遊戯戦6




飛行機の出発時間まであと1時間と迫っていた。
すでに搭乗手続きは済ませていたので後はゲートを潜るだけだった。

岬は目の前の多少湯気が消えかかったコーヒーに手を伸ばした。軽く口をつけるとやはり冷めてしまっていたが、それでも空港内の小さな喫茶店にしてはおいしいなとのんびりと思った。残り時間は少ないのだが、あわてることもなく静かな時間をさっきまで闘った相手と共有していることが嬉しかった。
正面にはロベルト。そして、ロベルトの横にはその先ほど闘った相手、Jが並んで座っていた。
若林は携帯が鳴った為、ちょうど席を外している。



「ありがとう。」
コーヒーが運ばれてから続いていた沈黙がその一言で漸く途切れた。沈黙といっても気まずい雰囲気ではなく、温かく居心地のいい空気だった。それをお互いに気持ちよく過していたのだが、別れまであと僅かだ。『さよなら』をしなければならないと皆が思っていた。
「ロベルトとJには改めてお礼をしなきゃね・・・。」
岬は顔を上げて笑った。
「なぁに。いい試合を見せてもらったしな。」
つられてロベルトも笑顔で答える。
「試合だなんてほどのものじゃないじゃないか・・。」
「でも。僕もとても楽しかった。」
Jが横から同じような笑みを浮かべた。
多少苦笑いを含んではいたが。
「確かに皆でやった試合は、試合というよりはただのボール遊びに近かったけどな・・・。」
ロベルトがJの苦笑いの原因がわかっててあえてそれを口にした。とはいえ、その2人の言う楽しいボール遊びも岬には決して無駄なことではなかった。もちろん楽しいだけのボール遊びではなく”真剣な”ボール遊びだったのはお互いに口にしなくてもわかっていた。しかし、それ以上にJとのマンツーマンでの練習とも取れるやり取りはこの短い滞在期間のうち、もっとも有意義なものであったのはここにいる誰もが認めることだろうが。

今度はロベルトが自分の前のカップを手に取りそれに口をつけると、丁度出て行っていた若林が帰ってきた。
「おう、悪かったな。席外して・・・。」
「誰だったの?電話・・・・。」
先ほど若林の携帯が鳴って会話を始めた時、岬には引っ掛かるものがあったのだ。電話の向うにいる人物はどうやら自分を知っている人物で、それを若林が電話口の向うの相手に伝えたとたん、何か言われたのだろうか、携帯を握り締めながらあわてて外へ出て行ったのだ。
気になるな〜〜。と、岬はダメもとで相手を尋ねた。
「あぁ・・・。まぁな〜〜〜。」
となんとなくはぐらかそうとしている。
折角の楽しかったこの滞在の締めを不愉快な気分で終わらせてしまうのかと、ちょっと目線をきつくした。
それがわかったのか、若林は口をモゴモゴさせて暫く困った顔をしていたが、岬の視線に耐え切れなくなったのかドカッと椅子に腰を下ろすと、漸く岬に向き直った。
ロベルトやJもそれが誰だか気になるようで一緒になって耳を傾けていた。
「あのな、岬・・・・。楽しみにしてなよ、今度、会うからさ。向こうはそのつもりで電話で岬と変わることを断ったんだから。」
今度会う・・・?
ちょっと考えてすぐにピンときた。どうやら、ロベルトやJもその相手がわかったらしく不思議な顔をしたかと思えばニコニコしだした。
「で、その彼から何の電話だったの?」
図々しいと思いながらも、相手が分かったとたんに今度はその電話の内容が気になりだした。聞かないまでも内容はサッカー以外のことではないのだろうし、嫉妬と言われても仕方がないのかもしれないが、気になるものは気になる。
「お前だよ・・・。」
は??
キョトンとしてしまった。
岬には何のことだか一瞬わからなかった。
「だから、お前がほんのわずかといえ、日本から消えただろう?それが心配になったんだろうな。俺にお前の所在を知らないかと聞いていた。」
あぁ。
と、岬は思った。
そういえば、ここに来る前に石崎達には『ちょっと出かける。』としか伝えなかったっけ。と昨日のこと、いや、飛行機に乗っている時間も計算すると一昨日のことになるだろう過去の事を思い出した。クラブの方にもたいした理由も伝えないまま休みだけは連絡してあった。それを許すクラブも岬の普段を知っていて信頼しているから下りた許可なのだが。
それがどうやって伝わったのか、翼の耳に入ったらしい。わざわざ石崎達が翼に連絡をしたのだろうか。そのあたりはわからないのだが、どうやら翼に岬がいなくなったということが伝わったのは事実で、昔の岬を知っている翼だからこそ心配になったのだろう。もちろん昔というのはクラブや他の者からすれば、笑って過せるほど昔の、小学生の頃のことなのだが、どうやら翼には今だにそれがどこかで引っ掛かっているのだろう。
でも、と岬はクスッと笑ってしまった。
それでどうして若林の所にいると思ったのか、彼に電話するなんて・・・・。確かにその昔も岬の所在を翼が知ったのは若林を経由してのことなのだが、それは本当に偶然であったし、今の若林とのような関係もなかった。まぁ、それがどういうわけは今はこうやってお互いに離れられない関係にはなっているのだが・・・。でもそれも翼は知らないことであるはずだ。
やはり過去のことが翼には根になっていて、ついつい若林に連絡をしてしまったのだろうか。

岬が過去に囚われそうになったところを若林の声で現実に戻された。
「で、細かい理由とかはさておき、岬がここにいて、もう日本に帰ることだけは伝えておいた。また、翼が日本に帰国したときに詳しく話してやれよ。」
「いいの?話して・・・。」
と、岬が昨日、夕食を食べながら交わした約束を反故にすることを匂わせる笑みを浮かべた。
「あ〜〜〜。いや、だから・・・。Jのことや、この島のことは内緒な。」
どうやら若林は本当に詳しいことを翼に説明していないのだろう、昨日と今日のことを説明するのにどうしようかと、う〜〜やらあ〜〜やら首を捻りながら唸りだした。
それをまるで人事のようにニヤニヤしながらロベルトとJは笑っいた。
元々は自分の為に尽くしてくれた若林に細かいフォローまで頼むのもみっともないと思い、岬は若林の肩をポンと叩くと肩をすくめながら言った。
「大丈夫だよ。また翼くんには僕から上手く言っておくから。元々僕が原因だしね・・。」
ウィンク一つして岬は残りのコーヒーを飲み干した。すでに冷たくなったそれは、それでもこの雰囲気を壊さない程度には岬の心を暖めた。


そこで遠くで岬が乗る予定の飛行機の案内放送が聞こえた。
そろそろ移動しなくてはいけない。
じゃぁ、と席を立とうとした岬に若林があ、待てよ、と声を掛けた。
「俺ももう2〜3日したら、日本に帰るから。・・・一度ドイツに戻ってすませなきゃいけない仕事が残っているからな。それがすんだら行くよ、日本へ。お前と翼の試合を見に。」
しっかりとした瞳を向けて若林は岬に伝えた。
それに続くようにJやロベルトも口を開いた。
「僕達は日本には行けないけど、健闘を祈っているよ。・・・・それから・・・・僕も今度、ロベルトの紹介でヨーロッパに行く予定なんだ。」
え?と岬は上げかけた腰をまた下ろした。
「実はスペインのあるチームが海外選手を捜している所に、ロベルトが僕を推薦してくれてね。今度テストを受けに行くんだ。それに合格すれば・・・。」
「合格すれば・・・・翼くんに会える・・・・・?」
興味津々の瞳をJに向けた。
「うん。そのチームはまだ内緒だけど、でも翼とは違うチームだから・・・・。そうすれば僕も君達と同じように彼と闘えるようになる・・・。まだ僕は彼本人に会った事がないからね。今からすごく楽しみだ。」
もうすでにそのチームに入ったつもりか、満面の笑みを浮かべていた。
それを横から温かい目で見守っているロベルトも楽しそうな顔をしている。もちろんそれは勝負師の顔ではあるのだが、それでもJがそのチーム入ることは間違いないことを示していた。
「じゃあ、誰が最初に翼を倒すか、競争だな。」
若林がニヤリとする。
岬はそれを受けた。
「じゃあ、僕が最初かな。翼くんとの試合もすぐだしね!」
してやったりの顔を岬は皆に向けた。



それじゃあ、と皆そろって席を立った。
「見送りはしないよ。また会おう。」
「うん。」
「楽しみだよ。」
「僕も楽しみだよ。岬もこの試合が終わったら是非ヨーロッパにおいでよ。一緒に闘おう。」
「考えとくよ。」
軽く握手を交わして、Jやロベルトと反対の方向へ岬は進んだ。






若林と岬は搭乗口まで一緒に歩いていった。
ここに来たときとは違い、手は繋いでいなかったのだが、それでも心は繋がっていると思えるのか、岬は安心して歩く事ができた。来た時とはえらい違いだと内心笑ってしまう。
搭乗口の前で2人は止まり、お互いに目をやった。
岬は肩に掛けていた鞄を一度きちんと肩に掛けなおすとはにかんだように笑いながら肩をすくめた。
「ありがとう、若林くん。とりあえず、さよなら・・・かな?」
「あぁ、またすぐ会えるから心配するな。」
「でも、その時には若林くんは僕の味方じゃないんでしょ?」
「あ〜〜〜。」
と困った表情で頭をガシガシ掻きながら首を捻った。
「そうだな〜〜〜。岬には翼に勝って欲しい気もするが、それじゃあ、俺の目標の一つがなくなってしまうし・・・。困ったなぁ・・・。」
その若林の顔を覗きながら岬はクスクスと笑う。
「いいじゃない、それでも。若林くんには他にも目標があるんだろう?1つくらい、僕に譲ってくれたって許されるんじゃない?」
茶目っ気たっぷりに笑う岬には、もう何の迷いも感じられなかった。それをわかっているのか、若林も楽しそうに岬のセリフに軽く返す。
「まぁな〜〜〜。でも・・・やっぱり男として譲れないこともあるしなぁ〜〜〜。まぁ俺としては中立の立場ということじゃあダメか?」
「・・・いいや、若林くんが翼くんだけを応援するわけじゃなきゃ。その変わり、僕も翼くんと君が闘う時はどちらも応援はしないからね!」
ポンと軽く若林の胸を叩きながら岬は歩き出した。
「じゃあ、さよなら・・・じゃなくて。またね!」
「あぁ・・・。」
軽い足取りで岬は先に進んだ。
4〜5歩歩いたかと思えば、なにかしら急に思いついたのか、ギュッと立ち止まった。
と、くるっと向きを変え、少し崩れた顔をして若林を見つめる。その顔は笑っているようにも泣いているようにも若林には見えた。
「・・・・ありがとう・・・・、若林くん。本当にありがとう・・。」
それを笑顔で受けると若林は岬に手を振った。
「あぁ、また・・・な。」
「応援なんてしなくていいから!ちゃんと、日本に・・・。僕と翼くんの試合を見に来てね。お願いだよ!」
「あぁ。」
「約束だよ!」
「あぁ。」
「絶対だよ。」
「あぁ。」
若林の顔を再度じっと見つめると、さっきと同じようにまた急に向きを変え、今度は先ほどよりも幾分か早い足取りで岬は歩き出した。
その顔は若林にはもう見えなかったが、でも晴れ晴れとした表情であることは若林には想像しなくてもよくわかった。



END




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ようやく終わりました。お付き合いくださいましてありがとうございました。