過去と今と未来と2−4
トントンと、近づいてくる足音は一つではなかった。 マリアの父、イネストロはバタンと開かれたドアの方に首を向けた。 「どうした・・・、マリア?」 今だ手にしている包丁の動きは止まらないが、不思議そうに声を掛ける。 その先には、マリアとともにサンジと名乗ることが自らはできない金髪の男が一緒に立っていた。 「サンジさんが、店を見たいって・・・。」 「店を?」 「えぇ・・・・。私がうちはレストランをしているって言ったら、もし自分がコックなら、調理するところや店を見たら何かわかるかもしれないっていうから・・。」 ちょっと困った顔をしてマリアは父に伝える。その横に立つサンジは少し申し訳なさそうに俯いた。 「すみません、マリアさんに聞いたんです。ここ、レストランだって・・・。だから、俺が本当にコックなら、仕事をしている貴方を見て、もしかしらた何か思い出すかもしれないと思い・・・。」 目が覚めてさほど時間が立っていない所為もあるのか、サンジにはあまり覇気が感じられなかったが、それでも本人としてはベッドでただじっとしていられなかったのだろう。 「あ・・・。でも、お邪魔ならいいです。部屋へ戻ります・・・・。」 イネストロは軽く笑うと別に構わないと言う。 「君の体調が悪くなければ、別に構わないさ。見られて困る秘伝の料理があるわけじゃなし。ただ、無理はするなよ。マリアが心配そうな顔をしている。」 苦笑してマリアの方を顎でしゃくるとマリアは顔を赤らめた。 「お父さんっ!サンジさんは、まだ目覚めたばっかりよ。心配なのは当たり前じゃない。」 目を丸くしているサンジを横目にマリアは父に食って掛かった。 「こっちに座んな。どうだ、まだ下拵えの段階だから、見ていても楽しくはないぞ。」 「大丈夫です。・・・・・・ありがとうございます。」 イネストロは包丁でカウンターの隅を指し示して椅子を進めた。 素直に頷くサンジは指定された場所に座った。そこは、普段はよほど客が満杯にならなければ使われないだろう片隅ではあったが、店内がよく見える位置でもあり、またイネストロが作業をしている様子もよくわかる位置だった。 マリアもサンジが心配なのか、隣に座る。 店内を見回したサンジは、コックとしてではなく、純粋にこの店の良さに感心した。 数えるほどしかないテーブルと椅子は、そのまま従業員が見当たらないので、親子二人で切り盛りしているのだろうことが伺えた。カウンターに椅子が10もないし、テーブルも4セットだ。本当に自分達が食っていけるだけの規模だ。 が、小さいながらも小奇麗にしていて気持ちがいい。目が覚めてから様子を見ている限りマリアはとても気が付く娘で、店内が綺麗なのは、このマリアのおかげだろう。 父の方はといえば、サンジを椅子に進めてから、只管野菜を切っていた。今は準備時間なのか、客はいない。時間は夕方前。今は夜に向けての仕込みをしているというところだろうか。 サンジはじっとイネストロの様子を見ていた。 トントンと届く包丁の音が耳に心地良い。なんだか懐かしい気持ちもするのが、自分がコックということが本当だろうということになるのだろうか。まだ、わからない。 一通りの野菜を切り終えると、イネストロは今度はずっと火に掛けていた鍋に向かった。 そういえば、とサンジはそちらに目をやった。なんだかいい匂いがしていたのは、その鍋からだと漸く気づく。 イネストロは切った野菜を鍋に入れた。暫くコトコトと野菜を煮る。 その間にマリアは別の準備があるのか、席を立ち、テーブルの回りを整え始めた。 頃合を見計らい、イネストロは調味料を手にした。 軽量スプーンで塩を入れようとした瞬間、サンジは思わず声を荒げた。 「ちょっと待て!」 突然の声にイネストロの手が止まる。一体何事かと、顔を上げる。 「塩が多い。手で摘んで入れた方が丁度いいぐらいだ。」 突然の指摘にイネストロが目を丸くした。と、同時に眉間に皺を寄せる。一体この若造は何だ、という顔をする。 いつも作っていて評判のいい、野菜の煮込みだ。突然やってきた記憶のない、コックというのも本当かどうかわからない若造に言われることではないと思った。 「悪いが、いつも俺はこれでやっている。調味料の分量も間違っていないはずだ。」 「いや、多い。それより・・・。」 思わず睨んでしまうのは、小さいながらもこの店でずっと料理をしてきた男のプライドだ。 ただ後ろでマリアがはらはらしているのが、目に入った。が、人気料理に口を挟むのは許せなかった。 しかし、サンジもまた相手の言葉を聞き入れるつもりはないのか、突然、カタンと立ち上がり遠慮なくカウンターの中に入ってくる。 一体どうするのか、とイネストロが見ていると、突然、調味料の棚を一巡し、茶色の粉が入ったそれを一つ手に取り、くん、と鼻を鳴らした。自分なりにその調味料に納得できたのか、そのままうんと頷くと手に調味料を振り出す。そして、イネストロが止める間もなく、さっと鍋にその粉を入れてしまった。 「あ・・・!」 そして、鍋の横においてある塩をも一摘み入れてしまう。 そのままおいてあったレードルを使って鍋の中をかき回した。 「おい、いくらお前がマリアが助けたからって、やっていいことと悪いことがあるぞ・・・。」 どうやらイネストロの怒りを買ったようだった。 低い声でサンジを睨みつける。 その様子にマリアが慌てて二人の間に割って入った。 「待って、お父さん。サンジさんに悪気があったわけじゃないわ。今日は許して!」 オロオロするマリアの肩にポンとサンジが手を乗せた。 マリアが振り返るとそこには、最初に店に下りて来た時とはまるで別人の男の笑顔があった。 「大丈夫だよ、マリアさん。ほら、おやじさんも・・・・ちょっと味見してみてくれ。」 そう言って、サンジはマリアの横を通り、イネストロに向かった。 イネストロは納得しかねる、と言った風だが、入ってしまった調味料は出せるわけがない。仕方なく、サンジの促すままに小皿に液体を注いだ。 軽く唇をつけると、む・・・・、と声が詰まった。 「こりゃあ・・・・・。」 思わず、もう一度味見をするべく小皿に舌をのせる。 ゴクリと喉を鳴らすと、イネストロが反射的にサンジに目をやった。 そこには自分よりもはるかに優れたコックの顔をした男が立っている。 こいつは・・・・。 イネストロが目を見開く。 マリアは父親の変化に一体どうしたのか、と不安そうだ。 「マリア・・・、こいつを飲んでみな・・・。」 黙って自分を見詰めていた娘に同じように鍋に入っている液体を小皿に取って渡す。 父親の言うとおりにそのまま、透き通った液体に口を付けた。 「・・・・・お父さん・・・・、これ。」 「あぁ、こんな上手い煮汁は初めてだ。この分だと野菜も文句なしに煮上がるだろう。最高級の味付けだ。サンジ・・・・だったな。記憶がなくても、お前の料理の腕前がわかったよ。」 イネストロの方からサンジにポンと肩を叩いた。 思わずマリアはホッと息をついた。一瞬、ケンカになるのかと思ったのだ。 親子二人、生活するために開いた店だが、それでも父親の料理に対する思いは真面目で、熱心で、本物の料理人だと思っていたのだ。この島では一番だとマリアは思っていた。 が、それを上回る料理人が、しかもまだ自分とたいして年齢が違わない、青二才と呼んでも差し支えないほどの若さを持っているとは。 驚きとともに、尊敬の念すら浮かぶ。ここまで来るのにどれだけの修行をしたのかは、わからない。ましてや、今は記憶さえないのだ。本能というべき部分での指摘としか考えられなかった。 父親も同様のことを考えていたのか、先ほどとはサンジを見るがまるで変わっていた。 イネストロからすれば、いままでの自分の自慢の料理を弄られて怒るところなのだが、それを超えて相手を納得させるほどの料理だったということだろう。 料理に年齢など関係ないのだろう。尊敬に値する男だと踏んだようだった。 「サンジさん・・・・すごい。」 「ありがとう・・・マリアさん。でも・・・・。」 サンジは笑顔の中にも、苦しい顔をした。 「記憶が戻った・・・・っていうわけではないのね?」 核心を持っていても、つい聞いてしまう。 「あぁ・・・・・。なんとなく、そうした方がもっと美味くなると思って。このままでも美味しいのはわかるけど、でもせっかくだから・・・と。つい、余計なことをして申し訳なかったけど、どうしてもそうしたかったんだ・・・。」 「分かるよ。料理人なら、さらに上の味を目指すものだ。」 ポンポンと再度、サンジの肩を叩いて、イネストロがサンジに最初と同じ笑顔を見せた。 「どうせ行くところがないんだろう?暫く、ここにいるといい。マリアもあんたのことが気に入ったみだいだし。」 「お父さんっ!!」 マリアは思わず怒鳴った。 「どのみち最初から、そうするつもりだった。ただ、料理人と言うのは信じられなかったから、厨房に入れるつもりはなかったがな・・・。でも、記憶がなくてもこの味が出せるなら、料理の方も手伝ってもらいたい。いいか?」 「・・・・・・でも・・・。」 考え事をしているのか、サンジからの返事はない。 無言で、俯くサンジをマリアは覗いた。 「サンジ・・・さん。」 言い難そうにサンジは口を開いた。 「気持ちは嬉しいんだが、今は本当に、なんとなく・・・なんだ。包丁も手にしたわけじゃない。期待に添えれるような味付けや動きができるかは・・・。」 「あぁ、無理をさせるつもりはない。あんたのわかる範囲でいいんだ。どこまでできるかわからなくても、それでもいいさ。気に病むようなら、ウェイター紛いのことでも構わない。住み込み従業員って思ってくれればいい。」 「・・・・・それなら・・・。」 安心したのか、サンジからホッと息が漏れた。 それを見て、マリアにも笑顔が浮かぶ。 「無理をして記憶を戻そうとしなくても、料理をしていればきっといつか記憶が戻るわ。それまで、ずっとここにいればいいから・・・。」 そう励ますマリアを見て、父親は苦笑した。 そういえば、この若い料理人を助けて目を覚ますまでの間も献身的に看病をしていた娘の姿を思い出す。 娘はこの男に恋をしたのだ。 記憶がなく、どこの馬の骨ともわからない男に娘を託すのは、普通なら許せることではないはずだ。が、反対どころか、このままずっとここにいてくれれば、と思うのは、きっとこの男の出した味に自分も魅せられたからに違いない。 できればこのまま、娘と一緒にこの店を継いでもらいたいとさえ、一人娘を持つ父親は思うのであった。 |
やっぱりこうきたか・・・って感じですね。
でも、どんな料理だったんだろう?(←こら)
2006.10.27.