膿 ー番外編7ー
「コーヒー冷たくなっちまったな。」 「あぁ、別に気にしないさ。」 そう答えて、すっかり冷えてしまった黒い飲み物を若林は口につけた。 日向も習って目の前の飲み物を飲み干す。 「それが切欠だったのか?」 「たぶん・・・・。小5の時だ。でも・・・・・。」 「・・・?」 日向は目の前の男を見つめて苦笑する。 「とりあえず、温かいの入れなおす。」 「悪ぃ。」 日向は立ち上がって小さい簡易キッチンに向かった。若林はその後姿をぼうっと眺めた。 岬が行方不明になって、何ヶ月経とうとしているのだろうか。 あの時はまだリーグ途中だったのが、季節は変わり、リーグ戦も終わった。 ストーカーと思しきファンから受けた傷も天気が崩れると多少ジクジクと痛む時はあるが、普段では何事もなかったようにすっかりと治った。完治してからの体調もすこぶる良く、岬がいない不安をサッカーにぶつけて必死になったおかげか、チームを優勝へ導くことができた。 日向も似た様なもので、まだ完全にレギュラーの座を獲得したとは言い難いが、試合に出れば必ずと言っていいほどに結果を出している。次リーグからはレギュラーの座をもらえることだろう。 その次のシーズンまで、心身共に疲れを癒そうと、若林はドイツを出てあちこちを回っている。 嫌なことも全て忘れられたら、と計画なしにあちこちをふらふらしようと家を出たはずが、何故か真っ先に日向の元へ来てしまった。 ことの内情を知っている数少ない人間の一人だからか、心のどこかで『岬の行方を知っているのでは?』と期待していたが、残念ながらその期待はみごとに裏切られた。 彼もまた、岬のことを心配しつつも何も出来ない自分を歯がゆく思っていたのだった。 だったら、自分の知らない岬の過去を教えて欲しい。若林は日向に告げた。 若林は、何故岬があんな状況になったのか、その元々のことを何も知らない。知らなくてもいい、とは思っている。だが、日向が知っているのなら、自分も知りたい。 「それで何が変わるわけではないが、お前が聞きたいのなら・・。」 一瞬、渋った顔を見せたが、そう答えて日向は扉を開けた。日向の知っている岬を知ろうと話を聞くべく、若林はそのまま日向の宿舎に上がりこんだ。 二人は今、日向の所属しているチームの寮となっているアパートメントの一室にいた。 最初、彼の部屋で話をすることは、もしかして組織に二人の話が筒抜けになるのでは、と上がり込んだ割には心配した若林だが、当人の日向は「今更だ。」と笑った。 「俺がある程度知っていることは、当にばれてるし、お前とのこともばれてる。今、俺達がする会話なんて、組織にとって世間話程度の内容しかないから問題ないさ。」 改めてコーヒーを入れなおした日向がカップを両手に部屋へと戻ってきた。 「続きを話そう。」 「まだ続きがあるのか?」 「今までのはただの切欠だ。あれからその苦い過去を忘れるようにしてサッカーに打ち込んで・・・・結局、俺達の街もいつもと同じように後にしたんだ、岬は。それからお前達に会って・・・南葛で日本一になって、すっかりその事は忘れて。過去のことになったと俺は思ってたんだ。実際そうだったと思う・・・・・。ヨーロッパで会うまでは・・・。」 「ヨーロッパで会った時?」 若林は眉を顰めた。 日向は若林の表情に「お前の想像通りだ。」と頷いた。 「中学の時だ。」 「それは!!」 絶句して立ち上がる。 中学の時といえば、自分もすでにドイツにいて、岬と一緒に全日本Jr.チームに参加した時のことだ。 その前にも一度、夏休みに会っている。その時は、ごくごく普通に話をして、一緒にサッカーをして、昔となんら変わらないと思っていた。 「俺は・・・!!」 「知らなくて当然だ。そもそもお前知ったの、まだつい最近じゃねぇか。」 日向はさも当然とばかりに俯けていた体を座っていたソファに凭せ掛けた。安っぽい寮の据付のせいか、ギシリと音が鳴った。 若林は一旦は立ち上がったものの、冷静になれるよう座りなおした。そのまま、結んだ両手を膝で支えて丸い背中をさらに丸めた。握った拳に力が入っているのを、日向は横目で見つめた。 「俺は、岬から聞いたんだ。ヨーロッパであったこと・・・・。あいつ、なんでだろうな。日本人って目を付けられ易いのか、フランスでも同じようなことが度々あったらしくて。」 ガタリと若林は再び立ち上がったが、日向の目を見て、顔を歪めて座りなおした。立ったり座ったり、と何度同じことを繰り返すのかと自分で呆れたのか、ため息を吐いた。 今、彼には何もできない。 ただ今は、知らなかった彼の過去と向かい合うしかなかった。 |
09.02.14
もう少し続きます。お付き合いください。って、若林、久し振りだな・・・。