過去と今と未来と3−7




星は雲に隠れてあまり見えない。月はなんとかその姿を見せてはいるが、やはり流れる雲に時々その陰を隠す。
今夜の見張はサンジだった。
風を強く感じる。寒さを一層強く感じさせる風に、サンジは眉を顰めた。
シャツ一枚なので、毛布を被ろうとして、床に手をやって始めて、防寒用の毛布を忘れた事に気が付いた。
一度、見張台に上がると降りるのが結構面倒になる。それが昼間ならそう手間には思わないが、なんだか今は毛布一枚に降りるのがとても面倒に感じた。
チッと舌打ちして変わりにポットを手に取った。
コーヒーを熱めに用意したのは正解だったとサンジは薄く笑った。
昼食に食べたサンドウィッチを不寝番の軽食用に残してあったがそれを口にするのはまだ後にし、とりあえずコーヒーで暖を取ろうとかごに入ったマグカップも取り、注ぐ。
もわっと上がる湯気に、その温度がすぐに手に伝わりほっとする。
ずずっといつもなら立てない音を立てながらゆっくりと口にすると、苦味が口の中に広がり美味しさを感じた。

と、何故か違う苦味を思い出す。
眉を顰めてサンジは一瞬、考える。
それが一体何なのかわからないが、いつも口にしていた物が何かあったように感じた。

どうしたんだ、一体?

コーヒーは記憶がなくなってからも朝食やおやつなどで毎日飲んでいるものなので、今更何かを思い出す要素を持っているとは思えなかった。
違うといえば、このコーヒーの豆は新しく封を開けたものというぐらいか。
それが、何かを思い出させる?
一瞬、マリアと彼の父親のことを思い出すが、コーヒーから感じるのはその記憶とは違う何かだと、朧げながらに感じた。


気になりだしたら、収まらなかった。

もしかして、記憶を失くす前にコーヒーに関わる何かがあったのだろうか?

深く考えると拒否反応を示すのか、頭痛を伴うので、ゆっくりと首の体操をしながら考えた。
が、一向に今のコーヒーから連想されるものが思い浮かばない。
元々、知っているコーヒー豆ではないし。
暫く考えるが、結局何も思い出せないのは当然かもしれなかった。

どうせ、今更だ、と半ば諦めて、ゆったりと縁に凭れた。


何故、思い出せない。


時々、焦燥感に駆られる時がある。
JJの苦しいまでの憎悪の瞳と、今でこそ減ったがゾロの睨みつける眼。
侘びを口にして簡単に許されるわけではないだろうことを自分はしでかしているようだが、思い出せないのだ。
謝りようがない。
例え謝ったところで、口先だけになってしまうだろう。



空を見上げると更に雲が増えたように感じた。

こりゃあ、雨でも降るか?

風も更に強さを増しているように感じる。

毛布よりもカッパがいるか。

せっかく身体の力を抜いたのを諦めて、一旦見張台から降りようと縁に手を掛けると、下から物音が聞こえた。
ギシギシと音だけでなく、手にしている縁から響いてくるのは誰かがここに上がってくるからだ、とすぐにわかった。
すでに夜も深くなった時間帯に一体誰か、と下を覗き見ると、暗いために頭部からは誰かは判別できなかったが、白いシャツが見えたことで、それがゾロだと容易にわかった。
ゆっくりと上がり来る姿をじっと見つめていると、向こうも気配を感じたのか、顔を上げた。

「どうした?」

辺りに響かない程度に声を掛ける。

「いや・・・・ちょっと話がある。」

その口ぶりと表情から、いつものサンジが眠れなくて困っているときに癒してくれるような内容ではないことがすぐにわかった。何か大事な用事とでもいうような様子だ。

「あぁ、いや待て。俺が降りる。」

尚、上がろうとしたゾロを止めて、自分から降りようと、足を縁に掛けた。

「?」
「カッパ取ってこようと思ってよ。雨、振りそうだから。」
「あぁ・・・。」

サンジの言葉に納得して、一旦は上がり続けようとした足をそのまま今度は下ろし出した。
サンジもそれに倣って下へと降りる。

「先に話をするか?」
「いや、別に慌てなくてもいい。忘れるといけないから、カッパ、先に取りに行ってこい。」

格納庫に入ると、片隅に仕舞われていたカッパを適当に手にする。
と、ゾロが「お前用のがあるぞ。」と畳んであるカッパ群の中から白い一枚をサンジに渡した。

「へ?」

きょとんとするサンジにゾロは「知らなかったのか?」と苦笑する。

「めったに使わないけどな、それでも一人一人ちゃんとあるんだぜ?グランドラインの嵐は急に起きることが多いし、大きな嵐だと邪魔になるから着ることはめったにないが、見張りの時とかに雨に降られれば、それぞれ自分のを着てるぞ。」

そう言えば、とサンジは改めて船に乗ってから見張の時に雨に降られた記憶がないのを思い出した。
そのため、サンジのカッパはずっと使われていない様子だった。もちろん、サンジが暫くの間、メリー号にいなかったのもあるのだろう。
ゾロから手渡されたカッパを受け取りながら、神妙な顔で格納庫を出た。
風は一向に収まるどころか、夜空にもわかるほどの黒い雲が増えたような気がする。

「どうした?」
「いや・・・。」

なんだか苦しい顔をするサンジに、ゾロが扉を閉めながらも心配そうに覗く。

「いや・・・。改めて、何も覚えてないな・・・って、思ってな・・・。」

壁に凭れてサンジは呟いた。
独り言のようにも思えるほどの小さな声だったが、そうではないのはわかる。
正面に位置するゾロも釣られて困った顔をした。

「俺は・・・・・、お前やJJにきっと酷いことをしたんだろう。だが、それを何一つ思い出せない・・・。きちんと詫びることができない・・・。」

突如、サンジの口から出た懺悔ともとれる言葉にゾロは目を見開く。
改めて口にしたことはなかったが、ずっとサンジの心の中に引っ掛かっていたのだろう。
思い詰めた表情でサンジが立っている。


今だに何故、サンジがロイと一緒に失踪したのかわからないが。

共にこの船で過すほどに少しずつだが消えかけていたが、それでも自分の中にまだ僅かに燻っていたサンジへの恨みが霧散していくような気がした。



あぁ。
俺はやっぱりこいつが好きだ。



女性を敬って跪いていても、男として、人間としてのプライドは高く。
それでいて、自分に非があれば素直に頭を下げる。
純粋なほど、自分の心に正直な男。

元々そんな男だったが、記憶を失くしてもそれは変わらない。

昼間に決心したことが揺らぎそうになる。

それでも。
記憶を取り戻すことができないのなら。
サンジがこの船で平穏な日々を、幸せを掴もうとするのなら。

敢えて心の決別をしなければならない。


ゾロは祈る気持ちで目を瞑った。


「俺は・・・。」

己の気持ちをどう言葉に紡ぐべきか、思案する。

いや、たった一言「もう、お前とは関わらない。」と言えばいいのだ。「やはり、許せない」と恨み言を言っったって構わないのだ。

そう思うのだが、口が上手く動かない。
陸に上がった魚のように、何度となく口を開け閉めしていたら、突如、声がした。





「アンタとはもう関わらない、って言えばいいんだよ。」

己の中では形に出来ても、口から発せられることの出来なかった言葉が容易に辺りに響く。

普段ならすぐにでもわかったはずの気配にまったく気づかなかったなんて。
いつの間に。
こんな失態な何度目だろうか。
内心舌打するが、手遅れだ。

サンジもゾロ同様、まったくJJの存在に気が付いていなかったようで、驚いた顔を向けている。

「JJ・・・・・。」
「やっぱり、ゾロはサンジのこと忘れられないんだね・・・。」

JJは、憮然とした表情でマストに凭れていた。
俯いた顔は、ただ単に機嫌が悪い、というだけでなく、哀しみに打ちひしがれている。

前回のことといい、悉く間が悪い、とゾロは思った。
いや、ただ単に間が悪いというのではなく、JJ自身の心の敏感さがこの事態を招いているのかもしれない。
邪推するのも無理はないかもしれない。それだけ、今のJJはゾロとサンジに対して狂気を覚えるほどの思いがある。


「ゾロ・・・・。」
「JJ・・・・・。」

名前を呼び合うだけでJJとゾロはそこに立っていた。


お互いに見つめ合う仲にサンジは入れない。
何故か、二人を見ると心臓が張り裂けそうに苦しくなる。が、それをも口にすることはできない。




「もう、本当にアンタとは縁を切りたいけど、この船に乗ってる限り、それは叶わない。みんなの手前、口を利かない訳にもいかない。でも、もう少しでも関わりたくないんだ・・・・。」

何も言わないゾロにJJは、とりあえずサンジへの対応が先とも言わんばかりにくるりと踵を返すと、ポケットから小さな何かを取り出した。
二人してそれが何かと視線を向けたら、それが煙草だとすぐにわかった。

「ね・・・。これ、わかる?ロイの遺品だ、ってあの女の人から貰ったんだけど、ロイ、元々めったに煙草吸わないし、僕、こんな銘柄の煙草、知らないんだよね。」

一旦、煙草に眼をやる。
あの女の人というのはマリアのことだろう。

「でもまぁ、こんなのも吸うのかな、って思ってた・・・。だけど、もしかしたらアンタのかな・・・?どっちのかわからないけど・・・・・、でも、もういい。一箱しかないけど、返すよ。アンタに。」

ポイと投げ捨てる仕草でサンジに渡された。

マリアから貰ったロイの遺品の中のあった煙草。
サンジは、記憶を失くして過した島では、煙草は一切吸わなかった。
だから、目を覚ました時に教えてもらったこの煙草もロイのだろうと、一旦は目にしたが、そのままずっと仕舞われてしまっていた。
それを、サンジの知らないところで、マリアが気遣ってJJに渡したのだろう。
その煙草を今、JJが手にしている。
もちろん、JJ自身も煙草を吸わない。きっと、ずっと仕舞われていて、今始めてJJも手にしたのだろう。







投げ渡された煙草を手にして、何故か先ほどのコーヒーの味を思い出した。

この味・・・。

一緒ではないが、似たような味を口にしたことがある?



サンジは眉間に皺を寄せた。


何故、思い出せなかった!


まるで脳が拒否反応を起こしたようにこの味を忘れていた。


だけど。


知ってる。


この煙草の味を・・・。






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2007.06.08.