ー番外編5ー




「岬・・・・。」

日向が声を掛けると、丸く小さくなっていた背中が僅かだが、身動ぎした。

「岬・・・。何があった?どうしたんだ、その格好は?」


ケンカにでも巻き込まれたか?


じれったく声を荒げてしまいそうになるのを、静かな辺りにはっと思い出して耐えた。怒りを抑えて、日向は再度、岬を驚かさないように普段では出さないような声で話しかけた。

「小次郎・・・。」
「帰ったんじゃなかったのか?」

そっと見上げる瞳からは涙の痕が見受けられた。いや、痕ではなく、今だ涙が流れているように日向には見えた。頬もすり傷を作って汚れてもいる。

「まだ家には帰ってなくて・・・。でも、ごめん・・・。もう帰るから。」

何があったかわからない苛立ちに目を険しくした日向に、岬は俯いてしまった。

「お前が帰ってからもう30分は過ぎてるって聞いたぞ。まだ帰ってないって・・・一体何があったんだ。」

そっと肩に手を掛けると岬はビクリと身体を振るわせた。

「あの・・・・ちょっと、転んじゃって・・・。」
「で30分もうちの前にいたのか?」
「あ・・・いや・・・・その・・。」

モゴモゴと口篭る岬に気の短い日向はとうとう声を荒げた。

「はっきり言え!何があったんだ!!」

グッと力の入る手と言葉に弾かれたように岬はガバリと日向の手を振り払った。

「何でもないよ!!悪かったね、君ん家、戻って!!でも、何でもないから!!もう、僕、帰るからほっといて、君も帰れよ!!」

一旦大声で叫ぶが、すでに深夜の時間帯へと突入しつつあることに気が付き、岬は慌ててはっと口を噤む。

「・・・・・・本当にごめん。何でもないんだ。・・・・・・・君に迷惑を掛けるつもりはないから・・・。帰ってくれる?」

ゆるゆると電柱に手をもたせながら、岬は立ち上がった。なんだかフラフラしている。
怒りは収まらないままも、その様子に手を貸そうと差し出すと、パシッと叩かれた。
日向の目がさらに険しくなる。
最初はただのケンカに巻き込まれたのかとも思ったが、どうやらそうではないようだ。岬の様子があまりにもおかしい。

「はっきり言え、岬。場合によっちゃあ警察へ行かなきゃいけないだろうが!」

まだ低音に成りきれていないが、それでも低い声音で日向は、岬を睨みつけた。
岬が「・・・警察・・・」の行で再度、身体を振るわせるのを見逃さなかった。
何もなかったとは到底思えない岬の様子。
ほんの一部しか照らせない小さな街灯がその背に羽織るシャツさえ汚されているのをはっきりと日向に告げている。

そういえば、上着はどこへやったのだろう。

立ち上がったにも関わらず丸くなっている背中は、寒さによるものもあるだろう。
極寒とまではいかなくとも、場合によっては凍死もありうるこの季節に、日向は自分の上着を掛けてやろうとして、気が付いた。
慌てて外に出たので、自分もいつも着ているTシャツ一枚だった。
仕方が無いと肩を落とすと、そっとその背を抱きしめるように腕を回した。

「小次郎・・・?」
「上着はどうした?こんな時間にそんな薄着じゃ、寒いだろうが!」
「小次郎だって・・・小次郎の方が薄着じゃない・・・。」

多少、余裕ができたのだろう。
岬がクスリと笑うのがわかった。

「まだ家に帰ってないってことは、上着はどっかに忘れてきたのか?」
「・・・・・・落としてきちゃったみたい・・・。でも、もういらない。」
「とりあえず、一旦、家へ帰ろう。」
「うん・・・。僕はもう大丈夫だから、小次郎も帰っていいよ。」

岬の姿を見ると、一人帰すわけにはいかない、と日向は判断した。

「お前ん家に帰ろう。お前ん家、確か、電話はあったよな。」

コクリと岬は頷いた。

「じゃあ、お前ん家に着いてから、母さんに電話を入れるから。今夜は、お前ん家に泊まってく。」
「でも・・・。」
「どうせ、親父さん、帰って来ないんだろう?」

またコクリと頷いた。

「だったらいいだろう、一晩くらい。布団もなんとかなるだろう。」

ギュッと目を瞑って、再度岬は頷く。

「じゃあ、行こう。いつまでもこんな所にいたら、凍えちまう。」

日向は岬の肩を抱いたまま、ゆっくりと岬の歩幅に合わせて歩いた。
自分でもらしくない、と思うほどに優しく。







日向が岬の肩を抱きながら、ゆっくりと岬の家へと向かう。
時々、どこか痛むのか、顔を顰めるのだが、そのたびに足を止める日向に、岬は「大丈夫。」を繰り返すばかりだった。

漸く着いたアパートは2階の部屋で階段を上がるのもやっとだったが、それでも岬は根を上げず、日向は感心するばかりだった。
ポケットを探るのももどかしく、それでも根気良く岬が鍵を出すのを待って、部屋の鍵は日向が開けた。

「ちらかってるけど・・・・・どうぞ。電話はそこにあるから・・・。」
「あぁ、わかった。」

部屋へ上がり、先に電気を点ける。
次いで部屋へ上がる岬が目に入ったとたんに、その様に日向は一旦目を見開くが、とりあえずそ知らぬ振りをして電話を借りた。

「母さん・・・・悪い。岬が忘れ物してたから届けたんだ。・・・・で、こっち一人だし、もう遅いから泊まらせてもらう。・・・あぁ・・・・・・・・あぁ。大丈夫だ。もう寝るだけだから・・・・わかった、学校もあるし、朝一で帰る・・・・。」

なんとか上手く誤魔化せたと、胸を撫で下ろす。「ご迷惑のないように。」と心配していた母親には嘘を言って申し訳ないと思ったが、放かっておけないから仕方ない。

「小次郎・・・・。ごめんね・・・。」
「あぁ、別に気にすんな。母ちゃんも帰ってきたし、家の方は大丈夫だ。・・・それより・・・。」

日向はゆっくりと岬の方へ向き直り、足を近づけた。
途端、恐る恐る後退りする岬に日向は困った顔をする。

「何があったかわからんが、警察へ行くか?」

ううん、と岬は首を振った。

「一体何があったんだ?俺には話せないことなのか?」

どう接していいのかわからない日向は、困惑する。子どもで対応できる範疇を超えているように思えたのだ。
だが、頑として岬は日向の「警察に連絡する」言葉に首を縦に振らなかった。
仕方ない、と、とりあえず、ケガの治療に取り掛かることにした。多少のことなら自分でも治療できるだろう。

「救急箱あるか?そのままじゃ拙いだろう。」
「・・・・・うん。」

岬がのろのろと押入れを指差す。その場所を日向が覗くと、いくつかまとまった荷物に隠れて救急箱が見つかった。

「岬、どこ、ケガしたんだ?」
「・・・・・・・・。」

どこもかしこも、という感じだ。すり傷や、殴られたような痣だらけになった体に、どこから手をかけたらいいのか、と岬を凝視する。
まずは汚れを綺麗にしなければ、と勝手知ったると手近にあったタオルを水で濡らす。固く絞り、タオルを手に日向は岬に近づいた。
家に着いて緊張が解けたのか、壁に寄りかかったまま項垂れている。自分で動くのは無理か、と日向は岬の前に座り込んだ。
まずは顔から拭いてやる。傷が滲みるのか、岬が顔を歪めた。

「殴られたのか?」

見つけた時には、自分で転んだ、と言いながら、「殴られたのか?」と聞けば、今度は素直に頷いた。
日向には転んだという嘘は通らないと判断したのだろう。が、それ以上は、何も言わない。日向は黙ったまま、岬の顔を拭いてやった。
そのまま、体も拭いてやろうと、、汚れたシャツに手を掛けると、途端にビクリと身体を振るわせた。
岬の怯えに咄嗟に手を引き、シャツとその肌蹴た隙間から覗く肌を伺う。
よくよく見れば、ボタンは上2〜3個分は、引きちぎられた跡があった。全てのシャツのボタンが無くなっていたわけではないが、何だかケンカにしてはおかしい。
肌も首筋から胸にかけて見受けられる傷はすり傷というより、鬱血しているように見えた。
そのまま視線を下げると足の方はズボンを穿いていてよくは解らないが、その汚れてボロボロになっている布に思わず裾を捲り上げた。
日向の仕草に咄嗟に顔を上げる岬だが、抵抗するにはあまりにも力が入らないのか、日向を振り払うことができなかった。
足もよく見れば。傷だらけで、ここはすり傷もあるのだが、やはりそれだけではなかった。
それどころか、なんだか汚れ方がおかしい。所々見える赤いのは血か?それだけ傷が酷いのかと思うが膝より上から流れ落ちてきているように見えた。
サッカーで作る傷はたいてい転んだり打撲だったりとかが多い。サッカーをやっていればあるだろう傷ももちろん見受けられうが、それとは別の見慣れぬ傷に、何があったんだ、と岬の顔をマジマジと見る。
岬は日向に見つめられて不快を露わにした。

「もういい!自分でやるよ!!」

声は強く出るが、俯いたまま弱々しい表情に日向は怒りと不安が入り乱れる。が、まだ小学生の自分にその感情をコントロールできるわけがない。
思わず日向も声が強くなる。

「一体何があったんだ!!話せ!!」
「・・・・・っっ。」

日向の剣幕に一旦は落ち着いただろう岬の様子が哀れになるほど変わった。一度は収まった涙がまた、大きな瞳からボロボロと流れ出した。
その様子に日向は、荒げた声を抑えるしかなかった。
流れ落ちる涙は止まらないようだ。

「岬・・・・。言えないのか?」

短気であるのは自覚済みだが、普段から弟達の面倒を父親変わりとして見ている日向は、イライラする感情をなんとか自分の中でやり過ごした。そんな大人びた自分をここでも示すように努める。

涙をボロボロ流し、震える身体にそっと手を出す。
途端、ビクリとする岬を怯えさせないように、背中をゆっくりと撫で擦った。

「小次郎・・・・・・。小次郎・・・・・。」

ガタガタと肩を自ら抱きしめて、岬は日向を見上げた。

「知られたくなかったら誰にも言わねぇ。お前の親父さんにも、俺の母ちゃんにも・・・・。」
「・・・・・ホント?・・・・・誰にも・・・・・・言わない?」
「あぁ。」
「・・・・・・・・。」

日向の返事を聞いても尚、岬は俯いて話をしようとしなかった。
それを静かに只管、もう一度岬から口を開くのを待つ。普段からは想像できない我慢強い自分に、内心自分で驚きつつも、日向は根気良く待った。

「小次郎は・・・・もう習った?」
「何を?」
「あの・・・・・・男の子と女の子の身体の違い。」

一体岬は何を言い出すのか、と驚くがここで話を逸らしてはいけないような気がして、日向は素直に返事をした。

「あぁ、習ったぜ?去年な。」
「僕も習った、去年。・・・・で。どうやって赤ちゃんができるのかも。」
「あぁ。」
「男の人と女の人が何をするのかも。」
「あぁ。」
「・・・・・。」

そこで、また黙り込む岬に日向は目を細める。本当に今日は我慢強いと自分を誉めたい。

「それって・・・・・・・男の人同士でも・・・・・出来るって・・・・知ってた?」
「え?」

あまりの話の展開に付いていけないと思いつつも返事をしていたが、急に岬の真意をその中に見つけた。

「もしかして・・・。いや、それって、男同士って・・・・一体、どうやって!?」

まだ子どもで、しかもサッカー一筋の自分にそういった知識は学校で習ったことしかわからない。
岬が言わんとすることは日向の知識の範疇を超えていた。それでも、想像の域を出ないが、直感的にわかった。
思わず立ち上がり、改めて、岬の身体をマジマジと見つめてしまった。

「男の・・・・・人って・・・・お尻を使うって・・・・・・、僕も知らなかった・・・・・さっきまで・・・・。」
「お前・・・・・まさか・・・。」

あまりの衝撃に何を言っていいのか。頭の中が真っ白になる。
岬は先ほどの出来事を思い出したのか、わっ、と今度は声を上げて泣き出した。




どれくらいそうしていただろう。
いや、大して時間は経っていないだろうが。

呆然と立ち尽くしたままだった日向は、突如、思い出したように岬の肩に手を掛けた。

「岬、警察に行こう!!」
「やだっ!!絶対にやだっ!誰にも知られたくない!!先生にも・・・・・父さんにも・・・誰にも言いたくない!!」

まだ本格的に性に目覚めていないとしても、羞恥の感情が、この事実を誰にも知られたくないと訴える。

「だが、それじゃあ犯人が・・・。」
「そんなのどうでもいい!誰にも言いたくない。」

事は犯罪であることぐらいはわかる。このまま放っておいていいものではない。
でもどうあっても、岬の首は横を振るばかりだった。

仕方がない、と、日向はとりあえず止まったままの手を再開するしかなかった。

「・・・・・・・・とりあえず、身体を綺麗にしよう。・・・・・・このままじゃ、・・・・気持ち悪いだろ。」

やっとコクンと首を縦に振った。
上から少しずつ綺麗に身体を拭き清める。
一旦は、その手が下半身に伸びた時、拒否を示したが、それでも、日向は根気良く岬を説得した。

「恥かしくねぇ・・・。大丈夫だ。」

何度も繰り返す。

「そんなに嫌だったら目を瞑ってるから・・・。俺は何も見ねぇから。」


日向の言葉といつにない優しさに、岬は最後は日向に足を開き、見られたくない部分をも任せて身を綺麗にした。




そのまま日向が布団を敷き、お互いに丸くなってくっついて横になった。


09.01.20




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1年ぶりの更新です。お待たせしました・・・。(待っている人いたのかな・・・。)