みるようになった秋も終わり。
その寒さを微塵にも感じていないほどの元気な声がグランドに響いた。
「それっ。そっちにボールがいったぞ!」
「シュートだっ!!」
サッカー少年達は寒さ知らずとばかりに、走り回っていた。






「じゃあ、日向さん。また、明日!」
「あぁ。また明日な!」

大きな声で別れを交わすと、お互いにそれぞれの家路へと向かった。
まだ身体は熱ってはいるが、汗が寒さを呼び寄せる。
ぶるっと身体を軽く震わせると、日向は、ボールを蹴る足のスピードを速めた。ともすれば、ボールは道を逸れて車道か側溝に落ちてしまうのが当たり前にも思えるスピードだったが、小学生にしては格段に上手い彼のボール捌きはそれを許さなかった。

すぐに彼の家となっているアパートに着く。

「あ、兄ちゃん!」

日向の一番下の妹、直子が彼を見つけて走り出す。まるで父親を待っていたように。
それも当たり前か。彼は今、アパートの外で遊んでいる弟や妹の父親代わりでもあるのだ。周りはそうは思っていないのかもしれないが、この兄弟達からすればそうなのだろう。
小次郎のすぐ下の弟、尊も長男の小次郎のことをとても慕い、尊敬している。

「兄ちゃん、おかえり!」

三男の勝も、走り出して転びそうになった末っ子を助けながら、兄を向かえる。

「母ちゃんは?」

日向家を支える大人は、今は母親しかいない。その母親も、家族を養うために懸命に働く為、帰りが遅い。
だから日向が父親代わりとは言っても、やっていることはどちらかといえば母親に近いのかもしれない。

「母ちゃんは、仕事からまだ帰ってこないよ・・・。」

寂しそうに直子が言う。
まだまだお母さんに甘えたい年頃を終えていないのだから当たり前だろう。
それに釣られて他の弟達も元気がなくなる。

「そうか・・・。お前達、おやつは食べたか?」
「うぅん。」

仕方がないと頷くしかできない小次郎は、とりあえず幼い弟達の空かした腹を満たしてやろうと兄弟を家の中へ連れ入れる。

「仕方ねぇ。・・・・・兄ちゃんも今から新聞配達があるんだ。お前達、悪いがおやつ食べたらまた3人で遊んでてくれるか?」

ポンと尊の頭を撫でると、日向はいつもおやつがしまってある戸棚を開けた。
弟達は、寂しいのを我慢して日向の出してくれたおやつをテーブルの上にのせ、微笑む。

「兄ちゃん、大丈夫だよ。3人でいるから・・・。」

明らかに無理をしているのがわかる笑顔だったが、その笑顔に甘えて、外に出て行くしかなかった。

「留守を頼むな・・・・。」







日向は新聞配達だけでなく、その後、屋台の仕事も手伝っている。
自分も軽く腹を満たすと、二つのバイトをこなすべく、そのまますぐに家を出た。























ガチャンと音を立ててビール瓶の入ったケースを屋台の裏側へと移す。
大人でもそれなりの重さがあるのだが、日向はこれこそ体力がつくだろうと、自ら進んで力仕事を行う。もちろん、家計の手助けもあるのだから、多少過酷でもどんどん仕事をこなした方がいいのも当然だが。
屋台の親父も日向の家庭の事情は充分周知していた。だからこそ、『お手伝い』の名目で本来なら小学生ということで頼めないはずの仕事を頼んでいる。

「ふぅ」と大きく息を吐くと、日向の後ろから声が掛かった。

「小次郎、ちょっと休憩していいぞ!」
「はいっ」

屋台から少し離れた位置の、空瓶ケースの山の横に置かれた木箱に腰を下ろすと首に巻いているタオルで汗を拭いた。
やはり夜になると寒さは一段と増すせいか、屋台には数人の仕事帰りのサラリーマン達が温かいおでんで身体を温めている。
自分は弁当さえない。
育ち盛りの日向には多少酷な状況ではあるが、あと少しで仕事も終わりだ。もう少しの辛抱と、グルルと鳴る腹を摩った。
目を瞑って休んでいると、ふわりといい匂いが鼻を刺激した。
匂いに思わず顔を上げれば、目の前におでんの入った器が差し出されていた。気のいい親父が商売品である温かいおでんを一杯、日向に分けてくれたのだ。

「喰っていいぞ。」
「でも・・・。」
「小学生が遠慮するな!」
「はい。」
「なに、いつも頑張ってくれているからな。ちゃんとバイト料とは別に俺からの奢りだ。心配するな。」
「・・・・ありがとうございます!」

にっこりと、いかにも人のいい笑顔を向けられて日向も素直に器を受け取った。

「おでんをください。」

そこへ暗い夜の時間帯には不似合いなちょっと高いトーンの声が暖簾の向こうから聞こえてきた。
新しく来たお客に親父も素早く屋台に戻る。

「なんだ、お前さん。お使いかい?」

親父の反応に相手が子どもだとわかると日向も気になり、器を手にしたまま屋台の方を覗いた。
場所は家からそう遠くないまだ学区内だし、声も聞いたことがあるような気がしたのだ。

「あれ?小次郎・・・?」

先に相手の方が日向に気が付いたようだ。名前を呼ばれた。
ということは、やはり日向の知り合いだと言う事になる。しかも、相手は『日向』ではなく、『小次郎』と呼ぶ。
5年生でも6年生に負けないほどの運動能力とその気迫で日向のことを名前で呼ぶ人間はほとんどいない。殆どの者が『日向さん』と呼んだ。
しかも、加えて明るさと気安さを持って名前を呼ぶ人間は日向の知る限りでは一人しかいなかった。

「岬か・・・。どうしたんだ、こんな時間に。」

転校してきてまだそう一月も経たない、新しい友人と呼ぶにはまだ慣れないクラスメートの岬だった。
しかし、転校してきてすぐに他のクラスメートに馴染んでしまったその親しみやすさ、人の良さに、多少勘に触る部分がないわけではないが、それでも彼のサッカーには認めざるを得ない実力があり、サッカークラブではいいチームメイトになった。サッカーに対する姿勢で衝突することは多少あったとしても、それら全てを否定するほど日向も幼くはない。きちんと挨拶もするし、言葉も交わす。況してや彼の出すパスは、実際とてもシュートがしやすかった。
岬の方も彼の出すボールを見事に決めてくれる日向に、彼なりに喜びがあるようで、一見、冷たい態度の日向にも遠慮なく接してくる。

「小次郎こそ・・・。どうしたのさ、君も買い物?」
「いや・・・・。俺は・・・・。」

こんな時間に働いている事が学校にばれるのは憚れた。
自分が怒られるのは構わないが、事情が事情でもやはり母親や自分を雇ってくれている人達にも御咎めがあるのは目に見えている。
黙認してくれている大人もいないわけではないが、あまり公になってしまっては拙い。

「もしかして、働いているの?」
「・・・!」

口篭っていたことで察しられたのか、岬の言葉から「働いている」という言葉が出てしまった。
どうしようかと、日向らしくなく目が泳ぐ。
それに気が付いた岬がクスリと笑った。

「大丈夫だよ、先生には言わないよ?」
「・・・・本当か?」

ギロリと睨むがそれは岬には効かないらしい。
岬は笑顔のまま首を縦に振る。

「君の家の事情は多少なりとも聞いているから・・・・。それにわかるよ、ちょっと違うけど、僕のとこも父さんしかいないから・・・。ま、僕の場合、僕は家のことしかしないけどね。」

屈託なく笑う岬に、日向は意外だと驚く。

「あれ?知らなかった?そっか、まだそんなに話をしたことなかったから、当然か・・・。」

突然のやりとりを始めた二人に屋台の親父が多少、戸惑う。

「えっ・・・と、小次郎の彼女か?こんな遅い時間に外出て大丈夫か、今から食べていくのか?」
「何言ってんだ、おやっさん。こいつはただのクラスメートだし、きちんと男だ。」
「あの・・・・。一人分だけど・・・・・。持ち帰りたいんですけど、いいですか?」
「あぁ、悪ぃ、悪ぃ・・・。一人分でももちろん構わないさ。ちょっと待ってろ。今、用意してやるから。」

男にしては優しい顔立ちに多少戸惑って岬に声を掛けた親父だが、岬が頭を下げると新たに気を利かせてくれた。

「まだ休憩していていいぞ、小次郎。こっちで用意している間、話でもしていろ。」
「・・・・・・別に話すことなんか、ないし・・・。」
「ありがとう、おじさん!」

語尾を濁してごにょごにょ言う日向を余所に岬の方が明るく返事をする。
仕方なし、と日向は先ほど自分が休憩していた木箱の方へと岬を連れて行く。

「このこと、みんな知ってるんじゃないの?」
「チームのやつらは大抵知ってるが、みんな先生には言わない。お前も・・・。」
「さっきも言ったろ。先生には言わないよ。」
「なら、いい・・・。」

話をしながら日向は座った木箱の横にちょっとスペースを空けて岬を促す。
素直に岬は日向に並んで座った。

「お前こそ、普通こんなところに子どもが買い物に来るか?」
「練習の帰りにこの道を通ったら店の準備をしていたのが見えたから。なんだか食べたくなって・・・。この時間帯ならもうやっているかと思ってさ。」
「でも、お前んち、晩ご飯はどうしたんだよ。」

日向はため息を吐いた。
時間帯ももちろんだし、ヨッパイがいるだろう屋台に子どもにお使いを出すとは、いくら父子二人暮しだとしてもどうかと、自分を差し置いて日向は思う。

「今、父さんいないんだ。だから僕一人でおでん!」
「え?」
「展覧会の打ち合わせで、今、家にいないんだ。来週には帰ってくると思うけど・・・。」
「来週って、今、お前、家に一人なのか?お前の親父さんって仕事何してるんだよ?」

お互い母親のみ、父親のみの家庭環境だからわからないわけではないが、それでも1週間近くも子どもを一人にしている父親はどうか、と日向は思う。
それだけ、ハードな仕事なのだろうか。しかも、展覧会っていうのは、一体どんな仕事なのだろうか。

「僕の父さん、風景画家なんだ。日本中あちこちまわって、いろいろな景色を描くのが仕事。で、時々、個展を開催してもらったり、展覧会に出品したり、やっぱり日本のあちこちに行ったり来たり。」
「だから転校が多いって言ってたのか。」

他のクラスメートと岬の会話を思い出す。
日向は遠めで聞いていたからよく意味がわからなかったが、どうやら岬は転校が多いらしいことを話していた。それの意味が漸くわかった。

「うん、いつもはきちんと晩ご飯の準備をするけど、一人分だけ作ってもつまんないし・・・。で、美味しそうな匂いがして食べたくなったから今日はおでん!」
「あぁ・・・・。そういうことか。」

漸く岬が夜遅くに屋台に来た理由がわかった。

たった一人、静かな部屋で食べる一人きりの晩ごはん。

自分も帰ってからの晩ご飯なので、遅いのは遅いのだが、それでもまだ寝ていないだろう兄弟が待っている。
お腹が空いているということで先に晩ご飯は食べているだろうが、母親が夜出かけることはなく、自分の帰りを待っていてくれる。そして、明るい兄弟達の声。
岬のように、日本をあちこちと移動することはない。貧しくもずっと続く明るい我が家。

似たように思える家庭環境でも、ずいぶんと違うと日向は思った。

一人きりの寂しい晩ご飯。
それを当たり前のように過している岬。

気に入らないところはあるけど、それでも気になって。



日向にしては、自分でも意外な言葉を口から発していた。


「明日は屋台休みだから。俺ん家、来ないか?」

岬も日向の言葉が意外だったらしく目を丸くしている。
が、それもすぐに嬉しさを隠せないほどに柔らかくなる。

「うん・・・。いいの?迷惑じゃ・・・。」
「大丈夫だ。ただ弟達がいるから煩いが、それでもいいなら。」
「ありがとう!」






ほどなくして、用意された温かいおでんを持って岬は暗い道を帰っていった。
親父が「気をつけて帰れよ!」と声を掛けている。

日向は岬の背中を見送りながら、自分でも先ほど発した言葉を不思議に思っていた。
家庭のために働いて、将来、家族を楽にしたくて頑張っているサッカーを優先してあまり友人と親しくすることのなかった自分。
それが、さっきの言葉はどう考えても遠いはずの岬との関係を一気に近づけようとしている。
ありえない、と自嘲したが、嫌ではなかった。

日向は明日が楽しみになった。




07.4.13




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すみません。突然、番外編・・・。