過去と今と未来と3−5
釣り糸を垂らしての、のんびりとした空間が心地良い。 クイクイと引いた糸に「お、釣れたか?」と竿を上げてみるが、一度は張った糸がパチンと音を立てて跳ね上がって揺れているのを見ると、どうやら逃げられたようだ。針も取られてしまった。 「結構大物っぽかったのになぁ〜」と、肩を落とすと、その様子をずっと見ていたのだろう、後からポンと肩を叩かれた。 「残念だったな。大物のように見えたが、逃げられちまったな。」 声ですぐにそれが誰だかわかったが、あえて振り返り、その声の主を確認する。 「いいさ、まだまだ時間はある。これからこれから!」 明るい調子で餌を付け直して、改めて糸を垂らした。 陽射しが温かい午後、船は凪と航海士の海流読みのために一旦、止めている。 ナミの話によるとあと暫くしたらいい風がやってくるとの事で、風が動いたら今度は朝よりも速いスピードでもって船は進むだろう。 それらの話は殆どがナミの天才的な勘に寄るものだが、外れたことがないので誰もがその言葉を信じてのんびりと時間を過ごしている。 ウソップはちょっとした時間を見て、釣りを始めたところで、糸を垂らしてすぐに反応があったのに気を良くしたのだが、物事早々上手くいくものではないと改めて認識させられた。 それは後で見ていたサンジも同様に思ったのだろうか、苦笑している。 「見てろよ!今夜の食事は大量の刺身を作ってもらうからな!」 ウソップの言葉が耳に届いたのだろう、「それが法螺にならなければいいな。」とウソップ同様に彼とは違う場所で笑っているルフィも、まだ釣果はない。ルフィはいつもの自分の場所で糸を垂らしている。ルフィからすれば場所が違うから自分は釣れるとでも思っているのだろう。 今だ必死に海面を睨んでいるウソップの脇に今日のおやつなるものを置くとサンジは踵を返した。 が、ウソップは釣りの話とは別の声音でサンジを止める。 「サンジ・・・。」 「なんだ?」 「・・・・・。」 一瞬口篭ったウソップだったが、サンジの方は特に気にせずにおやつが何なのか聞きたかったのかと勝手に解釈して説明を始めた。 「今日のおやつはオレンジソースのかかったクレープだ。一見、簡単だけどよ、意外と難しいだぜ?生地を薄く焼くのが、結構コツがいる。JJがいつもより上手く出来たと言ってたぜ?喰ってみろよ。」 「お、上手そうだな。釣りを休憩しておやつもらうわ。」 まるで自分が作ったかのように笑みをつくる。 ウソップは笑いかけるサンジに「じゃあ。」と、竿を置き、皿を手に取った。 まだ温かみの残るクレープの生地とオレンジソースは、作りたてを教えてくれる。しっとりと寝かしてから使うオレンジソースも美味しいが、作りたてもまた絶品だ。 「上手いな。」とクレープを頬張りながら、ウソップはサンジを見つめた。 「どうした?何か問題でもあったか?」 「いや・・・・。」 一瞬、言い難そうな顔をするが、改めてサンジを見つめてウソップは「あのよ・・。」と言葉を吐き出した。 「JJとは・・・・・それなりに上手くいってるんだよな?」 まだ食べかけなのだが、フォークを手にしながらも真剣な眼差しで見つめるウソップの表情にサンジは敢えて穏やかな顔を向ける。 「本来ならお前の方が年齢もこの船での経験も・・・・コックとしての腕前もJJよりも上なんだが、改めて船に乗ったということでお前が新参者扱いになっちまった・・・。それに、JJはまだロイの事も・・・・お前の所為だと思っちまっている。俺は・・・ナミ達もそうだが、あの娘が言ってたように事故だったって、お前の所為でロイが亡くなったんじゃねぇって、思ってる。いつかJJもわかってくれるって・・・。」 サンジにはまだ忘れられない女性の名前がいる。それを名前を出さないようにしながらもウソップは過去の出来事がサンジの所為ではない、言ってくれる。 その心遣いがサンジには嬉しかった。 「あぁ・・・わかってる。大丈夫だ、JJとはきちんと上手くやってるって。」 改めてウソップに笑顔を向けるサンジだったが、どこかしっくりこない。 ウソップもそれに気が付いているんだろうか?心配そうにしている。 「本当か?サンジ。」 「ウソップ・・・。俺はそんなに酷い顔をしているか?」 「サンジ・・・・・。」 一旦俯いて息を吐く。 それで多少落ち着いた感があるが、それでもウソップの心配そうな様子は変わらない。 「まだ、寝れないのか?」 ウソップはサンジが不眠症になっているのを知っている。隠す必要もない。 「まぁな・・・。でも、前よりはいいんだぜ?」 「そうなのか?」 「ゾロが・・・。」 「ゾロ?」 突然出た名前にウソップは不思議そうな顔をするが、ハッと気が付くと回りをキョロキョロとした。サンジもウソップの様子に思わず出した名前に舌打する。 回りを確認して、誰も自分達の様子に気を留めていないのに思わずほっとする。 ルフィはメリーの頭の上。チョッパーはめずらしくナミ達と一緒に船首でパラソルの下にいる。ゾロとJJはたぶん船尾にて二人で居るのだろう。 みんなそれぞれの位置でおやつを楽しんでいるようだ。 メインマストの横に位置する自分達の話は誰にも聞かれていないだろう。 そうわかって、改めてウソップはサンジに話を続けろと目で促した。 「時々だが、俺が眠れなくて甲板にいるとヤツがいるんだ。まぁ、元々夜中に起きているのが多いんだろうが・・・・。で、俺がいることに気が付くと声掛けてくれるんだ。何気ない一言だったりするんだが、それでもなんだか落ち着くんだ。そうすると割と寝られるんだ。」 ゾロの話をする時のサンジの顔は、先ほどまでとは違って穏やかだ。それは、まるで想い人のことを考えて居る時のように。 そのことにウソップは別の危惧が浮かぶ。 「ゾロが?お前・・・・まさか、その・・・・。いや・・・・・それってJJは知って・・・。」 どう言葉を繋いでいいのかわからないウソップはうろたえる。サンジもウソップの言いたいことがわかったのだろう。「大丈夫だ。」と続ける。 「JJはこのこと知らねぇが・・・心配するような仲じゃねぇよ。確かに昔はそういった関係だったかもしれないが、今はただの同じ船に乗る仲間だ。それにゾロも俺のこと、怨んでいたんだろう?今はどういった心境かわからないが、一言二言話をするだけだ。」 「だったらいいけどよ・・・・。でも、JJヤキモチ焼きだから気をつけろよ。」 「わかってるって。」 最後には先ほどとは違う、自然に出た笑顔に安心してウソップはおやつを全て平らげた。 空になった皿をサンジに差し出すと、「おし!」と言って、釣りを再開する。「絶対、夜は刺身だ!」と再度奮闘するウソップを背にサンジは「他のみんなの空になった皿を回収してくる。」と、その場を離れた。 料理よりも片付けがサンジの主な担当だ。もちろん、下拵えもなのだが。 が、後二枚、ゾロとJJの分の皿は回収することはない。 それは二人の仲を邪魔するようなものだ。 以前、夜に耳にしたようなことはなくとも、昼間も甘い時間を二人で過しているのだろう。サンジなりに気を使ってそういった場面に出くわさないようにしているのもあるのだろうが。 思い出すとズキリと胸が痛んだが、やり過ごす。 気にしないように出来るのは、心の中に痛みだけでないものがあったからだろうか。 今はゾロと自分はただの仲間であり、ゾロは最初の頃よりは接し方が柔軟になったとはいえ、JJ同様、サンジのことを憎んでいたのだ。それに、JJと恋仲だということもわかっている。 そして、自分には忘れられない女性がいる。それもわかっている。 それらは何度となく自分に言い聞かせている事だ。 だが、それでもあの夜のことを思い出すと、胸が締め付けられるような痛みがあるのも否定できない。 と、同時に。 ゾロが自分を見つめた時の瞳を忘れることもまたできなかった。 結局、何があったわけでもないが、ゾロの眼が何かを伝えたかったように見えた。 憎しみではない何かが。 そして、それは今だに言葉で伝えられているわけではないが・・・。 ウソップに言ったように、今だ寝られない夜、甲板に出るとゾロと出会うことがある。 何故か、まるでサンジが部屋から出てくるのを知っているかのように、一人きりの時ばかりに。 JJとの逢瀬の夜の日もあるのだろうが、あれからそんな場面に出くわさない。みんなに赤裸々に話して以来、JJもそれなりに気を使っているのかもしれないが。 そして、ウソップには言わなかったことがある。 確かに、一言二言話をするだけなのは本当だ。元々話が苦手と言う事もあるのだろうが、ゾロの方もJJという恋人がいる手前、あれからサンジに触れることはまったくない。 純粋に体調を気遣ったり、サンジの精神が落ち着くような言葉をほんの少し口から滑らせるだけだ。 しかし、見た目には仲間としての会話しかなくとも、触れることはなくとも、その瞳がゾロの心を物語っていた。 俺を憎んでいたんじゃないのか? 憎しみという言葉を打つ消すような、狂おしく切なく見つめる瞳。 言葉にできない思いがサンジに何かを訴えている。 それが何なのかははっきりとした形で伝えられることがないため、サンジにも説明できないのだが、それでもゾロは何かを心の内に何かを秘めてサンジを見つめる。 それだけで自分は夜、寝ることができるほどに安心する。 ただ、ウソップが心配しているようにただでさえヤキモチ妬きのJJだ。 きっと何も起きていなくても夜二人でいることだけで怒るだろう。きっと、ウソップはJJにも誰にも言わないだろうが、バレたら大変だ。 それでも、言葉にすることはなくても、言葉にできなくても、交わされる心の内。 それはヤキモチを妬くというJJだけでなく、もう、誰にも知られたくなかった。ウソップには話してしまったが・・・。 お互いに今の関係のままでいることに納得しているのだ。 夜に二人で話をすることは知られても、それ以上のことはもう誰にも言うつもりはサンジにはなかった。 波風をたてるつもりはサンジには毛頭なかった。 |
2007.05.22.