膿 ー6ー
すでに暗くなりだしたグラウンドには端々にある小さな街頭が灯された。 みんな中に入ったのだろう。まわりを見渡せば、日向と若林以外は誰もいなかった。 それでも用心しているのか、日向はさらに人気のない裏の林の方へと歩いていく。ザクザクと足音がやたらと響いた。 暫く歩くとくるりと向きを変え、日向は若林と対峙した。 「最後通達だ。聞いたところで何もできないんだぞ。お前には翼とともに世界を目指しているのだろう?」 「それはお前も岬も一緒だと思うが?」 苦渋の顔をする日向はそれでも言葉を続けた。 「確かに俺も岬もお前達と同じようにサッカーをやっていて、世界を目指している事には変わりない。・・・・が俺はともかく、岬はこの先、お前達と同じようにやっていけるかどうかはわからない。多分本人もそれはわかっていると思う。」 「・・・?岬はサッカーを止めるのか?」 「そういうわけじゃないが・・・。お前たちと同じように・・・だ。一緒にサッカーをやれるかどうかは・・・ある意味お前達しだいかもしれない。」 わけがわからなかった。日向は何が言いたいのか・・・。 言葉でごまかされているような気がするが、日向は些細な言葉の、ほんのちょっとした使い方が上手だとは若林には思えない。その日向が言葉を濁している。なんとなく話をごまかして逃げようとしているように若林には思えた。 普段ならそんなことをしない直球な日向に何故か腹が立った。 「はっきり言え。その為に誰もいない所まできたんだろうが?濁して言ったところで同じことだ。話が変わるわけじゃないだろうが!正直に言ってもらおうか。」 下手に回りくどい言い方をされても時間の無駄である。 が、日向は少し考えている風に顎に手をあてて暫く間を置いた。 ふぅ、と軽くため息を吐くと漸く諦めたらしく腰を落ち着けようと近くにある倒木に座り込んだ。若林もそれに合わせて向かい合う形で手ごろなサイズの岩に腰を下ろした。 「今から話す事を聞いたからってどうすることもできないし、どうしようとも思わないことだ。サッカー仲間として放って置けないと思うこともあるかもしれないが、自分がサッカー選手の1人としてこれからもやっていくのなら大人しく聞き流した方が得策だと思う。」 日向はまた暫く考え込んだように下を向いていたが、その後少しずつだが、話を始めた。 「多分夕べは、客を取りに行っていたんだよ。一般的に言えば売春ってやつか?」 「売春?そんなのが、こんなところで?ましてや岬は男だぞ!」 意外な言葉に若林はいきなり話に食って掛かった。 「事実は事実だ!・・・確かに、まぁ、日本でもやっているとは思わなかったけどな・・・。」 若林の否定の言葉に思わず声を荒げてしまった日向だが、段々声が小さくなっていく。やはり話し難いのか、それとも今だ話したくないのか・・・。 手近に生えているまだ雑草と変わらない背丈しか育っていない、名前もわからない木の葉をプチンと弾きながら若林の顔を覗いてきた。本当に聞くのか?と伺っているらしい。 「話してくれ。俺は今朝、朝帰りする岬に会ったんだ。あいつは散歩だと誤魔化していたが、散歩じゃないことは一目瞭然だった。ただどこかで遊んできただろうぐらいにしか思っていなかったが・・・、そんなことしてきたのか?お前は知っているんだろうが。何故、止めない?岬が好きでやっているのか?だから止めないのか?」 一気に捲し立てる若林は何故そこまで詰めて日向に聞くのか自分でもよくわからなかったが、それでも聞かずにはいられなかった。一緒にサッカーをやってきた仲間が、理由はわからないが到底好ましく思われない行為をしていたことに対して怒りが湧いたからだろうか。ただ興味本位で聞きたいわけでないことは容易に理解できた。 単にアイドルがどうとか、ゴシップ好きな連中が関心を持つこととは違うのだ。相手は一緒にサッカーをしている仲間なのだ。普通なら聞きたくない部類の話だ。 その聞きたくないはずの話を聞いてどうするのか。 岬に会って殴ってやめさせようとするのか。 そうかもしれない。 やはり怒りだろう、多分・・・。裏切られた気分と、いうのだろう。 一緒にサッカーをし、同じ夢を持ち、同じ翼という最高の仲間と目標を持ち。 それがどうだ? ふしだらと言って表現したらいいのか。それとも下品というべきか。日向が隠したがるのも無理は無い。 しかし、日向が本当に隠したかったのは、その事実ではなかった。 「岬は好きでやっているわけじゃないんだ。だから・・・。やっていること自体は同じスポーツ仲間として許せることじゃないが、嫌悪しないでくれ。」 若林が本当に聞きたいことはそんな事ではない。またもやごまかすのか? 怒りに染まりつつある若林の顔と比例するように日向の表情もさらに険しくなりのだが、しかしただ怒りを滲ませているというよりは、苦悩しているように見えた。 日向は何が言いたんだ?と若林はわけがわからなくなる。理由はなんであれ、やっていることは許せることではない。 「でも事実は事実だろうが!お前はだから岬と距離を取っているんだろう?確かにあんなヤツ、仲間でもなんでもない。それとももう仲間とは思っていないから距離をとっているのか?」 「そうじゃない。俺が言いたいのは、そうじゃないんだ。」 「何が言いたいんだ、日向!訳が分からんぞ、お前!!」 半ば喧嘩ごしになり腰を上げる若林とのやりとりに少し落ち着こうと日向は息を吐いた。どこか話しのピントがずれてしまっている。 が、やはり腹が立つのは仕方がないことだった。 怒りの表情を押さえきれない若林を見て、日向はため息を吐いた。若林が怒るのも解るという。日向自身もそれを知ったとき、実際に岬を殴ってしまったと日向は告白した。 でも、やはり捨てて置けない気持ちはあるらしく。とはいえ、どうしようもなく、ただ岬が倒れないように見守るしかないと日向は言った。 「だから、岬には理由があるんだ。そうしなければいけない理由が・・・。」 「理由?」 若林の眉間に皺が寄る。 「目、付けられちまったんだよ。組織に・・・。」 「組織?なんだ、そりゃ?」 「マフィアって言い方じゃ正しくないのだろうが・・・。」 「はぁ?今時、何言ってんだ?そんなもの、映画とか、ドラマとかの見過ぎじゃねぇのか?」 あまりの展開に今度は怒りより驚きでいっぱいだった。しかも呆れの混じった驚きだ。どこの世界だよ、そりゃ!と突っ込みたくなってしまう。 「組織自体がでか過ぎて、絶対ばれないよ。どんな組織か俺も岬自身にもよくわからないが、ヨーロッパを中心に世界中に広がっているらしいぜ。その”組織”ってのは・・・。」 「あのなぁ、日向・・・。俺はお前や岬よりう〜〜んと長い時間をヨーロッパで過ごしているんだよ。そんな俺でさえウワサさえ聞いたことないぜ?そんなもの。」 「当たりまえだ。だからでかいっていっただろう?そんじょそこらのしょぼい所じゃねぇから、上手くできてんだよ。大概、どこの国のチームでもコーチか監督が一枚絡んでいるからばれねぇ。下手なことすりゃ表舞台には二度と戻れないから、誰も何も言わないよ。例え”組織”のことを知っても逆にいいように脅されて反って利用されちまうから怖くて誰も何も言わねぇよ。」 「だからお前も黙って岬のしていることを見ているのか?」 「岬がそうしろって言うからな。俺んちは、俺の肩に家族の全てがかかっているから、それを知ってるから岬は言うんだよ。そんな岬の気持ちを無駄にしたくねぇ。」 「てめぇ、よくそんなこと言えるな!ただ単に怖いだけじゃねぇのか?」 日向は立ち上がってギッと若林を睨みつける。 「あぁ、怖いさ!もし、お袋達に何かあってみろ!直子なんて嫁入り前の娘だぞ!自分じゃなくて家族にその害が及ぶんだぞ。怖くて当たりまえだ。てめぇはどうだ?若林!!もしてめぇの所為でてめぇの親父の会社が潰れたらうどうする!!」 「んな簡単に潰れるような会社じゃねぇよ。親父の会社は日本だけでなく、アメリカやヨーロッパにもいくつか支社があるほどの規模なんでな。」 手を広げて何言ってるんだとジェスチャーをする。 「だから何もわかっていないんだ、てめぇは!知らないだろうが、この間のてめぇの国であった試合の事故。」 「あぁ?試合の事故?・・・・・って、シュナイダーが出た試合か?」 「ああ・・。」 「あれって、別にただの事故だろうが。確かシュナイダーの打ったシュートをDFが足で弾いたのをもう一度シュートしようとした別のFWと飛び出して、そいつがGKが衝突してFWの方が確か足を骨折したっていう・・・。あれが何の関係があるんだ?」 「警告だとよ。」 「警告?」 腕を組みもう一度「ただの事故だろうが」、と若林は呟く。 「そのFWのヤツ、”組織”のいうことを聞かなかったらしいぜ。」 「はぁ?」 「次言う事を聞かなかったら次はそいつの家族だと・・・。」 「うそだろう?そんな話は聞いてねぇし噂もないぜ。俺も試合を見ていたが、動きだって全然不自然さもなかったぜ?」 「だから審判から何からかグルなんだ。そういった展開になるように上手く仕向けたんだろう・・・。」 「できるもんなのか?」 「できるさ。長年八百長やっているヤツだったら。慣れたもんさ。」 「・・・・。」 若林が黙って、暫く沈黙が続いた。 「で、それと岬の売春と何の関係があるんだ。」 漸く核心に迫る内容かと若林はなんとなく思った。 「岬・・・・。フランスにいるだろう?で・・・・目ぇつけられちったんだよ。そいつらに。」 「は?」 「八百長は当たりまえだろう。当然、賭博もあり。ワールドカップの時は凄いらしいぜ。億の金が動くって話だ。で、もうここまでくりゃなんでもあり、だな。クスリで潰れちまった選手も多いし、金にものを言わせて選手を抱きたいってリクエストが入れば、いろんな手段を使ってその選手を一介の売春婦にしちまう。やっぱ向うでは多いらしいぜ、そういう趣味のヤツラが・・・。」 「本当にそんなのが存在すんのか?」 「あぁ、だってよ。実際に岬、やってんだろうが・・。日本に来てまでとは思わなかったが・・・。よっぽどご執心のヤツでもいるのか、それとも日本にもそういった客でもいるのか、それはわからないが。まぁ、日本に来てまでってなったからお前の目に付いちまったんだな。」 つい、と若林は黙ってしまった。確かに岬は朝帰りしたが、まだ本当にそんな事をしていたとは限らない。本当にお袋さんに呼び出されたのかもしれない。何故か急にそんなことまで思った。 しかし、日向の言葉ではっと我に返る。 つい若林は日向をじっと見詰めてしまった。 「信じないのは勝手だがな。どうせ俺達には、何も出来ない。まぁ、せいぜいお前も翼もヤツラの目に止まらなかっただけでもラッキーだったと思えばいいさ。売春どことろか、八百長でもさせられた日にゃ、もうチームメイトの面さえまともに見ることできなくなるからな。」 穿き捨てるように日向は言った。 「お前に話したことは、誰にも内緒だからな。俺だってヤバいんだ。岬に付いて来ているヤツにこのことがばれて見ろ。岬と同じ目にあうか、悪けりゃ、自分か家族が事故にあっちまう。お前の場合は親父さんの会社かもな・・・。お前の親父さんの会社がいくらでかかろうが、まともな会社じゃ太刀打ちできねぇ。そう世の中できてんだよ!」 クルリと踵を返すと日向は歩き出した。 「俺も岬から聞いたことしかわからねぇ。やはり聞いたことないからな。・・・・あぁ、一度だけ向うでそういう組織があるって噂は聞いたことはあるが、俺も何年かいて、たった一度だ。知っていることはこれだけだ。組織の名前すらわからねぇからな・・・。話はこれでしまいだ!」 さくさくと歩く日向に若林は待てという。付いて来ない頭でも漸く声を出した。 「いいのか?それでお前も岬もそれでいいのか!警察に行かないのか!!」 一度足を止めると日向は振り返りもせずに、ボソリといった。 「サッカーが出来るだけ、まだマシなんだよ。」 それはさっき言った、事故とかクスリでサッカーが出来ない体にされてしまうということを意味しているのだろう。 容易にそれがわかって若林は再度声を掛けることができなかった。 辺りはすっかり暗くなり、いつの間にか遠くに見える宿舎からは煌々とした光が漏れ見えていた。 「いいのかよ、それでお前も日向も・・・。」 見えない誰かに向かって若林は再度そう呟いた。 暫くして宿舎に戻るとすでにほとんどの者が夕食を済ませたようで、各々好きなように過していた。 昨日は一緒に食事を取っていた翼も昔の南葛メンバーと談話している。明るい表情は相変わらずで、どうも先ほどの日向から聞いた話と今目の前にある現実には落差があり、とうていそんな話は真実とは思えなかった。 実際、若林はドイツで長年サッカーをしているが、それらしい選手も見たこと無いし、そんなウワサ話も聞いたことがない。いくら大きな組織だろうが、小さな街人達の口噂などまで止められないはずだ。火のないところに煙は立たないと言うし、いくら考えても若林の周りにはそんな話は一切出たことはなかった。 それを日向はラッキーだと現したが・・・。 それとも、といつの間にか付いていた席で食事を取りながら考える。 目の前にある、今日は皆がご馳走と喜んでいたステーキ肉も味わうことなく、ただ口の中で咀嚼しながら脳内は味覚意外の違う働きで占められていた。 例えば八百長とか考えるなら、・・・どうだ?日本なんていいカモじゃないか?と考えて、ハタと思う。 いやいやと誰にともわからずに首を振る。 逆か?日本なんてまだまだ世界からすれば甘く見られている。ある意味大穴的な存在だ。だったら、賭博の際は誰も日本には賭けない。そこで日本が勝てば・・・親の総取り。はたまた誰かの1人勝ちを狙うか? としたら実際の実力はあったとして、どちらかといえば、日本の勝ちを手助ける意味でも日本より対戦国に八百長をさせるがいいに決まっているだろうが・・・。で、もちろん表では翼がサッカーの天才と謳われているのだから驚かれはしろ、疑われないだろう。 でも・・・。ともう一度思う。そんな単純なものか?と。 そういえば、審判もグルといっていたし、日向の話だとかなりの人数で八百長に関わっていると言っていた。と、いうことは例えどちらを勝ちにするにしてもいろんなところでの加担者がいた方が試合展開からも結果の数字からもばれ難いのかもしれない。 賭博自体は単純なものとしても、八百長の構図は結構複雑なのかもしれない。 例え今は岬がその売春紛いのことをさせられているだけにしても、いつかは八百長にまで加担することがあるかもしれない。 そうするとストライカーではない岬だから反ってその八百長が判りにくいか。いや、日向ももしかしらた今度は巻き込まれてしまうかもしれない。 いや、そういうことではない。と改めて違う思考が働いた。 自分達が一生懸命頑張っている試合だって実は、八百長が入っているのかもしれないのだ。だとしたら、俺達の努力はなんなんだ!と思う。試合で頑張って勝ったと今まで思っていた試合でさえ、俺達の実力でなく相手に勝たせてもらったのかもしれない。 そう思ったら遣る瀬無さと悔しさとが浮かび上がった。 なんなんだ!スポーツじゃないのか、これは?ただの賭け事なのか? 知らず知らず手にしていたフォークを握り締めていた。 誰に聞かれるともなく、クソッと言葉が漏れる。 いっその事・・・と思ったら目の前に影が出来た。 何事かと若林は顔を上げる。 テーブルに向うには意外な人物が立っていた。手にはトレーを持っている。 「ここ、座っていい?」 まだ食事を取っていなかったのだろうか?若林は自分が最後だと思っていたからそれが意外だったが、それよりも今朝から自分を避けていた人物が目の前にいることの方が不思議だった。 「・・・・岬。 「聞いちゃったんだね、日向くんから・・・。」 「いや・・・。俺は別に・・・。」 「顔を見ればわかるよ。」 トレーを机に置き静かに座ると、ナイフとフォークを手に取りながらゆっくりと若林に話しかけた。 |
話がでかくなってしまった・・・。どうしよう・・・。