ー16ー




「君が僕のいるところまで落ちてくれたらね・・・。・・・・・・僕を・・・・。僕を抱く事が出来たら君を信じるよ。・・・・・・一緒に落ちてくれる?」

若林は岬をマジマジと見つめた。
岬も若林を見つめ返してはいたが、それはいつの間に変貌したのか、サッカーをしている時の岬ではなかった。

あの時の。
岬が行っている行為を知るために合宿所を抜け出して、ホテルへ一緒に出かけた時に車の中で見せた貌。
真昼間の公園で見せる顔ではないのに、一瞬にして見せるそれ。
媚を売り、艶を持った顔をして岬は若林に告げる。

『自分を抱け』と。


以前、国際試合が終わって若林が岬に告げ、しかし、それを岬は一度拒否したはずの言葉。
あの時、岬は言ったのだ。

『どうかしてるんじゃないのか!』
『冗談で僕をバカにするのはやめてくれないか!』
『僕がどんな気持ちでこんなことをしているか、知らないくせに「抱く」なんて簡単に言うな!』

若林は、岬の為になら一緒に地の底に落ちようと思ったのに、それを信じてもらえなかった。


だから。

だから、若林は困惑した。
ならば違う方法で岬を救いたいと今、改めて話をしに来たというのに、あの時の言葉を今度は岬から言うのか!

今更・・・・。
何故、今更なのか・・・。

若林は手に汗を握り、どう答えてよいのか戸惑った。
ただ一言。
ただ一言、「わかった。」と答えればいいものを。
自分の肩に掛かる岬の白い手を掴まえて、そのまま立ち上がればいいものを。
岬の信用を得るためには、ただ一緒に手を繋いで歩いて行けばいいものを若林は、この瞬間というタイミングに戸惑った。



キッ

と岬が睨み付けるのを視界の端に気が付いた。
どれぐらいの間そうしていたのか。いや、大して時間は経っていないはずなのに、かなりの時間思考がぐるぐると回ったまま、ただ呆然としていたような気が若林には感じられた。
それは岬も同様に感じられたらしく、先ほどの表情はすでに消えうせていた。

「帰るよ、僕。」

そう一言発すると、今まで若林の肩にあった重みが急に軽くなった。
少し身体を預けてしな垂れかかっていたほんのつかの間の男娼は、勝気な青年に戻った。

踵を返し、立ち上がる。
咄嗟のことに若林は慌ててその腕を掴まえた。

「待ってくれ、岬!!」

若林はつい、大声で怒鳴ってしまった。

「何!」
「わらかないのか?」
「何が?」

若林の言いたいことがわからないと岬は首を振る。

「俺が何のために頑張っているのか。無失点記録を作っているのか?」

若林がプロとして頑張ることと岬の行っている事に何の関係があるのか、岬には若林の言いたいことがまったくわからない。話の繋がりが見えない。
それでも若林は訴えた。

「さっきも言っただろうが・・・。刀打ちできるだけの力をつければいいんだって。協会から手が伸びてこようと動じない力を俺はつけるって。それだけの力をつけて対抗するんだ。その為にはまずは一流選手としての地位を不動のものにしなきゃいけない。・・・だから、今出来る事としてがんばっているんじゃないか・・・。」
「・・・・・・・。」

怒鳴ったところで言いたいことが伝わる訳ではない。極力押さえた声音で若林は岬に言う。

「岬だっていつまでも組織の言いなりになんてなりたくないだろう。もっと、楽しく皆でのびのびとサッカーがしたいはずだ。」
「・・・・・・・。」
「だから・・・。」
「・・・・だから、頑張っているって・・・・?それは単なるこじつけだろう?君は世界のトップになるのに、僕を理由にしてるだけだ。」
「そうじゃない、岬!!」

お互いに見つめあう形ではあるが、そのお互いの心は遠いままだ。
どうしたら岬は自分に心を開いてくれるのだろうか・・・。
やはり・・・。




ふぅ。
と、ため息を吐いて岬はゆっくりと掴まれていたままだった腕から若林の手を外した。

「信じるよ・・・君を。」
「岬・・・!」

やはり岬を抱くことでしか自分を信じてもらえないかと、諦め出した若林に岬は一条の光を差し伸べた。

「でも、君が僕を止められたら・・・ね。」
「どういう・・・?」

今度は逆に岬の言っている事の意味がわからないという若林に、岬は自嘲の笑みを溢した。

「今日も客を取ることになっているんだ。試合、昨日終わったところだし・・・。」
「それは・・・。」
「だから、僕を止めてみせて?」

自嘲の笑みから薄い微笑みに表情を変え、岬は若林の腕をするりと抜け、走り去ってしまった。

「止めるって・・・・。」

岬の真意がわからないまま立ち尽くす若林は、ただ岬の走り去る姿を見つめる事しかできなかった。















改めて若林は考えた。

岬が求めた若林の覚悟。
いや、若林は自分なりの覚悟を持って行動してきたつもりだったのだが・・・。
はたしてそれは、本当に岬に伝わっているのだろうか?いや、実際に本当にその覚悟があったのだろうか?

岬に突きつけられたセリフを思い出し、もう一度考える。
こんなことになった切欠である忌まわしい合宿を離れ、ドイツに帰り。何度も考えたはずだ。
が、考える所が違ったのだろうか?
岬のことは何度も何度も考えた。
どうしたら、岬を救えるか。どんな方法がいいのか。

が。

自分の覚悟について、再度考えさせられた。
一度は岬を『抱く』とまで言った自分。あれは勢いだけだったのかもしれない。
しかも、その時は岬から本気ではないと思われて拒否された。が、自分の身体は岬に対して反応はしていた。それはもう自覚済みだ。なんせ岬を幻いながら自慰までしている。

あの行動は。

それはただ単なる雄としての本能だけだろうか。
本当に現実として『岬』が抱きたかったのだろうか。
ただ単なるその回りの空気に侵されて『その気』になっただけだろうか。

言葉では覚悟を決めたようなセリフを吐きながら。
自分では確かに岬と一緒に過ごすことを覚悟したつもりだったが、今、改めて岬から出たセリフに戸惑っているということは、やはり岬が求めているほどの『覚悟』は実はなかったのだろうか。だから、岬から『抱け』と言われて戸惑ったのだろうか。
いや、違う。
折角ここまで自分が頑張ったのに、その自分の気持ちを理解してくれなかったから、すぐには返事ができなかったのだ。
いや、だが。
それでも岬のことを考えて、岬を助けたいと思っていたのなら。岬が望む形でだっていいじゃないか?それがどんな方法でもかまわないはずじゃないか。どんな方法でも構わないのなら、『岬を抱く』ことでも構わないはずだ。
いや、そうじゃんない。
『岬を抱く』行為だけでは、岬は救えない。岬を抱くだけじゃあ、何も変わらない。
でも。
岬に己を信じてもらうには、まず岬が望むものを与えるのが先じゃないか?
と言っても。
それだけじゃあ、何の解決にもならない。

頭が様々な言葉をもって堂々巡りを起こしている。

方法が目的じゃない。
覚悟を見せることが岬にとって何よりも欲していることだ。

改めて、何度も何度も考える。

本当に岬を抱けるのだろうか?
雄の本能としては、きっと岬を抱く事ができるだろう。それだけの魅力が岬にはある。
それは愛情のない、ただ単なる性欲処理としか思えなくもないが。

岬が本当に『若林が岬を抱く』ことに求めているのは、覚悟という名の若林の岬に対する愛情ではないのだろうか。
すでに行為だけで反応することができる岬の身体。
もはや、男に抱かれることでしかセックスができない身体となっているとしても、岬は愛情を持って誰かに抱かれたいのだろうか。

若林には同性に抱かれる男の心理などはまったく解らないが、何故か岬が求めているものが正解かどうかは別にしても、いろいろと考えているうちに想像できるようになっていた。
それだけ岬についてずっと考えていたのだろうか、と自嘲の笑みが零れた。





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亀ですみません。(土下座)

2006.03.26.