膿 ー9ー
ドアの開く音が遠く聞こえた。 思わず若林の身体がビクリと跳ねる。 一瞬、この部屋へ入るドアが開いたのかと、ビクリとしたが、先ほど鍵を掛けたことを思い出し、ホッとする。 たかだかドアの開く音にドキリとする自分にさらにらしくない、と内心苦笑する。 今日はやはりおかしいのだろうか。 いや、ここに来た段階ですでに「おかしい」のだが。 音を立てないように、ソファへと座った。今いる部屋が小さい為か、ドアにくっ付かなくても隣の部屋の様子を伺うことができた。 さらにドアの音が続く。 一体何だろうと思うが、確かこの部屋へと続くドアの反対側にはシャワールームがあったことを思い出す。先ほど岬が簡単に説明をしてくれた。 あぁ、シャワーを浴びに行ったのだろう。 一体、誰が?岬か、それとも岬を買ったという相手か? ドアの音とは別にバサリとかガサガサとか、何やら違う音も聞こえる。 例えば、岬がシャワーを浴びに行ったとして、相手が上着でも脱いでいるのか。逆に買主がシャワーを浴びに行ったとして岬が服を脱いでベッドに入ったりでもしているのか、どちらか。 そして。 その先のことまで若林は想像してしまった。このまま時間が経過すれば想像だけではすまないのだが・・・。 誰ともわからない相手に服を脱いで、いや、やはり相手に脱がしてもらうのだろうか?それともボタンが外れて軽く肌蹴たシャツから手を入れられて愛撫されながら・・・。 若林の額から汗が流れた。空調は調節されていてちょうどよい涼しさなのに、やたらと汗が出てくる。 「くそっ!」 知らず声が漏れる。もちろん向うには届くはずがない音量だが、若林にはやたらと自分の声が大きく耳に入っている。 が、若林の叱咤よりももっと大きな音が耳に入ってきた。 いつの間にかシャワーから出たのだろう。先ほど同様ドアの音が聞こえた。それに続くガタリ、ドサリという音。 いつの間にそんな時間が経過していたのか。 先ほど頭に浮かんだ光景が巻き戻され、再度、再生される。浮かんだ映像は下手なビデオよりも鮮明で鮮やかだった。 目の前で流れる映像が現実と化した音、ではなく声が聞こえる。 「あっ!・・・・んんっ!」 岬の声か!! 思わず耳を塞いでしまった。硬く目を瞑り、どうにかやり過ごすことができないだろうかと耳を押さえる手に力を入れる。 岬の「後悔しない?」の声まで再度浮かんだ。あの段階でかなり艶を含んだ声音をしていた。 が、今はそれは比ではない。 娼婦の声だ。 『後悔はしていない?』 娼婦の声とダブって何度も何度も頭に繰り返される言葉。 後悔はしていないはずだ。決心してここに来たのだ。 でも、この嫌悪感は何だ。いや、岬の秘密を知った段階で岬に対して嫌悪感はあったはずだ。しかし、今までのものとは違う嫌悪感。一体何だ? 後悔していない。後悔していない。後悔していない。後悔なんかするものか。 何度も呪文のように、自分の返事を浮かべる。呟く。 多少落ち着いて、ふぅ、と軽く息を吐いて力を抜いた。 と、同時に。 「ああぁっっ!!!」 声が響いた。 ドアの向うからだ。 ビクッと若林の身体が震える。 思わず床に手をついた。ソファに座っているはずが、いつの間にかソファの下に蹲り、今にも倒れるかと自分でも感じた。それを床に手をつく事でなんとか堪える。瞑っていた目を見開いた。 ワナワナと身体が震えだす。 「いやぁっ!・・・・・・・ひいいっっ・・・・・!!」 一際甲高い声が大きく若林の耳に届く。 同時に一緒に妙な音が耳に響く。 ぐちゃっぐちゃっ、という水音のようなものと、パンパンという何かがぶつかる音。 何でここの壁はこんなに隣の音が聞こえるんだよ!とホテル側に文句の一つもいいたくなってしまう。普通これだけの建構をしていたら隣の音が漏れるような作りをしないもんだろう!ホテルの関係者どころか、工事関係者にも苦情が言いたい。あぁ、いや、これは同じ一部屋だからいいのか?とまで余計なところまで考えてしまう。 そんな場違い的なことまで考えてしまうが、それでも隣から聞こえてくる音はひっきりなしに続いている。 引き戻される。 さらに音が激しくなった。 ベッドの軋む音も混ざり、徐々に激しくなっていく。 ギシギシギシ、ミシッミシッ! パンッパンッ! グチャッグチャッグチャッ!! それに比例して岬の悲鳴めいた啼き声まで大きくなる。若林が隣にいるのにこれだけはっきり聞こえるように大声を出すという事は、わざと若林に聞こえるようにしているのか。はたまた、本当に岬はそこまで淫乱になってしまっていて、もう我慢できないぐらいになっているのか。それは若林にはわからないが・・・。 「ああっっ!!・・・・・あああんんんっっっ!!!・・・・・・ひややぁぁぁっっ・・・・!」 「・・・・・・・・。」 「やあっ・・・・、やめてぇっ・・・・。いやあああぁぁんんっっ!!」 相手の囁き声は聞こえないが、岬の乱れる様は休む間もなく届いてくる。 目眩がするようだ。 ついた手は強く床の絨毯を毟るように握り締めていて。指先まで震えている。 嫌な汗が止まらない。 叫びだしたいのを、必至に押さえる。歯がギリギリいう。 ドアの音がしてからたいして時間がかからないうちに岬の声が聞こえ出して。伝わる音からはどう考えてもすぐに交わったように感じられた。 と、いうことは早々に? 慣らしもせずに? 男だから女性とは違って挿入に至るまではかなり時間を要するかと思っていたが、それは無視か、それともそこは若林が勝手に思っていたことだろうか。 甘いことを考えていた若林は、やはりドアの向うからすれば、いないものだから。 買主のいいように事が進んでいるのだろう。 早々に全裸にさせられて、いや、服は着たままかもしれない。 それでもベッドの上で早く脚を開かされて。 若林の中で、また露わな岬が浮かぶ。 限界まで開かせれて震えている爪先。痙攣寸前の股。サッカーという職業上、硬い筋肉を考えるだろうが、その中で岬は柔軟でしなやかな腿をしている方だ。プレーを見れば一目瞭然だ。肌も男にしては滑らかだし、色も女性並に白い。とても綺麗な身体と肢をしている。 その足が指先まで撓っていて。さらにふるふると震える。それは恐れからか、それとも快感からか。 表情も艶やかで、相手をさらに昇り詰めさせることに違いない。普段白い頬はこれ以上ないくらい赤く染まっていて、綺麗な中に可愛らしさも現している。 生理的に出てしまう涙は目尻に溜まり零れんばかりで、これもまた相手を煽ってしまう。茶色の髪も扇情的にベッドに広がって、岬がイヤイヤと首を振るたびにさらさらと零れる。白いベッドに茶の色が透けて見え、色彩としての華やかさはないが、この場にはマッチしている。 硬く握り締められている手は、シーツを掴み。もう片方の手は相手の首に廻されて快感により打ち震えながら広い背中を彷徨う。 もっと、と強請る声は掠れていて、もはや限界が近いことを訴えている。 若林の脳内は岬で埋め尽くされた。それもこれもあくまで想像の域を出ないのが正直なところだが、しかし、事実であることもまた隣から奏でられる音から理解していた。 「もっとっ・・・・。もっとぉっっ!!」 さらに高くなる岬の声。 ビリビリと壁に響いてくる。 なんて声を出すんだ! こんな状況を予想だにしていなかった。 考えもしなかった己の状態に愕然とする。 気が付き、下を覗き込んだ。 もはやはちきれんばかりに膨らんだ己の股間が目に入る。タラタラと汗が流れ、嫌な感情が渦巻くが、はたしてそれだけではない。 恐る恐る下半身に手をやる。 若林は、仲間である岬の声に反応する己をどうにかして諌めようとするが、反ってそれが自分自身をも、煽っている事をわかっていなかった。 ゆっくりと息を吐き。ゆっくりとファスナーを下ろす。喘ぎ声を背景にジジジジとファスナーが開けられた。 いつの間にこんなことになってしまったのだろうか。 暴発寸前まで上り詰めしまった自身がすでに汁で下着を湿らせてしまっているのが目で確認できた。 最低だ。 岬のことか、自分のことか、何を指してかわからないままにぶつぶつと「最低だ」と呟く。それでも弄りだした手は止めようがなかった。欲が頭を擡げると、もうどうしようもなかった。 「クソッ!」 舌打ちも意味なく消えた。 結局、開放してやらなければ、収まらないだろう。 下着から硬く芯を持ったペニスを引き出す。つるりとした感触の中に糸を引くねばりとしたものがさらに若林を自己嫌悪に陥らせた。 しかし、もはや自己嫌悪に浸っている場合ではない。限界だと訴えているのだ。分身が。 若林は、遠く聞こえてくる声に併せて手を上下させた。 「あっ・・・あっ・・・・あああっっっ!!・・・・・・・んんぅぅっっ!・・・・・・。」 ゴシゴシ、音が立つほど激しく手を上下させる。ゴプゴプと、後から後から溢れ出る透明な汁がその手に絡みついた。 「くぅっ!」 呻き声まで出てしまう。まるで自分が岬を抱いているような錯覚に陥りそうになる。 頭の中の岬は、限界まで足を広げ若林に懇願していた。 若林の砲身はすでに岬の中に埋もれていた。 狂いそうだ、どうにかしてくれ、と岬は涙を流して体を若林に体を揺す振られている。ガクガクと膝も揺れている。ピンと張り詰めた爪先は攣りそうだ。 髪を振り乱し、首が仰け反り、折れそうに弓なりになった背中は汗でびっしょりだ。お互いの身体はまったくの隙間がないほど密着していて、こちらも汗が流れているが不快感はない。噴出する汗ですら快感をもたらす。 頬だけでなく全身赤く染まった身体は若林に絡みつく。 涙ながらに開放を願う声は、もはや掠れて聞き取りにくいが、掠れた声音すら若林を煽る。 岬の足首を掴んでいる手には痣が付きそうなほど力が入った。 ぐいっ、ぐいっ、と更に岬の奥に太い肉棒を捻りこむ。と、今度は一気に離す、が抜きはしない。 「あっあっあっ・・・!・・・・わっ・・・・わかばや・・・・し・・・・くっ・・んぅぅ!!・・・・・おねが・・・いぃぃっ!もう・・・もう・・・・だめぇぇ!・・・・・イきたいっっ・・・・イかせてぇぇっっ!!!」 「まだだっ・・・・まだ、ダメだ、みさきっ。・・・・俺より先にイくなっ!」 「やあっっ・・・。いやあぁぁっっ・・・。わかっ・・・。わかばやしくぅぅんっっ!!・・・・・イくぅぅっっ!!」 「いい・・・ぜ・・・、みさきっっ。・・・・・俺も、もうイく!」 言葉通り、音を立てて岬は絶頂を迎えた。 「あああぁぁぁっっ!!!!」 岬の放ったものに身体が滑るが気にせず、若林は動き続けた。が、もはや若林も限界だった。 ヒクヒクする体を奥へと貫く。 若林も後に続くとばかりに勢いよく突くと、岬の最奥で頂点を迎えた。 はぁはぁはぁ・・・・・。 かなり呼吸が乱れている。サッカーでもこれだけ息を荒げることは、そうない。 呆然と己の手を見つめた。 そこには白く濁った精にまみれた己の右手があった。 「くそっ!!」 何度も口にした悪態を吐いて、若林は白い糸を垂らした右手を握りこんだ。 気が付けばドアの向うも静かになっていた。 こんな・・・。 暫く若林は、呆然と汚れてしまった自分の手を見つめていた。 こんなことをしてしまうなんて・・・。 隣から聞こえる岬の声に自分が反応してしまい、どころか、啼き声を背中に己の欲望を吐き出した。 止まらなかった。止められなかった、自分の欲を。 自分を扱く前から生まれた嫌な感情は、留まる事を知らずさらに下方へと落ちていく。 これもみな、岬の所為だ。 元々承諾していた自分のことを差し置いて、岬がまるで諸悪の根源だといわんばかりだ。見えるわけもなし、わかるわけもなしに壁の向うを睨みつけた。 隣からは、客が帰ったのか廊下に続くドアが閉まる音が遠く聞こえた。 はっとする。 帰らなければ。 今は岬をどうこう思っている時ではなかった。 「このままじゃ・・・。」 ノロノロと若林は立ち上がり、汚れた手を洗うためにこの部屋に設置されている簡易シャワールームへと向かった。 ゆっくりとドアを開け、洗面台に凭れながら、手を洗った。 洗い流される手を何度ゴシゴシしても、もはや膨らんでしまったうす汚い己の心は洗いようがなかった。 なんとか手を洗い、落ち着こうと顔を上げる。 目の前に迫ったガラス窓からは、数多くの星が見えた。 「あぁ、違った。」 星ではなく、街の明りだと気が付く。 呆然と窓から外を眺めていると、後方からゆっくりとだが、ガチャリと音がした。 若林にはもちろんその音が何であるかはわかっているため、振り返ることはしなかった。 それどころではない。 後悔でいっぱいだ。後悔はしないと言ったのに。 いろんなことが頭の中でグルグル回る。思考の大洪水だ。 順を追ってどうしてこうなってしまったのか考えようとしたが、それはもやは若林には無意味だったのだが、それでも後悔の元を探ろうと頭を巡らした。 「帰ろうか・・・。」 そこで思考は止められた。 ハタと若林は慌てる。 どんな顔をして会えばいいのか・・・。 いや、そう思うのは俺ではなくて岬の方ではないのか? そう気が付いたのは、思わず振り返った目に入った岬の表情を見てからだった。いや、正確にいえば表情は見えないのだが。 声は発するが顔が俯いたままだ。発する声も弱ったネコのようにか細くて聞き取ることが出来たのが不思議なくらいだった。 岬も来る前は開き直ったからか、あんなに普通以上に普通にしていたのに。この違いは何なのか・・・。 「あぁ・・・。」 後悔はしないと言った手前、若林の方こそ、今度は普通にしていなければいけないのだろうが、そう答えるのが精一杯だった。 だって・・・。 まるで子どもの言い訳みたいな単語が脳裏に浮かぶ。 だって、俺は・・・。 先ほどの自分の行為に吐き気がするほどだ。だが、あの時はその吐き気をもよおすほどの行為をした自分を止める事ができなかった。できなかった。 キレイに洗った自分の手を見つめる。 だって、俺は、あの岬の声を聞いて、己の欲を吐き出したのだ。この手で・・・。 後悔以外の何物でもないだろうが!! 後悔以上に嘔吐したいほどの悪態を心の中に吐き、嫌悪感を抱く。 「最低だ・・・。」 今だ誰をもって言っているのかわからない、今日何度目かの言葉は小さなものだったが、背中を向けて先に部屋を出て行く岬にも届いていた。 |
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支離滅裂とはこのことを言う。