膿 ー12ー
ガヤガヤと賑わう食堂の隅に小さな背中を見つめた。 それは、とてもとても小さな背中に見えた。サッカー選手としてスポーツをやっているため実際はそれなりに背丈もあり、また線は細いとよく言われるがそれなりに筋肉もついていて、そんなに小さなものではないはずなのに。 小さく見えた。 まるで、誰にも見つからないように。気づいてもらわないように隠れているように若林には見えた。 「岬・・・・。」 ポツリとその名前を口にして。ハッと若林はした。 ボリボリと頭を掻きながら昼間の翼の言葉を思い出す。 『怒ってないって岬くんに、ちゃんと言ってね。』 明るく言う翼に違うとは言ったものの、何が原因でこう気まずい空気ができてしまったのかは、言えない。 確かに、ケンカしているわけではないのだが、傍目から見れば、若林と岬は、若林が岬の何かを怒っているように捕らえることができるほどの距離があった。 しかし、若林は決めたのだ。 翼のためにも、岬と今まで通り接しようと。 誰にも気づかれない程度の小さなため息を吐くと、隅に縮こまっている小さな背中に向けて歩きだした。 今日の夕食は、若林の好きなうな丼だった。 おいしく食べたいと、手にしているトレーに目をやる。 今の岬と楽しい食事時間が過ごせるかはわからなかったが、でもできるだけおいしくうな丼を食べたい。 若林は努めて明るい顔をしながら、岬のいるテーブルに近づいた。 岬は1人で食事をとっていた。 離れたところからは、笑い声が響いてくる。大勢の笑い声を背中に若林は、誰だと思い耳を立てた。 声を聞くと、どうやらまた石崎だ。 アイツはいつも、煩いな。その元気を練習にぶつければもっと上手くなるのに、と内心舌打ちする。 うな丼の横にある味噌汁を溢さないように注意しながら、若林は岬の横の椅子を引いた。 正面から顔を見るよりは話がし易いと思ってのことだ。 ガタリと椅子が音をたてても眉一つ動かさずに岬はもくもくと食事を続けていた。 すぐ横に俺がいるのがわかっているだろうに! 若林は、岬の対応に多少なりとも癇に障るが、よくよく考えればそれも仕方のない事と思い、まずは深呼吸をした。 その動作自体も逆に考えれば、岬の癇に障るかもしれないとあわてて思い直し、とりあえず声をかけてみる。 「よぉ。」 それは、岬に届いたかどうかわからない程の小さな声だった。 何を話してよいのか、そこまでは考えていなかったため、若林は何をどう話していいのかわからずに、つい翼の名前を出してみる。 「翼がさ・・・・。」 ピク、と岬の食事を進める岬の手が止まった。やはり、岬も翼には弱いのだろう。 「仲直りしろと・・・。お前と俺・・・。」 「別にケンカしたわけじゃ、ないだろう?」 「まぁ・・・・・そうだけどよ・・・。」 「だったら別に問題ないじゃない?」 それだけ答えると岬は、また食事を再開した。と、いっても後はお茶を飲む程度だ。 軽くお茶を飲みながら様子を伺っているように若林には思えた。 それはもはや決して、今までのような仲間に戻れないことを意味しているような仕草だ。軽く目線を上げて、相手の様子を警戒しているように伺っている。 「でも・・・。」 「翼くんの為だからだろ?別に翼くんには、ちゃんと仲良くやっている、って言っておくから。だから若林くんは何も気にせず、翼くんのお守りをしていればいいから・・。」 「何だよ、そりゃ!翼のお守りって・・・。」 「大丈夫だよ。翼くんに害が及ぶようなことはしないから・・・。」 話が翼のことになって、何でだ、と思いながらも会話を続ける。徐々に若林はイライラしてきた。 自分が言いたいことはそんなことではないと伝えたいが、どうやって伝えたらいいのかわからない。 「・・・・そりゃあ、翼のことも心配だけど、でも、お前だって・・!翼だってお前のこと、心配しているだろうが。」 「それは、君と僕がケンカしていると思っているからだろう?だから、何度も言わせないでよ。ケンカなんかじゃ、ないんだから・・・。」 何を言っても無駄のような気がした。 会話になりはしない。 「くそっ!」 舌打ちして、ガタリと席を立った。 幸い石崎達が騒いでいるおかげで自分達の様子に誰にも気づかれなかったが。 勢いがついて、ピチャとほんの少しだが、味噌汁が零れた。さっきまで、好きなメニューということと、せっかくだからおいしくおいしくいただこうと思っていた食事も、もうどうでもよくなった。 乱暴にトレーを持つと石崎達の方へと歩き出した。 せっかく俺が声を掛けてやっているのに・・・。余計なお世話かよ! やっぱ、日向が正解だな。気にしてやるだけ無駄だ。 理由は何であれ、本当は好きなんじゃないか。男に抱かれる事が・・・。 あ〜。今日も、行くんだよな、あのホテル。 でもって、またどっかのエロジジイに抱かれて、あんあん言うんだ。 絶対喜んでいるんだ、あいつは!! ちくしょう!!! 声にならない叫びを上げて、若林は食堂を出て行った。せっかく好きな食事も取る事もなしに。 もう金輪際、岬には関わる事は止めてやる!!話もするもんか!!! 「今日で合宿最後だね。」 「うん、試合でこの合宿の成果を出したいよ。」 「岬くん、今日最後に送ってくれたパス、今までで一番シュートが打ちやすかった。あ、もちろん今までも俺にとっては全て思ったところに出してくれるすごく息のあったものだけれど、今日の最後のは、特にそう感じたよ。」 「そう?やっぱり、普段離れているのもあるからかな。合宿で練習しているうちにどんどん翼くんがどんなプレイをしたいかが手に取るようにわかってくるんだ。」 「黄金コンビと言われてだいぶ経っていろいろな経験をしちゃってるから、あの小学生の時のようなプレイは出来ないかと思ったけど、まだまだ俺達、上へ行けるよね。」 「・・・・うん。」 ニコニコと笑いあいながら、翼は岬と荷物を整理していた。 合宿が終わる為、移動をしなければならない。このまま試合会場の近くのホテルへと移動し、試合へと臨む。 大して距離があるわけではないので、午前中はもちろん軽く仕上げと称した時間があったのだが。 元々そう量があるわけではない荷物を整理しながら、翼と岬は合宿の総仕上げとばかりにお互いのプレイについて話し合っていた。それは翼にとっても岬にとってもサッカーをしている時と同じくらい何よりも楽しい時間だ。 が、つい、翼が一瞬間を置く。 どうしたのかと、岬が翼を見つめる。と、何やら今までの楽しい会話からはほど遠い顔をしていた。 岬は首を傾げて翼に何を言いたいのか?と促す。 「あの・・・・。若林くんのことだけれど・・・。」 「・・・・・・・!」 「仲直りしていないだろう・・・?」 「・・・・・・。」 あの一件以来、翼はとりたてて何も言わなかったが、若林と岬の様子をそれとなく見ていたのだ。 「つばさ・・・くん。」 「違うの?」 「・・・・・・違う・・・・よ。」 岬にはそう答えるしかない。 それ以上のことを聞かれたらどう答えるべきかは、以前翼に若林と自分がケンカをしているなら仲直りをしたら?と、言われてから考えてはいたのだが、それでもずっと翼は黙ったままだったので、すでに終わったものだと忘れていた。 翼はかなり真剣に聞いている。だったら岬も真剣に答えるのが礼儀だが、そうするわけにはいかない。 「岬くんも、若林くんも、もちろん、プロだからその辺りはちゃんと試合できると思うけど。・・・それは練習を見ていれば分かるけど。でも、試合が終われば、そのまま若林くん、ドイツへ帰っちゃうんだよ。いいの?このままで・・・。」 岬は笑顔を崩すことなく会話を続けるが、その笑顔はそれでもかなり引き攣ったものだと、自分でも感じていた。 「だから、ケンカしていないって言ってるだろう?翼くんも、大概しつこいね。」 頑として否定する岬に翼がさらにイライラを顔に出す。 「ほんとうに・・・。本当にいいの?これで・・・?」 イライラした表情の中にも哀しさを含んだ声音で再度確認してくる。 「翼くん・・・。心配を掛けてごめん・・・。でも、本当に何でもないんだ・・・。」 どうしても翼に言うことを肯定するわけには、いかなかった。 少し俯いて、暫くそうしている翼に岬は心が痛む。ずっとずっと、翼を欺いていかなければいけない。 でも、それは翼の為でもあるのだからと、何度も心の中で反復する。 俯いたまま、翼が尋ねた。 「信じていい?」 「・・・?」 「岬くんの言葉を信じていい?」 「・・・もちろんだよ、翼くん。大丈夫、僕と若林くんは、ケンカなんてしてないし、試合もだけれど、ちゃんと仲間として、友達として、今までもこれからもちゃんと付き合っていけるんだから!」 翼が岬を見上げた。 「ほら、もう出発の時間だから・・・。行こう、・・・ね?」 軽く背中をポンと押すと、翼もようやく岬の言葉を聞き入れたのか、笑顔を見せた。 翼を騙している、と心が痛む。 それでも、やはり・・・、と岬もなんとか笑顔で翼を見た。 「ん。そうだね。行こう、岬くん。」 開いたままだったバックのファスナーを閉じ、翼も岬も立ち上がった。 宿舎の玄関を出ると少し離れた駐車場にバスが見えた。 今回の試合会場は国際試合とはいえ、日本で行われる。しかも宿舎からあまり遠くない会場だったため、移動はバスだった。 その為か、もうすぐ時間というのに皆のんびりしているようで、準備を終え部屋から出てきている者はまだ少なかった。 その少ない者も談笑してバスにまだ乗り込んでいない。 呑気なものだと、若林は内心笑った。 試合は今夜だ。 緊張感がないわけではないだろうが、でもリラックスしすぎじゃないか?とも思う。 もちろん、合宿自体がかなりハードだったため、午前中に行った仕上げを見ても試合に負けるとは思えないほどの出来はいい状態であった。 まぁ、いいか・・・。 実際に試合になれば、誰も彼もが集中し、信じられないほどの力を発揮することはわかっている。 今は、それまでのほんの一時の休憩だ。 実際に若林も玄関を出たところで空を見上げて、のびをする。 ん〜〜〜。と腕を挙げ、首をコキコキと廻したところで、つい見たくないと思っている人物を見つけてしまった。 はぁ、とため息を漏らそうとして、ん、と首を傾げる。 一緒にいるのは、翼じゃないのか? 誰だ?一体・・・。 岬の横に見慣れない人物が立っていた。 それは、どう見ても日本人とは言えず、この合宿の関係者でないことは一目瞭然だった。 「あ・・・、あれ、岬くんのクラブのコーチだって。」 若林の疑問をそのまま言い当てた言葉が後ろから耳に届いた。 一体誰かと、振り返るとそこには、翼が軽く笑って立っていた。 「翼・・。」 「気になる?」 遠く岬を見つめたまま翼は問うた。 「いや・・・・。見慣れないヤツがいるなと思って・・・。」 「まぁ、関係者じゃないけど・・・、でも岬くんに用事があるからって。わざわざ日本にまで来て、何だろうね?」 「さぁ?俺には関係ないさ・・・・。」 つんと返す若林に翼は顔を向けた。 「まだ、ケンカ・・・してるわけじゃないだろう?どうしたのさ、一体。ずっと若林くんも岬くんもおかしい・・・。岬くんは違うというけど・・・。でも、若林くん、未だに岬くんを避けているように見える。一体何があったのさ?」 グッと若林は詰まる。 確かにそうだ。翼の言う通りだ。 が、やはりその理由を言うわけにはいかない。 「だから、何でもないさ。岬もそう言っているだろう?」 「でも、若林くん、言葉も交わさないでも、いつも岬くんを見ている・・・。」 えっ! 若林は驚きの声を上げそうになった。 若林にはそんなつもりはまったくない。岬とは一切関わらない事を決めたのだ。岬を見ているなんてことは、あり得ないと思う。 「今だって、気になるだろう?岬くんが知らない人と話しているのが目に入ったんだろう?」 ギュッと若林は拳を握った。 そんなはずはないと思う。断じて気になるはずはないと思う。 しかし。 チラリと岬の方に目をやる。 少し茶色がかった金髪は、岬の所属するクラブの人間だろう。ヨーロッパの人間と言われれば、あ、そうかと思う。 と、いうことは・・・。 何の話をしているのか! これから試合だというのに。 移動時間からもうずっと皆と一緒に行動して、試合が終わるまでは何も出来ないはずだ。 試合が終わって、そのままホテルで寝て、明日には解散だ。 話をする2人に目が留まる。 ホテル・・・。今夜はホテルで宿泊だ。 「・・・・くん?・・・・・わかばやしくん!」 一瞬、思考が飛んでいたと頭を振る。 「どうしたの?若林くん?」 「あぁ・・・、何でもない。・・・翼、今夜は試合だ。その話は、もう終わりにしよう。」 「・・・でも。」 「何度も同じことを言わせるな!試合に集中しろ!!」 半ば怒鳴るように話を切った若林に翼はビクリとする。 しまったと若林は翼の肩に手を置く。 「本当に大丈夫だから、翼・・・。こんなことで調子を狂わせて試合に負けたくないだろう?」 コクリと翼は頷いた。 「岬とは今までも、そしてこれからも、仲間で友だちだ。俺を信じろ。」 「岬くんも同じような事を言ってた。」 「だったら何も心配ないじゃないか?な、試合だ、試合。」 漸く納得がいったのか、翼が笑顔を若林に向けた。 「そうだね。誰もが調子を崩すとは思わないけど、試合に集中しないとね・・。」 ニコリと答える翼に若林も笑顔を返す。 が、若林の方は、逆に岬からようやく離れて行った岬のクラブのコーチの事が気になった。 試合だ、試合。 それからだ!! 拳を握り締め、硬く目を瞑った。 |
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まだまだ先は長いな・・・。(涙)
2005.11.01