ー13ー




試合は日本の大勝だった。
もちろん相手が弱かったわけではないが、いつも以上に翼も岬も力が入っていたように若林には思えた。
その理由が、自分と岬との仲を心配して調子を崩してはいけない、それが原因で不調になって試合に負けるようなことになってはいけないと、必要以上に考えていたからかもしれないと、若林にはなんとなくだが、感じた。
もちろん、自分もそうだったからだと言えばそうなのだが。



試合も終わり、皆笑顔で宿泊場所になっているホテルへと向かう。
移動のバスの中では、予想以上の大勝に皆、有頂天だった。
早くビールが飲みたい、と騒いでいる。いや、そこはシャンパンだろう、と柄にも無い声も飛んでいた。
若林も笑顔で、監督の賞賛に答える。
理由は何であれ、自分でも驚くぐらいに動きも指示も冴えた。
心はこんなにも暗く澱んでいるのに。渦巻く感情は今の皆の喜びとは正反対だ。
バスの中をぐるりと見渡すと、自分と同じ顔をした人物を見つけた。

岬・・・。

ポンポンと頭や肩を叩いて褒め称える仲間には笑顔を向けているが、誰も声を掛けない時などは、静かに外に目を向けていた。
若林との事があったからとは到底思えない。
これからまるで監獄にでも入れられるのでないかと思えるほどの。
若林は、その顔をチラチラ盗み見して思った。

対して、翼はと目線を動かすと。
皆と一緒に笑っている。
宿舎を出る前は、あんなに心配気にしていたのに。
岬と自分の言葉を信じるといったからか。試合を見て安心したのか。
ふっきれた顔をしていた。
いつもの翼だった。

らしい。
と若林は思った。翼らしいと。
翼は自分や岬と違って、いつまででも引きずってうじうじしていない。
いつもだったら自分だってこんなにも、感情をいつまででも澱ませていないはずなのだが・・・。
そう思う若林は苦笑した。
もう関わらないと決めたのに、結局、あのコーチという人物を見たとたん、気になって仕方が無くなった。
いや、正確にいえば、ずっとずっとあの日から気になってはいた。目は岬を見つめていた。
それは翼の指摘通りだろう。己の感情に無理矢理嘘をついていた。
どのような感情を持って岬が気になるかは今だわからないが、自分に嘘をつくのを止めようと若林は思った。

試合も終わった。
落ち着いてもう一度、岬と話をしよう。
試合と同時に合宿も終わるのだが、納得するまで。自分の感情がすっきりするまで時間がかかっても向き合おう。

外を見つめる岬を見て、改めて思った。












ホテルでは、まさに幸運というしかなかった。
珍しく若林は岬と同室だった。
普通はGK同士で部屋が一緒になるか、シングルで1人になることが多い。
普段ならありえないのだが、今回は試合後の一泊ということもあってか、部屋の割り当ては決まっておらず、それぞれがそれぞれに好きに部屋へと入っていったらこうなった。

あの盛り上がりじゃあしょうがないか、とも若林は笑う。
皆、早く酒盛りがしたいらしい。
時間が時間だったので、夕食はホテルに着くなりそのままレストランへと通された。ホテル側もなるべく早く食事を取って欲しいんだろう、と誰かが言った。荷物はそのまま係の者がクロークへと運んでくれた。
食事はホテルらしくバイキング形式だったため、それぞれが思い思いのペースでとり、それが終われば息のあったもの同士で時間を過ごそうと別れた。
ホテルのバーへ出かける者もいるだろうし、部屋で飲む者もいるだろう。疲れてはいるので、ホテルの外へわざわざ出向く者は少ないだろう。
そして、今一盛り上がることが出来ない人間が必然的に部屋に入ったら、こうなってしまった。多少、若林が意識していたこともあるのだが・・・。



岬は咋に嫌な顔をしたが、この際それは見ない振りをする。
これは成り行きで仕方が無い事だと自分なりに納得させようとしているのだろうか。下を向いて若林の顔を一向に見ようとはしなかった。

一方の若林は、今夜、何とかして話をしようと考える。
今すぐなんとかしてやれなくても、前のように皆で楽しくサッカーができるようになりたいと若林は考える。
今夜のような大勝の試合はできても、実際は試合・・・。サッカーそのものは楽しくなかった。
ただただ必死だった。
負けないために。負けた言い訳をしないために。
そんなものではなく、翼の言う、「ボールは友だち」の言葉そのままに楽しく友だちと遊ぶようにサッカーをしたい。それはプロであろうが、アマチュアであろうが関係なく、サッカーというスポーツをするものの特権だろうと若林は考えている。
だから。
だから、皆で。岬とで。
楽しくサッカーをするためにも。
そして二度と翼に心配を掛けないためにも。
自分がすっきりするためにも。
また岬と笑いあうためにも。
話をしようと若林は思った。










やはり若林の予想通り、岬は誰とも出かけなかった。いや、皆で飲みに出るのなら端っからここにはいないだろう。
若林もホテルのバーへ飲みに行こうと誘われたが、「今回は疲れたから」と、部屋に篭る事にした。

お互い気まずい雰囲気を醸し出してはいたが、あえてそれには気が付かないようにする。

「試合が終わってから、一度シャワーを浴びてはいるが、どうする?使うか?」
「・・・・。」
「みさき・・・?」
「・・・若林くん、お先にどうぞ。」

とりあえず話す切っ掛けをと声をかけた若林に冷たくあしらう岬に内心ため息を吐く。仕方がないことだとはわかっている。
「じゃあ、先にシャワーを借りるが、出たら一緒に飲もう・・・。」
そう言うつもりで腰掛けていたソファーから立ち上がろうとすると、それより先に岬の方が動き出した。
さっさと足をドアに向けて出て行こうとする。

「どうした、岬・・・・。」
「出かける。」
「出かけるって、どこに・・・。もう、今日は何もないだろう。それとも皆と一緒に飲みに行くのか?だったら、俺も・・・。」
「若林くん!」

くるりと踵を返す岬の顔は、苦渋を現していた。
若林の脳裏に今日、宿舎を出る前の光景が浮かんだ。

「出かける。・・・・けど、朝まで帰らないかもしれないから、部屋のカードキー借りていくよ。どうせ、若林くんは出かけないだろう?」
「出かけるって・・・どこへ?飲みに行くなら俺も一緒に・・・。」
「違うよ。」

すぐに否定される内容に若林の背中に嫌な汗が流れ出す。
もしかして、と思う。

「行くなよ。」
「すでに契約されたことだから・・・。それに移動に問題がないように、このホテルだし・・・。」
「・・・!!」

予想された内容だったが、予想された以上のことに若林は衝撃を隠せなかった。


このホテルって、皆いるんだぞ。もし誰かに見つかったら一体どうするつもりなんだ。ちょっと買い物、とかちょっと気分転換にドライブ、というわけにはいかないだろう。もし相手と一緒のところだったら納得のいく説明なんてできるはずが無いだろうが!

若林は怒鳴りたいのを必死に押さえ、岬を見つけたまま固く立ち止ってしまった。
ギリギリと歯軋りする。

もし、このことがバレたら・・・。

若林が考えようとしたことがわかったのか、岬は口を歪めて笑うと大丈夫だと答えた。

「一般の客が使わないエレベーターがあるんだよ、ここにも。それを使うから。翼くん達には、迷惑をかけることはない。だから、このまま行かせてくれないかな?」

岬の手にはすでにカードキーが握られていた。
歪んだままに軽く笑うと岬は呟くように話した。

「丁度良かったよ。君が同室で・・・。後、よろしく・・・。」

何がよろしくなのか!と若林は思った。このまま行かせては、何も変わらない。

「待てよ!!」

踵を返す岬の腕を捕まえて、グイッと振り向かせる。
若林は岬を睨みつけた。
その視線に耐えられないのか、岬は俯く。

「行くな!」

岬にとっては意外だったのだろう、若林の引き止める声を聞き、ハッと顔を向けた。若林は岬をきつく睨みつけたままだったが、ただ単に行為に怒っているようには岬には感じられなかった。怒りの中にも遣り切れなさを滲ませていた。
岬は唇を噛み締めると、キッと若林を睨み返した。

「この部屋に帰ってくるのもきっと明け方になるかもしれない。だから、もし誰かが僕のことを聞いたらすでに寝ているから起こさないで欲しいとでも言って欲しい。もっとも、もうすでに声が掛かっている分には、断りを入れているから問題はないと思うけど・・・。」

若林に負けじと強い口調で返すのだが、若林の言葉とはチグハグなセリフがすらすらと岬の口からでてくる。
今度は若林の方が、口を歪めてしまった。

「そういうことを言っているんじゃないんだ、岬。俺が言いたいのは・・・・。」
「言いたいのは・・・、何?・・・・翼くん達には迷惑は掛けないよ。これは、僕個人でやっていることだから・・・。」
「そういうことじゃないだろうが!」
「・・・・!!」

若林の言いたい事はそれではない。いや、翼達に何かしら危害が加わることも心配であることは否めないが、それよりもこの先、岬に何かあったらどうするというのか。
若林の思いとは別に、言葉ばかりが、堂々巡りをしている。

きっとこのことが世間にでも判ればどうなるのか。目を瞑らなくてもわかる。
翼や皆の岬を見る目が強張るのが容易に想像できた。
ぐるぐると後から後から嫌な展開が若林の脳にひっきりなしに浮かんでくる。
岬の本意など関係なしに、きっと翼をはじめ、チームのみんなは岬のことを非難するだろう。まるで岬を犯罪者のように扱うかもしれない。後ろ指を差し、嘲笑い、そして嫌悪し、彼を罵るだろう様が容易に浮かんだ。
それだけではないだろう、サッカー協会にバレれば、その立場はどうなるのだろうか。裏の組織のことが世間に知られないように岬はきっと犧として、岬の言う通り、彼の個人的な行動として扱われ、サッカー界から追放されるだろう。そんなのは、きっといい方だろう。下手をすればドラマでよくあるような展開もあり得ない訳ではない。

そうなっては欲しくなかった。
確かにあのホテルでの出来事以来、若林は岬のことを嫌悪し、距離をおき、関わらないようにしてきた。それは日向のそれとは違い、本当に若林が岬とは関わりたくないと思っていたからに他ならない。

しかし。

今はもう、若林は心底、岬のことが心配であった。




睨みあうだけで何も進展がないことに、さらにイライラが募る。

「どいてくれない?若林くん!」

今だ捕まえられたままの腕は空いたもう片方の手によって緩く外された。若林もいつの間にか力を抜いていた為、岬のなずがまま掴んでいた手を離した。

「君は今まで何でも物事が自分の思い通りに進んできたからわからないんだよ。どんなに抗いてもどうにもならないことがあるんだ、世の中には・・・。」

先ほどよりも落ち着いた口調だが、だからといって岬が若林の言うことをすんなりと聞く訳がなかった。今度は説得じみた言葉を吐く。

「大きな力の前には、たった1人の力なんてカスも同然。よく例えられるじゃない、像とアリ・・・。そんな状態だよ。本当に。」

真っ直ぐと若林を見つめる岬の瞳はひどく濁っているように若林には感じられた。
こいつはこんな眼をしていたのかと、呆然とする。
岬の言葉も耳を素通りしてしまうほど若林は岬の目を見つめた。黒く澱んで、いつも翼達と一緒にサッカーで世界を目指している人間とは到底思えない。
底辺を行く人間の顔をしている。
が、若林は知っている。
岬はこんな顔を、こんな瞳をする人間ではないことを。
もっと生き生きとした顔をして、笑顔が明るく、翼ではないが、回りの人間までもを惹きつけるヤツだったはずだ。
自分も、翼だけでなく、楽しく、そして真剣にサッカーをする岬に惹かれている人間の1人ではなかったかと思う。



ボールを追いかけていた小学生の頃。
皆、日本一を目指して一緒に頑張っていた頃。
あの頃を取り戻したい。
皆して輝いていたあの一瞬を、もう一度岬と一緒に味わいたい。
あの頃のように、今度は世界一だけれど、一緒に闘って最高の瞬間を感じたい。
そう思う。
が。
でも、それはもはや無理なのだろうか。
大人になり、素直な心だけでなく、汚れた世界を知ってしまった今、子どもの頃のようにはなれないのか。

いや、そうではないだろう。
例え、あの無垢な子どもの頃と違って様々な経験を重ね、人間の汚い部分を知ってしまった今でも、あの輝く瞬間を欲する権利がなくなったとは思えない。
穢れを知らない妖精だけが、美しい世界を独占できるわけではない。
どんなに地に落ちた人間にだって、やり直すことが出来るはずだ。もう一度、素晴らしいと感じる時間を過ごしたっていいだろう。もう一度、前のように生き生きとした顔をしたっていいじゃないか。皆が幸せになれるような笑顔をしたっていいじゃないか。
若林は思った。

もう一度、岬のあの頃のような笑顔を取り戻したい。
そして、その瞬間には自分も一緒に時間を共有したいと思った。
その為には、どうしたらいいのか。


何も答えない若林に岬は、納得したと解釈して、足を動かした。
それは先ほどと一緒でドアに向かっている。
すでに諦めた感の足取りは重く、まるで罪人のようだ。形のない鎖が岬の脚に絡みついて見える。

「じゃ、キー借りていくよ。」

ポケットにカードキーを入れ込むと、岬はドアノブに手を掛けた。

岬は自分1人が穢れてしまったと言う。翼や若林のようには、生きていけないと言う。たった一人でいるという。
でも、穢れた人間にももう一度輝ける笑顔を取り戻すことができるのなら。
岬1人ではなく、一緒に。

どうせ、すでにキスをした仲だ。
それに思い出したくは無いが、壁越しに聞こえた岬の声で自慰までしている。

「いくらだ?」
「・・・え?」
「今日の客には、いくら貰うんだ?」

唐突に言い出した若林の言葉の意味がわからなくて、岬はドアノブに手を掛けたまま振り返った。

「・・いくらって・・・若林くん?」
「お前を抱くのにいくら必要なんだ?」

岬の眉が釣りあがる。
若林は金額を知って一体どうするというのか?

「そんなこと、聞いてどうするのさ?君には関係ないだろう?」
「関係あるさ・・・。今日はどのみち、このホテルで過すんだろう?そしてお前としては相手を選べないはずだ。」
「・・・・?」
「だったら・・・・俺でもいいだろう?金は払うよ。」
「じょ・・・・・!!」
「一緒に地に落ちよう、岬・・・・。」

ドクンと岬の心臓が跳ねた気がした。






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次って源岬!?

2005.11.21