初恋 ―養育編―(小学生編)



春の風が心地よく、空を見上げると真っ白な雲がゆっくりと流れていた。その間を縫うように桜の花びらがちらちらと舞っている。
岬と若林が出会ってもうすぐ3年が過ぎようとしていた。
あの時は岬の涙によって『南葛園』を残す事とした若林だが、計画を変えてよかったと今は思っている。
特別養護老人施設の建設計画で潰される予定だった『南葛園』は、老人達だけでなく子ども達も一緒に生活ができるような建物に変わっていた。
建物自体も広く設計され、庭も桜の木々をはじめ沢山の植物に囲まれて今でいう”癒し”の空間になっていた。



そんな中、明るい声が庭に響いていた。
「はやいよなぁ。もう岬も小学2年生か。」
若林はそう呟くと少し向こうで遊んでいる楽しそうな声に目をやった。
若林が今、名前を呼んだ岬がいる。舞っている桜の花びらを取ろうと手を振ったり、ジャンプしたり。子どもらしいと若林は思った。
二人は『南葛園』の庭でゆったりとした時間を過ごしていた。岬の遊んでいる様を見ながら若林はごろっと木の陰で横になる。
あふ・・・と欠伸がでてしまう。ちょっと夢でも見ようかと瞼を閉じようとすると足元でガサッと草の擦れる音がした。気が付くと、いつの間にか岬が若林の傍に来ていた。
「見て見て、お兄ちゃん。こんなに取れたんだよvv」
握っていた手のひらをゆっくりと広げると、中には薄桃色の小さな花びらが何枚も見てとれた。ちょっと自慢げに若林の顔を覗き込む。
「ほぉ、器用だな。そうやって枯葉を取るボクシング漫画があったが、岬はボクサーになるのか?」
ちょっといたずらっぽく言うと、岬はぷぅっと頬を膨らましてそっぽを向いてしまった。
「意地悪だな〜。お兄ちゃんは!僕が大きくなったら何になりたいか、知ってるでしょう!」
「え〜〜〜っと、なんだっけ?プロレスラーか?」
これまたいつも岬から聞かされて知ってるものを、若林はわざと知らない振りをする。
とたんに岬はボンッっと若林の足の上に乗っかって抗議した。
「サッカー選手だっての知ってるだろ〜!!ほんっとに意地悪だな〜〜!もう、お兄ちゃんなんて嫌いだ!」
バンバンと若林の胸を叩く岬に、若林は優しく微笑む。
「でもねぇ、サッカー選手を辞めたら、次はお兄ちゃんの会社に入るからね。いいっ。ちゃんと会社に入れてよ!」
「はいはい。わかりました。我侭なお坊ちゃまvでもそれなら勉強もがんばらないとな。」
「平気だも〜〜ん。僕、勉強も好きだモンvそれにわからないとこはお兄ちゃんが教えてくれるんでしょうvv」
「そうだな・・・。」
岬を上に乗せたまま、若林はゆっくりと夢の中へと入って行った。





桜も緑の葉が目に付きだした新学期が始まってしばらくした頃。
若林は仕事を終え、岬のいる『南葛園』に向かおうとしていた。もうすぐ岬が学校から帰ってくる時間だ。新しい学年、新しいクラスになってどうかと親以上に要らぬ心配をしている若林は、毎日『南葛園』を訪れ、岬の学校の様子を聞いているのだ。
そこへ、後ろから声が掛かった。重厚な響きのある声だった。その声に若林の動きが止まる。
「今度こそ、ちゃんと会うんだ。いいな、源三。!向こう側も痺れをしらしてしまうぞ!」
ピクッと眉間に皺を寄せながら若林は向きを変えて、相手に食って掛かる。
「もう、何度も言ったはずです。お父さん!俺は見合いなど、するつもりはありません!!早く断ってください!」
「いいかげんにしないか、源三!!お前、いつになったら落ち着くんだ。役員が独身のままだと会社の者だって付いていかんわっ!お前がきちんと身を固めたら、今行ってる事業を正式に独立させて新たな会社として、お前に全部任せるつもりなのはわかってるだろうが!」
「別に今のままでいいです。十分に今の状態でやっていけてますから。次の短期療養型施設の建設も順調ですし、すでにそこの問い合わせもあるぐらいなんです。」
自信有りげに答えるが、それはいくつかの会社のトップとしてやっている父親には通用しなかった。
「今の話をしている訳ではないっ。先の話をしているんだ!」
もう、若林も父親も沸騰寸前だった。しかし、ここで言い争いをしていても時間の無駄だと若林は踏んだ。岬が『南葛園』に着いてしまう。どこかへ遊びに行く前に『南葛園』に行かなければ。
「もういいです。俺は出かけるんです。その話はまた今度にしてください!」
踵を返すとバタンと大きな音を上げてドアを開けた。
「いつまでも子どもの相手ばかりしていると結婚相手がそのうちいなくなるぞ!!」
父親の怒鳴り声はそのまま無視をして、若林は早足で外へ出て行った。








「あぁ、すっかり遅くなってしまったな。岬のヤツ、もうどこかへ遊びにいってしまったかな・・・。」
言葉ではそう言ったものの、若林はここ最近毎日『南葛園』に行っているので、岬は自分が来るのを待っていると何故かそうわかっていた。
いつも「こんにちはv」と明るい笑顔で出迎えてくれて、そして「あのね、そのね」と止め処なくしゃべり続けて、それでもまだ何か言いたそうに腕にまとわりついて・・・。
岬の笑顔が見られるならなんでもしてやろうと思っていた。どこのご令嬢だか知らないが、そんな表向きだけで中味はわからない女なんかより岬と一緒に時間を過ごしていたかった。岬がいればそれでいいと思っていた。
いろいろな思いをめぐらしながら、若林はハンドルを握る手に力を入れる。
もう少しで『南葛園』につく。あと30分もしたら、もう岬のいる『南葛園』だ。
と、そこへ助手席に置いてあった携帯が鳴った。
(どうせまた親父だろう。)
と出るのを止めておいた。それはしかし、後になって若林は後悔することになるのだが。
漸く『南葛園』の駐車場に車を着けると、あわてて、それでもそれを回りに悟られないように早足で歩いた。
建物に入るといきなり近くの職員があわてた風に若林の腕を取った。
「よかった。さっきから若林さんの携帯に電話をしてたのですが、繋がらなかったものだからどうしよかと思いましたよ。」
えっと若林は思った。さっきから携帯で呼び出していたのはこちらからだったのか、と。
「どうしたんだ?」
「はい。さっき学校から電話があって岬くんがケガをして病院に運ばれたそうです。友達と学校の階段から落ちたようで、かなりの重症らしいんです・・。一刻も早く若林さんに連絡を取らなきゃってさっきから皆で捜してたんですよ。今、園長も出かける支度をしています。一緒に病院に行ってください。病院の名前はこちらです。」
学校から連絡された内容のメモだろう。殴り書きされていて読みにくいがなんとか病院の名前は読み取ることが出来た。
しかし、その文字も若林の頭には入ってこないような状態だった。一瞬、目の前が真っ暗になったかと若林は感じた。立っている感触が足にはない。
(岬がケガ!!それも重症!一体何があったんだ?友達と階段から落ちたって。突き落とされでもしたのか?いいや。それよりも大丈夫なのか?あぁ、さっきの携帯に出ていたらもうすでに病院に行ってたのに・・・。岬のそばに行けたのに。)
メモにあった病院は先ほど若林が飛び出してきた会社のすぐ傍にあった。父親とやりあって興奮していた為に大事な電話に出なかったのが悔やまれた。それがたとえ一刻を争うものでなかったとしても。
朦朧とただメモを持って立ち尽くしているいる若林の元へ身支度を整えた園長が急ぎ足でやって来た。職員と若林を見つけるとまずはほっとした表情になる。
「若林さん見つかったんですね。よかった。若林さん、病院に行きたいのですがいいですか?都合は・・・いいですよね。」
いつも忙しい若林だが、それでもこの時間は大概この『南葛園』に来ているので都合は大丈夫だろう。そう思いながらも園長は一応聞いてみる。
それにハッと、若林は現実に引き戻された。
「どうなんですか?岬は・・・。」
苦渋の顔つきで若林は園長に問うてみた。
「はい。私も詳しい事はまだわからないんですが、どうやら友達がふざけて階段から落ちそうだったのを助けようとしたらしいんです。それが、その友達が上にかぶさる形になってしまって一緒に階段から落ちたみたいで・・・。今、病院で手術をしていると学校の先生から連絡がありました。」
(なんだって!!)
手術の言葉に一層険しい表情になる。
「そんなにひどいのか?」
「どの程度なのか、それは私にも・・・。とりあえず、行きましょう。」
1分1秒も勿体無い。早く岬の元へと行かなければ。
慌てて若林は車のキーをポケットから出した。




病院に着き、若林と園長は受付で搬入先を聞くと1番奥の手術室の前で待機するようにと言われた。まだ、手術は終わってないようだった。
『走るな!』の張り紙も目に入らずに若林と園長は奥の手術室の前まで急いだ。
そこには学校の先生と思しき人物と一緒に階段から落ちたらしい友だちが数人、そしてその母親と思われる女の人達が長椅子に座っていた。皆頭を項垂れていて・・・、責任を感じてるのか、母親に縋って泣いていた子もいた。その頭には包帯が巻かれていて腕も折れたのか吊っていた。かすり傷程度の子もいたが、かなりひどい状態だったのが想像できた。
予想はしていたが、その重々しい雰囲気に二人は立ち止まってしまった。
それに気が付いた先生らしき人物がゆっくりと声を掛けた。
「あの・・・・岬くんの保護者の方・・・ですか。私、担任の深田と申します。今回は本当に・・・どう申し開きしてよいか・・・・。こんなことになったのは・・・私の責任です。」
深々と頭を下げるがそれよりもなによりも、若林は何が起こったのか、それが知りたかった。
小さな声で、それでもなんとか聞こえるように担任の深田先生は話した。
先生の説明によるとどうやら放課後、皆が帰り支度を終え下校する時にそれは起こったようだ。たまたま廊下でふざけ合っていた数人が階段の上でもつれてバランスを失った時、そばにいた岬が助けようとして一緒に落ちてしまったらしい。その時、かなりの勢いで落ち、しかも岬がその大勢の友だちの下敷きになってしまった。上の方に重なった子はかすり傷ですんだのだが、1番下になってしまった岬は、先生が駆けつけた時にはすでに意識がなかった。
話し終わると友だちが泣きながら若林と園長に向かって頭を下げた。それぞれに噛み殺すような、震える声で「ごめんなさい。」と。
若林はその友だちに腹が立つよりもそれよりも、岬のその行為に感動した。
(普通なら危ないからってふざけている子を避けたりするのに、助けようなんて。優しい子だな・・・。)
そんな優しい子なら大丈夫だろう。神様はきっと助けてくれるだろう。若林は信仰心が強いわけではなかったがむしょうにそう信じることができた。
しかし、やはり心配なのは心配だった。病院が禁煙なのを忘れてついついタバコに手を伸ばしてしまう。岬と出会ってからは、岬の前では吸わないようにとかなり本数も減ってタバコを手にしなくても平気になっていたのだったのが、注意されるまでタバコを手にしているのに気が付かなかった。
(いかんな・・・。)
岬のことになるとどうやら前後不覚になるらしいのを、改めて若林は自覚した。

それから30分経った頃だろうか。手術中のランプが消えた。そこにいた者全員が立ち上がってドアの前に集まる。
中からベッドに寝かされた岬が運ばれて、一緒に手術を担当した医師が出てきた。
その顔は少し疲れた様子だったが、皆を見つけると顔を引き攣らせながらも軽く会釈をした。
若林は医師の顔色を見て嫌な予感がした。
「手術は無事終わりました。2〜3日は集中治療室で様子を見ます。そこで順調ならばすぐにでも普通の病室に入れます。ケガが完全に治るまではまだ暫くかかるでしょう。その間、家族の方はこの子を優しく見守っていてください。」
そこで一旦言葉を止めて・・・そして、今度は重々しい言葉をその乾いた唇から発した。
「それから・・・残念ですが、この子の足ですが・・・、普通の生活には支障ないのですが、思いっきり走ったり跳んだりは無理かと・・・。大腿骨がかなり粉々に砕けてましたので・・・。人工骨を使ったのですが、まだまだ成長途中なのでその都度こちらにも来てもらわなくてはなりません。詳しくはのちほどまた・・。」
そう簡単に告げるとその場を離れた。後は看護婦がいろいろと手続き等についてということで説明をしてくれた。
園長は気丈にもしっかりと看護婦の話を聞いていたが、若林は呆然とその説明を聞いていた。どんな言葉も耳を素通りしていた。
しかし、働かない頭をなんとか使って口を動かし、友だち達にはとりあえず帰ってもらった。何度も謝りながらその場を離れていく彼らを、若林はやはり責める気にはなれなかった。


集中治療室で静かに眠っている岬をガラス越しに眺めながら、若林は岬の夢を思い出していた。
桜の花びらの下、楽しそうに駆けてきて語った夢。



――大きくなったらサッカー選手になるんだ――



若林は一生岬の傍にいようと決意した。





END





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コメント:暗いです。(実は私の本領発揮?)千ちゃんにも言われたけど、暗いです。
しかも、あわてて書いたのがバレバレ・・・。(展開の速いこと速いこと・・・。)
今度は少し落ち着いて書こうかと・・・。(無理かな〜)
そして。岬くん、ごめんなさい。こんなところでもケガをさせてしまいました〜。m(__)m
しかも再起不能状態・・・。あぁぁぁ、皆から石が飛んでくるのが目に見えます。
でも、若林のお世話になって幸せになってね。
次は中学生編です。もう少しお待ちを。(誰も待ってね〜よ!!)