膿 ー15ー
とある駅構内。 人が集まる場所ということで、かなり人の流れがあるかと思ったが平日の昼どきということで往来の時間帯ではないからか、わりと静かな場所となっている。 立っている場所がまた特に通路から離れているためか、片隅のためか、壁に凭れていても眠気さえ誘いそうなほど穏やかだ。 ぼうっと若林が立っていると、コツンと足音が響いた。 若林がそれに反応し振り返ると、そこに足音を響かせた人物が苦虫を噛み潰した顔で睨みつけていた。 「どういうこと?こんな所に呼び出して・・・。」 これが他の人物だったら人懐っこく「久しぶり」とか、「この間は・・・。」って来るんだろうな、と内心苦笑する。 あの国際試合から2ヶ月が過ぎようとしていた。 季節もすっかり変わり、暑さに目眩を起しそうだった感覚もとうに失われ、日本を出たということもあるのだろうが、今は過しやすい風を頬に受けている。 これで気が付けばきっとまた、すぐに寒さに身を竦ませることになるのだがとりあえず今はこの気持ちのよい季節を堪能しなければもったいないと思うほどに気持ちがいい。 各国のリーグの方もすでに新しく始まっており、翼も日向も試合日程が詰まっている為、今はほとんど連絡を取っていない。 お互い新聞やニュースでチーム、そして相手の好調を知っている為、あえて連絡を取る必要もなく、ただがむしゃらに突っ走る。 それは若林も同様で、先日もまた連続無失点記録を更新したところだ。どこまで記録を更新することができるのか、チームメートや監督が期待の目を向けている。もちろん自分もそれなりに自信があり、また、今は誰にもゴールを許す気がしない。 そんな絶好調の中、あえて岬に会おうというのかが、岬には解らないようで解せない顔をずっと張り付かせたままだった。 当たりまえだ。 あの合宿での出来事。 そして、試合後のホテルでのやりとり。 どれをとってもお互いに気持ちのいい会話ができるはずがない。あるのはお互いに対する不信感と嫌悪感のみだ。 「岬、調子はあまり良くないようだな・・・。」 そうポツリと若林が溢すと、岬は凍りついたように顔を青ざめた。 「大丈夫だよ。ピエールががんばってくれている・・・。」 あまり的を得ていない返事で誤魔化そうとしていた。 が、若林はそんな言葉に乗るはずがなかった。その為にわざわざ時間を割いて隣国にいる岬に会いに来ているのだ。 確かにここ最近の岬の調子は良くなかった。 今は相棒としてコンビを組んでいるピエールがそのフォローをしているからか数字の上での評価は悪くはないが、今までの岬をよく知っている者ならば「どうした?」と声を掛けたくなるのは必須だった。 当初、若林もあの合宿後はかなり不調だった。 合宿中も岬により練習に集中できない状態だったが、逆にすぐにあった国際試合は、『不調の原因』をまわりに勘繰られないように試合に集中し、実際誰にも気づかせないほどの活躍はできた。自分も結果を見て、それなりにサッカーへの影響はないと思っていた。 それが、そのままホテルでのやりとりは・・・・。 岬の行動をなんとかして止めてやりたいと思いながらも出来ず、そして、その岬に自分まで翻弄されている自覚が芽生えた。 結局、国際試合のみ不調を払う事は出来たが、元の木阿弥とも云うべき状態が暫く続いた。 一時は試合に出させてもらえなくなるのではないかと遠くいる翼に心配されたほどだ。もちろん、翼には不調の理由はごまかしたが。 が、このままでは何も変わらない。と、いうより物事が悪化することはあっても好転することはないと思われた。 若林も岬もまだまだこれからなのだ。 翼と一緒に世界一をめざしている途中なのだ。こんなところで燻っているわけにはいかない。 しかし、今の岬には重い足枷がある。今はまだ買春行為のみで終わっているが、それだけでなく、この先いつ八百長紛いのことまでさせられるかわからない。もちろん、買春という行為だっていいわけがない。 が、今の自分には何の力もない。 岬のいう組織が一体どんなものか、どれだけの規模のものかもわからないが、それに抗う力をつけなければならない。 岬を救う為に一体どうしたらいいのか。 それは、具体的には今だ若林には分からなかったが、それでも今のこの状態を抜けるには、まずは自分が力をつけるしかないと思った。 今現在、サッカーしかない若林。 実家がそれなりの資産と経済力もある家なのだが、それは若林源三自身のものではないし、まるっきり畑違いの分野でもある。ましてや、親に力を貸してくれと言ったところで、理由が言えるはずもない。 もちろんサッカーそのもので対抗できることではないが、とにかく何にも影響を及ぼすことのできる選手になることしか今の若林には浮かばなかった。 誰にも手を出させないほどの一流選手になる。マスコミやサッカー協会にまで影響を及ぼすことのできる選手になる。 そして、いつか岬に裏の仕事を止めさせ、笑顔を取り戻させる。一緒に楽しいサッカーをする。昔のように。 今の若林は、その為にはあらゆる努力を惜しまなかった。 そして、岬からも今の状態から脱するような気持ちを持って欲しかった。 そのための話をしたくて岬に会いにきたのだ。 そんな若林を知ってか知らずか、岬は自虐的ともとれる笑みを浮かべて若林が話し出す前から話題を逸らそうとする。 「若林くんは、調子いいじゃない。・・・連続無失点記録更新中なんだろ?いいことじゃないか。」 「岬、今日は俺の話じゃなく・・・。」 「どう、翼くん達とは連絡取ってる?彼もなかなか調子いいみたいだけれど?」 「岬、そうじゃなくて!」 「僕は君と話すことなんてないよ。」 「俺が話しがあるんだ。」 「・・・・・。」 「ゆっくり話しをしよう。岬。」 真っ直ぐに見詰める若林の視線を受け止めるだけの自信が今の岬にはないらしい。思わず俯いてしまう。 「・・・・・・長くなるの?話・・・。」 「あぁ・・・。ゆっくりと話がしたい。」 「それって、この間の続き?」 「そうだ。」 すでに2ヶ月が過ぎて『この間』とは言い難いがお互いに話の内容はわかっている。 簡潔に、しかも力を込めて答える若林に岬は観念したのか、大きくため息を吐いた。 「・・・・場所を変えよう?人が少ないといっても、こんな所では話がしずらい。」 「どこへ行く?」 「本当なら、僕のアパートと言いたいところだけれど、あそこではそんな話をしたら、すぐにばれてしまうから・・・。そうだね。」 思案する岬が徐に顔を上げた。 「とりあえず、着いてきて・・・。」 一人納得し、さっさと歩き出す。 若林はどこだかわからないままに、とにかく岬に付いて待ち合わせ場所だった駅を離れた。 暫く歩くと、大きな公園に辿りついた。 あぁ、と内心若林は納得する。 木々も多く、緑囲まれるその公園は、とても広く解放された空間はとても気持ちがいい風が吹いていた。 人々は思い思いに散歩やジョギングを楽しんでいる。走り回る子ども達が手にあめやジュースを持ったまま動くので、母親達が服を汚さないかととヒヤヒヤしているが、それでもお互いのおしゃべりも止まらないらしい。明るい笑い声が子ども特有の甲高い歓声に混じって響いている。 しかし、それも気にならないくらいに広い空間を持った公園だった。 岬は歩道になっている道から外れた芝生の中にぽつんと佇むベンチに向かい、そのままそこに座った。 ここか? と、若林が首を傾げているのを顎で座るように促す。 「ここで話をするのか?」 「ここなら誰も近づいてこられないだろう?誰にも会話の邪魔をされないし、誰にも聞こえない。」 ぶっきらぼうに話す岬の目線は遠く離れた噴水の回りで遊ぶ子ども達に注がれたままだ。噴水の枠部分に上り、いつ落ちるか分からない危うさで遊んでいる子どもに親が声をかけている。まだ寒くなない季節だが、濡れてしまえば風邪を引くのは間違いないだろう。 組んだ足に肘をつき、頬杖をしても岬の目線は前を向いたままだった。若林と目を併せるつもりがないことを見れば、ただ本当に話を耳に入れるだけのつもりなのだろう。 それでも会話をする機会が持てただけでも良しとしなければならない。 まずは話を聞いてもらわなければ。 いかに自分が真剣に岬のことを考えているのか。いかにこれからも一緒に皆でサッカーをしたいと思っているのか。 今すぐ、岬からいい返事を貰えるとは思っていないが、それでもいいと思った。 これからじっくりと攻めていこうと若林は考えていた。 「岬、全てを話してくれないか・・・?」 若林の言う事は岬にはさっぱりわからなかった。 「お前をこんな事に引き釣りこんだ奴がいるだろう?そいつは誰だ?まずは、そいつの事を調べてみる。これでも結構顔が広いんだ。そこから奴らの尻尾の先でも掴めれば、その組織っていうのを潰せるかもしれないだろう?」 「な・・・にを?」 「なぁ、岬。一緒に奴らと戦おう。言いなりになるなんて、お前らしくない。俺が協力する。協会から手が伸びてこようと動じない力を俺はつける。だから岬も一緒に・・・。」 「・・・・断るよ・・・。」 今までずっと前しか見ていなかった岬は、いつの間にか若林を見つめていた。 ゴクリ と若林が唾を飲み込むほどの真剣なその表情の奥に見え隠れするものは何なのだろうか? 「たかだか一選手が協会、それもワールド規模相手に立ち向かったって太刀打ちできるはずがないだろう。」 「だから、太刀打ちできるだけの力をつければいいんだ!」 「無理だ!」 「何故、そう簡単に諦める。試合じゃ、そんなことないだろうが!」 キッと岬が若林を睨みつける。若林も負けじと睨み返す。 「試合って、サッカーとこれじゃあ、全然話が違うだろう!」 「一緒だ。」 「違う。」 「一緒だ!」 ギリギリと奥歯を噛み締めて唸り声を上げそうな勢いが止まらない。 もっと冷静に話をするつもりだったのが、どうしても押さえが効かなくなる。元々気が短い方なのは自覚済みだが、それでもサッカーをしていればもっと冷静になれるのに、と若林は頭の隅で思う。 とりあえず落ち着こう、と軽く息を吐く。 「もっと冷静に話をしよう、岬・・・。」 「冷静だろうが何だろうが、何も変わらないよ。」 「何故っ?」 「僕がそれを望まないから・・・・。」 岬のその瞳の奥には隠しきれない悲しみがあるように若林には見えた。 「それに僕を助けたいという君の言葉は偽善にしか聞こえない。ただの君の自己満足だ・・・。」 「・・・・そんなことはない。」 若林はそう思っていた。偽善なんかではないと。 しかし、それは本当にはたしてそうなのだろうか・・・。 「本当に・・・・?・・・・だったら、君の言葉を信じるよ。」 若林をわかったのかわからないのか、急に岬から期待を持たせる言葉が返ってきた。 「・・・え?」 「ただし・・・。」 「ただし・・・?」 軽く息を吐いて岬は再度若林に目を合わせた。 その瞳は暗く、深い色を宿しているように若林には見えた。 「君が僕のいるところまで落ちてくれたらね・・・。・・・・・・僕を・・・・。君が本当に僕を抱く事が出来たら君を信じるよ。一緒に落ちてくれる?」 若林には思いも寄らなかった衝撃的な言葉だった。 |
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二ヶ月以上経って、またこの展開・・・。すみません。(鬼が来る・・・!)
2006.02.03