過去と今と未来と3−16




空になったグラスを手に顔を上げると、老人とは思えない洗練された動きでサンジの前にやってきて新たな酒を出してくれる。
一見ただのうらぶれた飲み屋だが、この老マスターはなかなか、伊達に長年仕事をやっているだけある、とサンジは思った。もちろん、ただの酒場のマスターだけではないと踏んでだ。

「この店に入ったのは、たまたまなんだが・・・・・ある意味、正解だったみたいだな。じいさん、この街じゃ、かなりの者の実力者だろう?しかも、裏方面で。」

出された酒に口をつけながら、サンジは老人をチラリと見上げた。出された酒はいい具合に濃く作られていき、酔いが徐々に回ってきている。が、頭の回転と行動に支障が出るほどではない。

「いやいや・・・。儂はたんなる酒場の老いぼれじゃよ。」

首を振る老マスターにサンジは軽く笑う。

「別にあんたらの島の商売を邪魔しようとか・・・・荒そうとか・・・・今はそんなつもりなねぇよ。ま、うちの船長が知ったらどうするかはわからねぇが・・・。」
「なんのことじゃね?」

とぼけてはいるが、その瞳の奥が不審気に光る。

「俺達が余所者とわかった時点で、対処できるようにはしてるんだろう?ただ、俺達が何をしようとしてるのか読めないからまだ手を出さないだけで・・・。あの会話だけじゃ、島をさぐりに来たのか、それとも内輪の単なる色恋沙汰の話かわかりにくいからな。」
「あんたらは何かをしに来たんかね?この島に。」
「ただ・・・・ちょっと知りたいことがあるだけだ。」
「・・・・・・・。」
「この島に着いたのも・・・・・・何かの縁かもしれないな・・・。」
「ほう・・・。どんな縁があるのかわからんが・・。この島は単なる草臥れた小さな島じゃよ。」

会話はすでに不穏な内容に入ってきているもののグラスを磨く手は止めない。キュッキュッとグラスから届く拭き上げる音が耳に心地良い。
伊達に年は取ってないと尊敬する。続く作業は単なる質問をはぐらかす為のごまかしではなくて丁寧だと、その仕事ぶりに感心する。

「さっきも、ちょっと耳にしたんだが・・・・この島じゃ、流行っているんだろう。・・・・・『煙草』。」

老人の目がまるで若く獰猛な獣のように細められる。

気が付けば、マスターの手はグラスから離れて懐に入っている。
銃かナイフでも持っているのだろうか。
だとしても、サンジにはこの老マスターには余裕で対応できるだろう。ただ、後にいる連中のことを気にしなければだが。
今はこの店にいる連中が全て敵と読み取れた。
一瞬にして店内に緊張が走る。後にいる連中の誰もがサンジに気配を集中している。

「争う気はねぇよ。俺達の船の航海士からいざこざは起すな、と言われている。まだ、ログが溜まるどころか、今日、この島に着いたばかりだし。」
「あんたらの目的は何じゃね?」
「その前にあんたのその懐にあるやっかいなものから手を離しちゃくれねぇか?さっきも言ったろ?知りたいことがあるだけだ。」

後にも気配を流すとそれがわかったのだろう。老マスターは最初と同じように顎をしゃくってテーブルで酒を飲んでいた連中を抑えた。
店内に走っていた緊張が僅かだが、緩む。が、まだまだ気を許したわけではないのだろう。誰もが、最初に店内に入って来た時と別の感情でサンジを見つめている。

「何が知りたい?」
「『煙草』のこと。」
「『煙草』の何が知りたいんじゃ?」
「成分・・・。いや、それは企業秘密だろうな。簡単でいい、『煙草』について一通り教えて欲しい。」
「一通り?・・・・・知ってどうするんじゃ?この島を潰すのか?それとも、お前さん達がこの島に取って変わってこの産業を牛耳るのか?」

真っ直ぐに見つめられる。
僅かに緩んだ空気の中にも、後ろからもいくつもの視線に射抜かれる。





「俺の仲間も『煙草』のことを調べている。」
「誰も喋らんよ。この島を成り立たせている産業じゃ。わかるのはこの店とあと数件似たような店があるが、そこだけじゃ。お前さん達は出会わなかったらしいが、最近、海軍もウロウロしているから特に今は警戒が厳しい。誰も何も喋らんよ。」

サンジはグラスの縁を指でなぞって老人を見上げる。

「そうだな・・・。誰もしゃべらんだろうな・・・。まぁ、いいか・・・。その『煙草』が俺達の考えているシロモノかどうかの確認ができれば、もうそれでいいし・・・。」
「なんじゃ、そりゃあ。さっきも、わからなければそれでも構わんようなことを言っておったが・・・・。お前さんの意図がわからん・・・。」

老人は既に労働の手を止めてまっすぐにサンジを見つめている。一言言葉を間違えれば、この店、いや、この島全体を敵に回してしまうだろう。
ログのこともある。結果、敵になろうとも、今すぐはそう言った関係に陥るのは賢くないだろう。

「俺はその『煙草』で、所謂誘拐?って目にあったんだよ。」

顎を手に乗せて挑発するように笑う。
老マスターも釣られて笑った。

「今は、もう過去のことだがな・・・。」
「さっき話していた、ロイって男のことか・・・。」
「聞き耳たててるじゃねぇよ。ったく!」
「『煙草』の話が出たんで、一応な、様子を見ておった。悪かったな。お前らの色恋沙汰の部分には、関わらんから心配せんでいい。」

ため息を吐く。そこはやはりスルーして欲しい話題だ。

「で、一時だが、記憶も失くしていた。仲間は俺が記憶が戻ったことを知らない。そして、その全ての原因が『煙草』にあると考えている。だから、俺に使われた煙草がその『煙草』かどうか調べて記憶喪失との因果関係を調べようとしている。」
「そういうことか・・・。だが、今はお前さん、もう記憶が戻っているんじゃろうが。だったら、それを言えばいいだけの話じゃろう。それを黙っているから、話が拗れてるんじゃろう?」
「そりゃあ、そうなんだが・・・・。」

サンジはポリポリと頭を掻いた。

「俺が全てを言うことで傷つくヤツがいるんだよ。」
「さっきの小僧か?どう見てもお前さんに対してはいい感情を持っているとは思えんのじゃったが、どうしてそんな小僧を庇う。」
「あいつは、昔の俺みたいでよ・・・。勘に触ることもあるが、それでもなんだか、憎めなくてよ。」



「とりあえず、仲間が納得する情報を持ち帰れば、それで話は丸く収まると思ってさ・・・。わからんかったら、それはそれでいいと俺は思っている。あとは、適当に誤魔化すさ。」
「賢いやり方とは思えんのじゃが・・・。」
「わかってるよ。」
「『煙草』の副作用で記憶が無くなることはよっぽどないじゃろう。一時は粗悪品がかなり出回ったが、今は昔ほどよりもずっと良質になっとるよ。ま、悪用されるのは変わらんがのぉ。」

皺が集まる顔でほっほっと笑った。

「使い道は・・・・・・俺達の船長が聞いたら、黙ってはいないだろうな・・・。曲がったことは嫌いなヤツだ。」
「海賊なのにか?お前さん、麦わら海賊団のクルーじゃろう?船が島に入った情報が入っておったが。」
「しっかりと隠してきたのに、もうバレバレなんだな・・・。」
「こっちの情報網を甘く見んで欲しいもんじゃな・・・。これでも、裏家業は長いんじゃ。なぁに、お前さん達が何もせんかったら、こっちも手は出さんよ・・・。」

サンジは、「『煙草』を作っている工場をぶっ飛ばす!」と言いかねない船長を思い出して肩を竦めた。
確かに悪用している事実にはそれなりの手を下したくなるのは必須だが、使いようによっては本来は世のためにもなるだろうシロモノには違いないのだ。
況してや、自分達は海賊で正義の見方ではない。納得の出来る理由がなければ、この島に手を下す必要が見つからない。
が、きっとルフィからすれば、今回の自分達のトラブルの原因がその『煙草』ということが、ぶっ飛ばす理由にはなるのだろう。
目の前にいる老人を見上げて、サンジは「このじいさんとは戦いたくねぇなぁ」となんだか思ってしまった。個人的に見れば人懐っこい気のいい老人なのだ。

どうしたもんか、とサンジは目の前のグラスを眺めた。
老マスターの言う通り、自分が記憶が戻ったことをクルーに話せば、問題が解決するようにも思えたのだが、全てが丸く収まるとは言い切れないだろう。
自分を憎んでいるという少年の心の内を考えれば、これ以上彼を傷つけるのは憚れた。

もう、自分は全てを受け入れて先を見ると決めたのだから。

「そう言えば・・・・・・。」

ふ、と思い出したように老マスターが言葉を綴った。

「?」
「聞いてて何だか聞き覚えのある名前だとは思っとったが・・・・。そう言えば、あんたらが言っていたロイって男。」
「あぁ。」
「茶髪の兄さんじゃないのか?長さもあり、一つに縛ってての・・・。身長もアンタよりももう少し高くて体は細いほうじゃな。割と二枚目の男だと思ったんじゃが・・・。そうそう、目の下に小さな傷があったのを覚えておるよ。」

目の下の傷は、その昔、サンジがまだ包丁の扱いに慣れておらず指導してもらっている時に誤ってつけてしまったものだ。
その当時を思い出すと心の中がズキリとする。

「そうだ!知ってるのか?」
「もう半年以上も前のことじゃが・・・。ここに来たよ。思い出したよ。」
「え!!」

思わず立ち上がってしまう。
倒れることはなかったが、ガタンと椅子が傾き、やはり注目を集めてしまう。
が、店内の客は全て事の成り行きを注視している連中なので、老マスターとサンジの様子にすでに何食わぬ顔でそれぞれの話に戻ったように振舞ってはいたが、それは今更だ。

「例の『煙草』を大量に欲しいと言われてな・・・。探りを入れている海軍の可能性もあるんで、始めての客にはそうそう対応はできんのでのぉ。暫くは知らん振りをしておったんじゃが・・・・。あんまりにも必死なもんでな。何でも、落としたい人がいるからっての・・・。惚れ薬じゃないって言ったんじゃが、いつまでも店を離れんでのぉ・・・。こっちも根負けしてのぉ、ヤツに売ったよ。」
「それが・・・あの・・・・。」

瞼の裏に様々な場面が蘇り、目眩を覚える。
が、老マスターはそれに気づかない風を装い、話を続ける。

「その男が結ばれたい人がいるって言っておったが、そうか、お前さんだったんじゃな・・・・。儂も人を見る目は悪くないつもりじゃが、今回はちょっと見誤ったかの、その男は相当厄介だったようじゃのぉ。とはいえ、所詮は『煙草』に群がるのは悪の塊ばっかりじゃからなぁ、当たり前と言っちゃあ当たり前かの。しかし、あの男が必死になるのもわかるよ、お前さんを見ればな。」
「じぃさん・・・。」

サンジはどう答えたものか困ったしまう。

「さっき一緒におった小僧も、見目はいいんじゃが、中味がそれに付いてきてないのぉ。まだまだ子どもじゃからそれも致し方ないか・・・・。それよりもアンタは、ただ見た目だけでなく・・・そうじゃのぉ、内に輝く何かを感じるのぉ。ま、それがわかる輩はそうはいないだろうが、アンタに魅了される男は大変じゃのぉ〜。」
「誉め言葉になっているようななってないような・・・。」

へにゃんと眉を下げてサンジは老マスターを見上げる。まだ残っていた酒をちびりとひと口含み、喉を湿らす。

「誉めてんじゃよ、これでも。」

ほっほっと笑う老マスターは、仕事の手を再開させながらも、会話を続ける。

「その時、そいつに言ったんじゃがな。その『煙草』は惚れ薬じゃないから、『煙草』を使って誘拐紛いのことをしても相手を手に入れることはできん、無駄じゃ、とは言ったんじゃが。そうか。結局、そういう使い方しかできんじゃったか・・・。仕方が無いかのぉ、そういうもんじゃ、その『煙草』は・・・。」
「そっか・・・。」
「お前さんも本当に厄介な男に惚れられたのぉ・・。」

サンジは苦笑するしかなかった。

「それにしても、ロイがここに来てたとはな・・・。何か、『煙草』の情報ぐらいとは思ってたが・・・。偶然にしては、出来すぎか?」
「偶然じゃなくて、それが運命じゃったのかもしれんな。」
「・・・・。」
「亡くなったんじゃろう?そのロイって男は。さっき、お前さん、言ってたじゃろうが・・・。」
「あぁ。」
「で、肝心のお前さんは記憶を失くしてしまって、どうしてこうなったのかわからんかった。いや、記憶が戻って、今まで起こったことは思い出しても、どうしてこうなったのか、どんな思いがその男にあったのかは、本当にはわかってないように思えるのじゃが、違うか?」
「・・・・その通りだ・・・・。」

サンジは目を伏せた。
老マスターはただの経験豊富な老人として言葉を紡ぐ。

「誰にも他人の思いはわからんよ・・。」

その通りだとサンジは思った。
何故だか、なんとなく頭の中に剣を手にした男の姿が浮かんだ。

「そうだな・・・。」

「かわりに、この島でのことを教えよう。」
「?」

老マスターは、今度こそ仕事の手を止めてサンジを手招きした。






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2007.09.08.



老マスターが中途半端なキャラですみません。